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ぼくしのめがね

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ローマ11章 神の憐れみ

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小さくて見えにくいですが、空に... 小さくて見えにくいですが、空に、飛行機が12の旗を羽ばたかせていました。土曜日は、シーホークスの試合でしたー。もちろん! 勝ちましたーーー。がんばれーシーホークス!!! スーパーボール行こう! チェリーちゃん、英語の教会学校... チェリーちゃん、英語の教会学校で頑張ったので、景品をもらいました。手の形のくっつく、ぴよんびよんするやつです。二つの手が重なると、欠かさず「ないすちゅーみーちゅー」というのが、かわいくて。。。思わずパチリ。。。礼拝後の風景でしたーーー。

2017年1月8日日曜日礼拝

前回、ずいぶん前になりますが、ローマ10章では、「伝統から確信へ」という題で、イスラエル人がいかに伝統にこだわるのではなく、確信が無くては救われない。ということを話しました。今週も引き続き、パウロは、イスラエルの救いについて話しています。
この章を一言で言い表せば、ロマ11:29に集約されているといえます。

V29 神の賜物と召命とは変わることがありません。For the gifts and the calling of God are irrevocable.

これは、神様の道の不思議であります。みなさん、これは、この章ではイスラエルのことを話しているという文脈ですが、私たちの人生に置き換えてみてもそうなのです。

★イスラエルは神に拒絶されたのか?

パウロは、なかなかイエス様を受け入れないイスラエルに対して、神に拒絶されているのではない。と訴えています。

V1-2, すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。2 神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。.

V7-8, では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。8 こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」 

○私たちも、なかなか祈りが聞かれない時に、自分の思いがかなわない時に、神に拒絶されているのではないか。。。と結論付けるところがあります。それは、自分の歩みの歴史を無視して世の霊に惑わされているのです。アブラハム、イサク、ヤコブ、神の選びの中でどんな時も神がともにいて導かれてきたこのイスラエル人が、今救われていないからと言って拒絶されているのではない。

心がかたくなにされている者もいる。でも、そのかたくなさをも、全世界の救いのために、神は、用いているのだ。と続きます。。。。

★イスラエルの役割

V11-12 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。12 もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。

イスラエルは、以前にも言いましたが、神に背を向けても、落ちぶれても、神の裁きを受けても、順風満帆の時でも、どんな時でも、神の民として、全世界に神を指し示しながら生きているもの。イスラエルの失敗でさえ、神は、異邦人のために用いられている。

★接ぎ木の例え

V17-25
パウロは、オリーブの木の接ぎ木の例えで、一つの霊的なイスラエル(神を信じる人たち)について話している。ユダヤ人は台木であり、異邦人は、野生のオリーブの木だ。

① 根が聖ければ、枝も聖いv16 if the root is holy, so are the branches
アブラハムはじめ、信仰の父たち、偉人たちの故に、ユダヤ人は神様に愛されている。目をかけられている。私たちも、たとえ家族にクリスチャンが一人であったとしても、あなたのキリストにある聖さは、家系、世代にわたる祝福であることを覚えていてください。呪いは四代、祝福は千代です!

② 根が枝を支えているのだから、誇ってはならないv18 if you do boast, remember that you do not support the root, but the root supports you.
この初めの信仰の偉人たちが信仰を届けたからこその、今のキリスト者たちなのだから、信じないユダヤ人を見て、自分を誇ってはいけない。それでも、なお、私たちは継れたものであり、土台は、起源はユダヤ人たちだからです。

③ 神は台木の枝を惜しんだ。イスラエルについて心を痛めている。V21 For if God did not spare the natural branches, He may not spare you either.
神は、イスラエルについて心を痛めている。

④ 不信仰が無ければ、枝はもう一度容易に継がれる v23 if they do not continue in unbelief, will be grafted in, for God is able to graft them in again.
信仰さえあれば、心の確信さえあれば、イスラエル、ユダヤ人たちは、容易に接ぎ木される、元の木に戻ることができる。

⑤ 野生種を栽培種に接ぎ木するのは本来は難しいが、神にはおできになること。V24 how much more will these, who are natural branches, be grafted into their own olive tree?

★神の憐れみと不思議

ロマ11:33-36
ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

すぐに、神に拒絶されているなどと、結論付ける私たちですが、神には、私たちに計り知れない知恵と知識をもって私たちと私たちの周りの人たちを導いておられるのです。ネガティブなことを想うときに、少し立ち止まりましょう。静まり、神に信頼しましょう。

★私の体験

私は、思い出します。もう、ミニストリーができないほどに疲れ、もうやめよう、向いてない。と思った時がありました。鬱になり、自暴自棄になり、自殺願望さえありました。もう、こんな汚れた自分が神の働きをすることができるはずがないと思いました。そうなると、ますます自暴自棄となりました。
ちょうどその時、アメリカへ導かれたので、もうアメリカに行って、ミニストリーはやめようと思いました。もう、私の名前を働き人のリストから取り除いてくださいと、主任牧師に頼んだところ、彼は、「神様からの賜物と召命は変わらないから、人間の私がそうすることはできない」と言うのです。まあ、アメリカに来たら、自然消滅できるかな、野垂れ死にするかもしれないし。。。とも思ってアメリカに疲れた精神できました。すると、初め一、二か月で、日本人留学生が私のドームの部屋で救われたのです。また、人が集まりだし、一年後、聖書の学びのグループが始まりました。すべて自然発生的でした。私は、神様を畏れました。”私”ではない。私は、神様にこのように用いられるように造られているのだ、と確信したのです。
皆さんの、人生の上にも神様がこのように働いているのです。皆さん方は、特別な神様の器です。私が、神様の計画をむちゃくちゃにできないのです。自分に与えられた召命を壊すことすらできないのです。神様は、試練の時も、苦しみの時も、罪の中で自暴自棄の時にもともにいらっしゃるのです。


#キリスト教 #クリスチャン #信仰 #教会 #礼拝 #聖書

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ローマ10章 Romans10 救いは近くにある

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礼拝後、クリスマスの歌の練習も... 礼拝後、クリスマスの歌の練習も終わったころ、もっと遊びたくなって、おもちゃをひろげたちびっこのみなさん。。。。
かわいいっ
ボーイズは用事があって早く帰りました。17日の本番がんばろうね!

