《襍・/・画  “ 夏景(12)”  ❖ ’23-91 ❖》

ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡) ヤマゴボウ科(Phytolaccaceae)
学名:Phytolacca americana L.
別名:アメリカヤマゴボウ
《  “身近な植物・・早くも実が!?!”  》
ヨウシュヤマゴボウ(洋種山牛蒡);
北米原産。明治初期に渡来し、空き地や道ばたなどに普通に見られる。
茎は太くて赤みを帯び、高さ1〜2mになる。全体的に無毛。根は有毒。
葉は互生で長さ10〜30cmの長楕円形で先はとがり全縁。葉柄は長さ1~4㎝。
花序には長い柄があり、果期には垂れ下がる。
花は白色で僅かに紅色を帯び直径5〜6mm。花弁がなく、花弁に見えるのは萼。
雄蕊10個。子房の心皮は10個。果実は扁球形、種子が10個入っている。
果汁は赤紫色でインクのように染まりやすく、英名はink berryという。
早いのか??今年はすでに果実がなり黒紫色になりつつある。

「令和伍年(皇紀2683年)8月31日、記」

 

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《襍・/・画  “ 私的・夏景(11)”  ❖ ’23-90 ❖》

南独ジークマリンゲン城。 
おじさん・おばさん達が、ポタリングしていた。
画像は、ドイツのローカル線。
車輛内部。
オーストリーの観光地としても有名なハルシュタット。
《  “ところ変われば!?!”  》
ヨーロッパでの自転車旅の思い出。鉄道に自転車を伴なっての旅。
自転車等の専用車両がある列車を使って楽しい旅を何回も経験した。
30年以上前からあって、輪行袋に入れることなく本体そのままを車内に!!
駅の構造自体が日本とは違がい、駅内まで自転車を楽に押していける構造。
1993年8月28日、南独テュービンゲンからジークマリンゲンまで自転車で。
我々仲間の年に一度の会合。新旧、若者から老人までが一堂に会する。
Sigmaringenは、古都と言った風情ある静かな地方都市。オーバードナウ沿い。
ドナウの少し上流にボイロンの修道院がある。素朴な田舎って感じのボイロン。
仲間の一部自転車好きが、ツーリングを楽しみに集まる会でもあった。
会の二日後、電車に自転車を乗せてオーストリーに向かった。
ミュンヘンからザルツブルクで乗り換え、アットナングプッフハイムへ。
そこで今一度、乗り換えハルシュタットまで行った。
ハルシュタットは昔から「塩の町」としても知られている所。
約7000年前に作られた岩塩坑があり、塩の交易が盛んで発展した。
ハプスブルク帝国もハルシュタットの塩を保護し活用していた。
岩塩坑を見に行ったが主目的だが、周辺のポタリングは最高だった。
ドイツ・スイス・オーストリーは、自転車散策の良き場所である。
想いでの夏をいくつも持てた!!
一般的には、この歳では隠居生活だろう。が、今年は現役的な活動の夏になった。
心身ともにリフレッシュしたような感じで暑さをけち飛ばしている。
半面のんびりと散策旅ができなくなった。なんともはや・・・である。 

「令和伍年(皇紀2683年)8月28日、記」

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《襍・/・画 “ 私的・夏景(10)”  ❖ ’23-89 ❖》

サギソウ(鷺草) ラン科(Orchidaceae)
学名; Pecteilis radiata (Thunb.) Raf.
 synonym Habenaria radiata (Thunb.) Spreng.
鷺草の仔細。
2014年に載せた画像。
《  “知人よりの贈り物 !!”  》
マンション計画が頓挫、安堵してHPも削除した。
でも一部つながりが持てた人々と交流を続ける。
ご縁があって各地の人と交流が持てていた。
そんな中のお一人、岡山の男性が鉢植えの鷺草を送って下さった。
我が家周辺では自生が見られないと話したら野生鷺草が届いた。
2005年の事・・今も健気に咲いてくれている。

サギソウ(鷺草);
花の形が白鷺の姿に似ることで命名された。
華奢なのに優雅そのもの。
送って頂いた翌年、咲いた日が、8月26日だった。
年々、開花時期が早まり今年は8月2日には開花していた。

「令和伍年(皇紀2683年)8月26日、記」

 

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《襍・/・画 “ '2002~3・夏景(9)”  ❖’23-88 ❖》

