戦後日本を代表する哲学者で国際日本文化研究センター初代所長を務め仙台市出身<梅原猛>(1925年3月20日~)さんが12日逝去されています、93歳でした。立命館大教授、京都市立芸術大教授を経て、1974年、同大学学長に就任。大学の移転、運営に力を注がれました。
哲学や歴史、文学など幅広い分野で著作を発表、「梅原日本学」とも呼ばれる独自の史観を確立しました。1972年に発表した「隠された十字架 法隆寺論」(第26回毎日出版文化賞)では聖徳太子怨霊説を唱え、大きな反響を呼び。1973年には万葉歌人の<柿本人麻呂>は流刑死したとする「水底(みなそこ)の歌~柿本人麿論」(第1回大佛次郎賞)を刊行。通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼ばれ、大きな反響を呼びました。
歌舞伎のために「ヤマトタケル」を<市川猿之助>(現・猿翁)さんに書き下ろすなど、創作の分野でも活躍。脳死臨調のメンバーも務めました。
1997年には日本ペンクラブ会長(第13代)に就任。<大江健三郎>さん、<瀬戸内寂聴>さんらと共に「九条の会」の呼び掛け人となり、平和や環境問題でも積極的に発言。東日本大震災を「文明災」として現代社会を批判しています。
国際日本文化研究センター(京都市西京区)の設立に尽力し、1987年の発足時から1995年まで初代所長、後に顧問となられています。1999年に文化勲章を受章。
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