このビデオは、英語礼拝中に見ました。有名なミュージシャンでも、路上で演奏していても、誰も気が付かない。。。まるで、イエス様みたい。。。。と。。。

2016年12月11日日曜日礼拝メッセージ音声は、https://youtu.be/y0p7u5lKH9M

この間、youtube で、クリスチャンではない人がイスラエルにいるユダヤ人にイエス様のことをどう思っているかと聞いて回るというドキュメンタリーを見ました。とても、興味深かったです。みなさんだいたい「イエスは預言者の一人だ、いい人だった。神ではない。人間だ。私たちは、救い主を待っている。」よく知っている人は、こんな答えをし、良く知らない人たちは、「伝統と違うからイエスを信じていないのよ。あれは、クリスチャンが信じてるだけ。伝統だから、ユダヤ教をやっているのだよ。」と、たくさん伝統という言葉を聞きました。私が感じたのは、まるで、日本の仏教や神道のようだと。「私は日本人だから、仏教徒です。」とよく聞きます。では、仏教とは何かと聞かれても、分からず、「伝統だから。。。」とか、「うちは、代々仏教だから」という答えが返る。パウロは、次のように10章をはじめています。

★どうして信じているのか? Why do you believe in Jesus?

ローマRomans 10:2,3
私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。3 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。For I bear them witness that they have a zeal for God, but not according to knowledge. 3 For they being ignorant of God’s righteousness, and seeking to establish their own righteousness, have not submitted to the righteousness of God.
ユダヤ人たちは、熱心だが、知識に基ずく熱心さではない。というのです。ただ伝統に従っているということです。

★伝統から確信へ Tradition? Or Conviction?

ローマRomans10:8-13

○神様は遠くない God is not far away

8では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。But what does it say? “The word is near you, in your mouth and in your heart” (that is, the word of faith which we preach):

パウロは、み言葉はあなたの近くに、もう口にある。というのです。神様は遠くない。あなたが福音を自分の物にしようと思うならいつでもできるというのです。日本でも、クリスマスは祝います。ただ、意味を知らずに祝っています。なんと、お寺の子供会でもクリスマス会をしたりしています。ケーキを食べ、プレゼント交換なんかをしています。クリスマスはサンタクロースの日とも考えられています。でも、ふと立ち止まって、クリスマスって本当は何の日かと、グーグルしてみれば、すぐに出てくるものでもあります。近年、インターネットによって、み言葉は、もっともっとすべての人に近くあります。何も、神様が遠くにいるわけではないのです。
どのようにして、福音を自分のものにするのか、といえば、パウロは次のように言っています

○口で告白して救われる You are saved by your confession

9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。9 that if you confess with your mouth the Lord Jesus and believe in your heart that God has raised Him from the dead, you will be saved. 10 For with the heart one believes unto righteousness, and with the mouth confession is made unto salvation.

パウロは、伝統によらず、あなたの身近にあるみ言葉を自分のものとするなら、心で信じて、口で告白したら救われるというのです。

i) 私の体験談 Takako’s Testimony;

二十歳の夏にイエス様を受け入れました。私は、何の知識もありませんでした。ただ、教会で聞くお話が心に響き、そして、地獄ではなく罪が赦されて天国に行きたいとそう思いました。牧師夫人に個人的にお話しを聞いて、信じませんか? ということで、信じるのはただやし、別になんてこともないかと思い、信じます。と言いました。そして、牧師夫人に導かれて、口で告白しました。別に聖書をよく知っている訳でもない、そして、知識があるわけでもなかった。しかし、神様がいるなら、信じたい。罪が赦されたい。そして、天国に行きたい。それだけの信仰でした。が、口で告白した時から私の人生がまったく変わってしまいました。素晴らしく変えられました。

私たちの口の言葉で私たちは救われるのです。なんと私たちの発する言葉に力があるのでしょうか。

ii) 言葉の力 the power of speaking   告白の力

悪霊に憑かれた人が集会の中にいて、バーバラ・ヨーダ師が「あなたの口でイエスは私の主」と言いなさい。と言った。その人が、苦しみながら言うと、悪霊に解放された。このようなことを度々目撃しました。私たちの口の告白は、霊的なものなのです。話すということ自体が霊的なことであるのです。

 Speaking Spiritとなった私たち。

創世記2章7節に、「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」And the Lord God formed man of the dust of the ground, and breathed into his nostrils the breath of life; and man became a living being. と、ありますが、神様に似せられて創造された私たちは、神の霊である息を受けて、生きたものになるわけですが、この意味は、私たちもまた話す霊となったということです。Speaking Spirit となりました。神のように話すことにどんな力があるのでしょうか。

 言葉による創造の力 Creative power of word

「光よあれ」と世界を言葉で創造された神様のように、私たちの言葉で物事ができていくことを忘れてはなりません。私たちの言葉にもそのような力が秘められているのです。先週のエリックのお話のように、言葉によって私たちも形作られてくということを覚えていますか。パウロは、「人は、心で信じて、口で告白して救われる」と語っています。不思議ですが、あなたが心に信じることを口にする時に、救いが来るのです。霊的な出来事、地獄から天国への道が開かれるのです。目には見えないですが、霊的な世界で起きるのです。

○血筋や伝統によらず、すべての人に Not based on tradition, but for everyone

11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。11 For the Scripture says, “Whoever believes on Him will not be put to shame.”12 For there is no distinction between Jew and Greek, for the same Lord over all is rich to all who call upon Him. 13 For “whoever calls on the name of the Lord shall be saved.”

ユダヤ人だけにではなく、全世界、全民族のためにこれが開かれています。ですから、ユダヤ人や伝統に縛られて、そのマインドセットから抜けられずに繰り返し伝統を行っていても、救い主を伝統的にいつまでも待っていても、救いはないのです。しかし、主の御名を呼び求めるものは必ず救われる、誰でも救われるのです。

★宣べ伝える人がいなくては Without you who preach Gospel

ローマRomans10:14,15

14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」How then shall they call on Him in whom they have not believed? And how shall they believe in Him of whom they have not heard? And how shall they hear without a preacher? 15 And how shall they preach unless they are sent? As it is written: “How beautiful are the feet of those who preach the gospel of peace, Who bring glad tidings of good things!”

