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イスラエルでは今夕からシャブオット(七週の祭り)です。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:
http://www.hosannamin.org/whatsnew/view/491474
「大艱難時代への導入プロセス~その2」
マタイ24章9~14節
~マタイ福音書連続講解説教74~
大艱難時代に至るまでの世界の様相の預言を学んでいる。
先回は時間順に並べられる9つの事項を確認した。
①終末のしるしとしての世界大戦(1914と1939に成就)
②イスラエルの再興(1948年・イスラエル共和国成立で成就)
③エルサレムのユダヤ人統治(1967年・6日戦争勝利で成就)
④北の同盟軍のイスラエル侵攻(エゼキエル38:1~39:16)
⑤世界統一政府の樹立(ダニエル7:23~24)
⑥世界10帝国の成立(ダニエル7:23~24)
⑦反キリストの勃興(ダニエル7:23~24)
⑧偽の安全保障(Ⅰテサロニケ5:1~3)
⑨イスラエルとの7年間の契約締結(ダニエル9:27)
~これは7年間の大艱難時代開始のしるしとなる。
今回は順番には並べられない、3つのその他の事項について。
これらも聖書が世界異変として末の世に起こると預言している。
Ⅰ 暗黒が世界を覆う(ヨエル2:31)
太陽、月、星からの光が遮断されて地上は暗黒に包まれるという。
これまでの歴史で2回ほどそのような暗黒が記録されている。
一つは、10のエジプトの裁きの一つ(出10:21~23)であり、
他は主の十字架の際の暗黒(マタイ27:45)であった。
これらは神の厳しい裁きの現われであった。
大艱難時代に突入後も、その後4回の暗黒が世界を襲うことになっている。
Ⅱ エリヤの帰還と活動
1)「見よ。わたしは、 主の大いなる恐ろしい日が来る前に、
預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
彼は、父の心を子に向けさせ、 子の心をその父に向けさせる。
それは、わたしが来て、 のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
(マラキ4:5~6)
「主の日」の前に、つまり再臨と大艱難時代前にエリヤが到来する。
彼の働きは家族の絆を強めること~愛の冷える時代に回復を目指す
2)「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。
彼はわたしの前に道を整える。
あなたがたが尋ね求めている主が、 突然、その神殿に来る。
あなたがたが望んでいる契約の使者が、 見よ、来ている。」
(マラキ3:1)
先駆者としてメシア初臨前に到来が約束された人物、
それが、B.ヨハネである(マタイ3:1~6、11:7~10)
B.ヨハネはエリヤではない;ヨハネ1:19~23
エリヤ自身はメシア再臨前の将来に到来する;マタイ17:9~13
3)聖書がB. ヨハネがエリヤだと言及したと誤解されやすい箇所
A. マタイ11:11~14:主イエスの証言から
「バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。
しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。
バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。
ヨハネに至るまで、すべての預言者たちと律法とが預言をしたのです。
あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、
きたるべきエリヤなのです。」
メシアは御国の良い知らせを告げていた。
もしユダヤ人がそれを受け入れていたら、御国(メシア的王国)は成就していた。
そのとき、B.ヨハネはエリヤの役割を果たし、修復の働きを完成したことになる。
ところがイエスは拒絶されたので将来にメシア王国が延期されることとなり、
エリヤも将来到来せねばならなくなった。
それはイエスの再臨前となる。
B. ルカ1:13~17:天使の証言から
「御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。
あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。
名をヨハネとつけなさい。
その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
彼は主の御前にすぐれた者となるからです。
彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、
そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、
父たちの心を子どもたちに向けさせ、
逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、
こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
ヨハネはエリヤの霊と力で活動すると預言した。
それは、メシア再臨の先駆者エリヤの雛形・タイプとして
メシア初臨の先駆者の働きをヨハネが担うとの預言である。
Ⅲ 第3神殿の建立
1)大艱難時代中間期に第3神殿が建立している
ソロモン神殿、ゼルバベル神殿に継ぐ3度目の大艱難期の神殿である
4箇所の聖句がこれを裏付けている~ダニエル9:27、マタイ24:15、
Ⅱテサ2:3~4、黙示11:1~2
2)そのとき、モーセ律法による祭儀制度が復興している;イザヤ66:1~6
しかし第3神殿には神からの認証が与えられていない
神はそこには住まわれない(1)
神が求めているのは信仰であり、建物や犠牲ではないから(2)
人身供養、豚、偶像を神が拒否していたのと同様に
そのレビ的な祭司制度を受け入れない(3)
神の声を聞かずしてメシア信仰に至らなかった不信仰の行為が神殿建立の現れ(4)
信仰者・レムナントはその祭司制度には参加しない(5)
新しい神殿は裁かれて終わり、そこでの礼拝は喜ばれない(6)
