扨々、本題の「シーボルトは、なぜ、“お滝さん” を “オタクサ”と書いたのか?それも“otaksa”
シーボルトは、出島で楠本滝を妻としていた(経緯・仔細は略)。
シーボルトは、1823年11月15日付けで、故郷ドイツのヴュルツブルク Würzburg にいる母方の小父(おじ)、
フランツ・ヨーゼフ・ロッツ Franz Joseph Lotz に滝と暮らし始めたことを手紙で報告している。
"Auch habe ich mich der alten holländischen Sitte unterworfen
und mich pro tempore mit einer liebenswürdigen 16-jährigen Japanesin verbunden,
die ich nicht wohl mit einer Europäerin vertausche."
(わたしは、オランダ人の昔き習慣に従い、一時的に(pro tempore)、
愛らしい16歳の日本の娘と結婚し (verbinden) ました。
ヨーロッパの娘をこの娘の代わりにするなど考えられません。)
此の文面は、当時の出島での規律に照らすと思う所多々ありますが。。。
・・・ケーキ好き・ツールファンには、溜まらない!!
A.ルコントと云えば今一つ、思い出のケーキがある。
Eufs à la neige souce anglaise (ウフ・ア・ラ・ネージュ、ソースアングレーズ)。
A.ルコントさんは、伝統的な菓子職人。ムッシュ・ルコントと言える風貌だった。
僕の好きだった、2つのケーキ・・・
Eufs à la neige souce anglaise(ウフ・ア・ラ・ネージュ、ソースアングレーズ)
Paris Brest(パリブレスト)
六本木の小さなお店の2階・サロン・ド・テでの会話を思い出す。
パンも素晴らしかった。特にA.ルコントのクロワッサンは、絶品だった。
日本国内で、あれを超えるものを食した事がない。
昭和は、遠くなりにけり・・・だ!!