イスラエルに住んでいるユダヤ人でさえ、イエス様のことを知らず、伝統に基づいて生きているのですから、誰かが、語らなければならないわけです。パウロは、福音宣教、伝道の必要性についてうったえています。

V17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。So then faith comes by hearing, and hearing by the word of God.

信仰は聞くことから始まる。とあります。伝統からではないのです。

今日は、神様は近くにいる。伝統ではなく、心の確信を持つこと。私たちの口から出る言葉の霊的な力。そして、聞いたことのない人に、イエス様を伝えることをお話しました。今週一週間心に覚えましょう。




#キリスト教 #クリスマス #ブログ #教会 #聖書

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ローマ九章  神の選びの不思議

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私のメンターのキャリー牧師の礼... 私のメンターのキャリー牧師の礼拝している姿。麗しいです。先週は、入院されて、とても心配しました。いつまでもお元気でいてほしいです。。。。
2016年11月26日日曜日礼拝音声は、下をクリックしてくださいー


前回は、八章で、御霊に生きるという素晴らしい、何にも勝利できる道があるのだということをパウロは話しました。今週は、九章で、それにあずかっていない、同胞イスラエル人について、パウロは語っています。

★ パウロの心の苦しみ

ローマ9:1-3
私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。I tell the truth in Christ, I am not lying, my conscience also bearing me witness in the Holy Spirit, 2 that I have great sorrow and continual grief in my heart. 3 For I could wish that I myself were accursed from Christ for my brethren, my countrymen according to the flesh,

○エンパシー共感について

sympathy = syn (共に) + pathos (苦しみ) [感情共鳴]
empathy = en (内部へ)+ pathos (苦しみ) [感情移入]

sympathy はその人と一緒に悲しむことですが、empathy は、その人の心の内部へ入って、その人の苦しみを自分の苦しみとして悲しむことです。

ちょうど、イエス様が「この小さい一人にしたことは、わたしにしたのです。」と例え話中でされてますが、(マタイ25)イエス様は、私たちの日ごろの状態を自分のこととして、飢え渇き、憂い、とりなして祈っていてくださる方なのです。
パウロもまた、自分の同胞に対して、大きな悲しみ、絶えない痛みがある。自分が代わりに地獄に行ってもいいほどに、その同胞の救いのための願いと祈りが溢れています。

私たちが、共に感じる、伝道したい相手の痛みと一体化するところに、何かブレイクスルーがあるように感じてなりません。それが、イエス様のしてくださったことだからです。私たちは、日ごろ祈っている人のことに対して、どれほどその人と一体化しているでしょうか。この章のはじめに、パウロが大きなチャレンジをくれたと思います。

v4,5 栄光も、律法も、礼拝も約束も彼らのものです。先祖たちも、キリストさえイスラエルから出てるのに、それなのに、なぜ、イスラエル人がみな救われないのか。。。。。

★ イスラエルとは

ロマ9:6-7
しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。
But it is not that the word of God has taken no effect. For they are not all Israel who are of Israel, 7 nor are they all children because they are the seed of Abraham; but, “In Isaac your seed shall be called.”

パウロは、しかし、同胞イスラエル人が救われていないからと言って、神の言葉が無効になったのでも、意味がなかったのでもない。。。と主張しています。
信仰によってそもそもイスラエル人となるのであって、血統ではない。肉の子供ではなく約束の子供でなければならない。自動的にはなれない。というのです。

○約束の子と肉の働きの子

アブラハムの例では、アブラハムは、神様から子孫の約束を受けたけれども、待ちきれなくて、セラとの間ではなくと他の人との間に子供をもうけました。しかし、それは、肉の働き、自分の働きであって、神の約束の子ではありませんでした。私たちは、自分の肉の力によって、神の計画を実現しようとしていまう、肉の強い働きを宿して生きています。

また、その態度がイスラエル自身の態度でもあります。一生懸命、自分で義を達成していこうとする、律法を肉の行いで満たそうと必死になってる。そこには救いがないのです。

約束を待ち望み、約束のものに気が付き、それを受け取らなければならないのです。

★ 事は憐れんでくださる神による

では、約束ってなんなの? ということになります。みんながみんな受け取れる約束ではないのか? という質問が出てきました。

ロマ9:16-17
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。So then it is not of him who wills, nor of him who runs, but of God who shows mercy. 17 For the Scripture says to the Pharaoh, “For this very purpose I have raised you up, that I may show My power in you, and that My name may be declared in all the earth.”

神は、私たちの知恵を越えた知恵で、選びをもっていらっしゃる。ちょうど、陶器師が器をいろいろな用途のために作り分けるようだという。そんなのフェアじゃない。とあなたが言おうが、造られたものが造り主にたいして偉そうに言えることではない。。。とあります。(v19-22)

「親分は、イエス様」という本や、映画が日本にはありますが、本当のお話しで、やくざがイエス様に出会って変えられてく。という話しです。また、クリスチャンの家に生まれていても、イエス様に出会わない人もいます。また、ユダも、もしかして、死ぬときにはイエス様に悔い改めて救われていたかもれませんが、彼もイエス様に選ばれておきながら裏切りました。そして、彼がいたからこそ、イエス様は十字架にかかりました。エジプトの王パロも神様がその心をかたくなにしたので、10の奇跡合戦をモーセとし、その神の名が高らかに世界中に証しされました。

すべて造り主のためです。たとえそこに、悪い器と見えるものがあっても、それを忍耐を持つての神様がゆるしておられるのです。

★ あなたも憐れみの器として召されている

ロマ9:24  
神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
23 and that He might make known the riches of His glory on the vessels of mercy, which He had prepared beforehand for glory, 24 even us whom He called, not of the Jews only, but also of the Gentiles?
神様は、選びの民イスラエルを差し置いて、律法も礼拝も知らないような、今や、私たちのような遠い国の民族に届いてくださって。こんな私を憐れみの器として召してくださったのです。

不思議なことです。

あなたに、神の栄光を示し、そして、神の御名を世に知らしめるためにあなたは、召されているに他ならないことを覚えておきましょう。当たり前のように、また、何か自分が達成したかのように思わないようにしましょう。

事は、人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。So then it is not of him who wills, nor of him who runs, but of God who shows mercy.

