最強のイメージソング
Dec
24
作品全体のイメージにぴったりなんだ。
タカマ二次小説のいろんなキャラに合う。
那智から那智へもそうだし、
柊から美舟へも成り立つし。
美舟自身が歌っているようにも思えるし。
都(リューシャ―)になかなか戻ってこない颯太と、
彼を捜しに来た那智に当てはめることもできる。
橋姫の策略にはまって
高天原にやって来た中ツ那智と、
彼を救うために、
魂羅川のほとりに降り立った
タカマ颯太に当てはめることもできるし。
颯太の体を借りて胡琴を奏でる橋姫や、
彼女に意識を奪われながらも
必死に自我を保とうとする颯太に当てはめることもできる。
まさにこれ以上の曲はないように思えてきた。
合唱のその先に
Dec
24
執筆中のタカマ二次小説に出てくる歌について。
全国優勝を果たす歌とはどんなだろうと、
合唱曲ジプシーをする一方で。
「あの人」に届く歌とはどんなだろうと、
あれこれ考えを巡らせていた。
前者を優先させて曲選びをすると、
後者が成り立たない。
後者を優先させようとすると、
そもそも合唱曲でピンと来るようなものがなくて。
だけど、独唱にするわけにもいかないし。
でも、やっとわかった。これだ。
合唱曲バージョンがないのなら、作ればいい。
音楽的才はないので、
作曲や編曲は無理だけど。
仮にそれをしたところで、
歌ってくれる合唱団もいないけど。
だけど、私には「言葉」があるから。
「小説」があるから。
イメージを膨らませて言葉にすることはできるから。
「天泣」のイメージで、
「この歌に誓おう」を合唱曲にする。
これだ。
一人はみんなのために。
みんなは一人のために。
「正確な歌唱」が、「調和の取れた合唱」が、
行き着く先にあるもの。
それは、一人ひとりが違うけど、
でも、決して一人の力では成し得なくて。
だからこそ、力を合わせる。
だからこそ、素晴らしい合唱になる。
粒が立った、けれど調和のとれた、
素晴らしい合唱になる。
だからこそ、「あの人」の心に届く。
目指すのは、全国優勝じゃなくて、
独りよがりな独唱でもなくて。
たった一人のために。
一人ひとりのために。
全員が力を合わせてつくる集大成。
これだ。
ようやくつかめた気がする。
言葉が先か、映像が先か
Dec
14
それとも情報だけが浮かぶ?」との質問を見かけたので……。
私の場合は文字と映像です。
文字から浮かんだインスピレーションを
いかに映像として描写できるのかを考えるとともに、
映像として浮かんだ光景を
いかに言葉として落とし込むのかに心血注ぎます。
「心に残るセリフ(映像作品)」に「SUPER RICH」氷河衛のセリフを追加
Dec
11
「心に残るセリフ(映像作品)」に
ドラマ「SUPER RICH」第3話、
氷河衛のセリフを追加しました。
「SUPER RICH」、
序盤はめっちゃ好きやったのに、
中盤から疑問符が付き始めて、
終盤で完全にドロップアウト。
なんだか、3話のいろんなセリフがブーメランになってる(笑)
「つまる、つまらないの話やないな。地獄絵図や」とか、
「めっちゃおもんなかったです」、
「おもろいところ探そ思っても無理でした。おもんないです」とか、
そのまんま、この作品にお伝えしたい(笑)
だけど、それでも。
3話と4話は神だった。
特に3話の終盤には心打たれた。
図らずも人生の分岐点に立ってしまった私にとって、
将来設計といった、比較的大きなものから、
日々の生活における細々とした部分まで、
まるで荒療治のように、
「再構築」を余儀なくされている私にとって、
タイムリーすぎるというか、
まるで出会えたことが運命かのような、
そんなセリフでした。
残業と妄想と
Nov
26
中ツ颯太にジェラったり
ライバル視するタカマ颯太を書いてみたい笑
タカマ那智と中ツ颯太の遊園地デートを知ったタカマ颯太が
ジェラったり対抗心燃やす的な笑
巨大観覧車から見えるロマンチックな夜景を越える
