駅前の高い建物から 人の流れを眺めている 右から左に流れる人 左から右に流れる人 駅へ向かう人と 駅から出てくる人を調べたら 同じ人数になるんだろうな 二、三日調べたら誤差があまりないくらいに プラスマイナス0に近いだろう もしそこに誤差があるとすれば かなり大きな事情が考えられるのでは 暫く帰ってこない旅立ち 結婚で新天地へ それとも職場が変わった たまたま出掛けて帰ってこれなくなったとか プラスマイナス0にならない人 そこに希望やら夢のある数値だと想像すると 人の流れも いいな、なんて思って眺めている
君は宇宙へ行ったことがあるかい 夢とかの話じゃなくて それも宇宙飛行士とかじゃなくて ある日突然、連れて行かれちゃうやつ 僕は二度あるんだよ 一度目は小学生二年生の時で 裏の空き地で野球をしていたらUFOが飛んでいて こっちに来るな、と祈ったけど どんどん自分たちの方へ向かって来て そして、記憶が飛んだ 気が付けばまた野球をしていたんだ あとで友だちにUFOが飛んでいたよね そう言ったら お前、ボケてんじゃないかと言い返され 少し記憶が残っていたのは僕だけだった 二度目はかなり記憶がはっきりしている 高校一年生の時 たぶん夜中の二時とか三時とかだと思う 僕がトイレに行こうとすると 戸の向こう側にUFOが来ているのは分かった 見えてないなずなのにそれがわかった それまで僕は宇宙人と コンタクトしていたという確信みたいなのがあって 大半は記憶が消されているけど 宇宙人でも消せない記憶が僕には残っていた これは宇宙人の誤算であったのか わざとそうしたのかはわからないが またほとんど記憶が消されてしまったが 銀色の宇宙人がいて自分が手術台みたいなところに 横になっている記憶が一瞬だが残っている そして真っ暗な世界を覚えている 真っ暗と言っても紺色に近い黒だ どのタイミングでどこから見たのかわからないが 僕はそれが宇宙だと今でも思っているんだ それからは一度としてUFOも宇宙人も 見ることはなくなった 僕のサンプルとして役割は終わったのか その遭遇で僕が変わったことは いつもビクビクと怖がりであったが 自分のどこかに開き直りというか どうにもならない絶対があって 諦めることを教わった気がする ビビリ屋ではなくなった それと、自分の中にある世界は宇宙まで 広がったことは間違いなさそうだ
昨日の雪は嘘で 今朝の日差しはリアル 僕は上手に歩るこうとして 躓きそうな段差を気にすれば すれ違う肩が触れ睨まれる 少し時間がある 緊張とプレッシャー コーヒーで挑みと逃避 僕を許しながら 少なくなる黒 休日の夢を回想しては 学校へ行きたくない子ども 何も変わっていない 大きくなった子どもは 爺さんになっても変わらないのだろう 誤魔化しきれない 自分と社会を笑ってしまおう ユーモアの力を借りながら 子どもとおとなに付き合いながら ぼちぼち歩き出そう
余分を引きずり 余計を垂らし 雪が斜めを滑る いるもの いらないもの 整理がつかぬまま 何処へ 嫌な自分が膨らんで 僕の想像はあなたの想像 抜けられない 複雑を飲み込んでしまい 消化されず歌っている 耳障りな声は 踏み込まれていない 雪を汚すように僕は今日も歩く
いってらっしゃい 自動販売機から声を掛けられ 缶コーヒーを握り いってきます、と歩き出す 冷たい風が頬を撫でると 今日の新鮮が少し気分を乗せる 身を流れに任せたゆっくりとした変化 襟を立てれば遠くの景色が見えてくる なんでもない朝なのに 過去の時間たちがふと感じさせる ああ、生きているんだな 辛かったこと 悲しかったこと 嬉しかったこと 幸せだっとこと 僕という袋に埋められたものたち その少し重たくなった中身を抱えながら いつものように駅へ向かう ああ、生きているんだな 確かに今、生きているんだな
