《“小花の響宴!?!”❖2021/5/4❖》 のんびりと泉の森を散歩、木陰のイチヤクソウ群落を眺めていると!! 可愛い花が、静かに語り合っているような光景に出会った。 小さな、低い茎に立ち止まる散歩者はいない。独りゆっくりと鑑賞させて頂いた。 すぐ近くの陽のあたるところにはフタリシズカも見え楽しいひとときを持てた。 「令和参年(皇紀2681年)5月8日、記」
《“里山の風情(2)!?!”❖2021/5/4❖》 今年の連休は、殆ど自宅。運動不足解消、頭の体操を兼ねて散歩に出た。 近間の泉の森は、実に良い所にある。この所見ていなかった花探しに。 ハナウド(花独活) ; 茎は直立し太くて中空、まばらに長毛が生える。 葉は3出複葉~羽状複葉。小葉は浅裂し、先が尖り、鋸歯がある。 葉面にも柔らかい毛が生え、葉柄の基部は大きな鞘になる。 茎頂の大きく広がった花序に小さな5弁の白花を多数つける。花序の柄は20~30本。 花は内側より外側の花弁の方が大きく最も外側の花弁が最大で先が2深裂するのが特徴。 仲間のシシウドは開花が夏から秋。周辺花の花弁が大きくならない。 「令和参年(皇紀2681年)5月7日、記」
《“里山の風情(1)!?!”❖2021/5/4❖》 世の中、外出自粛が求められている時だが、里山さんぽなら!?! って出掛けている。泉の森も春爛漫である。 今年は、キンラン・ギンランがあちこちで見られた。増えたぁ~~~! この時期、例年、どこかに出掛けており地元は歩いていない。 定点観察をしている花筏の樹。早くも種子が育っている。 毎年花の開花が早まっているのは何故!?! 「令和参年(皇紀2681年)5月6日、記」
《“至福の懐い!?!”❖2021/5/5❖》 端午の節供、こどもの日、皐月晴れ、これ等の表現がとっても似合う5月5日。 僕にとって今年の5月5日は、 感慨深く昔を思い出し、感慨深い日となった。 今年も連休の間に、山での事故報道を目にして、とても心が傷んだ。 遭難事故は、現場にいた者でないと。。。一般論で専門家が指摘して欲しくない。 マスコミ報道者は、真摯に事故を分析し、より良き登山への提言をしてほしく思う。 遭難事故の報道に、自分の青春時代が重なって辛い部分もあったが、、、。 冬山経験(高所登山)がない(僕の事)者が、3月の穂高岳奥又白を登る?? そこで雪崩遭難、無謀のひとことだった!!先輩がなくなり新人が助かった。 僕にしてみると複雑、今でも参加を許してくれた先輩たちに感謝してる。 以後、山行を重ね、夏の欧州ALPSで凍傷、足指を切る所だった。 その翌年の5月連休、剣岳・三の窓合宿に参加できた。合宿は、厳冬と夏が一緒?? 猛吹雪の翌日は、夏模様で八ツ峰の壁々を連続登攀でき最良の思い出。 下山は、落っこちるように三の窓雪渓をグリセード、黒部の十字峡~黒四ダム。 登山したものでなければ分からない世界だ。あの頃は、経験だけが頼りだった。 今は、装備にしろ気象情報にしろデータは豊富だ。今の岳人は、天気図など書かない。 色々あって、黒部丸山東壁で墜落事故で身体を痛め10年も山行を諦めた。 その間に結婚、男の子に恵まれた。その子(15歳)とアルプスの名峰Mに登れた。 それを最後に登山らしいことをしていない。そんな我が子に待望の男の子を授かった。 その孫の初節供。僕の半世紀が走馬灯のように駆け巡った。 「令和参年(皇紀2681年)5月5日、記」
《“里紫陽花∽シラン!?!”❖2021/5/4❖》 春爛漫、野草の花が地表を飾り足の踏み場もない! そんな中、一昨年地植えした里紫陽花が立派に育っている。 そして、何もしないのに毎年シランが咲いてくれる!! 紫陽花の成長を観察しているが、面白い・楽しみだ。 紫陽花・紫蘭ともれっきとした在来種っていうのが、なんとも!!! 紫陽花; 『万葉集』に、 こと問わぬ 木すらあぢさゐ 諸茅らが 練の村戸に あざむかえけり (4/773,大伴家持) シーボルト P.F.B.von Siebold(1796-1866;滞日1823-1829)は、 アジサイを『日本植物誌』に Hydrangea otaksa と名づけて紹介し、 オタクサはこの植物の日本名であるとした。 