3) 第3神殿の建立の可能性
A. 1967年6日戦争以後はその舞台が整った
ユダヤ人によるエルサレムの統治が再開した
神殿のための調度品の準備がエルサレム旧市街ですでに始まっている
アロン系祭司(Cohen)対象に祭司職の訓練も始まっている
ユダヤ人の家系ID記録文書はAD70年以降消滅しているが、
レビの家系のIDだけはその苗字から判定できる
B. 現在神殿の丘にはイスラムの岩のドームが完成しているが、、?
岩のドームが移動することはあり得ない
第3神殿が神殿の丘以外の場所に建てられることもあり得ない
岩のドームが除去されるか、その隣に並列されるかのどちらかであろう
C. 建立の時期
大艱難期以前か、その前半の3年半の期間の何れかである
結論として神の求められる礼拝について考察しよう
1. 人の熱心さだけが神の認証を保障しない
•第3神殿建立に見るようになユダヤの民は飛びぬけて宗教熱心である
•しかし、その熱心さは真の知識に基づいていない~ローマ10:2~3
•「神の義」に従わず、「自分自身の義を立てようとした」のがその原因
2. 神は「霊とまことによる礼拝者を求めておられる」;ヨハネ4:24
•「霊」~聖霊に導かれる礼拝であり、人の策略や資金によらない
•「まこと」~聖書の言葉が正しく解かれ、神の御心が明らかとされる礼拝
•それは神からのクレジットを稼ぐことでなく、聞くことから始まる。
「信仰は聞くことから始まり
、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」
(ローマ10:17)
死者の場所
❶シオール
ヘブル語で死者の行く場所としての固有名詞である。
旧約聖書には64回出て来る語句。
①義人も罪人も死ぬと行く場所
②信者よりも、不信者にとって恐ろしい所
③区分されたスペースのある所
「よみの底にまで燃えて行く」(申命記32:22)
「よみの深みから救い出して下さった」(詩篇86:13)
④方向性は常に下方であることから、地球の中心部にあると
考えられる
⑤霊魂には意識のある場所
⑥神の支配のある場所
イスラエル南部の砂漠地域アラバに現れた
かわいい5匹の正体は……。
生後数週間のオオカミの子供なんだそうです。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/49147
「大艱難時への導入プロセス」
マタイ24章9~14節
~マタイ福音書連続講解説教73~
大艱難時代に至るまでの世界の様相が預言されている。
今回は9つの出来事を取り上げるが、
それらは時間順に並べられるものである。
来週は、順番には並べられない3つの出来事を学ぶ。
1) 終末のしるしとしての世界大戦(1914年と1939年)
①「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」とは
その地域が完全な戦闘状態に至るとするユダヤ・イディオムである。
②エジプト全域が内戦状態に至る例:イザヤ19:1~4
③中東全域が内戦状態に至る例:Ⅱ歴代誌15:1~7
2) イスラエルの再興(1946年・イスラエルの独立宣言)
①イスラエルに不信仰のままで帰還する:エゼキエル20:33~38
~それは裁きのための帰還であり、
大艱難時代を通らねばならない
②イスラエルに信仰を持って帰還する
~それは救いのためである。
大艱難時代を通過することにより、
新しい契約が神と結ばれて民族的な救いへと導かれる。
③エルサレムに注視:エゼキエル22:17~22
不純物の「かなかす」が裁きの中で清められ、
国家的な悔い改めに至る
その後、全世界からの信仰を持ったユダヤ人の帰還が始まる
④ユダヤ人のイスラエル帰還は2回ある:イザヤ11:11~12
「再び」とあるのは、
1回目(不信仰での帰還)の後に再度帰還があるのを示している
現在のイスラエル国家は、その1回目の帰還預言の成就である
⑤いつ、最初の不信仰状態のイスラエル帰還が起こるのか:ゼパニア2:1~2
大艱難時代前に起こることがこの聖句で初めて明らかとなる。ゼパ1:7~18
3) エルサレムのユダヤ人統治(1967年・六日戦争の勝利による)
①大艱難時代中間期には第3神殿が完成していなくてはならない。
マタイ24:15、ダニエル9:27、Ⅱテサロニケ2:3~4、黙示録11:1~2
の4箇所にその根拠がある。
②それにはエルサレム旧市街と神殿域が
イスラエルによって統治されていなくてはならない。
③これらは1967年、六日戦争によってヨルダンからイスラエル施政下に入った。
④ここまでが、今日まで我々が実際に通過してきた歴史的な「陣痛」である
⑤次の世であるメシア王国を産み出すには、
更なる将来の苦痛・試練を経なくてはならない。
4) 北の同盟軍のイスラエル侵攻(エゼキエル38:1~39:16)
①WHO:38:1~6
ゴグとは、
マゴグのリーダーを表すタイトル
古代のマゴグ、メシェク、トバル部族は
現在のロシア領域で活動していた
「北の果て」とはロシアのこと
ロシアが侵攻同盟軍のリーダー
ペルシア:イラン
クシュ:エチオピア(一つの例外がメソポタミア;創世記2:13)
プテ:ソマリヤ
ゴメル:ドイツ
トガルマ:アルメニア
ロシアの歴史的なアンティセミニズム主義
その不正がイスラエル侵攻で裁きの目盛りが満たされた
②WHERE:38:7~9
「イスラエルの山々」である
その侵攻以前に多くのイスラエル人が不信仰のまま、帰還している
その侵攻という試練を通じて悔い改めへと導かれる
その侵攻時の国の様子
剣から立ち直っている
多くの国民の中から集められている
山々は廃墟のままに置かれていた
民族の中から引き出された国民
これらは古代イスラエルではなく、現在の状態を描写したものである
19世紀終わりから帰還運動が始まり、荒廃した土地に移植が始まり、
1948年のイスラエル共和国成立に至る
③WHY:神の目的;38:10~13
戦利品、銀・金・家畜・財産(古代の代表的な分捕り物)
を得るという欲望のため
ロシアを中心とする私利私欲が同盟軍の侵攻となった