2003年に新江の島灯台が完成した。
画像は、新旧が写っている(2002/10)。

2006/9に閉店した JJ MONKS.(今は逗子で営業している)。
鎌倉の夜、最上の雰囲気を醸し出していたレストラン。
おしゃれな大人向け!!レストランだった。


人気のカレー屋さん。
本店は、ソフトクリームが絶品だった。
創業店主は元々は牛乳屋さん、だからソフトがうまい。
《  “旧成人年齢ほどの前の夏・海岸近く-b !!”  》
マンション計画が!!消え静かな谷戸に戻った。
この谷戸には、マルクス経済学者の大内兵衛師も住まわれていた。
稲村ケ崎には、面白いユニークな御仁もおられた。
団塊世代の男子なら知っているだろう”平凡パンチ”と言う若者向け雑誌。
この雑誌の生みの親であり初代編集長だった、”甘糟 章氏も稲村が崎の住人。
氏は、仏文学者でもあった。というより哲学者と言ったほうが良い。
哲学は、趣味といって憚らない哲人だった。楽しいお話を沢山お聞きした。
姥が谷の問題頃を境に生活環境が変わっていったと感じている。
2003年に江の島の灯台建て替えられたりもした。
感覚的に大人の遊び場から若者中心の場に変容し始めたのが2千年初頭。
サーフィンの聖地、稲村ケ崎から七里ガ浜。ヨットの聖地、江の島。
老若男女を問わずの遊び場!!だが、雰囲気的には若者的遊び場に映る。
数十年前の早朝海岸に女優の石田あゆみさんや藤竜也さんが散歩されていた。
そんなのんびりとした風情は、最近感じられない。やはり昭和は、遠く。。! 

「令和伍年(皇紀2683年)8月23日、記」
 

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《襍・/・画 “ '03-'23・夏景(8)” ❖’23-87 ❖》

2003/08/22鎌倉・稲村ケ崎
2003/08/22 17:16
夕暮れの浜辺は、輝いて。。。安堵した感があった。
地元の子達は、夕まず目の頃に散歩をよくする。
《  “旧成人年齢ほどの前の夏・海岸近く!?!”  》
二十一世紀に入った頃、斜頸地マンションの建設が首都圏で流行だした。
鎌倉市は、歴史的環境と古都法の傘で一応、緑地は守られていたが。。!
首都圏の生活地として人気もあり土地開発が徐々にだが広がっていく。
建築工法の進歩もあって鎌倉も再開発??に舵を切っていたようだ。
斜頸地の法整備も整っていないのに、地元崖地に強引な計画が出てきて驚いた。
稲村ケ崎海岸後ろに入り組む谷間(姥が谷)、その入り口にマンション計画が!!
この地は、西田幾多郎が住まい居た旧居もある静かな谷戸住宅地である。
住む環境としては良いが、土地環境破壊に陥るのは間違いなかった。
適格な論理構築で、開発は阻止できた。が、行政の地域計画が見えてこない。
鎌倉市全体が雑然とした観光地になりつつある。個人的には一寸、考えさせられる。
歴史的環境を意識する街づくりを再考、空想する日々だった。もう20年も前の事。
ブログルのMy-themeを緑・海気浴にした所以だ。
2003年8月22日、開発阻止が判った記念すべき日でもある。
この騒動に協力してくれた仲間、公私に渡り助けて頂いて感謝に堪えない。

「令和伍年(皇紀2683年)8月22日、記」
 

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《襍・/・画 “ '23・夏景(7)” ❖’23-85 ❖》

タイワンホトトギス(台湾杜鵑草)   ユリ科(Liliaceae)
学名:Tricyrtis formosana
《  “暑すぎる夏・自庭の今・・!?!”  》
しっかりと根付いた里紫陽花の脇に台湾杜鵑草が茎を出していた。
久し振りに朝、散水していたら一花タイワンホトトギスがみえた。
日本固有種のホトトギスとタイワンホトトギスの交雑種に見える。
茎先で枝分かれし、そこにやや小形の花が上向きにつく。
花弁は6枚で斜めに開き、花弁の色は淡紅色で赤紫色の斑点が入る。
花冠のつけ根の部分には黄色い斑紋がある。
外花弁のつけ根の部分には球状のふくらみが2つずつある。
葉は細長い楕円形で、互い違いに生える(互生)。
葉の縁にぎざぎざ(鋸歯)はなく、つけ根は茎を抱く。
環境省のレッドデータリスト(2007)では、
「ごく近い将来に絶滅の危険性が極めて高い種」
として絶滅危惧IA類(CR)に登録されている。
ここ神奈川県に自生してるわけもない。
何らかの要因で庭先に地植えされたのだろう??
年によって顔を出す場所が変わる(凡そ見当がつく)。
早朝のホトトギス、寝ぼけているように見える。