しかし、植物学者牧野富太郎はそのような和名はないと否定している。 紫陽花と呼び暖地に自生し古くから栽培されて来たのが萼紫陽花。 萼紫陽花の原種は、三浦半島周辺で今でも見られる。 花の色は、土壌の酸性度によって変化することは知られている。 酸性土壌では、アルミニウムが吸収されて青の色素が作られる。 アルカリ土壌だと、アルミニウムの吸収が少なく赤色色素になる。 紫蘭; 日本の関東以西で自生は確認されているが、野生のものは準絶滅危惧種。 古くは、西行(1118-1190)『山家集』百首に、 野辺の色も 春のにほひも おしなべて 心そめける さとりにぞなる (楊梅の春の匂 遍吉の功徳なり、紫蘭の秋の色は 普賢菩薩の真相なり) また、『花壇地錦抄』(1695)巻四・五「草花 夏之部」に、 「紫蘭 初。葉ハさゝのやうにて、中より花出て、こいむらさき」 「白蘭 初。葉ハしらんよりみじかく、花しろし」とある。 庭に見る花々に野の趣きを感じて。。。!! 「令和参年(皇紀2681年)5月4日、記」
《時節感慨・・呟記・・❖2021/5/3❖》 今年も又、憂鬱な思いの中で憲法記念日を迎えてしまった。 毎年この日が来ると“憲法を哲理出来る碑文!?!”を思い出す。 北朝鮮による拉致問題。くだらない政争に明け暮れる国会議員の資質が問題だ。 外交問題などと言ってて良いのか???現行憲法が施行された後の出来事だ。 与野党関係なく、国民の総意で世界に訴えることが、マスメディアの役割だろう。 最重要外交課題、拉致被害者救出問題をなぜ真摯に追求しないのだろう? 北方領土問題にして然り、進展は?? 戦後、70年も経過しても未解決!?! 歴史的経緯を踏まえての国際関係、現在の国際情勢下での外交・安全保障問題。 それらの解決に向かう日本政府、交渉で支障をきたしているのが日本国憲法の内容。 「憲法改正」その前に必要な国民審判、憲法改正是非を問う国民投票。 その手続きが未だ決まっていない。国民を守る手法を野党・マスメディアは示せ。 伝統・歴史(日本独自の文化)を尊び世界と対峙できる基本法的憲法っていかなるものか? 安全保障問題は、国民の一人一人に帰ってくる問題、と思うのだが。。。! 今の平和状態は「憲法第9条」のおかげである等と、まじめに主張される方々がいる。 果たしてそうだろうか??大いに疑問を持つ。「拉致問題」を思うとため息しか出ない。 拉致に関与した者達、而して拉致した国を援助してる組織等々、不可思議なことだ。 国際社会にあって日本の立ち位置、国策・方向性等々、はっきり・真摯に表明すべきだ。 敗戦国として70年余り過ぎた。戦争・戦闘はあってほしくない。当然のことだ。 過去の教訓、戦争はしてはならない、軍国主義反対も納得行くことである。 現行「日本国憲法前文」って、読んだことある!?!下、日本国憲法 前文; * * * 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、 わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、 政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、 ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、 その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、 人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、 圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、 名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、 平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、 