侵攻に反対を唱える国々があった
シェバ:アラビア北部
タルシシュ:スペイン
「その全ての若い獅子たち」とは
ユダヤイディオムでスペインから排出する国々のこと
ブラジル以外の中・南米
米国東部海岸線はスペインによって発見、調査された
タルシシュを英国とする説もある
それによれば、北米、オーストラリアなどの英国連邦諸国となる
④その他の神の目的;38:14~16
ロシアに対する神の裁きに留まらず、
諸国の民に神の聖なることを示すため
⑤壊滅される侵攻同盟軍;38:17~23
神の瞳に触れた同盟軍に、
神の怒りが注がれる
地震や同士討ちによる壊滅
⑥荒廃される地域;39:1~6
再記述の原則~38章の情報をより詳細に記している
イスラエルの山岳地帯が主な戦場となる
1967年6日戦争によってその地区はイスラエルに移管された
この預言成就の舞台が整えられたことになる
⑦神の聖なることが示される;39:7~8
異邦人ばかりではなく、
イスラエル自身が神の救いを経験する
それが霊的に覚醒する契機となる
⑧7年間の武装解除;39:9~10
~侵攻軍の武器は燃やされて、燃料に用いられる。
⑨7ヶ月の侵攻軍の死体埋葬;39:11~16
~四海北方のヨルダン渓谷に墓場のための新しい町が建設される。
⑩同盟軍侵攻の時期について;38:8、11~12、14
イスラエルは国家の形態をしている
荒廃していた土地に再び入植している
壁のない村々の存在:キブツ
「安心して住んでいる」のユダヤ的な意味 ‘batach’
それは平和状態ではなく、確信のある様子を指す
同盟軍は大艱難時代前に安心しているイスラエルに侵攻する
同盟軍は大艱難時代前に壊滅させられる
5) 世界統一政府の樹立;ダニエル7:23~24
①異邦人のときの第4の帝国
②ローマ帝国がその最初の形態
③東西に分裂する
④東の勢力はイスラエル侵攻時の壊滅によって力が衰える
⑤西側陣営から世界統一へ向かう政権が誕生する~「全土を食い尽くし、」
6) 世界10帝国の成立;ダニエル7:23~24
①EU~ローマ帝国の復興であるとする学者も多い
②終末論を新聞解釈のよって理解しようとする試みで勧められない
③聖書文脈上、これら10帝国は統一世界政府が樹立した後に、
分裂した形態である
④10帝国は大艱難時代前に樹立して、その中間期まで存続する
7) 反キリストの勃興;ダニエル7:23~24
①大艱難時代前に反きりストが起こることは、Ⅱテサロニケ2:1~3
②やがて10帝国のうち、3つの帝国を滅ぼして勢力を拡大していく
③ヘブル名にしてその数は666となるのが、反キリストの名前である
8) 偽の安全保障
①Ⅰテサロニケ5:1~3
②「主の日」とは、ここでも大艱難時代
③反キリストと他の帝国が平和に世界統治しているときに
突如として大艱難時代に襲われる
④これも「生みの苦しみ」として表現
9) イスラエルとの7年間の契約締結(7年間の大艱難時代開始のしるし)
①ダニエル9:27
②携挙ではなく、この契約が大艱難時代に入る契機となる
結論として大艱難時代に至る私たちは、
どのように生きればよいのだろうか。
1. 預言を世界情勢の評論からでなく、聖書文脈から理解する
EC10カ国が成立したとき、
チェルノブイリ事故のとき、
中国が2億人の軍隊を作戦投入できると声明したとき、
ある聖句を拾い上げて
「黙示録預言だ」
「世の終わりだ」
とかまびすしい聖書評論家がどこにも出現した。
それらは時事問題と聖書を短絡的に結びつける
「新聞解釈法」に過ぎない。
聖書はステップを踏んで世の終わりが進展し
大艱難時代に突入すること、
それ以前には教会が携挙することを明白に教えている。
聖書文脈に照らして聖句を理解・解釈することが必要である。
2. 神の裁きが必ず来ることを知って委任する
ロシアによるイスラエル侵攻は
ロシア自身を神が裁く目的でもあった。
ユダヤ人抹殺を図ったナチスはすでに裁かれた。
ポグロムをはじめ歴史的にユダヤ人排斥の罪を蓄積してきたロシアが
裁きのための罪の不足分の目盛りを満たすことになる。
それは「神の瞳」に触れることに他ならない。
個人的、
社会的なレベルでの
不正や横暴に怒りを覚えることがあるが、
神は最終的に悪を見逃さず、
清算をされる方であることを覚え、
そのお方に裁きをお任せしよう。
3. 今が「救いのとき、恵みのとき」
大艱難時代がいったん始まったら、
誰も時計の針を元に戻せないのである。
飢饉、戦争、犯罪、裏切り、、、
多くの人々は無残に殺されていく、、、
聖書は
「主の日」
「主の恐るべき日」
として数千年前から預言している。
私たち人間にとって
大艱難時代から逃れるにはイエスへの信仰以外にない。
それが始まる前に
主が私たち信者を天に迎え入れてくださるからである。
「あなたがたは心を騒がしてはなりません。
神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」
(ヨハネ14:1-3)
ローマ教皇のイスラエル訪問が終了しました。
これらの数字は、今回の訪問に関するものです。
★2日=滞在日数。
★約1,000枚=お迎えのためにエルサレムに翻った旗の数。
★約8,500人=警護に当たった人の数。
★3箇所=教皇が訪れた聖地の数。
★1枚=教皇が西の壁に入れたメモの枚数。
⑴「眠る」という表現について
・肉体について使われている言葉であり、霊魂については使われていない。
・信者に対してのみ使われている表現である。
・肉体の復活が約束されている視点からすれば、死は一時的な肉体の休止状態に過ぎない。
「あちらに行きなさい。その子は死んだのではない。眠っているのです。」
すると、彼らはイエスをあざ笑った。」
(マタイ 9:24)
⑵死後には意識のある状態に置かれる
ルカ16章のアブラハム、ラザロ、金持ちにはそれぞれ意識があった。
⑶死の意味について
・信者は、死の瞬間に神の臨在のもとに入る。
・それは地上生涯よりも勝るものである。
「6 そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。
ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。
7 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
8 私たちはいつも心強いのです。
そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています」
(2コリント 5:6-8 )
⑷死の瞬間に永遠の運命は不動のものとなる。
・最後の裁きは肉体において行った業に基づいて執行される。
・中間状態の状態が裁きのベースにはならない。
「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、
わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、
わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
(マタイ 10:32-33)
イスラエルの海の玄関口ヤッフォ。
ヤッフォの歴史は古く、聖書にも登場する。
この場所から今のテルアビブへと人口が広がっていった。
「人は死んだ後にも救われるチャンスが残されている」
と考えるのをセカンドチャンス理論と言う。
不信者のまま死んだ者たちにも救いの二度目のチャンスがある
と考える方が生存者にとって慰めとなるし、
愛の神理論と合致するとする考えであるとして
キリスト教会でも最近流行っている教えである。
ところが
聖書はそのようなことを教えていない。
先ず、
二つのセカンドチャンス理論があるのを紹介する。
①限定的セカンドチャンス
幼児期に死んだ人や
福音を聞くチャンスがなかった人には
死後にもチャンスが与えられるとする。
②無限定的セカンドチャンス
⑴普遍的救い(Universalism)〜全ての人はやがて救われるとする
⑵回復主義(Restorationism)〜全ての人はやがてキリストの元に悔い改めに導かれるとする
⑶普遍的和解(Universal Reconciliation)〜火の池で苦しんだ後に悔い改めに導かれて神と和解する
これらのセカンドチャンス理論を裏付けるものとして
彼らは以下の聖句を上げる。
それぞれについての反論を記す。
① 「 このイエスは、神が昔から、
聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、
あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。」
(使徒 3:21 )
「万物の改まる時」を万人の死者が救いを受けるときであるとする。
→それは預言者たちの語った内容であって、
そこにUniversalismは含まれていない。
② 「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。
ところで、万物が従わせられた、と言うとき、
万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。
しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、
ご自分に万物を従わせた方に従われます。
これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。」
(コリント 15:27-28)
「万物が御子に従うとき」とは、
未信者が信仰に至ったことであるとする。
→不信者のままで御子の権威に従うということで、
その救いを言及したものではない。
③ 「その十字架の血によって平和をつくり、
御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも、
ただ御子によって和解させてくださったのです。」
(コロサイ 1:20)
御子のための和解が、救いのことであるという。
→十字架によって全ての人に救いの道が開かれたこと、
すなわちその可能性のことを言っている聖句である。
④ 「それゆえ神は、この方を高く上げて、
すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、天にあるもの、
地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、
父なる神がほめたたえられるためです。」
(ピリピ 2:9-12)
全てのものが救われてキリストは主であると告白するという。
→不信者を含めた全ての者がやがてキリストの権威に服することを教えていて、
救いを保障していない。
⑤ 「その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、
みことばを語られたのです。
昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、
神が忍耐して待っておられたときに、
従わなかった霊たちのことです。
わずか八人の人々が、この箱舟の中で、
水を通って救われたのです。」
(1ペテロ 3:19-20)
シェオールに下ったキリストが御言葉を宣教したという。
→ここでの「語られた」は「ケイルッソ」であり本来、「宣言する」という意味である。
それは救いではなく、裁きを宣言されたことを意味する。
すなわち、悪霊たちの人類破壊の陰謀が
十字架によって葬り去られたことを宣言された。
⑥ 「 というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、
それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、
霊においては神によって生きるためでした。」
(1ペテロ 4:6)
死んだ世界においても福音が伝えられているという。
→現在は死んでいるが、
生前生きていたときに彼らにも福音が伝えられていた、という意味である。
このように、
