大関<御嶽海>誕生@出羽海部屋
Jan
26
伝達式では協会から送られた使者の<春日野親方>(元関脇栃乃和歌)、<大鳴戸親方>(元大関出島)から昇進が全会一致で決まったことを伝えられると、「謹んでお受けいたします。大関の地位を汚さぬよう、感謝の気持ちを大切にし、自分の持ち味を生かし、相撲道にまい進してまいります」と口上を力強く述べています。
「感謝」の言葉を入れたことについては「中学校から恩師に感謝の気持ちを忘れないで相撲を取りなさいと、大学いってもプロいってもずっと言われ続けたので」と説明。「自分の持ち味」という言葉は、母校の木曽町立福島中、そして出羽海部屋の大先輩である<28代木村庄之助>の言葉から引用。「中学校の石碑に出羽海部屋の<28代木村庄之助>さんの『自分の持ち味を生かせよ』という言葉が刻まれていて、絶対それを使いたいなと。同じ出羽海部屋なのでそれを使わせていただきました」と説明しています。
長野県出身の大関誕生は、江戸時代の1795年、現役の21年間で254勝10敗(引き分けなどを除く)、勝率9割6分2厘という成績を残した「伝説的の力士」とされた<雷電為右衛門>以来になります。