<教育勅語>
Aug
4
著 者~ 矢作 直樹 (やはぎ なおき)さん・・ 東京大学大学院教授 (臨床医)
<育勅語の本当の意味を再認識する>
人格教育という分野で今、私がもっとも必要だと思うこと。
それは<教育勅語>です。
教育勅語とは、明治天皇が維新後の極端な西洋偏重教育の進展を憂慮され、日本に道徳を普及させることが必須であるとお感じになったことで<勅書>としてお下しになったものです。
そこに戦後おかしな洗脳がかけられました。
<教育勅語など言語道断、あんなものは捨てるに限る>
そんな主張が戦後から今に至るまで、日教組をはじめとする教職員組合が操作する教育現場でまかり通っています。
戦後間もなく小学校に入学した小生は、父親から <教育勅語や歴代天皇>などを教えられてきました。
<道徳教育(修身)~教育勅語>の言葉に反感があったのでしょうが??現在読み返してみても大変立派な教えです。
文語体に変えた<教育勅語>
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や,秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
明治23年10月30日
御名 (ぎょめい) 御璽 (ぎょじ)・・
<タイトル>を変えて是非復活してほしいと願ってています。