春ですねぇ!!

東名高速道路脇に広がる、市民農園。
等間隔に植栽されてる樹々。まだ若木だが実の収穫が目的か?
一石二鳥!!
咲き誇っている花心に小さな虫が、食物連鎖^^)。
地より直に咲いてる様に見えた。
散っても瀟洒。
日本・関東の固有原種、おなじみの可愛い姿。健気・元気!!
とっても小さい花。近寄って見るとほほえんでいるように見えた。
常緑樹の中に白く咲き誇っている花枝が見える。
苗木を植裁する時、想像だにしなかったことだろう^^)。
妙美・・・!
20メートルもあろうとする大木。
此の周辺が、かつては里山自然樹林帯であったことを思わせてくれる生き証人(樹)。
都市林・公園は、防災林・保養林として大切に、今以上により良く形成させることを切に希したい。

春到来。だが、東北青森と神奈川県では温度差20度以上もある。
早朝の青森から神奈川に戻ってみると一気に“暑い”って感じた。
1週間で2往復!?!おまけにあちこち寄って。。。
若くないんだァ・・・!って感じるのは左膝・右肩が。。。!?!
若いころ痛めた所が痛みやすい。ケアーを心がけないと。
戻ってきて、リハビリ散歩?^^)。
白・黄色と、一気に花が咲きはじめていた。
(3月9日)


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あれから2年、時の流れは早い!?!

画像1;公共施設の解体が進んだ陸前高田市内(東海新報社提供)
津波はコンクリートの壁を破って、陸へ押し寄せた=2011年3月11日、岩手県大船渡市三陸町(東海新報社提供)
宮城県岩沼市の計画。
三陸海岸線に予想だもしない大災害をもたらした東北大震災、早い、あの日から明日で2年。
拙宅ある神奈川県も地震には怯える地域。だが何となく他人ごとのような感じでの生活環だ。

被災地の全体像が見えない。それ程に広範囲で被災している。膨大な義援金が集まったと聞き及んでいるが、その全体像・・使途もよくわからない。
できることは何か?? 小さな我々仲間では・・個々の知り合いだけしか応援できない。それでも必死な被災過疎地の人々を思うと如何ともし難い。

改めて、被災地の現状を・・・甚大な被害、未だ進まない復興現場の凄惨さをリィポートしている記者の記事を紹介したい。


【忘れない、立ち止まらない】内外に広がる風化 「震災の恐怖」が「薄れていく恐怖」に
上記の表題で被災地;岩手県大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社の記者、鈴木英里(すずき・えり)氏の叫び。

            *   *   *   *   *   *

 「復興も進んで、だいぶ落ち着いたようですね」

 こうねぎらわれるたび、思わず言葉に詰まる。こちらが曖昧な笑みを返すだけなのを見て、相手もいぶかしく思うらしい。気まずい思いをさせて恐縮なのだが、なんと答えたら分かってもらえるだろうと考えを巡らせるうちに、つい絶句してしまうのだ。

 東日本大震災発生から、まもなく丸2年を迎える。

 カーテンを体に巻きつけ、寒さをしのいだ3月。消えた家族を捜し、徒歩で遺体安置所を回る毎日。足の踏み場なくうごめく蛆(うじ)、そして蜂ほどもある蠅の大群におびえる夏-そうした日々は確かに過ぎた。

 仮設住宅への入居で一段落、町にあふれた報道陣やボランティアも大半が去り、住民も落ち着きを取り戻したかのように見えるだろう。

 だが決して、被災前の暮らしが戻ったわけではない。むしろ、以前にも増して“失い続けている”と言っていい。

 陸前高田市では被災した公共施設の解体が始まり、昨秋から建物との「お別れ式」が相次いだ。がれきが片付けられ、初めから何もなかったと言わんばかりに広がる更地。ひとつ、またひとつと“町の記憶”が失われていく(画像1)。

 以前を知らない人にどれほど言葉を尽くしても、もはや「そこに町があった」と想像することはできまい。空恐ろしいのは、視界から消えた途端、そこで暮らしていた者さえ、どこに何が建っていたのか定かでなくなってしまうことだ。