自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、 政治道徳の法則は、普遍的なものであり、 この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、 他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、 全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 * * * 国民主権と代表民主制、平和的生存権、 国際協調主義、 日本国憲法の崇高な理想を謳っているが、 歴史、日本固有の伝統文化をも「前文」に表記すべき、と思って止まない。 敗戦によって出来た憲法である。そんな経緯をふまえて、独自性あるものに進化させる。 而して現代日本を取り巻く環境、現代人の生活文化等々、制定時とはかなり変化している。 「平和憲法」とは何か、を今こそ真摯に考える時期と思える。 古代から鎖国時代(江戸期)に至るまでに出来上がった日本的な「和の文化」。 全世界唯一の天皇制は、誇れるものである。 真摯に国民一人一人も考えるべき時が来ている。 大東亜戦争に敗れ、敗戦国として新たな出発をして70年余りをもった。 日本人的な敗戦前後の人間模様、激動期を実際に知るものも少なくなってきた。 文明開化の明治から大正・昭和・平成・令和と各時代をつぶさに思い将来を思考すべきだ。 鎌倉の中心!!象徴的な鶴岡八幡宮裏の高台にひっそりと石碑が立っている。 一般に公開されていないので知る人は少ないだろう。 鎌倉の地形は、明治期軍人、取分け陸軍歩兵の訓練に適した地形であった。 明治6年(1873)4月に明治天皇は鎌倉での第一回陸軍特別大演習を閲兵している。 天皇警護の近衛師団の演習であった。それを記す石碑が現存している(上画像)。 石碑を拝し辺りを見渡すと、かつて市域内の80%が緑であった鎌倉の自然環境を思える。 文明開化時代の天皇の行幸、そして自然環境。 こじつけではないが、天皇制や日本の国土、それらを考える時、ふと訪れたい場所。 今では立ち入れない場所だが、憲法を考える上での歴史と文化を想起させてくれる石碑。 天皇制の伝統、日本の歴史・文化に立脚した憲法を創りあげてほしいものだ。 「令和参年(皇紀2681年)5月3日、記」
《“里山に似合う草∽泉の森!?!”❖2021/4/30❖》 ギシギシ(羊蹄) ; 「羊蹄」と書いて「ギシギシ」と読むそうですが?? 穂を擦ると「ギシギシ」と音がするので付いた名前に由。 春から秋まで花を咲かせ、大型で成長力の強い野草である。 茎高40~100㎝。茎は直立して、上部で枝分かれし溝があり無毛。 葉は、根生葉で長楕円形。葉の縁は波状、長い柄があり叢生する。 枝先端から円錐花序を出し、6個の緑色萼片からなる花を付ける。 「令和参年(皇紀2681年)5月2日、記」
《“泉の森⇔立ち入り禁止区域の花!!”❖2021/5/01❖》 四月三十日、お決まりの泉の森へ散歩に出掛けた。 目的は、イチヤクソウの生育状態を観察するのとサイハイラン観察。 どちらも健気な姿を見せた。イチヤクソウは群落、範囲も拡大していた。 サイハイランは、周りの野草が覆い隠し守っているようにも見えた(笑)。 その泉の森は、引地川の源泉地、水源には、大池と小池がある。 水源地周辺は、神奈川県企業庁(水道局)の管轄下で立ち入り禁止区域。 それ故、この池周りは金網で囲われ、池の縁には行けない。 一般人の目に触れない事もあって少々神秘的な場でもある。 森の散策路から眼下に大池は眺められるが、小池は見えない。 年に一二度、管理者の許可を得て水源地内を植物調査は、実施されている由。 植物に関心を持つ者からすると調査を公表してほしいと切望したい!?! 長い間、閉鎖的環境に育った植物、金網1枚向こう!!どう違うのか植物よ。 色々思いはあるが、前々からこの季節になると気になっている植物がある。 センダイタイゲキ(仙台大戟・トウダイグサ科トウダイグサ属。 学名:Euphorbia sendaica 日本固有種。環境省準絶滅危惧(Near Threatend) 泉の森水源地のセンダイタイゲキは、野生生息地の南限ということだ。 この地で自生の花姿を是非に見てみたい。 「令和参年(皇紀2681年)5月1日、記」
