ナザレにある聖誕教会
ナザレのバザール
「ナザレのイエス」
ナザレ〜それは辺鄙な片田舎であり、
当時の聖書には一度も言及なく
「ナザレから何の良いものが出よう」(ヨハネ1:46)と言われるほど蔑まれたところだった。
そのナザレ出身の学歴なし支持基盤なしの30歳の青年イエス。
数ヶ月前、なぶりものにされた上、
十字架で死を遂げられたばかり。
さらに死から復活されたという知らせは、
弟子たちの間に広まっている。
生まれてこの方、足がなえていて歩いたことない男にとって
突然「歩きなさい」とのペテロの命令はあまりに唐突でハードルが高かったに違いない。
エルサレム神殿の美しの門に物乞いのために置かれていたこの男は、当然のことながらこれまでイエスの噂を耳にしていたはず。
そのイエスに賭けてみることにした瞬間だった。
ナザレのイエスと言う方が行なっていた、
病を癒し目の見えない者を開眼させていた他人事話を、
この時、自分にも適応してみたのだ。
つまりイエスと言う方が聖書に予言されたメシアであり、
神ご自身であり、
不可能はない救い主であられるとの信仰を抱いて自らの足で立ち上がった。
いや立ち上がろうと、決意して意思を動かした。
ペテロはその時、彼を助けて「右手をとって立ち上がらせた」(7)とある。
その瞬間、神の力が彼の全身を貫いてその足は飛び上がるほどまでに頑丈に癒されたのだった。
私たちも同様にしてナザレのイエスと言う方が
死なれたこと
復活されたこと
その前にも、イスラエルの地で様々な奇跡を行われたことを
聖書の中から知ることが出来る。
クリスチャンの知人から友人から聞いたこともあるでしょう。
これが単なる昔話、おとぎ話の段階から
自分自身に適応するときに神のみわざが始まる。
ペテロはその直後、その神のみわざがどうしてこの男に実現したかをまとめている。
"このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。"
使徒の働き 3章16節
①この男を癒した直接要因〜「イエスの名」。
ヘブル的に名前はその人自身を表す。
すなわちイエスご自身。
②この男を癒した間接要因〜「その名を信じる信仰」その男がイエスに対して抱いたメシアとしての信仰のこと。
③信仰の起源〜「イエスによって与えられる信仰」
それ故私たちは自らの敬虔に根拠を置かない。
永久に保証されている救いをいただいているのである。
ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「ナザレのイエスの名によって」
使徒の働き 3章1~16節
"ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。
彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。
すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
そして彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。
人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。
そしてそれが、宮の美しの門のところで施しを求めて座っていた人だと分かると、彼の身に起こったことに、ものも言えないほど驚いた。
この人がペテロとヨハネにつきまとっているうちに、非常に驚いた人々がみな、「ソロモンの回廊」と呼ばれる場所にいた彼らのところに、一斉に駆け寄って来た。
これを見たペテロは、人々に向かって言った。「イスラエルの皆さん、どうしてこのことに驚いているのですか。どうして、私たちが自分の力や敬虔さによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたはこの方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、
いのちの君を殺したのです。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。"
⑴足の萎えた男にとって
①施しに頼った生き方
「生まれつき」ゆえに人々の哀れみと善意とに頼る他なし。
「美しの門」に置いてもらう
②賛美する生き方
「躍り上がってまっすぐに立ち、歩き出した」(8)
この受け身から能動への抜本的な生き方改革はイエスの御名を信じる信仰ゆえに与えられたもの(16)
⑵ペテロとヨハネにとって
①午後3時の祈りの時間
ペンテコステの御霊の傾注を受けた直後であるが
規則正しいメソジカルな生活態度が敬虔を修行
②栄光をことごとくイエスに帰している
イエスの名によってなされたいやし(6、12、16)〜直接要因
イエスによって与えられる信仰〜間接要因
⑶地の諸民族(異邦人)にとって
①「子孫」によって祝福を受ける(25)
アブラハムによって確立された契約。
