明治期に財を成したS邸は繁華街に居を
構えていたが、都市化の波に飲み込まれ
駐車場ビルに変身
邸宅が取り壊される計画から、一部迎賓
の離れが市に寄贈された
現在は都心の公園一角に保存活用されている
座敷の床の間に「古時計」(江戸時代)が
展示されていた
土曜日「勝手に言いたい放題」
『蔕翁雑話』(TAIOH ZATUWA)
2011/06/18 第101回
『大阪府の橋下徹知事は18日、海江田経産相の発言に「時期尚早だ。海江田経産相や経産省のみなさんが原発の周辺に住めばよい」と批判。「福島第1原発事故を収拾できていない政府が、安全を言うのはどういう思考回路なのか」と述べた。』この記事を拝見し、これまで原発設置を積極的に推進してきた歴代の自民党諸君と官僚の諸氏、象牙の塔の碩学、財界の雄,全てに責任を取って貰うのが先決でしょう。彼らに一族郎党福島原発周辺に居を移し、そこでの生活拠点を強制する。法治国家ですが、今回はこの超法規措置が妥当と考えます。
夜明けと同時に、行動開始
まずは腹ごしらえから
タイヤの上に板をテーブルに
カロリーメイツ
マッシュポテト+ふりかけ
コーヒー
6/14にアップした大野亀に夕陽がかかり
日暮れを迎えました
暗くなる前に、テントを張り夕食を食べます
人気のない場所が見つかり、今晩の一宿を
過ごします
佐渡、大野亀の麓には「トビシマカンゾウ」が
数十万本群生しています
この花は山形「飛島」と「佐渡」で自然植生
の花だそうです
「ニッコウキスゲ」も有名ですが、それより
大型です
この外、岩ゆりの橙赤の花も見受けられます
オーストラリアのエアーズロックには
遠く及ばないまでも、存在感のある岩山
海から屹立する姿はいつ見ても雄大
です
岩山の左端は海面です
現在は「トビシマカンゾウ」が群生して咲いて
見事な風景を眺めることが出来ます
昨日、アップしたコンロのセット
ナベの中にコンロ
燃料タンク(ホワイトガソリン)
風防(アルミ製)
屋外での用意は風がクセモノ
食料を持っても、それを煮炊きする
道具がないと枯れ木を集め、火起し
から用意をしなければならない
毎日、移動を繰り返す旅では出来ない
そこで、携帯用のコンロ(ストーブ)が
必携である
ある登山を実行し、頂上に到達
これから、数日縦断を目差したが、
コンロの着火が出来ず、止む無く下山
帰宅
出かける前の試験をしなかった結末である
今回は着火試験に合格
燃料はホワイトガソリン。小さなタンクで
多分持つであろう
コンロ・ナベ、シェラカップ以外は
ポンチョ
テントシート
保温エマージェンシーシート
レイン用オーバーズボン
アウトドアと言うジャンルがあるが、これは
都会生活を送る人間の生み出した言葉で、日
常生活自体が日々是Outdoorは当たり前の事
です
農作業、漁業、船舶輸送などでは
150年ほど前の旅を調べると、宿には泊まる
事もあるが、野宿や神社・仏閣の軒下での
宿泊は当たり前であった
勿論、旅は歩くまたは馬、牛の背で。
そして舟運を利用して
今日のOutdoorは3K/5K/10Kの世界を
楽しみと感じないと続かない
K-痒い(虫刺され)
K-臭い(風呂無し)
K-暗い(電気無し)
K-きつい(徒歩により上り下り)
K-黒い(紫外線)
K-工夫
etc.
一週間分の食料
土曜日「勝手に言いたい放題」
『蔕翁雑話』(TAIOH ZATUWA)
2011/06/11 第100回
週刊東洋経済に原子力発電特集が組まれていました。その中に全国の原発立地地域の避難人員予測と直接影響を被る主要企業名が載っています。これを見ていると、現在の「福島原発」では避難被災者は少ないほうでした。他の原発で同じような事故が発生すると避難民の数はとてつもないものになります。未だに、原発交付金の甘い蜜の味が忘れられなく、再開派が堂々と意見を述べています。事故が起きたらこの人々はどうやって責任を取れるのでしょうか。この国家は色んな分野で無責任国家の感を受けます。
2007/06に出かけて以来、お休みをしていた
平地トレッキングに挑戦する
「地球と財布に出来るだけ負荷をかけない
遊び」を標榜してこれまで、数度行って
きた
こんな馬鹿げた事を実行する人間は少ない
であろう
しかし、USAのアパラチアン山脈のトレッ
キングは2000K以上を途中で食料などの
補給はしながら、歩き通す人がいる
「スルー」の称号が与えられて、賞賛
される
これまでも、数回「宿」「食堂・レス
トラン」無し。勿論、コンビニなどへの
立ち寄り無しで歩き通した
このザック一つで、水さえ確保すれば
一週間は大丈夫に詰め込んである
本来ならば、四国八十八ケ寺をスルー
したいのだが、四国へ到達するには
距離と大枚がネックである
道路拡幅の用地買収にかかり、取り壊しの
運命となった、昭和初期の某銀行支店の
建築物
以前、同時期に建てられた県庁の建築物は
取り壊され、その跡地には醜悪な市役所が
建てられました
昭和初期には、現在の化成品や合板、石膏
ボードなどは無く、仕事も手仕事が殆ど
でした
むざむざと、価値の分からない人間には
古いものは切り捨て、新しい箱物が業界に
利益を与え、町の風情が消えることまで
頭が回らないようです
幸い、この建築物が残されて、ラッキー
でした
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