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ユニオンスクエアでのウガンダ子供達によるダンス
この日のサンフランシスコは快晴で暖かい。
1時間以上も市内を徒歩で徘徊し続けると顔から汗も吹き出て来る。
タオルを持参してこなかったのが悔やまれる。
10年以上にもなる友人に会いに行く。
私の頭を見て、
「ヘアカットが必要だね」と言ってくれて、
その場でカットをしてもらう。
$50以上はチャージするであろう彼のようなサロンを
自ら利用することはない。
高額料金にはそれなりの理由もある。
格安の美容チェーン店では、バリカンだけで済ましてしまうとことを
彼は数十本の髪の毛を束ねてはハサミを入れて行く。
もちろん結果が違う。
高級チェアに腰掛け極楽気分に浸っていると
これまで話したことのないようなディープな領域に会話は流れて行く。
60代前に思しきそのサロンオーナー男性はユダヤ人であるという。
ともに働いている奥様はクリスチャンであるので、
彼にしばしば改宗を勧めてくると言う。
「改宗という必要はないと思う。
同じ神なのだから」
そう私は答えたが、これには誤解を避けるための説明が必要だった。
聖書的なユダヤ教はキリスト教であること、
現在のユダヤ教はパリサイ派のものであり、
旧約聖書の教えから逸脱したものであることを伝えねばならなかった。
今回は時間もなくその機会を逸してしまったが、
今後彼とお会いする楽しみが一つ増した。
この日もまる子お母様は食べ切れないほどのご馳走を作って待っていてくださった
サンマテオの吉田邸にお邪魔する。
夕方に上がり込むと、ご夫妻と夕食を囲むのが恒例のパターンとなっている。
ご夫妻には3女の素敵な娘さん方がいらっしゃって、
すでに皆さん家庭を持っておられる。
先日の年末年始にご夫妻はご長女のご一家を伴い、
総勢6名で故郷の熊本へ一時帰国された。
そのお土産話に花が咲く。
ご夫妻の3女は私の年代である。
息子がいないことから、
そのようにして私が息子代わりとなって甘えさせてもらっている。
ナナイモ(7つの芋)という町でランチ
ここヴァンクーバー島は、
米国ノースウエストとは明らかに異なる景観が広がっている。
ハイウエイの路肩は雪で覆われており、
そこよりも視線を遠くへ向ければ針葉樹林が散在してる。
ノースウエストでは針葉樹よりもブナなどの広葉樹が密集しているし、
その密集林をくもの巣のようにネット接続するオバケ苔ももちろんない。
結果、視界が広く開かれ空の広さまでもが
異界に来たことを印象付けるものとなっている。
ケッペン気候区分によっても、両者は異なる区域に分けられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B0%97%E5%80%99%E5%8C%BA%E5%88%86
シアトル圏のノースウエスト地区はCSB(地中海性気候)という気候区域。
温帯に属し、夏季乾燥、月平均気温10℃以上が年に4ヶ月以上となる。
一方、南端を除いたヴィクトリア島はCFC(西岸海洋性気候)の範疇に収まる。
同じ温帯には属しているが、雨季は冬季・夏季の区別なく、年に月平均気温10度以上が3ヶ月以下。このCFCにおさまる主な都市としては北海道の室蘭、ロンドン、パリ、アムステルダム、ベルリンなどとなっていた。
宿舎前に広がるビーチ
対岸がカナダ本土となる
数日前から咳き込んでいた長男の具合がさらに悪化している。
昨晩は数秒おきに咳を連発していて、彼はほとんど寝ていない。
カナダ・バンクーバー島での最初の行動は
薬局を探し出して薬を処方してもらうことになった。
朝食後、家内と長男はその行動に移り、私と長女は宿舎前のビーチを散策。
こんな地の果てとも思えたバンクーバー島の中程の極地にも
米国資本のあらゆるビジネスが進出している。
薬はWalmartに付随している薬局で簡単に手に入れることが出来た。
ショッピングモールは米国と変わらない洗練された近代的な作りで、
ターゲットやホームディポ、スタバやもちろんマックなど、
ほとんど同じ巨大資本のお店が並んでいた。
ヴァンクーバー島へ渡るフェリーの甲板上で
自宅を出発したときは雨でしたが、晴れの天気に気分もウキウキ
