小生の実家は阿佐ヶ谷駅至近の川端通り・台風時は当然で、少しの雨でも上流からの雨水で床下(20cm)浸水・ 原因は100m西側の釣り堀の場所から細い水路が・駅前広場を通り抜け一番街の外れまでの1km以上が細い暗渠だった影響で・のみきれない雨水があふれた。 そのたびに、釣り堀の魚も逃げ出してきた。 昭和30年代後半に下水道が整備されてからは越水の記憶はない。 思い返してみると・・古くは暗渠部分が水路で・川の端から<川端通り>になったのではないだろうか? 戦後・工場を閉鎖した両親が小さな惣菜店<川端屋>を営業していた。