<グーグルロゴ>(150)「楠瀬喜多生誕183周年」
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徳川幕府 第11代将軍「徳川家斉」の時代に、高知県(当時の土佐藩)に生まれます。
1857年に、土佐藩の剣道指南役を勤める「楠瀬実」さんと結婚します。
1867年、大政奉還が行われ、時代は明治となります。
1874年に夫と死別、2人の間に子供がいなかったため、彼女が戸主(家長)となりました。
1878年(明治11年)、府と県に府県会が設置されることになり、その議員は選挙で選ばれることになりました。
その選挙資格は、「満20歳以上の男子で、その郡区内に本籍を定め、地租5円以上を納める者」とされました。
彼女は戸主として税金を納めており、女性ということで選挙資格がないことに不満を覚えます。
そして、選挙権を認めてもらえないなら税金を払わないという抗議文を提出。
結果として、1880年に「区町村会法」が発布され、区町村会選挙規則は、その区町村会が制定できるようになりました。
彼女の住む上町町議会では、「戸主に限って」女性参政権が正式に認められることになりました。
ところが、1884年に、「区町村会法」が改正され、参政権は男性のみと政府により規定されました。
その後、彼女は自由民権運動に参加し、女性解放運動を精力的に行い、彼女は、「民権ばあさん」として知られていました。
1925年、普通選挙法が制定されますが、女性の参政権が認められるのは、第2次世界大戦後の1945年のことです。