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オリンピックの際のロゴマークともなった、インディアンデザインの石。
この日はカナダ・ヴァンクーバーにて、宣教師のIさんと夕食。
彼女は日本の社会人や留学生をお世話されながら伝道をしておられます。
ホサナ教会がサポートをしているキース&セイラ宣教師ご夫妻(札幌)の
紹介で彼女と初めてお会いしたのが3年ほど前。
Iさん曰く、
「私のミニストリーをハチャメチャにしている要因」
であるカナダの移民政策について知りました。
カナダは米国と比べて外国人の滞在ビザ交付条件がかなり緩いです。
米国では、4年生大学を卒業した留学生に1年間の就労が認められる、
プラクティカル・トレーニング・ビザがあります。
それとてスポンサーとなってくれる雇用先を見つけるのは至難のことで、
多くの学生は夢半ばにして帰国せねばならないのが実情。
国境線をまたいだカナダでは、
ワークホリック・ビザがあり、
30歳以下であれば誰もが入国出来、就職も自由となっています。
その緩さが、Iさんを超多忙にさせているとのこと。
ワーホリの申請時に30歳の誕生日前ならビザは発給されるため、
33歳の人もいます。
その30から33歳までの人たちは
ギリホリ(ギリギリのワーホリ所有者)
と呼ばれているのだそうです。
そう言えば、カナダでは美容師・理容師免許は必要ありません。
学校を出て(あるいは出なくとも)、誰もが簡単に美容店で働くことができます。
お客が付くかどうかはその人の腕にかかっていて、
政府発行の証明書はないのです。
米国では美容免許が就労には必要です。
それも州によって免許証が異なりますので、
州をまたいで引っ越すと、
新たにその州の試験を受けて免許を取り直さねばならなくなります。
数年おきの免許更新時にも試験が課せられます。
Iさんとの会話の詳細はここで公表出来ませんが、
陸続きの国境を超えただけで
社会の様子がガラッと変わってしまう事例を見せていただきました。
その社会は移民政策に多くを負っていることも。
S.Fベイエリアにはイラン料理の店が多く見られます。
「ペルシャ料理」と銘打っているところが多いです。
地中海料理の中ではお勧めです。
イランは中東でもアラブ諸国とは趣を異にしている。
紀元前数千年の昔から、
ペルシア帝国を築き上げ当時最新の建築技術で他を圧倒していた時期もある。
先日の大統領選挙で保守穏健派のロウハニ師が当選したことも、
イラン社会にある底力を見せてくれた様に感じている。
保守強硬派のアフマディネジャド大統領は
イスラエルへの暴言を繰り返し、
核開発を強行したため、国際社会で孤立した。
西側からの経済制裁はイランの国民に耐えがたい苦難を強いた。
今回の選挙結果は、その大統領路線に民意がノーと判断したものである。
昨今の「アラブの春」騒動に見られるように、
暴動やクーデターが頻発している中にあって、
正当な選挙によって暴君を引き降ろすことができた。
自己変革の力を見せてくれたように思う。
改革派が選挙活動をほとんど封殺されたという現状で、
第1回投票から過半数という圧倒的な数で従来の路線が否定され、
その選挙結果が穏便に政権交代に移行して行ったのは、
ペルシア人の民主主義に基づく民度の高さ故とみて良いと思う。
国土の広さや人口(7500万人)、資源だけでなく、
歴史的・文化的厚み、民度の高さ(今回のような自己変革していく力)から、
イランは強力な中東パワーになれる条件を備えている。
ただこれは国際社会との融和の中でこそ可能なはず。
特にイスラエルとの平和共存を新政権が模索することを期待する。
バークレーの見抜き通りの一つ、Shattuck通りの昼下がり。
バークレーは、UCLA大学があることで有名です。
もう一つ有名なのは、この町がヒッピーの聖地であること。
70年代のベトナム反戦運動とヒッピーライフスタイルがこの町で融合し、
一台ブームを引き起こしました。
今でこそヒッピーと言われるホームレスは、ほかの町と比べて特別に多いと感じません。
それでも、名残を家々の様子や町並みに感じることがあります。
たとえば、写真に見られるランチ風景。
中央分離帯にある僅かな緑の芝生に腰を下ろして、
堂々と食事しているのは学生だけではありません。
隣のオークランドにも、カリフォルニアのどこにもこういうのは見覚えがありません。
これも由緒ある?ヒッピー文化の名残でしょうか?