 内にも外にも広がる風化。「震災の恐怖」が、「薄れていく恐怖」。このまま忘れ去られるばかりなのかと、住民は焦燥感を募らせる。

 さらに、だだっ広い浸水域を目にし、改めて「ここへ住むことまかりならぬ」という現実を突き付けられる。高台移転の実現は何年先になるのか、具体的なスケジュールはまだほとんど示されていない。見通しのきかぬ濃い霧中へほうり出されたような歯がゆさは諦念に変わり、「もうずっと仮設でいい」という声が、高齢者のみならず若い世代からも聞こえ始めた。

 これまで無我夢中で走ってきた人たちが、ふとわれに返り「まだこれしか進んでいないのか」と立ち止まってしまうと危険だ。下手をすれば、そこから先に進む気力を保てなくなってしまうからだ。

 この2年、闇の中から必死にはい上がってきたものの、多くの人は心身ともに、いつまた転げ落ちるか分からないギリギリのバランス上にある。被災地ではあの日から何も“終わって”などいない。それどころかまだ“始まって”すらいないのだ。


   【忘れない、立ち止まらない】「防潮堤」で気付かされた自然へのおごり(画像2)

「12・5メートルにするって、いつ、どう決まったんだ」「そんなもの本当に意味あんのか」。

 陸前高田市の防潮堤づくりに関する行政や議会とのやりとりのなか、市民はしばしばいらだちを滲ませた。

 4階建てビルに相当するコンクリートの壁が、海沿いに延々と続く…。想像するのも難しい非日常的光景であると同時に、それだけの高さ・規模と聞いて、まず住民が思い浮かべたのは、釜石市の全長2キロにわたる防波堤ではなかったろうか。

 「世界最新」のギネス記録を誇り、30年の歳月をかけて2009年に完成したこの“海の砦(とりで)”は、東日本大震災の大津波で崩壊。総工費1200億円が一瞬で水泡に帰した。

 津波を6分間遅らせる効果があったとも分析されているから、全く無意味だったとはいえない。だが。

 「人の造るものには限界がある」-。それがこの津波を経験した人に等しく宿る思いだろう。

 こうしたなか、「森で防潮堤を築こう」というプロジェクトが注目されている。埋め立てたがれきの上に盛り土して常緑広葉樹を植え、堤防を“育てる”-。横浜国立大の宮脇昭名誉教授が提唱するこの方法は、岩手の大槌町、宮城の岩沼市などで実現を目指すところだ(画像3)。

 10~15年かけて地中深く根を張った木々は、押し波に耐えるだけでなく、引き波で人や物が流出するのを防ぐ。実際、カシやタブノキの木立がこの津波にビクともせず立ち、何十台もの車をせき止めている光景は圧巻だった。

 発災後まだ半年のころ、京都の高僧と陸前高田で出会った。その僧が「人間の傲慢さに、自然が警鐘を鳴らしたのだろう」と口にした。「罰があたったのだ」。言外にその意を感じ取り、「なぜその罰を、東北がかぶらねばならなかったのですか」と叫びそうになるのをようやくこらえた。傷口に塩を塗るような、あまりに心ない物言いに思えてならなかった。

 だが今なら理解できる。人は自然のもとに、謙虚であらねばならないのだと。征してやろうなどというおごりは捨て、その力を借り、共存を探る姿勢が必要なのだ。

 大船渡、陸前高田の両市で、いまだ300人の行方が分からない。毎月一斉捜索が行われているが、この1年数カ月で見つかったのは「人骨がたった2片だけ」という事実を前に、森の防潮堤構想に携わる陸前高田出身の男性が思いを吐露した。

 「鎮守の森があれば、人が海へ“持っていかれる”のを防げたかもしれないのに」…。

 戻らない家族を、仲間を待ち続ける人たちの無念さを、置き去りにしてはならない。



※横浜国立大の宮脇昭名誉教授は、日本で「自然保護」という言葉・定義を定着させた方。自然を生かした町づくりを、40年も前から提唱されている。※
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お花見 2^^).

やまうぐいすかぐら(山鶯神楽)1
コブシの花
マンリョウの実
ユキヤナギ
サルスベリの枯れ実殻
モミジイチゴ1
モミジイチゴ2
帰宅したら庭の乙女椿?がまだ咲いていた。。。!