「令和伍年(皇紀2683年)8月21日、記」

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《襍・/・囈 “ 懐かしの高山植物(10)” ❖ ’23-84 ❖》

白馬山塊は、高山植物の宝庫。
杓子岳稜線もお花畑。


上の二枚は深山塩釜。
ミヤマシオガマ(深山塩釜) ハマウツボ科(Orobanchaceae)
学名:Pedicularis apodochila Maxim.
記念切手、高山植物シリーズのミヤマシオガマ。
《 “北アルプス初山行で見た花” ❖ '1964/07 ❖ 》

盛夏でも豊富な残雪があり、明るい稜線に礫地や草地の山肌という環境。
典型的な高山植物の生育場所が見られる白馬山周辺。
山麓には豪雪地帯に特有な日本固有種、「キヌガサソウ」も見られる。
種レベルだけでなく、属レベルでの固有種であることにも驚く。
豪雪地帯故か、緯度的には森林限界が低く、高山植物の生育環境面積が広い。
地質も変化に富み、白馬鑓ヶ岳付近の石灰岩地帯は、独特の環境である。
国内唯一と云える北極周辺のツンドラに生える小さな植物が何種も自生する。
一般登山道からは見られないのが残念。学生時代調査に同行して知った。
初登山初日、白馬の雪渓に疲れ植物など思う余裕がなく唯々小屋を目指した。
2日目のご来光に感激、縦走途の杓子岳斜面に見た深山塩釜が印象に濃い。
ミヤマシオガマ(深山塩釜);
高山の礫地や草地に生育する高さ10 - 20 cmの草本。 日本固有種。
根生葉は多数束になり,長い柄があり羽状に全裂,裂片も細かく深裂する。
葉の間から伸びた花茎の先に紅紫色の花を輪生状に多数つける。
花の上唇は丸みを帯びて,先端に小さな突起がある。下唇は三中裂している。 

「令和伍年(皇紀2683年)8月19日、記」

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《凡・/・声 ❝八月十五日❞ ❖’23-83 ❖》

サルスベリ(猿滑り)  ミソハギ科(Lythraceae)
学名:Lagerstroemia indica L.
別名:ヒャクジツコウ(百日紅)
真夏の暑いときに魅せる樹花。堪え難きを堪え!!

《呟記_戦禍・反省・・警鐘!?!》
『8月15日』、“終戦記念日”だが、“敗戦を考える日”であるまいか。
団塊世代人として次世代の人々・我が子達に何を伝え残したい。
戦後処理、日本が世界に向かって表明してきた史実を正確に、と思う。
1982(昭和57)年4月13日の閣議決定にて制定した法律がある。
8月15日を「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と制定した。
太平洋戦争における全戦没者に対して国を挙げて追悼の誠をささげる。
同時に平和を祈念するため、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われている。
※    ※    ※
以前から昭和天皇による1945年8月15日の大東亜戦争終結ノ詔書を記してきた。
「終戦の詔勅」を口語訳で表記し(不正確かも)、戦後を再考したい。

『私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、
非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、
ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、
それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、
代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。
先に米英二国に対して宣戦した理由も、
本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、
他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、
我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、
戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。
それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、
しきりに無実の人々までをも殺傷しており、
惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、
ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。
このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、
代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。
これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)
するよう下命するに至った理由なのである。
私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては
遺憾の意を表せざるを得ない。
日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、
さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。
また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、
私が深く心を痛めているところである。
考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。
あなたがた国民の本心も私はよく理解している。
しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、
未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、
常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。
もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、
あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、
そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、
私が最も強く警戒するところである。
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、
責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、
正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、
世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。』
※     ※     ※     ※     ※
「勝てば官軍、負ければ賊軍」こんな表現は、現代には似合わない。
戦争は、あってほしくない。願わくば、軍備も保持しないほうがいい。
だが、国の安全保障・国民の安全を考えれば軍備は必要不可欠。
而して自衛隊、海上保安官、行政警察官、消防吏員の職務を真摯に考えたい。
我々国民は、かような人々に守られて日々、安全に生活出来ている。
現場の過酷な・熾烈な職務に感謝の念が希薄である、と再認識。
隣国から聞き及ぶ干渉ごとに、真摯に対峙し正々堂々と主張すべきだ。
他国の軍備拡大を批難しつつ、より強大な軍備拡大を図る国々。
更には、靖国神社参拝を非難するなど、干渉でなくて何???

