希望が丸く抜け落ち あてなき今宵に流されてゆく 日出ずる国の明日を 夜に消される三日月がぽかりと待つ テレビでは国旗を掲げて スポーツ選手が希望を赤く染め 騒ぎ始める血を感じ 頓挫した作業に日を昇らせ始める
もうすでに空き部屋となった 親父の仕事部屋に入る なんだか懐かしい匂いがする 手ぬぐいを頭に巻き 中指にはパチンコ玉のようなペンダコ 窓の断面図は機密な迷路 煙草とインスタントコーヒー ショートスリーパーだった親父は 朝五時から夜の九時まで図面を睨む 五十五年間ずっと線を引き続け その長さは天国まで届くほどだろう 親父は戦時中にひとり疎開先へ行き 食べ盛りは芋しか口にできず 小柄な身体で喧嘩ばかりの日々だったらしい 強くなければ生きられない そんな時代を送った親父が怒ると 子どもだった私は怖くて仕方なかった 遊んで欲しいとは一度も言えなかった そして私は十八歳で家を出た それから十年が経ち 実家へ帰ると公園で孫と遊ぶ親父の姿があった このひとが私の親父なのだろうかと そう思える光景だった 仕事の合間に子どもと遊ぶひとではなかった その当時の親父は家族のために 仕事一本の鬼となり必死だったのだろう 私も親になりその執着を理解しようとした 否定から肯定し始める親父の姿が公園にあった そして親父が他界し五年が経った 二十三歳になる息子が私に言う 爺ちゃんから最後に貰った一万円札が 使えなくてまだ財布に入っているよ 私はタバコの煙で黄ばんだ 仕事部屋の壁を見つめながら 顔を綻ばせて親父へありがとうと言った
車窓から 風はちっとも見えません 僕が揺れているだけです いつもの景色を いつもと違ってしっかり 感じていたいのです 鬼ごっこで逃げ切り 今はほっとしているところです 揺れる時間は僕を帰して ただいま僕
庭を掘っていたら タイムカプセルが出てきた ぼくは大きくなったら しをかいて生きていきたい 何を考えているのか 現実を見なさい と言われても 詩を書き続けるタフさは掘り当てた 私のゴールドラッシュ(突進) 人生で曲げれないモノをひとつ手にして 言葉を掘りまくるのさ
新宿駅のホームで電車を待っている 周りを見渡しても 顔がわからないくらい遠くに ひとが数名いるだけ あのストレスがぶつかる ひとの群れはどこへ行ったんだ この閑散とした音のない世界に口を開け 廃れてしまった日本を 懐かしい気持ちで受け入れようとしている 一向に電車は来ない しかもどこへ行こうとしているのかも 自分が分かっていない 不思議な吹かない風を感じている この先をどうすればいいか 考えることを考えているのにも疲れ 退屈な気分は終わりを告げようとした 朝日が目をくすぐっていた
彼女は玉の輿よね ひとは比べるの好きだよね 経済力がないなら ないなりに楽しめばいい そんなに生きていくことは 甘くないというひとがいるけれど ほら古今亭志ん生が言っていた 貧乏はするもんじゃなく 味わうもんだ それなあ〜
さしのべた長い朝日に 窓を開けると 冷たい空気が心地よい こんな一月の空に僕の身体は のぼって行くように軽くなって 猫もひょいとベランダの手すりに そしてカシャとハイポーズ 青い空の開放感 温かな朝日のハグを感じながら 詩なんて書いている ああ俺は今朝も幸せ野郎だ
詩作品の推敲にて、言葉の使い方を修正する作業がなかなか難しい。何が難しいか、というとまず一字一字と文字をきちんと見ること。これがなかなか普段はしないことで、文字を読むのにだいたいのイメージで流し見をしているからだ。 一文で助詞がダブり異なる主語が複数あったり、「てにをは」がおかしくなっていないか、「の」「と」が多くて諄くなっていないか、語尾の文字がマンネリしてリズムが悪くないか、などなど全体の構成からも見ていかなければならない。 それに誤字、勘違い文字。ずっと意味を勘違いして使ってきた言葉も意外とあって、そんな致命傷に気が付かないこともある。もしかして、という感覚を持って辞書で言葉を調べるという初心は忘れてはいけない。 そして、できれば誰かに読んでもらい、チェックが入ればそれに越したことはない。自分の作品には甘くなってしまうから、他者の目があれば力強い。 作品を発表したのちに直しきれていない文字を見つけても、しまったと思わず、あれだけ推敲してのことだからしょうがない、と受け入れるくらい作業をしていることが重要である。誰でも間違い、勘違い、矛盾はあり完璧ではないのだから。 悔やまず受け入れられるくらい推敲をする。
お月さん そんなにでかい顔して ほっぺが紅くて 一杯やっているのかい じゃあ俺も今宵は付き合うよ どうだい最近はお月さん えっ 地球の色が気になるって 昔はきれいな色だったって なんだか酔いのさめる話だね…… おーい お月さん もうそんな高いところで 小さくなって寝ているんかい