里山の樹々にも花が咲き誇っていた。
何とも瀟洒。




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花に想う!?!

シナマンサク(支那満作)  学 名 Hamamelis mollis D. Oliver
マンサク科 Hamamelidaceae

落葉小高木。葉には軟毛があり1~3月、香りのよい黄金色の花をつける。マンサク類では1番花が大きい。 日本に自生する マンサクより花の咲く時期が早い。
チョウセンレンギョウ(朝鮮連翹)  学名:Forsythia koreana
被子植物門双子葉植物綱シソ目モクセイ科レンギョウ属
原産地、朝鮮半島で、耐寒性落葉低木。
特徴は、葉が出る前に枝から直接、花を咲かせることや、葉縁全面に鋸歯がある。
ソシンロウバイ
ロウバイ科 ロウバイ属 落葉低木
 中国原産で高さ2~5mになる。
樹皮は小さな皮目が縦に断続的に並び、葉は対生し長さ7~15cm、幅4~6cmの卵形または長楕円形で先端はとがり全縁。
花は1~2月に芳香のある黄色の花が咲く。花は直径約2cm、花被片は多数らせん状。


昨今、所要で行き来している近くに立派な植物園がある。
行く度に訪れている。先週も楽しみに訪れてみた。

此のところ、近隣諸国との関係が???
「支那」「朝鮮」それを冠にした花名が多々ある。
花の少ない野山にあって植物園は、さすがに華々しい!?!
「シナマンサク(支那満作)」(画像1)、
「チョウセンレンギョウ(朝鮮連翹)」(画像2)
「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」(画像3)等々に出会えた。

ソシンロウバイ原産国・中国は「素心」を尊ぶ(園芸種として)。
そんな素心蝋梅を中国・四川省北部で見たことがあった(二十年も昔)。
野生種の蝋梅は、内側の花被片が短く暗赤紫色。
この暗赤紫色が抜けて花全体が黄色一色になる花を素心蝋梅と呼ぶ。
素心とは混ざりけのないことを意味するとか。
中国では素心を尊ぶ、ランにしても同様。

「支那」「朝鮮」と冠を戴く国々の知人達、皆、温厚だ。
「素心」「清楚」「簡素」・・「支那」「朝鮮」の奥深い「木の文化」。
それら同様に「和の文化」も含め思うと、文明優先社会が、、、今。
「文化」はどこへいってしまった???等と。。。
激昂・激情的姿の報道を見ると・・どこか・・作為てきに映る。

頭を冷やせ・・・って、「隕石は」気が付かせてくれた!?!
色々な事あるなぁ~~~~!

「咲くも無心、散るも無心。花は嘆かず、今を生きる」
花々より色々と教えてもらっている。。。



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雪ニモマケズ、風ニモマケズ、、、!

(画像1。)
(画像2.)
(画像3.)


雪ニモマケズ、風ニモマケズ、控えめに魅せる「花達」
先日、首都圏に大混乱をもたらした降雪。
見た目には美しいのだが、、、!って、再度今週末に降雪か??

先日の降雪の翌朝、路面は凍てつき、歩くより良いかって!?!
自転車に乗り近所まで出かけた(脚の鍛錬)。
気をつけていたのだが、左折する所でスッテンコロリ。
厚着??で助かった。それと早朝だったので車も人もいなくてよかった。
目的地のボロ小屋の雪下ろしをしたあと、先の里山方面に歩いてみると・・・!!
陽が当たっている路傍に鮮やかなコバルトブルー色が見えた!!(画像1)
葉っぱに隠れていたがきらりと光って見えた。

綺麗な色合い、ガラス球の様に輝いていた。
じゃのひげ(蛇の髭)、ユリ科の植物の実。
細い髭のような葉に隠れて居る。
そっとかき分けて撮らせてもらった《別名(リュウノヒゲ)》。

まだ1月、関東での降雪は、2~3月に多い。
そんななかでも今、戸外で活き活きと咲いている花が見える(画像2)。
はな菜(菜の花)。花を雪が守っているようだった。
画像の様に咲いてしまうと食用にはならないが、蕾の頃が食べごろ。
食材・野菜でもある。