「令和伍年(皇紀2683年)8月16日、記」 

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《襍・/・画 “ '23・夏景(6)” ❖’23-82 ❖》

中央アルプス宝剣岳・千畳敷カールのコバイケイソウ。

東北 月山でのコバイケイソウ。
コバイケイソウ(小梅螵草) ユリ科(Liliaceae)/メランチウム科(Melanthiaceae)
学名:Veratrum stamineum
《  “思い描く夏・・!?!”   》
以前、記した高山植物の続き、そしてこれからの願望。
自生地の現況は知り得ていないが、思い出の高山植物。
地味だがコバイケイソウ(小梅螵草)の立ち姿、印象は鮮烈。
雲上の楽園、北アルプスの最深部、秘境と言える”池塘台地”。
そこに到達するには、どの登山口からでも2日を要する別天地。
その楽園「雲ノ平」、至高の高山植物に出会える自然の花園。
而して秘湯の高天原温泉。黒部川源流、標高2,100m位にある温泉。
そんな場所を再訪してみたい、と思うが体力的に無理か??
登山口から2日目でたどり着く、秘湯中の秘湯(天然露天風呂)。
夢見る羨望の場所だが、他所のコバイケイソウでもよい自生を見たい。
想いは色々だが、この歳でも行ける場所ってどこだろうと考える。
"千畳敷カール”。中央アルプス宝剣岳の下部、ロープウエーで登れる。
でも昔その場所で高山植物をたくさんみた。それに登山者が多そうだ。
 
扨てさて、、残るは東北の月山とか八幡平とか高山植物の宝庫はあるが??
身体が動くうちに行かねばと一寸焦る。来夏には是非に出かけたい。
コロナ禍で3年間も時間ロスしてしまった。この時間をとり返さねば。
想いはたくさんあるが、如何にして実現に向かわせるか??
植物に限らないが、本物をみるということは『歩く』以外に方法はない。
己が体験を持たない限り、その本物は分りようがない、と思って止まない。
自生(野生的)植物にこだわるのは、『観る』ことの中に発見があるから。
ものと対峙する時、外側からみるだけでなく、まず内からみることが大事。
真剣に物をみていけばいくほどに、分からないことが増えてくる。
単に花を見るだけではなく周りの環境等、色々な角度から総合的に見る。
自生植物を追い求める所以だ。其れだから旅をする。
自分自身の中で、高山植物探訪は格別のもの。この先、頑張らねば。
 
「令和伍年(皇紀2683年)8月13日、記」
 

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《襍・/・囈 “懐かしの高山植物(9)”❖’23-81 ❖》

南八ヶ岳連峰。
高山植物が見れる稜線。赤岳から硫黄岳の稜線に点在してる。
赤岳からの横岳・硫黄岳方面。


上、3枚画像
ミネウスユキソウ(峰薄雪草)  キク科(Asteraceae)
学名:Leontopodium japonicum Miq. var. shiroumense Nakai ex Kitam.

上2枚画像;
 ミヤマミミナグサ(深山耳菜草) ナデシコ科(Caryophyllaceae)
学名:Cerastium schizopetalum Maxim. var. schizopetalum

タカネヒゴダイ(高嶺平江帯) キク科(Asteraceae/Compositae)
学名:Saussurea triptera var. minor
《“高山植物の夏、懐古”❖'1960年代後半❖ 》
戦後の高度成長期頃、三浦半島~相模湾~伊豆半島は大盛況。
海辺で育ったが、青春~青年期は、山にのめり込んでいた。
数年前にも記したが、思い出の山岳地の高山植物を載せたい。
*     *     *
今日は、”山の日”と言う祝日。緑多き日本だが、何ゆえの祝日か?
お盆にからませているのだろうか。隠居爺は、日々祝日の態である。
人生初の自分で選び探したバイト。そこは山中で、南・北八ヶ岳周辺。
長いこと訪ねていないが如何に変わったか、再訪してみたい。