ですから、選挙のことでも、心を騒がせないようにしましょう。どちらになっても、神の御心がすでにはたらいているのです。

★ イスラエルの躓きの石

ロマ 9:31-33 
しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。33 それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」but Israel, pursuing the law of righteousness, has not attained to the law of righteousness. 32 Why? Because they did not seek it by faith, but as it were, by the works of the law. For they stumbled at that stumbling stone. 33 As it is written: “Behold, I lay in Zion a stumbling stone and rock of offense, And whoever believes on Him will not be put to shame.”

   イスラエルは、イエス様が分かりませんでした。約束を待ち望んでいましたが、約束を見出せませんでした。それは、「行い」すなわち、律法、肉の働きに、とらわれていたからです。イエス様という恵みによって、行いからも解放する、救い主がかえって彼らの躓きの石となってしまったのです。ケニーさんが先週話したように、イスラエル人は、イエス様にすっかり気を悪くしてしまったのです。。

今日三つのこと、覚えてください。
① パウロやイエス様のような、エンパシー共感を持つこと。
② あなたは、神のあわれみの器として選ばれていること。
③ 「行い」にとらわれるのでなくて、約束を信じる信仰に生きること。

来週は、エリックがメッセージですが、その次は、神の選びに対して、私たちの側の選択についてお話ししたいと思います。


#キリスト教 #クリスチャン #信仰 #教会 #礼拝 #聖書

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ロマ八章 いのちの御霊の原理

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先週は洗礼式がありました。中国... 先週は洗礼式がありました。中国人の方が二名。。中国では、キリスト教信者が急激に増えていて、すでに求めている人が多いです。不思議に教会に引き寄せられてきたこのお二人は、お友達やお母さんもクリスチャンだったそうです。 トレーダージョーズはすでにクリ... トレーダージョーズはすでにクリスマスモード。おいしそうなトリートがたくさん並んでいます。もうすぐ感謝祭。もうすぐクリスマスです。アメリカはホリデーシーズンです!
2016年11月13日日曜日礼拝メッセージ音声は、下

先週は、クリスチャンに対してのパウロのメッセージ律法に対しても死ななければならないことを話しました。今日は、続きで、それよりも素晴らしい道、生き方を神様が用意してくだった。御霊によって生きることをお話ししたいと思います。

ロマ8章

★罪と死の原理から御霊の原理へ

ロマ8:1-2
1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。There is therefore now no condemnation to those who are in Christ Jesus, who do not walk according to the flesh, but according to the Spirit. 2 For the law of the Spirit of life in Christ Jesus has made me free from the law of sin and death.

先週からの言葉を受けて、私たちは、キリストによって罪に定められることが決してないこと。また、いのちの御霊の原理が私たちを解放したとあります。
どんなにがんばっても、神を喜ばし、律法を全うできない。良い人間に自分の力でなれないこと。。先週見ていきました。

★御霊の中にいる

ロマ8:8-9
8 肉にある者は神を喜ばせることができません。9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。So then, those who are in the flesh cannot please God. 9 But you are not in the flesh but in the Spirit, if indeed the Spirit of God dwells in you. Now if anyone does not have the Spirit of Christ, he is not His.

肉の働きは、神を喜ばせることができません。肉が生きている限り、何も良いものが出てこないのです。

御霊の原理は、このように説明できます。人間のどんな優れた肉体の能力を使っても走って飛んで、2m45 が最高記録。それだけ飛べたら金メダル。世界一の身体能力の飛び能力。これが、肉の働きの限界。しかし、生まれたばかりの赤ちゃんでも、飛行機に乗るなら、7620m の高度を肉体の努力なしで飛べます。
あなたの能力、手腕、頑張りはいらないのです。赤ちゃんでも飛行機に乗ったら飛べるんです。あなただって、御霊の中にいれば、高く飛べるのです。どうやって乗るのですか? How? Why? という質問が心にわいたら、いつもこの答えです。信じることです。信仰によってその飛行機に乗るのです。自分で何とか乗ろうとすればするほど乗れません。

★御霊の人の祝福と希望

この章を読んでいるとたくさん希望の言葉が出てきます。とても励まされます。

○神の子とする

ロマ8:14-16
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 For as many as are led by the Spirit of God, these are sons of God. 15 For you did not receive the spirit of bondage again to fear, but you received the Spirit of adoption by whom we cry out, “Abba, Father.” 16 The Spirit Himself bears witness with our spirit that we are children of God,

今までは、罪の奴隷であり、律法の奴隷であり、自分のしたいことができない状態でした。しかし、御霊の人は、神の子だというのです。そして、御霊ご自身が証ししてくださるというのです! 自分で頑張ってそれを証明しなくてもいいのです。先週の話しではありませんが、クリスチャンらしく、聖霊の九つの実を結ぼう結ぼうとしても結べるものではないのです。むしろ、あきらめて肉が死んだ方がいいのです。

○被造物も待ち望んでいる

ロマ8:18-19
18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。 For I consider that the sufferings of this present time are not worthy to be compared with the glory which shall be revealed in us. 19 For the earnest expectation of the creation eagerly waits for the revealing of the sons of God.

私たちのこの天地は、やがてその時が来るとき、神様によって新たにされます。完全な回復がこの地にやってきます。これも、すべて、神の子たちの現れにかかっているのです。御霊の人が満ちることを被造物も待ち望んでいるのです。待ち望むというのは、希望を持っていると訳してもいいでしょう。希望は、将来の夢を描いてそこに日々向かうことであります。私たちは、希望のトラックを今走っているのです。苦しみについてパウロは言及していますが、人生世の中苦しみはつきものであるし、キリスト者として苦しみも未信者の時よりも多いのは事実です。しかし、苦しみと希望がいつも背中合わせであることをパウロは指示しているのではないでしょうか。

○御霊のとりなし

ロマ8:26-27
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。Likewise the Spirit also helps in our weaknesses. For we do not know what we should pray for as we ought, but the Spirit Himself makes intercession for us[b] with groanings which cannot be uttered. 27 Now He who searches the hearts knows what the mind of the Spirit is, because He makes intercession for the saints according to the will of God.