このビルの27階にポートランドの総領事館が置かれています。
今週月曜から金曜までの5日間が、選挙の投票日です。
参議院選挙のための投票へ行って来ました。
神奈川選挙区からの議員選出選挙と、
比例代表制政党選出選挙の二つでした。
海外居住者がこうして国政選挙に参加できるようになってから、十数年が経ちます。
私は現在オレゴン州ポートランドにいるため、
いつものようにシアトル総領事館での投票ができないと危ぶんだのですが、
ポートランドでも投票ができる事が分かりました。
いや、海外居住者で選挙人登録カードとIDとの2点があれば、
世界のどの総領事館でも投票が行えるのを初めて知りました。
ポートランドのダウンタウン、
ある銀行のビルディングの27階に総領事館は位置しています。
投票方法ですが、
日本と違い、投票用紙をただ箱へ投函するのではないのです。
記入した投票用紙は2枚、それぞれの専用封筒に2重にして納められます。
外側の封書には「立会人」の証明を記す欄が設けられています。
領事館側と選挙人側が正しく投票事務を踏襲しているかを見定めている
「立会人」がその部屋の中で座を占め、始終監視を続けています。
その人のサインがあってはじめて投票が有効となる仕組み。
無事にその方のサインをいただいて、投票を完了。
あとは、その投票用紙が日本へ運ばれて後、各選挙管理事務所へ郵送されてから開封されることとなっています。
そういうわけで、日本国民としての主権を行使できて、
少々誇らしく感じた午後の一時でした。
ベルビューにあるJubilee Reach Center・正門
Jubilee Reach Center へ行ってきました。
http://www.jubileereach.org/
ここはコミュニティの再生、保護、発展のために尽くしている非営利団体です。
特に人に対するケアが充実していて、ここまでやるの? といった驚くほどのレベルです。
たとえば子供のためには、共働きの両親のための預け保育、学校前や後の児童ケア、宿題の手伝い等。
移民のための英語やPCの教室、職業訓練、ホームレスのための援助や災害被害や失業中の家庭のための家具などの配給などなど。
近く日本人のための図書館もこの敷地に建設される話もあるようです。
これらほとんどの働きは、地域のボランティアが支えています。
Jubileeとは、旧約聖書にある「ヨベルの年」の教えです。
イスラエルでは50年毎に巡って来たこの年に、全ての負債が帳消しとなり、没落して奴隷となった人も解放されて我が家に帰れました。
その開放を告げる合図のために、ラッパを長く吹き鳴らしました。
イスラエルの国中にそのラッパの音が鳴り渡ると、経済破綻者も、債権者もともにリセットされたのです。
それは、彼らに土地の真の所有者、富の真の供給者は誰かを教えるものでした。
どれだけ人が富を所有していたとしても、いや違う、それは富を管理しているだけで所有はしていない。
真の所有者なる神に返すときなのです。
単に貧者救済や偏った富を是正する公平化制度ではありません。
もしそれが人為的になされたのなら共産主義というもので、有産階級が黙っているわけありません。
これは命の創造者にて保持者、富の供給者にて所有者なる唯一の神に対する信仰から実現された行為です。
たとい不幸にも、身を投げるほどの経済的破局に陥ったとしても、その人の価値がそれにより計られるわけではない。
貧しい人も、富める人も、等しく神の前に愛されている神の子供だと聖書は教えます。
その聖書の教えを実践する一つがヨベルの開放だと言うわけです。
イスラエルではかつて50年毎に、この聖書の基本概念を教える大胆な経済政策が採用されていました。
現在のヨベル、神の計り知れない恵みをこの団体は地域に伝え続けています。
以下は旧約聖書にあるヨベルの年の教えの箇所です。
「8 あなたは、安息の年を七たび、つまり、七年の七倍を数える。安息の年の七たびは四十九年である。
9 あなたはその第七月の十日に角笛を鳴り響かせなければならない。贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。
10 あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。
11 この第五十年目は、あなたがたのヨベルの年である。種を蒔いてはならないし、落ち穂から生えたものを刈り入れてもならない。また手入れをしなかったぶどうの木の実を集めてはならない。
12 これはヨベルの年であって、あなたがたには聖である。あなたがたは畑の収穫物を食べなければならない。
13 このヨベルの年には、あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰らなければならない。
14 もし、あなたがたが、隣人に土地を売るとか、隣人から買うとかするときは、互いに害を与えないようにしなさい。
15 ヨベルの後の年数にしたがって、あなたの隣人から買い、収穫年数にしたがって、相手もあなたに売らなければならない。
16 年数が多ければ、それに応じて、あなたはその買い値を増し、年数が少なければ、それに応じて、その買い値を減らさなければならない。彼があなたに売るのは収穫の回数だからである。
17 あなたがたは互いに害を与えてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしはあなたがたの神、主である。 (レビ記 25:8-17)
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Yamagata レストランにて
写真奥のカウンター裏にはオヤジさんはじめ3人のシェフが腕を振るいます
(昨日からの続き)
ジョージ・ワシントンがニューヨーク防衛のために
築いた砦から作られた街、Fort Lee。