聖書からセカンドチャンスを教えているところは見出せないのである。
「ヘデル」と呼ばれる寺子屋式のユダヤ教初級宗教学校の様子。ここでまずヘブライ語アレフベートの読み書きを習います。
鈴なりの子供たちがかわいいですね。
死後から復活の期間までをここでは仮に「中間状態」と名付ける。
その期間には、人は体を有するのであろうか。
この聖書箇所は復活の体を論じたものか中間状態の体を論じたものか、議論の別れたところである。
結論を言えば復活を教えたものである。
・「永遠の家」との言及がある(1節)
・一時的な裸の状態があると3ー4節で教え、それが中間状態のことである
そこでは体を持たないので「裸」であると描写されている
・復活とキリストの裁きの座とが関連付られている(10節)
意識や認識を持つはずの霊魂は、何らかの体を持たなければそのような機能を有しないのでは無いか、との疑問について
・聖霊は体を有しなくとも人間以上の力や機能がある(ヨハネ4:24)
・御子は受肉前は霊であった
・父なる神は霊魂であった
・天使も霊的な存在である(ヘブル1:14)
結論
・死後の中間状態ではいわゆる体は有しないが、外形のある、
体の造形を持った「霊体」とも言うべき外から知覚できる物質を有している。
その例証として、
・サムエルは霊の状態でシェオールから出て来たが、
それは生存中の彼の姿形をしていた。Ⅰサムエル28:12-19
・ラザロ、金持ち、アブラハムそれぞれが互いを認識できた。 ルカ16:19-31
・変貌山での3人もそれぞれが互いを認識できた。
イエス様 : 生きていた
モーセ : 死んでいる
エリヤ : 生きたまま死の世界へと移された
現在「金のモスク」が建つエルサレムの神殿の丘。
ここは通常イスラム教徒の祈りの場ですが、
ユダヤ人も祈ることができるようにと国会に法案が提出され、
議論を呼んでいます。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/491472
「大艱難時代前半~マタイ福音書から」
マタイ24章9~14節
~マタイ福音書連続講解説教72~
世の終わりには世界大の環境破壊、戦争、飢饉、疫病、悪霊の攻撃等、
およそ想像を絶する大困難がやってくると聖書は告げる。
それが「大艱難時代」と言われるものである。
Ⅰ 大艱難時代について
1. エルサレムを眺望しながらの主イエスがこれについて語られた
~エルサレムと終末のしるしとがリンクしているのが分かる。
2. それより以前からOTの預言に「主の日」として何度も啓示されてきた。
「シオンで角笛を吹き鳴らし、 わたしの聖なる山でときの声をあげよ。
この地に住むすべての者は、わななけ。 主の日が来るからだ。その日は近い。
やみと、暗黒の日。 雲と、暗やみの日。 」 (ヨエル2:1-2 )
「主は、ご自身の軍勢の先頭に立って 声をあげられる。
その隊の数は非常に多く、 主の命令を行う者は力強い。
主の日は偉大で、非常に恐ろしい。 だれがこの日に耐えられよう。」
(ヨエル 2:11 )
3. 黙示録6章から18章までが時系列的に詳しく記されている。
• 前半の3年半 : 黙示録6~9章
• 中間期 : 黙示録10~14章
• 後半の3年半 : 黙示録15~16章
黙示録をなぞりながらどんなことが大艱難時代に起こるのかを学ぶのは
来週のお楽しみにしておいて、今回はマタイの記述からその概略を学んでみよう。
マタイでは24:9から大艱難時代前半の記述が始まっていると言うことができる。
「7民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
方々にききんと地震が起こります。
8 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
9 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。」
(マタイ24:7-9 )
• 「そのとき」(9)という前置詞に注視
*「トテ」:ギリシヤ原語では、時間の経緯・新局面を表す接続詞
*「それから」(マタイ24:14)と同語である
*つまり、この9節から終末が新たな段階を迎えたことを示唆している
*7~8節で既に世界は終末時代に突入している。
そのしるしが世界大戦であり、地球規模の災害(飢饉と地震)であった。
• 「産みの苦しみ」の最後の最大の陣痛が大艱難時代の7年間である
*地球規模の災害(飢饉と地震)は、
新しいメシア王国が産み出されるために
地球が陣痛の苦しみを経ているもの。
*時の経過とともに、その苦しみ(陣痛)の間隔は狭まり、
その苦痛の度合いは増していく。
Ⅱ 大艱難時代前半の特徴
1) クリスチャンへの迫害が起こる(9~10節)
• 教会の携挙後にも、信仰者が起こされる
• 彼らは迫害や殉教の死を遂げる:黙示6:9
• 世界統一された宗教的バビロンが組織的な迫害を行う:黙示17:1~6
2) 偽預言者の暗躍(11節)
• ゼカリヤ13:2~6に同じ偽預言者の記述がある
• 「両腕の間にある打ち傷」(6)の者とは、メシアでなく偽預言者のこと
• 「彼」(6)とは、2~6節中の偽預言者であることが文脈で分かる
3) 愛のない時代(12節)
「1 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
2 そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、
大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、
感謝することを知らない者、汚れた者になり、
3 情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、
粗暴な者、善を好まない者になり、
4 裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、