私たちは、苦しみの中で、もう自分の力も限界だ。力も根気も尽きた。祈って神様にすがる気力さえないという時があります。そんな時であっても、内にいらっしゃる御霊が私たちのいいようのない祈りをよく知り、とりなしてくれているというのです。しかも、みこころに従ってとあります。なんということでしょうか。

○すべてが益とされる

ですから、例えあなたが祈る気力さえ失っても、御霊様は必ずあなたの苦しみをも益に変えてくださるというのです。

ロマ8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。And we know that all things work together for good to those who love God, to those who are the called according to His purpose

また、誰も御霊の中にあるならば、誰も私たちに敵対できるものはいないとあります。

○誰も敵対できない

ロマ8:31
では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。What then shall we say to these things? If God is for us, who can be against us?

また、すべて私たちに必要なことは与えられると書いてあります。御霊の中にあると信じられるなら、私たちは、7000メートル以上上空を飛べると信じれますよね。それなら、続くみ言葉もしっかりと心に受け止められるでしょう。

○すべての恵みがある

ロマ8: 32
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。He who did not spare His own Son, but delivered Him up for us all, how shall He not with Him also freely give us all things?

○神の愛から離すものは何もない

ロマ8:37-39 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。37 Yet in all these things we are more than conquerors through Him who loved us. 38 For I am persuaded that neither death nor life, nor angels nor principalities nor powers, nor things present nor things to come, 39 nor height nor depth, nor any other created thing, shall be able to separate us from the love of God which is in Christ Jesus our Lord.

何とかして神を喜ばせなければという肉の思いから、もうすでに神にとらえられ。愛の中に守られているという飛行機に私たちは、乗らなければなりません。ジャンプして到達しようという肉に死ななければなりません。いつも聖書の答えは一つです。How? Why? と心に浮かぶときは? 何ですか? 信じることです。今日、イエス様を信じて、この素晴らしい御霊の中に入りましょう。


#キリスト教 #クリスチャン #信仰 #教会 #礼拝 #聖書

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ロマ七章 絶望的な自分を知ること

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新しくできた、サウスレイクユニ... 新しくできた、サウスレイクユニオンのCafe Zoka の中。。。コーヒーは、相変わらず美味しかったです。中は、すごく意外でした。他のZoka はなんだか落ち着く木の家具や大きなカウチがあるんですが。。。アマゾンのビルの中にあるからからなー? イメージが少し違ってました。
2016年11月6日日曜日礼拝メッセージ




先週、ローマ書六章では、罪に対して死ぬこと、キリストに継ぎ合わさせて恵みの支配下に行くことを話しました。今週は、有名なローマ書七章です。ある人は、どうしてこの順番にこの章が来るのか。。。と思うそうです。五章と六書の間に来ればいいのに。。。と思うわけです。どうしてでしょうか。。。。

ロマ7: 1

それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか—私は律法を知っている人々に言っているのです。—Or do you not know, brethren (for I speak to those who know the law), that the law has dominion over a man as long as he lives?

★律法と私の関係

先週は罪と死のことでしたが、今週は律法です。パウロは、初めに、これは、律法を知っている人に対して言っているのですよ。と但し書きしています。そうです。これは、未信者ではなく、むしろキリストの死に継ぎ合わされたクリスチャンの葛藤のことを言っているのです。

続く二節からは、結婚関係に例えて話しています。
完璧な清い夫が重箱の隅をつつく。夫は完璧だが、私がついて行けない。。ちくちくつつかれることから解放されるには、夫が死ぬか、私が死ぬかしかない。。。という、結婚関係にたとえています。しかし、死を経験するなら、律法と別れて、新しい恵み・御霊という夫と結婚し幸せになれるというのです。

律法と私たちの関係もそうです。「天地が滅び行くまでは、律法の一点一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」For assuredly, I say to you, till heaven and earth pass away, one jot or one tittle will by no means pass from the law till all is fulfilled. (マタイ5:18)と聖書に書いてある。切っても切り離せないのです。人間のために与えられた律法は、天地の終わりまで堅くたつのです。

★律法の役割

ロマ7:7-8 

7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさごりを知らなかったでしょう。
8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。What shall we say then? Is the law sin? Certainly not! On the contrary, I would not have known sin except through the law. For I would not have known covetousness unless the law had said, “You shall not covet.” 8 But sin, taking opportunity by the commandment, produced in me all manner of evil desire. For apart from the law sin was dead.

これは、未信者の葛藤ではない。むしろクリスチャンの葛藤である。私たちは、クリスチャンになる前よりも、なった後の方が罪に対して敏感であり、律法に対して注意深い。クリスチャンになった後の方が、どれだけ自分が罪深いかよく理解できるのである。
律法に照らし合わされなければ罪は分からない。律法に従おうとし、聖くなろうとするから、罪が分かり、自我に死がもたらされるのです。ですから、律法は、罪ではなく、律法は、私たちを成長させる養育かかりであり、良いものです。善人の良い夫なのです。

★内なる葛藤

キリスト者の純粋な願いは、聖くなることではないでしょうか。私は、キリストによつて救われた、だから、キリストに従っていきたいと思うのは、当然であり、自分から罪を犯そうとは、先週のお話の通り、思わないのです。
もっと、キリストのように、もっと神様に喜ばれる子になりたいと思うのです。
律法は、正しくて良いことをすることであるから、大いにしたい。自分を殺すことなく、生きたまま、律法を行い、聖なる神様の基準に合う生き方をしようと頑張るわけです。

ロマ7:15 
私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。For what I am doing, I do not understand. For what I will to do, that I do not practice; but what I hate, that I do.

ロマ7:18 
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。 For I know that in me (that is, in my flesh) nothing good dwells; for to will is present with me, but how to perform what is good I do not find.

ロマ7:22-23 
すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。For I delight in the law of God according to the inward man. 23 But I see another law in my members, warring against the law of my mind, and bringing me into captivity to the law of sin which is in my members.