その「子孫」とはイエスのこと(ガラテヤ3:16)
②メシアなるイエスが再び来られる(20-21)
イスラエルにとり「回復の時」であり、
全世界にとって「万物の改まるとき」である
(結論)
ペテロとヨハネが施しを求める男に与える金銀は無かった。彼らにあったもの。
それは、「ナザレのイエスキリストの名」=イエスご自身であり御霊の内住であった。
その方は死と復活を遂げられ(13-15)、
再び天から来られ世界を一新される((20-21)。
これらは代々の預言者らにより定められた契約に基づくものである(24-26)。
昨日は突然、これまでになかったiPhoneの症状に悩まされました。
完璧にフローズンして画面がただ真っ暗になるだけ。
どんなボタンを押しても回復しないので、私の気持ちも同様にフローズン。
それまで聞いていたYouTubeでのセミナーも聞けず、顧客からのカード決済ができず、さらに家人との連絡もできない。
いかにiPhoneに負っていたか、まざまざと気付かされた次第。
家に戻り息子のiPhoneを使って電話。
解決法をApple社に求めたがらちがあかない。
翌日のベルビュースクエアでの修理のための予約を取る。
そこに行ってみると、若いお姉様が約6秒で解決してくれた。
先ず音量ボタンの上にあるボタンを2秒押す。
それから下にあるボタンを2秒押す。
最後に反対側にあるメインスイッチのボタンを2秒押す。
それだけで初期画面が回復して以後はサクサクと快適に操作ができた。
実に簡単な操作なのですが、知らないと言うのは恐ろしいこと。
わずか6秒で解決する方法を知らないだけで何年かけてもできない。
iPhoneの使用不可の違いがもたらす世界は天と地ほどのも違う。
その違いをもたらすものが、わずか6秒で終わる操作方法。
シアトル熱中小学校に行ってきました。
1時限目はeコマース専門家からの社会科授業。
年々小売業に占めるeコマースの売上比率は伸びていますが、それでも日本では5%ほど。
それが米国では10%、
中国なると15%となるから驚き。
中国では偽札が多く社会に浸透しているので現金決済をなくし電子取引が進んで、ほとんど100%近くにまで上るのが特徴だとか。
また日本で今やYouTubeをしのぐ動画視聴アプリが若い子達に流行ってると言うトレンディの話も聞けました。
我が子にやらせてみようかしらん、
なんて野望を抱いているところ(^ ^)
隻眼のパイロット前田伸二さんの講演を伺いました。
https://www.junglecity.com/people/hottalk/interview-shinji-maeda-2016/
これも先日のシアトル熱中小学校のでのひとこまです。
学生時代に交通事故で生死の境目を通り、
片目をしなった前田さん。
米国留学中に日本では不可能な隻眼でパイロットへの道があることを知る。
その夢に向かい努力を続けてついに実現。
いまや朝5時半からのボーイング社での勤務を終えてから、パイロット養成会社での教官としての働きをしていらっしゃいます。
そして夢に向かって諦めずに努力を続ける尊さを子供たちに教えるために、世界一周をしながらの講演活動計画されていらっしゃいます。
夢を抱くのは特に子供にとって重要なことです。
と言うより、
夢を諦めたり失った時、人は老いるのではいでしょうか。
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聖書にはそのように老いなくても済む方法が啓示されています。
「将来と希望」を与えると言う神を知ることから始まります。
"わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。"
エレミヤ書 29章11節
"あなたの大滝のとどろきに淵が淵を呼び起こしあなたの波あなたの大波はみな私の上を越えて行きました。
昼には主が恵みを下さり夜には主の歌が私とともにあります。私のいのちなる神への祈りが。"
詩篇 42篇7~8節
神との交わりが絶たれた孤独の中にあって、
初めて熾烈な渇望を抱く。
最暗黒と思える時にこそ崇高な魂の叫びが始まる。
人の頭を越えていく水や波は、
聖書の中においては侵略軍による蹂躙や激しい試練を表した例えです。
詩人はそのような苦難の中で神から見放されたと感じ、人々からも見放されていると感じます。
唯一の慰めは昔のことで、
共に神殿へ祭りを祝いに行った楽しい日々を思い出すこと他無かったのです。
"昼も夜も私の涙が私の食べ物でした。「おまえの神はどこにいるのか」と人が絶えず私に言う間。
私は自分のうちで思い起こし私のたましいを注ぎ出しています。私が祭りを祝う群衆とともに喜びと感謝の声をあげてあの群れと一緒に神の家へとゆっくり歩んで行ったことなどを。"
詩篇 42篇3~4節
ある時そのようなただ中にあってふとした瞬間がありました。
それは自らとそれを取り巻く世界を客観的に捉えることができた瞬間でした。
いわば地上の視点から、
高い空を舞う鷲からの鳥瞰的な見方と言えるかもしれません。