デートスポットに那智を連れて行こうとするも、
行き先が思いつかずに思い悩む的な笑
今のところ、あのシーンを越えるスポットは
函館山しか思いつかん笑
「居残り組にできる謎に生まれる団結力」に
めっちゃ共感する。
今日も仲良くみんなで戸締まりしてきました 。
定時に上がれないあるある】ゆず「栄光の架橋」の替え歌「残業の皆勤賞」
夢といえば
Nov
23
お伽話のような、ホラーのような、
だけど実は切なくて優しい物語。
来訪者を全て攻略したら、
ぜひとも裏ルートに挑戦を。
裏ルートこそがこの物語の真髄です
夢堕ちのインキュバス
対の概念と修験道
Nov
13
――たとえ現実がきつく埋もれそうでも
こんな場所で終わる僕じゃない――
昔から好きな曲だったけど。
今の部署に来てから、
ものすごく心の励みになっている。
こんな場所では終わらない。
こんな組織の末端で、
疲弊して終わってなるものか。
そう思いながら生きている。
でも、その一方で、
頭の片隅にはこの言葉だってあるんだ。
「問題のあるレストラン」第3話。
松岡茉優ちゃん演じる、雨木千佳のセリフ。
――偉そうにしてアンタ、
バイト以下じゃないスか。
一生そうなんでしょうね。
あたしはこんなもんじゃないって、
イヤイヤ、こんなもんですよ、アンタ――
この視点がないと、
現状把握をした上で、
目標に向かって歩いていかないと、
「自分はこんなもんじゃない」、
「自分の居場所は別にある」と声高に主張して、
夢と幻想だけを抱きかかえて
「パラダイス」へと飛び立ってしまう、
エセスピ信者と変わらない。
本部に戻りたいと思うけれど、
組織の中枢に行きたいと思うけれど、
現状のままでは、
行ったところで使い物にならないことがわかっているから。
だから、今いる場所は修行場だと思っている。
「こんな場所」で終わらないために。
「私が進めるかもしれない道」で生きていくために。
正直、かなりの荒療治で、
プチ「天の岩戸計画(プロジェクト)」だなと思っているけれど(笑)。
私は今、人生におけるターニングポイントを
日々生きているのだなと。
そんなことを考えています。
枝分さんと標さん~素敵な選TAXI~
Nov
13
今の部署に来たばかりの頃。
この作品が再放送されていて。
設定や世界観が大好きだった。
戻れるのは時間単位で、
戻ってやり直しても、
また別の問題が出てきたりして、
必ずしもうまく行くとは限らない。
ファンタジーとリアリティの
バランスが絶妙で、
コミカルでシニカルで
ほっこりする展開が絶妙で。
私も選TAXIに乗ってみたいと、
選TAXIが本当にあればいいのにと、そう思った。
一方で、「必ずしもうまく行くとは限らない」っていう展開にも
好感が持てた。
夢を見せてくれる一方で、
夢を見すぎない仕掛けが絶妙だった。
話数を重ねるにつれて、
徐々に「戻らない」という選択も出始めて、
「戻れるのに戻らないなんて、つまんない」って
思ったりもしたけど。
今にして思えば、これまたラストに向けた、
絶妙な「仕掛け」だったんだなと。
「戻らない」。
戻ることができる世界観において、
あえてそれを選択すること。
戻ろうと思えば戻れる。
けれど、それをする必要性やリスクを、
いたって自然に考えさせてくれる。
「戻らない」という選択肢を
自然と醸成した上での、
あの最終回。
あの選択は、
彼の本来の望みではなかったと思うけれど。
あの選択をするにあたっては、
一種の「諦め」のような気持ちも
含まれていたと思うけど。
でも、あれが、あの時の彼にとって、
未来にとって、
ベストな選択だったと思います。
これが私の生きる道
Nov
13
「もしも」はなくて、
「もう一度」もなくて、「巻き戻し」もできなくて。
かつて、親友に贈ったこの曲で、
自分がこんなにも泣くことになるとは思いもしなかった。
こんなにきつい業務をすることになるなんて、
思ってもいなかったから。