《“散歩路・泉の森⇔林床・・地味な花!!”❖2021/4/30❖》 サイハイラン(采配蘭); 山林内の林床で見られる地味な花。偽球は卵球形で高さ2〜3cm。 葉は、1〜2個、長さ30cm前後、幅6cm位で3脈が目立つ。基部は6cm前後の葉柄となる。 花茎は偽球に側生し直立して高さ4・50cm、太さ3〜5mm、数個の鞘状葉がある。 花は密にやや偏側性の花序を作り、淡緑褐色で紅紫色を帯び下垂して弁は余り開かない。 萼片および花弁は線状倒披針形、長さ3〜3.5cm、幅4〜5mm、鋭尖頭。 唇弁は長さ約3cm、幅1.8mm、細長くて髄柱を包み基部は少し膨らみ中に蜜を分泌する。 先は3裂して側片は紫色を帯び長さ約4mm、先は切形で少し外にそり返る。 髄柱は棒状で長さ2.6cm、花粉塊は4個。(原色日本植物図鑑より) ホウチャクソウ(宝鐸草); つぼみの時期は ナルコユリ や アマドコロに似て識別しづらい。 花が開くと寺院の軒先に下がる大型の風鈴“宝鐸(ホウチャク)”に似てるので名が付いた由。 日影の林床で見掛ける。地下茎および種子で繁殖。根茎は短く、やや太い根が多数出る。 茎は稜があり直立する。株が年数を経ると茎が二分岐を繰り返す形で枝分かれする。 葉は、互生し長楕円形、幅は色々と変化するが、3~5脈が見え3脈が目立つのが特徴。 葉縁には微細な透明の鈍突起が並ぶ。花は枝先に1~3個ずつ頂生し長い花柄先に垂れる。 花弁は6枚、長さ2~3㎝、緑白色、基部が膨らみ小さな距になる。花弁は合着しない。 が、殆ど開かず筒状。雄蕊は6個、花糸長約2㎝、基部に微細なパピラ(乳頭状突起)がある。 葯は、長さ5~6㎜の線状長楕円形で淡黄色。雌蕊1個。花柱は、上部で3裂する。 ※ アマドコロ、 オオアマドコロ、 ナルコユリ、 マルバオウセイ、 ホウチャクソウの見分け方。 * アマドコロ:筒状花が1~2個ずつ垂れる、花弁は合着、茎は弓形で丸くて滑らか、 節間が長い、葉幅は2~5センチ、高さ30~50センチ。 * オオアマドコロ:筒状花が2~4個ずつ垂れる、花弁は合着、茎は弓形で丸くて滑らか、 節間が長い、葉幅は3~8センチ、高さ60~100センチ。 * ナルコユリ:筒状花が1~5個ずつ垂れる、花弁は合着、茎は弓形で縦筋がある、 節間が短い、葉幅は1~2.5センチ。 * マルバオウセイ:ナルコユリと似ているが、葉が幅広の長卵形で、葉裏で脈が盛り上がる。 * ホウチャクソウ:筒状花が1~3個ずつ垂れる、花弁は合着しない、 茎は分枝、葉幅は1.5~4センチ。 「令和参年(皇紀2681年)4月30日、記」
《“散歩路・泉の森⇔低木・・地味な花!!”❖2021/4/24❖》 ミツバウツギ(三葉空木); ミツバウツギは太古の昔から生き延びてきた植物、化石でも発見されている。 花には芳香があり若葉の頃には控えめな胡麻油の香りがあり、種子から油が採れる。 葉は、3出複葉。自生地は、山地、川沿い林縁に多い。よく分枝し樹高は3~4mほど。 低木であり株立ち状になる。1年枝の樹皮は褐色で後に淡灰褐色、薄い縦縞模様がある。 幹は固い。名はウツギであるが、実際は空木ではない。芯には白い髄が詰まっている。 3出複葉で対生する樣、小葉の卵状長楕円形、縁の細かい鋸歯、何処か謙虚に映る。 若枝の先に円錐花序を出し、小さな白い花を開く。花は全部咲くわけではない。 閉鎖花も多いようだ。蕾が多いわりに樹全体が花で覆われるようなことはない。 萼片は白色(ときに先が淡紅色を帯びる)、花弁5枚、長さ5~7㎜、直立し、平開しない。 雄蕊5個、花弁と同長。花柱2個。蒴果は2室。扁平な矢筈形(膀胱形)でしわがある。 種子が1室に2個入る。種子は長さ4~5㎜の倒卵形、淡黄色、光沢がある。 「令和参年(皇紀2681年)4月29日、記」