水の渦巻きに翻弄され気づかないでいたけれども、神は確かに私に恵を施されていたと言うものでした。
"昼には主が恵みを下さり夜には主の歌が私とともにあります。私のいのちなる神への祈りが。"
詩篇 42篇8節
私たちが気付こうと気付かまいとにかかわらず、
神は私たちに変わらない恵み(へセド)を送り続けてくださっています。
それゆえ私たちは顔を上げて、詩人と共に祈りを申し上げようではありませんか。
"わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。"
詩篇 42篇11節
ここ数年シアトル海外で成長しているチキン唐揚げ店。
ジューシーでヘルシー、スパイスが効いていてとても美味しい。
子供たちもこれがお気に入り。
マックやケンタ君のようなメジャーなフランチャイズ店ではないしTVでCMはもちろん、宣伝広告をしているところを見たことがない。
それでも6時前にこれだけの行列ができるのは口コミで広がったのでしょう。
注文してから3分〜4分は待たなくてはなりません。
その場で揚げてくれるから。
最小の注文数がツーピースで価格は6ドル弱。
決して安いとは言えませんが納得のいく買い物です。
先回のヴァション行きフェリーには最後の1台として乗船出来てギリギリセーフ。
今回もそんな感じだったのですが、料金所を通り待機しているフェリーまで近ずいたところ、私の目の前でバーを降ろしているのです
ギリギリでアウトとなり、車列の先頭で次のフェリーを待つ羽目になりました。
私はスケジュール表からのフェリーの発着時間をあらかじめ知らないことにしています。
もし知っていたのなら家を出る前にもまた走行中も間に合わせるためにそわそわしてしまい慌ててしまうからです。
次のフェリーを待つのは30分ほどです。
その30分間、車内でゆっくりと他の仕事をすることができるんですからこれも感謝でした。
他の仕事とは、このブログの執筆作業でしたけどね。
通常40分ほどのサンフランシスコダウンタウンからオークランド空港までのドライブ時間が今回は55分。
レンタカーを返却してバス停に急いだところ、シャトルバスは丁度発車しようとドアを閉めている。
手を振りかざして走り出し「待って〜」と合図を送る。
だが無情にもバスはそのまま過ぎ去ってしまった。
「10分も待てばすぐに次のシャトルバスが来るよ」と、傍に立つエージェント。
「その10分が私には必要だったんですよ。ボーディング時間まであと20分しかないのだから」と返答。
なんてついてないんだ、と我が身を呪う気持ちになりましたが、
「すべてのことについて感謝しなさい」
と聖書にあるの思い出しました。
とてもそんな気持ちにはなれそうになかったですが、とにかくこれを実践しようと思い朝からのことを振り返りました。
すると順調に進んだプロジェクトが思い当たり、その一つ一つについて感謝の言葉を紡いでいったのです。
空港に到着した後にも試練は続き、
保安検査はこれまではお咎めなかった最小サイズの
のサバイバルキットが見つけ出されて没収されてしまう。
その時はすでにボーディング時間を割り込んでいた。
ようやくコンコースに到着し掲示板を見ると、フライトが遅延するとの告知。
これで夕食時間を見出した幸いのボーイ。
カリフォルニアのバークレー。
ここは60年代に米国でヒッピー文化が花開いた(?)元祖の町。
ヒッピーと思しき人に今や会うのは稀となりましたが、その名残はここかしこに見出されます。
バークレー大学につながるメインの道であるユニバアーシティ通りは学生街で安価の飲食店がひしめき合っています。
ラーメンや寿司などの日本食レストランもあるのですが、学生を卒業した一般社会人としてそこへ入るのにはかなりの気合いが必要です。
外観や価格からしてその品質が心配になるのです。
その通りとは直角に伸びて南に進んだカレッジ通りには、お洒落なイカしたブティックやレストランが並んでいます。
午前の用事をそこで済ませてからその目前にある地中海料理のレストランでランチとなりました。
http://cafelamed.com
この辺りはダイバーシティ色豊かで東洋、西洋、中近東の各エスニックレストランとその多様な民族出身者らがひしめいています。
アルメニア人とレバノン人の共同オーナーであるというこのお店は以前からの私のお気に入り。
メニューも内装も本場のものでイスラエルへ行った時の雰囲気にしてくれます。
サーブしてくれたメキシコ人のお兄さんによると、食後に出してくれたコーヒーは「地中海コーヒー」といって中近東に広く行き渡っているものだそうです。
「トルココーヒーではないか」と尋ねた際の返答がそれだったのですが、考えてみればトルコからイランまでは全て地続きの大地が広がるのが中東。
コーヒーは最も優れたものが生き残って広く分布しているのが自然の成り行きということでしょうね。
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