 
「令和伍年(皇紀2683年)8月11日、記」

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《凡・/・声 ❝悲喜交交❞ ❖’23-80 ❖》

片瀬西浜~鵠沼海岸2020/07
古くは、東洋のマイアミビーチなんて呼ばれていた。
鎌倉由比ガ浜海岸。コロナ禍で海の家が見えない。
今は、テントが張られているが、かつてはビーチパラソルだった。
葉山一色海岸。葉山御用邸が左側にいちする。2020/07.
2020/07 葉山森戸海岸には、ライブステージがあって!!
昔は、大学のキャンプストアー(海の家)があって。。!
フォークソング全盛頃で学生バンドが出ていた。
葉山鐙摺港(あぶずりこうは、歴史ある小さな港)。
我が青春・青年期の想いである場所。
《“忘れるに非ず・戦争”❖'23/08/09❖ 》
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、広島市に世界初の原子爆弾が投下され、
熱線と衝撃波によって市街は壊滅し、約14万人の死者を出した。
更には、原爆症等で亡くなった人を含めると、犠牲者は25万人以上にのぼった。
そして8月9日午前11時頃、長崎市松山町の500m上空で原爆を爆発させた。
この爆弾で約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷を負った。 
78年前の自国・日本での事象。広島市、長崎市は、それぞれ復興している。
爪痕は、それぞれ記念碑的に存在しているのだが・・・。
戦禍の悲惨さを実感したのは、広島・長崎出身の友達の生家に行った時だった。
又、幼少期・身近に戦争・戦後を感じたのは“傷痍軍人”の姿を見た時である。
今年も広島・長崎に於いて”原爆忌”が執り行われた。
*     *     *
二千二十三年八月九日、現況の日本は安全でほぼ安心な生活ができている。
そんな時でも、不穏なことが、時折、起こっているのだ。
だが、己に事が及ばないと関心も行動もしないのが実態だろう。
年寄り老人ゆえ、昔のことをよく思い出す。でも歴史を思うことも必要。
昨日一日中、原爆を思ってみた。
原爆投下について、日本人と米国人では観点が異なることを知っている。
反観合一と言う言葉がある。見方・論理は様々だが、過去を見て、未来を!!
戦時中の当事者の事を冷静に眺め、反省・教訓 "Never Again"だろう。
「二度と繰り返さない」と恒ずね思ってきた。
つまりは、核抑止力、核兵器理論、而して核兵器保持の必要性ばかりが表に。
一国の政治的な背景を正当化し、戦禍での被災者等、後の悲惨さが語られない。
被爆国日本からの"Never Again"発信は、声を大にして発信すべきだろう。
今のロシア、ウクライナ戦況を見聞きすると、単に被災国発信では済まない。
国連常任理事国が戦争当事者の場合、国連の役割はゼロと化す。不平等だ。
そして更に懸念するのは、お膝元のわが国。国内報道機関の発信の仕方である。
忖度報道が余りにも多い。事実を正確に報道して欲しい、と念願する。
一個人の感慨、老人のざれごと、思い込みではない。歴史が検証している。
*     *     *
コロナ禍が収まり、平常の生活になりつつある。
夏・海と言えば、僕の頭に浮かぶのは、相模湾沿いの海岸周辺。
古い写真を保存していたHDDが壊れて古い画像は、フィルムしかない。
フィルム・それを探すの大変で^^)。最近のもので振り返ってみる。
前にも記したが、オサチラガニやスナホリガニ、孫文蓮、懐かしい。
結婚してからの事だが、面白い生き物を見に行ったことがあった。
真鶴海岸三ツ石で見た梅干しイソギンチャク。それ自体は、珍しくはない。
だが、三石のウメボシイソギンチャクはある時、忽然と全滅した。
それが長い月日を経て、又、突然現れた!?!
地形環境等々、出現根拠は色々あるだろうが、自然界の神秘???
コロナ禍が収まっての今年は、海辺もにぎわっていることだろう。
先日、知り合いのウクライナ実情写真を見る機会があった。
”権力”とは??を真摯に考えさせられ、今の日本の現況を思っても見た。
我が青春時代は、日本も安全な国になっていたと思う。そして今がある。
半世紀後の自然環境は、あまり変わらないだろうが、人間環境は??
 