5 見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。
(2テモテ3:1-5 )
4) 「最後まで耐え忍ぶものは救われる」(13節)
• 主にユダヤ人抹殺の大迫害が大艱難時代の様相であり、
ここの「耐え忍ぶ者」とは第一義的にはユダヤ人を指す
• 信仰ゆえに殉教したとしても、
天において大きな報いが約束されていることが「救われる」の内容といえる
• 未信者のユダヤ人であったとしてもその7年後、
主の地上再臨を希求して民族的な改心に至るのが
「救われる」の意味でもある。
5) 世界宣教と大リバイバル
• 144000人のユダヤ人が世界宣教に貢献する(黙示7章)
• その結果、すべての国民に福音が伝えられる
• ユダヤ人が終末時に宣教師として適格な理由
*すでに全世界に離散しているため各国語の言語を取得している
*旧約聖書の知識に精通している
*通常の神学校教育(神学プラス外国語)の6~7年を経ずとも、
即戦力と成り得る
Ⅲ 大艱難時代を私たちはどのように備えたらよいのか
1. 聖書研究に励むこと
• 預言を学び、神の世界への介入と終末のシナリオを理解する
• どんな厳しい終末現象にも、誤った教えからも自らを守ることになる
2. 神のMISSIONに生きるようになる:ダニエル9章
• ダニエルはエルサレムの荒廃が70年であると預言から知った(2節)
• すると、とりなしの祈り手として祭司の役割を担った(13~14節)
「13 このわざわいはすべて、モーセの律法に書かれているように、
私たちの上に下りましたが、私たちは、不義から立ち返り、
あなたの真理を悟れるよう、私たちの神、主に、お願いもしませんでした。
14 主はそのわざわいの見張りをしておられ、それを私たちの上に下しました。
私たちの神、主のみわざは、すべて正しいのです。
私たちが、御声に聞き従わなかったからです。
• それは神の約束・契約に基づいた嘆願であった(18~19節)
「18 私の神よ。耳を傾けて聞いてください。
目を開いて私たちの荒れすさんださまと、
あなたの御名がつけられている町をご覧ください。
私たちが御前に伏して願いをささげるのは、
私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。
19 主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。
主よ。心に留めて行ってください。私の神よ。
あなたご自身のために遅らせないでください。
あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです。」
3. 私たちの祈りは神の前に覚えられていることを知る:
「12 彼は私に言った。
「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、
あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、
あなたのことばは聞かれているからだ。
私が来たのは、あなたのことばのためだ。 (ダニエル 10:12 )」
• ゆえに、「恐れるな」
• 学びへの勧め:「へりくだって学ぼうとしたその日から」
• 祈りの確信:「祈りの言葉は聞かれている」
この5月5日は、イスラエルの66回目の独立記念日でした。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/44871
「オリーブ山:世の終わりについて」
マタイ24章4~8節
~マタイ福音書連続講解説教71~
① 世の終わりとはあるのか
私たち人間は、解決できそうにない大きな問題を抱えている。
環境問題、原子力問題、領土問題、
人口問題(途上国での急増と先進国での少子高齢化)、
テロや戦争問題、経済格差の問題、、、
どれをとっても地球規模のものであり、混沌さを深めて来た。
すると「世の終わり」については、宗教家ばかりでない人達でも論じるようになる
この世界が終わることを聖書は明言している。
• 主イエスのことばから
* 「世が改まって人の子が栄光の座につく」時が来る(マタイ19:28)
* 「この時代が過ぎ去る」時が来る(マタイ24:35)
• 旧約聖書預言から
* メシアがエルサレムの王座から全世界を正義と公正とで統治し、
平和と繁栄とが全世界に満ち渡る
* それが「メシア的王国」と呼ばれるものである
* 代表的な聖句としては、イザヤ11:6~9
「6 狼は子羊とともに宿り、 ひょうは子やぎとともに伏し、
子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、
小さい子どもがこれを追っていく。
7 雌牛と熊とは共に草をはみ、 その子らは共に伏し、
獅子も牛のようにわらを食う。
8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、
乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
9 わたしの聖なる山のどこにおいても、 これらは害を加えず、
そこなわない。
主を知ることが、 海をおおう水のように、地を満たすからである。」
• 黙示録預言から
* そのメシア的王国は千年間続くことが始めて啓示される
* 黙示20:1~7に6回も「千年」が現れる
* 比ゆ的解釈でなく、字義通りに解釈する必要がある
② 世の終わりのしるしでないものついて
先回はエルサレムの崩壊(AD 70)のしるしが、
軍隊による包囲(AD68)であることを学んだ。
それでは、「世の終わり」にもしるしはあるのだろうか。
これまで世界の終わりを感じさせる兆候は歴史上、何度も現れてきた。
宗教界にあって、「私こそキリストだ」と宣言する人が繰り返し起こされてきた。
それらは小さな「反キリスト」(1ヨハ2:22)である。
世界の終わりを預言するノストラダムス云々も記憶に新しい。
「戦争や戦争のうわさを聞く」とあるように、
終末を思わせる戦乱と荒廃はいつの時代にも起こった来た。