時間は過ぎてしまうばかりではない 突然、懐かしい声が聞こえる 電話口の向こうでは歳をとらないかのように 三十数年前の仲間が「同窓会をしよう」 と、その声は若く自然に私も時間を遡る バスケットボールに汗を流していた中学時代 冴えるプレーをしていた訳ではないが そこに青春らしきものを見たりする 仮入部で部活動に参加する 二時間程、膝に手をあて構えの姿勢 ナイシューとか声を出し ボールなんて触らしてくれない この知らない世界におどおどしていた 気が付けば五十人程いた仮入部員が七人に 先輩に扱かれ辞めたら楽になれる 毎日のように退部を考える けれど「辞めます」の一言が出なかった 先輩の休憩中に やっとシュート練習が出来るようになる ろくに教えてくれないのに コートへ戻る先輩にフォームが悪いと怒られる 理不尽ばかりのきつい日々なのに よく耐えてバスケットバールをしていた その持続には仲間なしでは語れない なぜこんなに自分は頑張っているのだろう 肩で息をする仲間の姿を見れば その理由などある訳でもなく ただひとりではないという連帯感だけだった 初めて自分が追い詰められた世界 そこにはその先の様々な困難へ立ち向かう 自信を養う時間があったに違いない 何十年経とうが輝きを放つ時代 電話一本あれば時間は遡ってしまう そんな仲間がいるという誇りは 消えることなく微笑むことができる
拝啓 雨ふりの布団から どうも体は疲れ果て、トイレへ行くのも億劫なくらい。今週もお仕事をしっかりこなした感で、今は雨に癒され。外では車が水たまりを弾く。その音はエアーキャップを潰しているようにストレスをそれなりに逃してくれる。ああ、私の時間がここに。だらだらするのは最高の至福の時、待ちに待った気の使わない恋人に会うような気持ちだ。静かに楽しげ。 救急車のサイレンが遠くで聞こえている。まさか、私を迎えにきているわけではない。音は少しづつ小さくなって、消えてゆく。今、苦しむひとがいると思うとその順番はいずれ私にもまわって来るのだろう未来、なぜ苦痛が人生に伴う場面があるのだろう、そんなことを考えてしまう。死にたいと思うほど今は疲れていないけれど、最近は眠りから覚めないのも悪くないか、ふと思うことがある。季節だろうか、年齢からくる黄昏的な心情だろうか、生きる気力を奪っているのは。 私の唯一の贅沢は、低反発の敷き布団と枕である。頚椎を痛め、これらがないと眠りから覚めた時に体は棒のようにコチコチになってしまう。この重力を上手く吸収してくれる恩恵をありがたく頂戴している。横になっているということは、私にとっては頚椎の負担を減らしてくれる特別な行為。手や顔面の痺れを少し誤魔化してくれる、再生への姑息な安らぎとなっている。 しかし、もうトイレを我慢できないほどになっている。さあ、立ち上がろう。私の立ち上がる行為は、たぶんお爺さんの感覚に近いのだろう。勢いのない萎びた起立だ。世間では、まだ働き盛りの年齢ではあるが、やけに草臥れている。トイレを済ましたら、また布団の中で雨音を楽しもう。今、雨に元気をもらうように時が流れている。 では、吐露ってしまったが、これにて失礼。 敬具
秋の後ろ側に立ち 乾き切った能動 枯葉は音を響かせ転がり 静けさに包まれていたことを知る 風は 私のどこから入って どこへ出て行くのだろう そして 澄んだ青に癒されている 肌は敏感に 耳は好感に 目は鮮明に 頭は哲学に 心は平静に 足は停留し 修復を繰り返し 冬の入り口が 扉を開けて待っている 冷気が凍る前に 反対側の季節分まで 私は自分の果実を頬張っている