仕事に忙殺されて、
結婚適齢期や出産適齢期を逃したくはないと、
家庭を持たずに仕事に生きる道を選ぶにしても、
このままなし崩し的に進むのではなくて、
一度しっかりと、
ライフプランやキャリアビジョンを
見つめ直した上で進みたいと、
だから働きやすい部署へ異動させてくれと、
そう強く訴えて、
念願叶ったかのように見せかけて。
異動した先が、
実は今までで一番激務だった。
組織の末端で、
誰にも顧みられることもない、
けれど過酷な業務。
時間がいくらあっても足りない。
残業をいくらしても足りない。
けれど残業代がろくに出ない。
もう、哀しくて悲しくてたまらなくて。
自分の何がいけなかったのかと、
希望調書の書き方がいけなかったのか、
ヒアリングの内容がいけなかったのか、
前の配属先での働き方がいけなかったのか。
時間を巻き戻したくてたまらなかったし、
「もしも」を叶えたかったし、
「もう一度」を叶えたかった。
でもそれができない現実に、
哀しくて虚しくて泣いた。
ようやく、「今」を生きるしかないと、
「自分が進むことのできる道」を進むしかないと、
そう思えるようになってきたけど。
ここに至る道は茨の道だったし、
これからもしばらく過酷な道が続きそうです。
タイムトラベルとパラドックス
Nov
13
小説を書く暇がない……。
続きを待ってくださっている方、
本当にごめんなさいm(_ _)m
いつかそのうち、必ず書こうと思ってるので、
気長に待っていていただければ……。
特にタカマ二次小説の澪標シリーズについては、
必ず完結させたいと思っているので、
どうか見限らずに、
気長に待っていていただけると助かります。(>人<:)
さて、まさにその執筆が途中となっている
澪標シリーズ第三部「廻り舞台と紡ぎ歌」。
この中で重要なテーマとなっているのが、
いわゆる「タイムトラベル」です。
ドラえもんやら何やらの影響で、
昔っから好きなんですよ。
「あの日に戻りたい」を実現可能とする設定と、
戻った先で「未来」を変えられるか否か、
変えていいのかどうか、っていう観点が。
中学か高校の時には、
「タイムパラドックス」という言葉に惹かれて、
いろいろ調べた記憶があります。
「廻り舞台と紡ぎ歌」で
橋姫さまがやろうとしていることもまさに、
「親殺しのパラドックス」とその回避です。
自分が生まれる前に戻って、
自分を生み出した存在を亡き者にする。
それが実現できれば、
「自分」は生まれないわけだから、
「未来の自分」が過去に戻ることもできず、
「自分を生み出した存在」を
亡き者にすることもできなくなる。
だから、何度「相手」を殺しても
「相手」は死なず、
「自分」が生まれてきて、
再び過去に戻り、
「相手」を殺すも「相手」は死なず、
再び「自分」が生まれて……と、
無限のループを繰り返す。
これが「親殺しのパラドックス」。
そして、様々なSF作品では、
この矛盾を回避する手段として、
「相手」を殺そうとした際に、
ナイフが折れて殺せなくなるなど、
「どんなに頑張っても歴史の改変ができない」
という設定にしたり、
あるいは、歴史の改変はできるものの、
歴史の改変により時間軸が分岐し、
元の世界と並行した別の世界が生まれる、
いわゆる「パラレルワールド」の
概念を用いたりしています。
さて、「廻り舞台と紡ぎ歌」ではどうか。
読んでくださった方はご存じのとおり、
歴史の改変はできるものの、
それをしてしまえば、
時空に歪みが生じて、
世界が滅亡します。
「過去に遡って今と未来を変えたい」。
そんな人間の欲望を利用して、
世界を滅亡へと導く装置。
それがこの作品の鍵を握る
「時の石(ツァイト・ストーン)」なのです。
この設定、かれこれ10年近く前に
考えたのだけど。
個人的に、なんだかものすごく
タイムリーだ……。
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