しかし、やろうとすればするほど、できないとパウロは、その苦しみをあらわにしています。律法を愛し、書かれている通りにしたいが、自分の内なるところに違う律法が働いていて、何をしても空回り。。。と。

私も、若いクリスチャンのころ、頑張りました。自分の理解の限り、人を愛そうとしました。やればやるほど、裏目に出ました。自分が浮き彫りとなりました。愛することと、人を甘やかすことを混同しました。従順になることと、人を恐れることと混同しました。律法に従おうとすればするほど、自分の中にある律法が反応し、神様の意図している働きができないのです。どうしたら、神様に完璧にしたがえるのか。完全に律法を守れるのかと、ああでもない、こうでもないと祈り、試し、真剣に取り組みました。断食もし、聖書も読み、伝道も熱心にし、たくさんの信仰書も読みました。

私は、川で溺れかけたことがありますが、まるで、それは溺れる人のようです。もがけばもがくほど助からないものです。川と海は怖いです。。。海でも、去年も今年もバケーションで、エリックと私ともども、溺れかけました。怖かったです。。。まるでこの苦しみは溺れている人のようです

★絶望と死

パウロは次のような結論に行きつきます。

ロマ7:24-25

 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
O wretched man that I am! Who will deliver me from this body of death? 25 I thank God—through Jesus Christ our Lord! So then, with the mind I myself serve the law of God, but with the flesh the law of sin.

結局この罪の体から。。。。に行きつく。絶望に至る。一体私の内に何の良いものがあるというのだろうか。。。と

その境地に至らなければ、分からない自由がある。

溺れている人を元気な人が助けに行っては、いけません。溺れている人が元気なので、必死でしがみつかれ、もがかれ、助けに行った人ともども溺れてしまいます。溺れている人が力つきなければ、その人を水に浮かせながらスムーズにレスキューできないのです。

私たちは、罪に対してでだけでなく、律法に対しても死ななければならないのです。良いことのためにさえ、自分の力で生きることができない自分についてよく知らなければならないのです。

私の恩師がよく言いまた。「働き人は、情熱ばかりのものは、使い物にならん。情熱有り余って、わーっと走り、壁にばしーんとぶち当たり、ばたんと倒れる。その倒れた地点が一番いい塩梅なんだ。」と。

★新しい御霊によって仕える

ロマ7:6 

しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。But now we have been delivered from the law, having died to what we were held by, so that we should serve in the newness of the Spirit and not in the oldness of the letter.

パウロは、律法に対しても死んだ人についての、ヒントを少し、七章のはじめの方で話していました。新しい御霊によって仕える道があるのです。罪にも、律法にも死んで、御霊に生きるみち。来週はそのことをお話ししましょう。


クリスチャンに時々足りないのは、自分の罪・弱さを認めることかもしれないですね。自分を知ること。自分がどれくらい罪深いものであるかということ、それは、真剣に神様に従ってみないと分からないことでしょう。真剣にやってみて、失敗し、そして、自分に絶望する。自分に愛想が付かさなければ、本当の意味で自分を愛し、神を愛することはできません。

とりあえず、今日。おきざりにしている課題に取り組みませんか。家族の救いですか? 誰かと仲直りすることですか? 毎日聖書を読むことですか? 祈ることですか? 一日一善することでしょうか?  なんでもいい、神の聖さのために、従順してみましょう。思い切りやって絶望しましょう。

#キリスト教 #クリスチャン #教会 #聖書

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Polyamoryの世界との未知の遭遇 

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写真は  http://www... 写真は 
http://www.newsweek.com/polyamory-next-sexual-revolution-82053
から借りました。
写真は、下記のリンクのアーティ... 写真は、下記のリンクのアーティクルからおかりました。
http://www.cnn.com/2013/10/26/living/relationships-polyamory/
Polyamory ポリアモリーとは。。。
交際相手を一人だけに限定しない恋愛関係のこと。交際相手もそのことを認めている。

大学院のクラスで、Culture, Identity & Locatedness という授業があります。いかに私たちが文化の生き物であるかを思い知らされます。

私たちの文化が私たちの考えを作り、そして私たちを動かし、毎日判断させ、物事を好ませ、憎んでいます。

私たちの宿題の一つは、今まで自分が接触したことのない文化圏に接触し、リサーチするというもの。五人のグループでリサーチします。
私の選んだのは、Polyamory つまり、結婚していようがそうでなかろうが、複数の人と同時に関係を続けている人たちのグループです。よく、モルモン教の人たちがポリガミーといって、一夫多妻をしていますが、そうではなく、オープンマレッジのような。。。。そんな感じです。。

はじめに一人の女性にインタビューしました。次にカップルにインタビューしました。もう、私は、凍り付いてしまいました。聞きたくない、知りたくないという思いでいっぱいになりました。もちろん、セックスのことも話しますし、多くの人たちは、バイセクシャルでもあります。。。。

気持ち悪い。。。。という感覚でいっぱいになり、よく質問ができませんでした。むしろ、チームメイトは冷静に質問していました。

だめだ、、、ついていけない。。。

そして、実は、シアトルには、結構このコミュニティが確立しているらしく、結構な人がいるようです。ミートアップが結構開催されています。知らなかった。。。
そして、一度参加することに。。。

Poly の人々は、喜んで私を迎え入れ、なんでも聞きたいことがあったら聞いてね、と。。。

知らない専門用語もたくさん出てきます。。。汗

そこの、グルと呼ばれている女性は、メインのパートナーともう20年付き合っていて、五年前に今のご主人と結婚し、ご主人と自分と共通のガールフレンドがいるとのこと。。。

え?

