<グーグルロゴ>(79)「ゲルダ・タロー生誕108周年」
Jul
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スイスの学校に通った後、1929年に、家族は「ライプツィヒ」へ移住。この頃からドイツではナチスが台頭し始め、ユダヤ人に対し迫害を行うようになっていきます。
彼女の一家もナチスに反対する活動に参加したことで逮捕拘留され、釈放後、ドイツを去ることを強いられ、1934年、ナチスから逃れる形でフランスへ移住。
そこで、少し年下のハンガリー生まれの写真家<フリードマン・エンドレ・エルネー>(1913年10月22日~1954年5月25日)に出会います。彼に惹かれ、助手となり撮影技術を学びます。2人は同棲し、公私に渡るパートナーとなりまが、彼は、無名な写真家でした。そのため、彼女は一計を案じます。
彼が撮影した写真を、架空のアメリカ人カメラマン<ロバート・キャパ>さんが撮影したものと偽って売り込みを行いました。それが功を奏し、フランスの写真週刊誌「ヴュ」に写真が採用されたことで、「ロバート・キャパ」の名は有名になっていきます。同じく、自身も「ゲルダ・タロー」という名前を使い始めました。
この名前は「フリードマン・エンドレ・エルネー」さんと親交のあった「岡本太郎」さんの名前にちなんだものでした。
2人は「ゲルダ・タロー」、「ロバート・キャパ」という名前で活動を続けました。
写真家として軌道に乗ってきた1937年、彼女は単身で「スペイン内戦」の取材を行います。その時に、スペイン政府軍の戦車に轢かれ死亡しました。享年26歳。若すぎる死でした。
一方の<ロバート・キャパ>は、有名になったことで嘘がバレてしまいますが、<フリードマン・エンドレ・エルネー>はその後も<ロバート・キャパ>名を使い続けました。
2人で一緒に活動し、撮影した写真については、一部の写真で、どちらが撮影者なのか判明困難な写真が存在しています。
中でも<ロバート・キャパ>の名を一躍有名にした「崩れ落ちる兵士」については、多くの疑問や憶測、物議を呼ぶこととなりました。