日本においても、
長らく戦乱で京都が廃墟同然となった平安末期には、
末法思想が広まった。
だが、聖書は「気をつけてあわてないようにしなさい」と語る。
それらは終末のしるしとは成り得ないと言うのである(6節)
③ 世の終わりのしるしについて
「民族は民族に、国は国に対して立ち上がる」時がそのしるしである。
前節の「戦争」とは地域紛争、小規模なものであって、
ここに表現されているのとは異なる性格のものである。
ここでのユダヤ的表記は、世界戦争を意味している(フルクテンバウム)という。
それは第1次世界大戦(1914~1918)であろう。
そしてその戦後処理としての第2次世界大戦であるといえる。
これらの世界を巻き込んだ戦争は、イスラエルと非常に関係が深い。
第1次大戦ではシオニズム運動を進展させることになり、
ユダヤ人の故国復帰が加速された。
第2次大戦ではイスラエル共和国の独立につながり(1948)、
イスラエルがエルサレムを回復したのは1967年のことである。
世界の終わりの他のしるしとしては、天変地異があると教えている。
「ききん」(気候変動)や、「地震」(地殻変動)である。
それらは「産みの苦しみの初め」に過ぎないと言う。
地球が新しい世界(メシア王国)を産み出すための
陣痛の苦しみを通っている段階である。
陣痛と終末の苦しみとの関連
* 突然の破水がある~しるしである世界大戦は
突如として誰もが想定していないときに起こる
:サラエボ事件が引き掛けに第1次大戦が起こった
* 痛みの周期は時間と共に短くなる
~天変地異の起こる回数は、大戦後加速度的に増えている
* 時間とともに痛みは増加する~気候変動や地震は年々拡大している
* 出産間近がもっとも厳しい苦痛~それが大艱難時代である
;9節以後の展開
結論として、それでは私たちは終末時代にどう生きるべきであろうか
1. 「あわてないようにしなさい」(6節)
地球規模の天変地異も神にとっては想定内である
人間社会にとっても「困難な時代」(Ⅱテモテ3:1~5)がやってくる
信者は大艱難時代前に携挙によって天に引き上げられ、
主イエスのお迎えを受けるのである。
2. イスラエルは終末の進展と不可分の関係であるのを理解する
大艱難時代に突入する舞台設定はすでに整っている
反キリストとイスラエル代表(国家が建設されていなくてはならないが、
それらが同盟関係を結んで大艱難時代が始まるのである。
預言を学び、これまでの歴史がその通りに動いてきたことを知ることは、
未来の預言成就に確信を与えるものである。
3. 私たちのするべきこと(Ⅱテモテ3:14~4:5)
学んで確信した所にとどまる:聖書研究は終末を生き抜く力を与える
みことばが知恵、救い、訓練のために有益であり、信者を整える
みことばを宣べ伝える
人は死んだらどこへ行き
どのような状態に置かれるのか。
最もまとまった記事としては、
ルカ16:19~31が挙げられる。
ここで大切なことは、
この箇所が主イエスの語られたたとえ話ではないということ。
もしたとえ話なら「ラザロ」という実名は載せられていないはず。
それがユダヤ的な文学様式である。
これは主イエスが語られた実話である。
信仰を拒み続けていた金持ちがいて、
その門前に信仰者でありながら何らかの事情ゆえに
恵まれない環境におかれたラザロが実在したのである。
その死後の実在も描写している。
ルカ16:19~31
「19 ある金持ちがいた。
いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、
21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。
犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
22 さて、この貧しい人は死んで、
御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。
金持ちも死んで葬られた。
23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、
アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
24 彼は叫んで言った。
『父アブラハムさま。私をあわれんでください。
ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、
ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
25 アブラハムは言った。
『子よ。思い出してみなさい。
おまえは生きている間、良い物を受け、
ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。
しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。
ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、
そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。
28 私には兄弟が五人ありますが、
彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
29 しかしアブラハムは言った。
『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
30 彼は言った。
『いいえ、父アブラハム。
もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、
彼らは悔い改めるに違いありません。』
31 アブラハムは彼に言った。
『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、
たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