公園によってみると残雪はあったが・・植物も芽ぶいていた。
ねこやなぎ《狗尾柳(えのころやなぎ)》の花芽も魅せてくれて..。
残雪の中でみるとなんとも言えない。
ゆきのようでもあり・・春を感じさせてもくれた。



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叛逆のろれつ2013_1




「反観合一」  日常の生活の中でも心してる感覚。
物事、対極からすり寄って眺めてみると自分の落ち着き処が見えてくる。

「歴史・文化」、生活環境のなかに二つの言葉を当てはめてみると
「古都」に代表されるように歴史的環境・世界遺産をも連想させる。
日本の「三古都(首都)、奈良・京都・鎌倉」
その中で最も形骸化されてしまった感ある鎌倉!?!
もう死語的だが「戦後の経済成長」「首都郊外の生活地」
この二つの言葉・背景に見る鎌倉は、単なる高級住宅地に成り下がり??
と同時に単なる観光地で、今や古都と呼べる環境ではない(古都的観光地?)。

中世以来の「木の文化」、自然要塞と思える自然環境(樹木中心に)!!!
「古都保存法」(通称)、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法、
その原点は、鎌倉である(昭和41・1966年施行)。
しかし、鎌倉の環境(旧市街地)は、点在する社寺と数件ある近代の建造物。
歴史遺産に登録したい、とされる「武家の古都・鎌倉」の歴史的環境が整備されてるとは言いがたい。
古都法が施行されるきっかけになった、御谷保全運動以来、行政対応や保全変遷に疑義を持つ。

鎌倉の目の前に広がる相模湾、世界稀有の海洋生物の宝庫といわれる。
自然環境をも視野に入れ複合(自然・文化)遺産を模索すべきであったろう??
往古より日本各地で脈々と継承されてきた、木の文化。
而して自然を上手に使ってこそが、日本の環境保全の特徴でもある。
鎌倉には、通称!?!「鎌倉彫」と呼ばれる木工技術・木工芸が継承されている。
世界遺産登録も良いが、鎌倉独自の文化を纏め、
中世以来の鎌倉文化・歴史的風土を再考、歴史的文化都市の確立を望みたい。
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干支・・えぇーっと!?!

お正月以来・・・部屋にいることが多くて、久しぶりにTVを見る機会がいっぱいあった。

今年の干支は・・「巳」年(みどし)、と呼びたいのだが・・・???
テレビでは、「へびどし」と、申し合わせたように言っていた。

やっぱり・・・「みどし」のほうがよいと思うが・・・!?!
これって偏見。。。?
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他力の恩恵。

おもいっきり動けない。
こんなとき、日頃の無精を通関する。
整理しようと過去のデータを見ていたら下記の記事があった。

             ************
オンライン生物図鑑作成プロジェクト,今後10年で動植物180万種を掲載
2007/05/10・・ITpro・・;

 インターネット・ベースの生物図鑑「Encyclopedia of Life」を作成するプロジェクトが立ち上げられた。同プロジェクトに出資する米John D. and Catherine T. MacArthur Foundationが米国時間5月9日に明らかにしたもの。今後10年をかけて、動物や植物など、地球上の既知の生物全180万種を掲載する計画である。

 同プロジェクトの執行ディレクタに任命されたJames Edwards博士は、「いつでもどこでも、誰もが環境保護と生物多様性に関する情報にアクセスし、生物の計りしれない多様性とその課題、そして保全方法について理解を高めることができる」と述べる。「たいへんよく整理された、かつてないほど高品質な情報が利用可能になる」(同氏)。

 Encyclopedia of Lifeは同プロジェクトのWebサイトで無償公開する。テキストのほか、画像や映像、音声、地図なども組み合わせる。世界中の専門家が協力し、wiki方式で編集する。当初は動物、植物、菌類に取りかかり、微生物まで手がける可能があるという。

 フィールド博物館、ハーバード大学、ウッズホール海洋生物学研究所、スミソニアン協会、ミズーリ植物園、米英の博物館や研究機関からなるコンソーシアムBiodiversity Heritage Library、アメリカ自然史博物館、英国王立植物園などが参加する。John D. and Catherine T. MacArthur Foundationが1000万ドル出資するほか、米Alfred P. Sloan Foundationが250万ドルを援助する。