頭が痛い。

どうしてこの道に入ったから聞くと、小さい時から父から虐待を受けてきたそうです。彼女と一緒に私は泣きました。ここは、共感っていうか、そのつらさは、共有できた。涙が止まらなかった。

すると、距離が縮まった。彼らのことを愛おしく感じた。友のように感じた。

彼女のガールフレンドは(Poly にはバイセクシャルも多いです)、一度結婚していたが、虐待的な関係だったとのこと。今のこの三人の関係が一番今までの関係で健康的だと。。。

え? この三人が一番健康的に感じるんだ。。。。ここで、大きなショック。。。

違う席に座っているインド人の女性は、こういった。Poly はね、女性と男性が同等なのよ。女性に生まれて損がないのよ。私の国では、女性の扱いはひどいし意見なんて持てないの。でも、Poly の文化では、力があるのよ。なんでも自分で決められるの。。と。

なるほど。。。悲しいことだが、それも事実だ。。。

嫉妬や、コミットメントのことなど、いろいろと聞いた。私たちとは、理解が違うので、興味深かった。。。女性の多くは、虐待のトラウマを持ってた。グルは、言った。男性の多くは、経験を求めてPoly になるのよ。
帰り道、いろいろと考えた。。。。

気持ち悪い一点張りの私の心が変わったこと。

何かを知る、ということは、愛することであると、今、他のクラスで習っている。。。

イエス様のことを考えた。

完全に神であり、完全に人であったイエス様は、どんなにか、私のような経験をしたことだろう。気持ち悪い思いを毎日感じ、違和感をもち、理解できないことを理解しようとしてくれたのか。。。私たちの一人のように、この地上に生まれてきてくださって。。。
気持ち悪さを乗り越えて、私たちに出会ってくれた。それどころか、盃を飲み干してくれた。十字架にかかってくれた。。。もっと先を行ってくれた。。。。

そう思うと、私含め、教会は、イエス様と遠い世界で生きているのではないか。と考えさせられた。
この気持ち悪い違和感から、離れて生きているのではないか。出会うべき人たちに出会いに外に出て行っていないのではないか。。。。

今日何回気持ち悪い思いをしただろう。
今日どれだけの人の傷と共感して涙を流しただろうか。。。。
教会こそ、”異文化”の友となるべきだ。キリストが頭であるならば。。。。


#キリスト #大学院の学び #聖書

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ロマ書六章 キリストに継ぎ合わされて

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今日は、かわいいちゃんのおじい... 今日は、かわいいちゃんのおじいちゃんが日本から訪問されていて、教会にも来てくれましたーー。しかし、お若い!!
今日は、子供たちは、帰国中や風邪で、かわいいちゃん姉妹たちだけでした。。。寂しそうでしたーー。また、早くみんな元気になって教会で会いたいね!
2016年10月30日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/Kf4IqxH_bP0

聖書箇所 ロマ6:1-14, 23

五章では、信仰によってもたらされる義、そして、義がもたらす平和、喜び、栄光について話しました。今日は、続いて六章を見ていきましょう。

★ 恵みのためにもっと罪を犯すべき?

V1-2  1それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。What shall we say then? Shall we continue in sin that grace may abound? 2 Certainly not! How shall we who died to sin live any longer in it?

五章の終わりの方に、罪が増し加わるところに、恵みも増し加わるのなら、もっと罪を犯しましょうという人たちがいるのに対して、そんなことは絶対にありえない。とパウロが言っています。

この章後でパウロが、罪の奴隷と神の奴隷という表現を使っていますが、どちらかに属する道しか私たちにはないのです。ですから、恵みのために罪を犯そうという論理は存在しないのです。なぜなら、そもそも、キリストを信じることとはどういうことでしょうか。またどんな変化をもたらせたのでしょうか。

★ バプテスマ・洗礼とは?

V3- 6 3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています
バプテスマ、洗礼式を見たことがありますか? バプテスマとは、浸されること。実際に水の中に全身を浸します。イエス・キリストを信じて生きていきますという、人の前にも神の前にも宣言する式。入学式であり、お葬式でもある。4節にあるように、バプテスマは、水の中に完全に入っている時を死とみなし、水から上がるときを復活、新しい命で生きることを表しています。

キリストの死と葬りと復活を水を通して体験し、信仰を公にします。
ここで大切なのは、5節にあるように、キリストに継ぎ合わされることです。継ぎ合わされるとは、どういうことでしょうか。
○ 継ぎ合わされる, planted together; スンフートスsoom'-foo-tos (ギ) …born together with, of joint origin, connate

一つとされることです。接ぎ木をされているようなものですね。根っこが同じ。同じものとされることです。

キリストの死と継ぎ合わされ、キリストの復活と継ぎ合わされることで、新しく生きられるというのです。

○ V6 罪の奴隷でなくなるため。

奴隷とは、鎖につながれて、自分の自由がありません。自分の意思に関わらず、働かなければなりません。罪人というのは、調度そのようです。頭では、してはいけないことと分かっているのにも関わらず、やってしまうのが罪ではないでしょうか。まるで奴隷のようです。

★ 死ななきゃ治らない?   
   鍵は信仰 信じること。人は信じていることしか行動に移せない

V7-10 7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。
10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」ということわざが日本にありますが。英語では、the only cure for a fool is death; once a fool, always a food と言えますが。罪を犯す性質というのは、人間が生きている限り無くなることはないのです。それこそ、死ななきゃ治らないものであります。

罪をやめるということは、人間をやめるしか道がないのです。神様の標準を満たす清さというのは、人間では到達できないのです。先日その暴言が取り上げられた尼さんがいましたが、どんなに修行しても死ななきゃ治らない性質っていうものがあるのです。

私たちは、死ななきゃいけないのです。しかし、私たちがしなくてもいいように、キリストが私の身代わりに十字架で死んでくださったのです。私は、どうやって死んだらいいのでしょうか。それは、自分の罪がキリストの十字架で一緒に死んだことを信じることです。

古い人…生きている自我・キリストとともに死んでない内なる人  これが私たちに葛藤を与え、他人に不快を与えます。

信仰による死がもたらす利益

○ 復活がある … みなさん、死ななければ、復活がないのです。あなたの自我、決断、判断、ジャッジをするところが、生きていては、復活がないのです。あなたは、自分に死んでいますか?

○ 感じなくなる … 生きている人は、痛みがあります、いらいらします。いろいろと思い悩みます。しかし、死んだ人には、そんなことがありません。何も感じなくなるのです。例えば、あなたをいらいらさせる人がいるとします。あなたは、相手のここが悪いあそこが悪いと、自我を用いて相手を裁き、余計にイライラします。死んでいないのです。死ぬことは、自分の自我がキリストの十字架の上にあることを認めることです。
そんな、馬鹿な。。。どうやって。このイライラがなくなるの? と思うかもしれません。
聖書のHow? は、いつでも、信仰です。信じることです。
あなたの古い罪の性質が十字架で死んだことを信じることです。

人は、自分の信じている通りにしか行動しません。あなたが、自分が生きていると信じているのに、キリストとともに生きることはできないのです。
死が無ければ復活がないからです。

★ 律法の下ではなく、恵みの下に! 鍵は信仰

V11-14 11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。
13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。
14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。.