米国独立宣言あるような気高いスピリットを持たれて
活躍しておられる現地在中の日本人を紹介します。
最初は錦織先生。
先生は、その町から車で15分ほどの所にお住まいで、
ニュージャージー日本語教会牧師であられます。
錦織先生とはじめてお会いしたのはお互いが高校生の時でした。
伊豆の大島でのクリスチャン・キャンプで同室となって以来、
昨年ここで30年ぶりの再開となりました。
ご長男が今年、大学を卒業されます。
数ヶ月前のハリケーン・サンディの猛威に、
断水等の相当困難な生活を余儀無くされました。
その日は私とのランチ後、
マンハッタン島での教会員のための
聖書会を指導に行かれるとのこと。
東海岸一帯の日本人教会と現地米国人教会の
協力体制を構想しておられました。
次はYamagata日本食レストラン、オーナーシェフのオヤジさま(⌒▽⌒)
お名前は失念してしまったのですが、
その愛称がピッタリの貫禄と優しさとを兼ね備えた
山形県酒田市出身の板前さんです。
一見すると、「ヤ」の付く自由業に間違えられそうなほど
濃い眉毛と口元の髭がドスを効かしているのですが(^_^)
その目だけは微笑んでいるように見えます。
イエス様の恵みによるものでしょう。
ハスキーな声も独特です。
韓国人の奥様はウエイトレスとして
瞬時も油断のない機敏な動き。
ご夫妻は、
日本語に堪能な韓国人牧師がおられる教会へ通っておられます。
このレストランを
錦織先生との会食会場としていたのですが、
超満員でお店にはいる隙間なし(涙)
そこで夕食のためにに再上洛。
オーダーした料理の素材、味付け、盛り付け、どれも申し分なし。
行列が出来る理由を納得。
地元日本人、韓国人たちの接待や極楽経験のためには欠かせないレストラン。
「上洛」の文字がふさわしく感じました。
おしぼりや注文していない漬け物の小皿が出てきたり、
至れり尽くせりの日本的なサービス。
最後の方は、カツコさんと言われる方。
この方の個人経営しているお店には、
東北大震災の現状を訴えるパネルや寄付金の受付が置かれてあります。
ご自身でも帰国のたびに被災地に寄って
救援活動をされておられます。
サンディではハドソン川が決壊して
ミツワマーケットのある川沿いの低地は水没し
数十台の車が廃車となったそうです。
それにも勝る惨状の東北津波災害。
テキパキと早口ながら情熱を持って語られる復興協力の姿勢に
頼もしいものを感じました。
すでにあれから2年が経ちましたが
私たちは忘れていません。
たとい日本から遠く離れていても
忘れていません。
私たちは同じ日本人です。
一つです。
日本と韓国に違いがあっても、一つです。
国際結婚されているオーナーご夫妻がその模範を示されました。
そして世界も一つです。
国際航空路線が世界中に張り巡らされているからではありません。
私たちは神の家族だからです。
私たちすべては神によって創られ、神によって活かされています。
そして宇宙船地球号の上で共存しています。
「26 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
27 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
28 私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。
29 そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。」
(使徒の働き 17:26-29)
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Fort Leeの公園に立つ、独立戦争を記念するモニュメント
本日はFort Leeへ行ってきました。
ニューヨーク、マンハッタン島の北端から
ハドソン川を渡った対岸にある、ニュージャージーの町。
そこの公園に大砲のモニュメントや
Fortとある地名などからも
戦争と関わりがありそうと思い調べて見ました。
アメリカ独立戦争時にニューヨークを守るため
ジョージワシントンと後任のチャールズ・リー将軍が
砦(Fort)を築いたところから名前付けられたのが分かりました。
詳しくは、http://nihon.at.webry.info/200808/article_8.html
1776年7月4日にイギリスからの独立宣言
直後の12日に、イギリスの軍艦2隻がハドソン川を通過。
それで、ニューヨーク防衛のために作られたのが
Fort Leeの始まりでした。
その後、ニューヨークはイギリスに占領せられ、
対岸の最後の砦、マンハッタン側のフォート・ワシントンが陥落して
大陸旗の旗が降ろされるのをジョージワシントンは目撃しているらしいです。
以後はこのFort Leeを捨てて、南方へと退却を始めます。
現在の米国の実力からは想像し難いのですが、
その揺籃期は実に危ういものだったのです。
装備も組織力も本国イギリスと比べたら相当見劣りしてました。
それでもあえて立ち上がった13植民地連合。
自由を守るため、独立を勝ち抜くため、、、
国の創立期からこの国の人達が学んだ価値観。
議論百出するも、どうして銃の所有を個人に認めているのか
という理由も読めてくるような気がします。
自らの独立や尊厳は他者が与えてくれるものでない。
道端に落ちているものでもない、
自らの手で守り抜くものである。
時に血を流すこととなっても、、、
日米安保体制でもし両国が逆の立ち場だったら?
米国は他者に頼る生き方に我慢ならないはずです。
そんな独立期のすがすがしい気概を持たれた多くの人たちに
その場所でお会いできました。
長くなりましたので、その話は明日に続けます。
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