この冬休みには北へ探検することとなった。
カナダ国境までは車で約2時間。
国境線を超えて20分ほど走った北西の海岸に、Tsawwassen という港がある。
そこから2時間、フェリーに揺られて着いた港が Nanaimo である。
そこはニュージーランド以東の太平洋でもっとも大きなバンクーバー島。
南北が約460キロ、東西の最大幅が約80キロで、面積が32,134平方キロ。
九州が37,814平方キロだから、少々小ぶりにしたサイズである。
地図でみると北米大陸からその島までがわずかの距離に見えたが、
2時間の乗船とは想定外であった。
「そんなところ、遠過ぎるよ」
との家内の意見の意味を今後も身をもって体験して行くこととなる。
フェリーを降りてからもさらに北にドライブすること2時間弱。
宿舎に着いた時には、すでに夜の帳がすっかりと降りていた。
カナダと米国との国境には
白亜の巨大アーチがモニュメントとして屹立している。
その手前の1キロくらいのところで、携帯電話が電子音を鳴らした。
留守電が入っていることを知らせるもので、
カナダ国内では入電出来なかった。
入国管理局への車列に並びながらそのアーチを10メートルほど過ぎた時、
さらにもう一つの電子音がした。
Rogerというカナダの通信会社から、
AT&Tという米国の会社に接続が変わったことを知らせるもので
同時に数十のメールがダウンロードされて来た。
入国管理局の審査はまだ数百メートルも先であるが、
国境をまたいだそこはすでに米国領であり、その電話会社の管轄に代わったのだった。
電波の受信をどうやって選別しているのだろう?
シアトルから運転して3時間以内で外国に行ける。
これは日本にいては決して体験できない感覚であった。
南樺太を失った今、外国と陸続きで繋がっている場所は日本に一つもない。
外国にあっては命の次に大切なものが一つある。
パスポートである。
部屋の中で見ていないなあ、と気になったので探して見た。
ない…
デスクの周囲にも、スーツケースの中にも。
このままで寝ることも出来ないので、0時を過ぎていたが車まで行って探す。
どこにもない。
カナダで申請してから発行までどのくらいの日数が必要なのだろう?
今週は帰れなくなるのか?
礼拝はどうしよう?
そんな疑問がグルグル回り出す。
トランクの中を探した後に閃いた。
脳の中で電球が光った感じ。
入国時に審査官に見せたパスポートを助手席に置いたままだとすると、、、
確かどこかのカーブの際に助手席から書類がずれ落ちる音がした、、、
助手席ドアを開けて下方を見たら、
あった!!
シートとドアの間の隙間にズレ落ちていたのだった。
同じ日、友人のNさんがニューヨークから日本へ帰国する際の飛行機搭乗前にグリーンカードを無くしたが、待合室の椅子の上にあるのを直後に発見したのをFBで知った。
自分自身の記憶や注意深さなどに頼っていられない。
そんなもの、この私には生まれつき持ち合わせていない。
「行くにも帰るにも、今よりとこしえまであなたを守る」
と約束される主に感謝する。
図書館入り口の壁
主に日本人留学生に奉仕しておられるI宣教師
カナダ・バンクーバーへは3時間のドライブで到着してしまう。
パスポートの必要な旅ではあるが、
日本行きと比べたら時差もないことはもちろん、その手軽さは申し分ない。
今回は「霊性の神学」で有名なリージェント・カレッジを訪問。
広大な敷地と設備とを誇るUBCキャンパスの一角に
その私立神学校は置かれていた。
宣教師のIさんにキャンパス内を案内してもらう。
こじんまりとしたキャンパスなのに、
図書館の敷地面積がズバ抜けて大きのに驚いた。
先ずはイスラエル聖地旅行の同窓会
川崎の実家にて
日本滞在初日は川崎へ。
渡米前2年間ほど川崎教会で奉仕させて頂いたことで
私の日本での故郷の一となっている。
たまたまこの日は教団の理事会が開かれるというので
各地の先生方が川崎へ集まっておられて懐かしい再開の祝福となった。
2年間 生活を共にさせていただいたシェルホン宅へも表敬訪問。
第二の母親ともいうべき、美智子先生とも再開できた恵みに感謝。
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