ご冥福を祈ります<野村克也>さん
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1954年(昭29)、京都・峰山高から南海(現ソフトバンク)に入団。3年目の56年、ハワイ春季キャンプから頭角を現し、翌年30本塁打を放ちネ本塁打王のタイトルを獲得。以後南海の「4番・捕手」として、球界を代表する選手となり活躍しまし。1965年には戦後初の三冠王となり、1969年オフに34歳の若さで選手兼任監督に就任。最下位だったホークスを2位に押し上げ、1973年には前期優勝を果たし、阪急(現オリックス)とのプレーオフに勝ち、日本シリーズにすすみました。
1977年に南海の監督を解任されると、1978年にはロッテ、1979年からは西武に移籍し現役を続行。「生涯一捕手」として1980年に45歳で引退するまで27年間プレーし続けました。通算成績として2901安打、657本塁打、1988打点はいずれも2位の記録で打率2割7分7厘の成績を残しています。パ・リーグMVP5回をはじめ、8年連続のリーグ記録を含む本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回などを獲得。ベストナイン19回の受賞はプロ野球最多記録です。
通算3017試合出場は、2015年(平成27年)に中日で選手兼任監督だった<谷繁元信>さんが更新(通算3021試合出場)するまで長年にわたってプロ野球記録でした
評論家を経て、1990年からヤクルトの監督に就任。データ重視の「ID野球」で1992年にチームを14年ぶりのリーグ優勝に導き、翌年は日本一。その後、1995、1997年にも日本一を達成しています。
監督としての通算成績は3024試合で1565勝1563敗76分け。勝利数は歴代5位.リーグ優勝5回、日本一は3回。
「平成」(1989年1月8日~2019年4月30日)期間の最多勝利記録(1,053勝)を保持しています。
Posted at 2020-02-10 19:55
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Posted at 2020-02-10 20:02
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