ここから、
死後の不信者たちの状態がこの実話から明らかとされる。
①苦しみの状態に置かれる
数的の水で渇きを癒したくともそれが許されないほどの苦しみに置かれる。
②閉じ込められた状態に置かれる
その環境から逃れることはできず、
ほかの環境(パラダイス)からその苦しみの場所に移動することも許されない。
③裁きの状態に置かれる
「白い御座の裁き」まで、その苦しみの場所に置かれるが、
それは地上生涯で犯した報いであり、裁きの結果である。
④意識のある状態に置かれる。
アブラハムやラザロを知覚できたり、会話できたり、
自分の苦しみを認識できる状態である。
オリーブ山から夕暮れのエルサレムを眺める
2012年秋の聖地旅行にて・オリーブ山からエルサレムを望んで
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/41370
「オリーブ山からの眺望」
マタイ24章1~3節
~マタイ福音書連続講解説教70~
オリーブ山での説教(24~25章)は、
終末(世界の終わり)に関する教えである。
マタイ福音書には5つの教えシリーズがあるが、その最終項目であるといえる。
5~7章:メシアによるモーセ律法の解釈
10章:弟子たちのユダヤ国内への宣教派遣
13章:「奥義としての御国」のたとえ
18章:教会に関する教え
この時主イエスはオリーブ山で腰を降ろし、
エルサレムの全貌を眺めながら世界の終末を見据えて弟子たちに語られた。
エルサレムの行く末と終末とはリンクされていると明言されたのである。
弟子たちはひそかに主に質問をした。
• エルサレムの崩壊と、そのしるしは?
• 再臨のときはいつで、そのしるしは?
• 終末のときはいつで、そのしるしは?
これらの質問に主は丁寧に答えられている。
さらに、「そのための準備をせよ」との教えを合わせたものが
オリーブ山での説教であるといえる。
• エルサレムの崩壊とそのしるしについて ールカ21:20~24
• 再臨のときとそのしるしについて ーマタイ24:9~31
• 終末のときとそのしるしについえ ーマタイ24:4~8
エルサレム崩壊のときについての考察:ルカ21:20~24
「20 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、
そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
21 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
都の中にいる人々は、そこから立ちのきなさい。
いなかにいる者たちは、都に入ってはいけません。
22 これは、書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです。
23 その日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。
24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、
異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」
(ルカ 21:20-24)
1) エルサレムが軍隊に囲まれる時がそのしるしである
• ローマ軍によるAD 66年の包囲がそれにあたる
• 「その滅亡が近づいたことを悟れ」と主が警告を与えたが、
• 熱心党たちは神の守りを信じて徹底抗戦を呼びかける
• それが悲劇を招いた
2) メシアニック・ジュー(イエスを信じるユダヤ人)の判断と行動
• 「山に逃げろ」「都から立ち退け」との主の言葉を実践することになる
• 68年にローマでの政変(ネロの自殺)があり、次期皇帝就任のためエルサレム包囲軍の総司令官のヴェスパシアヌスがローマに帰国する
• その時に包囲が解かれ、メシアニックジューは都を離れてヨルダン川東岸のペラに避難した
3) エルサレムの崩壊
• 70年、皇帝ヴェスパシアヌスは息子のティトスを総司令官として再度派遣し、エルサレムを陥落させる
• 「大きな苦難が望み、この民に御怒りが臨む」との預言が成就された
• 110万人が虐殺されたとの記録がある
• しかし避難していたメシアニックジューからの死者は出なかった。
• そこで「裏切り者」とのレッテルが後世に残ることになる
• ユダヤ人の世界離散のはじまり
• 「異邦人の時代」までエルサレムは荒廃が続く
聖書預言の成就の確かさ
3つのトピックスのうち、エルサレム崩壊は40年後のAD70年に成就した。
そのしるしも、様相も、結果も主の言葉の通りに実現されたのである。
それなら、他の2つの預言も成就されると考えるのが順当であろう。
世界の終わりも、主の再臨も不可避のことであり、必ずやってくるのである。
私たちの日常生活のゴールは、どこに据えるべきだろうか?
「今日が楽しければそれでいいじゃあないか」
「明日のお金さえ保証されればそれでいい」
「自国の平和と繁栄さえあれば充分ではないか」
これらはかなりの近視眼的な視野であるといえまいか?
ところが、世界の終わりという最大遠方の射程を貴方が望むなら、
いざというときにもあわてずに済む。
最大の難関問題が処理されているので、
それ以外の経済問題であっても健康問題であっても、
就職・進学といった人間の営みに関する問題であっても
余裕を持って対処できるようになるのである。
世の終わりは確実にやって来る。
その混乱と艱難から抜け出て、
主が用意されている「住まい」(ヨハネ14:3)に私たち信者は招かれている。
「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
(ヨハネ 14:3 )
将来の行き先が確かであるとき、今の行き方が分ってくる。
それは、今の問題に対処する力となるのである。
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