キリストの十字架の死と葬りと復活と継ぎ合わされた人は、自分から好んで罪を犯そうという発想がなくなります。罪を犯す、古い人・生きている自我に対して気が付いていて、罪に対しても死んでいるのです。また、罪を自ら犯すことを信じてないからです。そして、今までは、罪の支配の中にいて、律法の支配の下にいたのが、恵みの下に移されていると14節にあります。

律法の下というのは、あなたがすることなすこと、律法に照らし合わされて、裁かれる世界です。これもできてない、あれもできてない、できるようにならなければと私たちを急き立てるものです。しかし、恵みの支配とはなんでしょうか。

恵みとは、私たちに必要な力を与えて、神のために生き、神の御心に沿って生きることができるすべての能力が与えられることです。超自然的な力が与えられることです。罪の奴隷から解放された人は、恵の支配が約束されています。

今日、どれくらいの人が、この恵みをあてにして生きているでしょうか。ここに期待して、かけて生きているでしょうか。
もう一度いいます、死んでいる人でないと、恵みの支配下にいないのです。両方に足を突っ込んで生きる道は存在しないのです。

★ 神の下さる賜物

V23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。 For the wages of sin is death, but the gift of God is eternal life in Christ Jesus our Lord.

続いて、罪の支配の至る道は、死であり、キリストに継ぎ合わされた人の道は、永遠のいのちに至ると続きます。

ここに、「神の下さる賜物」は、とあります。いのちに至る道の生き方は、神様からのプレゼント、贈り物であって、あなたが労苦して稼ぐものではありません。このプレゼントは、信じることから始まります。そして、死ぬことを通して、復活の命にあふれさせます。死ぬことを通して恵みに満ち溢れさせます。

あなたの自我は、今日どこにありますか? 悩み、もがきがありますか。キリストの死と復活に継ぎ合わされましょう。恵みの支配に入りましょう。


#キリスト教 #クリスチャン #信仰 #教会 #礼拝 #聖書

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脳の不思議 3 コミュニティの力

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大学院での学びの一コマ

上のビデオを見て、みんなでディスカッションしました。幸い、私は日本語が分かるのでラッキー! 内容がよく分かりました。

私たちの日常では、とても忙しく、少し時間を取って英語では、グリーフと言いますが、悲しむことをしないのではないでしょうか。

しかし、互いに時間をとって、互いの話しを聞き、共感し、そして、涙を流す。
素直に自分のつらかったことを話すことで脳に癒しが来るのだそうです。

他人の脳が無ければあなたの心に癒しが来ないのです。

一人で閉じこもっていては、心の中のわだかまり、悲しみは癒えないのです。

子供は、素直で素晴らしいですね。

プライドも、恥もなく、素直に辛かったことをシェアできました。

でも、三歳の時に、お父さんを亡くし、お父さんがいる世界があまり分からないみふゆは、悲しみ方も分からなかった。

お母さんも辛そうだから、感情を押し殺し、いろいろな質問をするのを控えてきたのだろう。

おじいさん、おばあさんの死でさえ、クラスメイトの心を大きく揺さぶった。その体験談を聞きながら、感情を出してもいいのかな。。。

と、そう思いかけたが、安心して泣けなかった。。。。

でも、先生が、大変なつらい思いをしたね。。。と背中を押してくれた。

自分の内なる声を代弁してもらって、みふゆは堰を切ったように泣き出した。

初めて悲しむことができた。
それから、

彼女は、父の話も、悲しんでいた母の話もできるようになった。

それどころか、父のことを誇りに思った。そして、自分らしく輝けるようになったのだった。。。

あなたを押し殺している悲しみ、ありませんか。

癒しをもたらすコミュニティ、教会は、そんなところでありたいと思っています。


#キリスト #コミュニティ #大学院の学び #愛 #聖書 #脳

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脳の不思議 2

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何をして人間を人間たらしめるのか。それは、私たちの脳。そして、愛。

脳の不思議 1 でいかに、人間の脳には愛が必要か話しましたが、

第三者の脳が自分の脳にとってとても大切な役割をしていることがこのビデオで分かります。

私たちの脳は、他人の感情に呼応しながら、相手を理解し、自分でもその表情になり、そして、自分の表情からも感情を理解していくのですね。。。

深いです。。。

共感できるのが、人間の脳であり。共感なくしては、人の成長もないのです。

人は、コミュニティで生きるように造られていのですね。

神様も三位一体の神であり、交わりの神です。コミュニティの神です。

イエス様は、地上に来られた時、その友が息を引き取ったと聞いて、泣きました。

「イエスは涙を流された。」(ヨハネの福音書11:35)

私たちの造り主である神さまは、私たちの悲しみを知らない方ではないのです。

いろいろと考えさせられる大学院での学びです。。。。

つづく。。。

#キリスト #大学院の学び #愛 #聖書 #脳

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脳の不思議 1

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何をして、人間を人間たらしめるのか。。。

それは、人間の脳。

人間の脳は、人間の愛によって成長します。

愛が無ければ脳は、縮こまり、障害を持ってしまいます。

赤ちゃんは、瞬時に親の顔を読むように脳が働いています。

母親の無表情な顔、落ち込んだ顔は、赤ちゃんに危険信号を与えます。

赤ちゃんの脳は、優しいタッチやキスで成長します。

それがないと、精神病になってしまいます。

人間の脳は、常にほかの人の脳と呼応しながら成長し、癒されるように出来ています。

アメリカの赤ちゃんの突然死は、日本の四倍です。

それは、寝るときに母親から離されて違う部屋で寝かされているため、
脳が母親の脳に反応し呼応しながら、体の体温を守ったり心拍数を安定させたりできないからではないか。。。とも言われてます。

人とは、何歳になっても、愛を追い求めて生きているものです。

生まれたときから、愛へのプログラムが脳で働いているのです。

愛が無ければ、人間は心身ともに障害がついてしまうのです。

DNAに深く刻まれた愛。

それは、私たちを造った神様が愛だからに他なりません。

Ⅰヨハネ4:7-8

7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。


#キリスト #大学院の学び #愛 #聖書 #脳

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