 Encyclopedia of Lifeでは、現在デモ・ページを公開している。
  http://eol.org/

              ************

生物社会の自然淘汰は ”掟” かも知れないが、記録に残す地道な作業は並大抵ではない。

異分野だが、記録保存、そして活用・分析、意外と資金がいることを経験している。
その労力に対して評価は低い。

今の時代だからこそ整理は、効率よくできる。

だが、発想・・・庶民的文化の歴史・変遷、つまりは底辺からの積み重ねが欠落しているやに思う。
wahootasteさんが提示されているようなここ100年余り間の庶民から見る文化分析が必要と痛感する。

自然科学・・社会科学ともに砂上の楼閣的感覚がまかり通る!!
現代技術では、砂上にでも高層ビルは建つらしいが^^)。
動物社会では、誕生後・数日・数時間で歩く様になるが、
人間は、生誕後、歩けるまでにどれほどの時間を必要とするか。

この辺を肝に命じたい。「思慮」・・・とは??

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「笑う角(門)に福来る」

東海道の難所・箱根山の旧跡。今では正月恒例の大学駅伝の折り返し地点近くに位置する。画像1。
しばらくまえの東京・歌舞伎座前。画像2.
門松つくりの途中。画像3.
以前は、玄関の軒先には「ほぞ穴」があり提灯やしめ飾りを吊るせるようにしていた。画像4。


お正月の三が日も過ぎ、おとそ気分も一段落(一寸古いか?)!!
ブログルサーフィンをしてたら“同感”と思う投稿がめにはいった。
皆さんが首を傾げておられるように、僕自身も感じるところ大。
慣わし・伝統って長い年月を以って、完成されたもの。
お正月は日本古来からの「神様‥仏様」、伝統的神仏混淆催事の典型!?!
伝統・文化なのに余りにも形骸化され味も素っ気もなくなった様に映る?
暮れに松材を使わず樫の木を用い、継承してる箱根の門松を知った(画像1)。
日本各地に、様々な形態の「門松」があるらしい。
一般的な松飾りにしても使われ方が、実に煩雑に‥・・!
門松を門前に飾る家もすくなくなった。
子供の頃「お正月は、神様が地上におりてくる日。目印に門松を置く」と教わった。
松竹梅が慶事に用いられるようになったのが室町時代。
「門松」に松と竹が使われるのは、「松は千歳を契り、竹は万代を契る」によるとか。
依代(よりしろ=神の宿る場所)が永遠に続く事を願ってのことらしい。
子供の頃、庭師(植木屋さん)のおじいさんが、門松の竹を斜めに切るのは新しいやり方。
武家の門前には竹先を平にした、寸胴と呼ばれる形があってそれのほうが古い形(画像2)。
今作っているのは、「そぎ」と云う形だょ(画像3)と教えてもらった事を鮮明に覚えている。
“竹の先を切る時が難しいんだ。節のところを切って「笑口」にする”(画像3)。
だから「笑う角(門)には福来る」といわれるんだ、とも。
裏木戸には、枝振りのいい若松に、水引を蝶結びにして飾りつけ、輪飾りを添えた。
時代とともに環境の変化で簡略されるのはわかる。
が、使い方はやはり伝統的用い方に則り、子どもたちには伝えたい。
これが伝承・伝統ってものだろう、と思う。

「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」徒然草にもあるように。
こんなことも伝えたい歳になった。

個人のお宅でも軒にこんな飾り付けをしていた。
氏子に神社が配っていた。そんな風習全く見られなくなった(画像4)。
何とか・・・残したいものだ。
おせち料理は、母親・女性軍の腕の見せ所。
母から娘に伝えるものだったが。。。!?!
時代と共に変化してほしくない。




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2013年元旦。


癸巳 発歳を迎えお慶び申し上げます。

我が身を思えば新たな気持に切り替えたい。
今年への思いは、“ちょっと進歩・一寸向上”で行こう。
浮游しているようでも微動している。
而して光を発せられたら、と思う。

今年も宜しくお願いいたします。
---襍崋房人---






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