「令和伍年(皇紀2683年)8月9日、記」

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《襍・/・画 “ '23・夏景(5)” ❖’23-79 ❖》

ヤブガラシ(藪枯らし) ブドウ科(Vitaceae)
学名:Cayratia japonica (Thunb.) Gagnep.
別名:ビンボウカズラ(貧乏葛)
《 自宅の垣根花❖'23/08/07❖ 》
雑草と呼ばれ畑や藪にごく普通に見え、強く繁殖している草。
根は、利尿・鎮痛の生薬。又、花は蜜を分泌し蝶が良く集まる。
紐状の根茎は、地下を這い回りいたる所で芽を出して大繁茂。
ちぎれた根茎から発芽、長い蔓を伸ばし巻きヒゲが他物に絡む。
茎には、稜角がある。葉は、濃緑色で先端が尖った卵型。
小葉は5枚。鳥足状複葉で葉縁に鋸歯があり枝に互生してつく。
夏に集散花序を伸ばし小花を多数付ける。花は薄緑色で花弁が4枚。
各先端に花被片を持つ薄緑色の雄蕊が4本、蜜を分泌する雌蕊が1本。
ヤブカラシは、染色対数が2倍体と3倍体がある。3倍体葉は全て5小葉。
2倍体は5小葉のほかに、3小葉、4小葉の葉が混じる。
東日本に多い3倍体のものは結実しない。
花は、非常に小さく直径約5㎜。橙色に見えるのは花弁でなく花盤と称す。
開花してしばらくは橙色だが、時間が経つと淡紅色に変化する。
花弁や雄蕊は、花盤が淡紅色に変化する頃までに落下してしまう。
 
「令和伍年(皇紀2683年)8月8日、記」

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《襍・/・画 “ '23・夏景(3+1)” ❖’23-78 ❖》

ツユクサ(露草) ツユクサ科(Commelinaceae)
学名:Commelina communis L.
別名:ボウシバナ、アオバナ、ツキクサ(着草)
大きさ:茎高:20~50cm/葉身長:5~10cm/花径:15~20mm
《 自宅庭の花 ❖'23/08/04❖ 》
日本中どこでも見られる草花。花は朝早に咲き、夕方にはしぼむ1日花。
茎は地面を這い、節から枝分かれして広がる。茎の先端は斜上し茎は多肉質。
葉身は先が細く尖った狭卵形で、基部は葉鞘となって茎を抱き、互生する。
2つ折りになった包葉の中にいくつかの蕾ができて次々と花を咲かせる。
花弁は3個で、上部の2個は青く大きいが、下部の1個は白くて小さく目立たない。
膜のように薄い萼片が3個つく。両性花と雄花とがある。
雄蕊は、6個で長くて下まで伸びる2個だけが正常な雄蕊。
他は仮雄蕊で葯が黄色い蝶形をしている。雌蕊は1個。
花は普通、苞から1個ずつ突き出て咲く。花は両性とまれに雄性。
苞葉に毛が多いケツユクサ、葉裏に毛があるものをオニツユクサという。
*      *      *
植物を見ていて、その多様性に驚く。人間界を傍観すると。。!?!
昨日は、広島原爆忌。九日は、長崎原爆忌。個人的には空虚な感。
防衛と言う隠れ蓑に乗じて”原爆”が今でも存在するし、
現実に今でも戦争・武力行使がなされている。
世間・社会・・身近では、殺傷事件多発。精神の矛盾!! 
我が身に火の粉が降り掛からないと分からない、、。
而してマスメディアの報道の在り方に疑義を持つ。
 
「令和伍年(皇紀2683年)8月6日、記」

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《襍・/・画 “ '23・夏景(3)” ❖’23-77 ❖》

ミゾカクシ(溝隠) キキョウ科(Campanulaceae)
学名:Lobelia chinensis Lour.
別名:アゼムシロ(畦筵)

《 道端・湿地の花 ❖'23/08/3❖ 》
「ミゾカクシ」は溝を隠すほど茂る、「アゼムシロ」は田の畦や畑に筵を敷いたように茂る。
茎は多数分岐して這い、先が立ち上がる。葉は互生し、披針形。
低い又は波状の鋸歯がある。花は、葉脇から出て花柄の先に1個つく。
苞葉は、花柄の基部に2個つく。花托筒(花床筒)は、狭倒円錐形。
萼片は5個。花冠は、淡紅紫色。裂片は横に2個、下に3個。
雄蕊の葯が合着して、花柱をとり囲む。雄性期は雄蕊から花粉を出す。
その後、雌性期に入り雌蕊が突き出るようになる。
(筒の先にある毛が花粉を押し出す、花粉が全部出ると雌蕊がでてくる。)
 

「令和伍年(皇紀2683年)8月3日、記」


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