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日本の霊峰富士山
エルサレム旧市街にあるダビデの街
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです
「いのちの神の御言葉」
使徒の働き 13章42~49節
"二人が会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。
会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みにとどまるように説得した。
次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。
しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。
そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。
主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主のことばを賛美した。そして、永遠のいのちにあずかるように定められていた人たちはみな、信仰に入った。
こうして主のことばは、この地方全体に広まった。"
(1)汲み取られたみことば
①「人々は次の安息日にも同じ言葉を話してくれるように頼んだ」(42)
オウム返しに同じ事柄を聞きたいと言うのではない
②依頼した「人々」とは信仰を抱いて聞きたいと言う姿勢の人々(43)
彼らには人たちの言葉が単なる知識教養伝達ではなく神の言葉=メッセージとして受け取った
(2) 2つの結果をもたらしたみことば
①信仰の応答(44)
「神の言葉を聞きに集まってきた」〜説教に内在している神のメッセージを聞き取ろうとの姿勢
②不信仰の応答(45)
「ねたみに燃えた」ユダヤ人たち〜神の御言葉がいのちを持って人々にせまらる時、常にこの両極端の対応が生まれる
⑶神ご自身を体現するみことば
①「主の言葉=神を賛美した」(48)
異本で同意語として翻訳されていることがわかる。
御言葉を通じて上と出会い、神と交流し、神に至るのである。
②「主のみ言葉は、この地方全体に広まった」(49)
主ご自身が広められていたことと同意。
信仰に入るのは各位の決意であるが、同時に主の選びという神秘性がある(48)
(結論)
聖書を開くときに、ここから神ご自身を体験する触媒としてのみ言葉に聞き入ろう
今朝のシアトル地方は一段と寒さがつのり、外は厚い靄に包まれました。
日本列島では半日前にやはり寒波に覆われていたこととつながってるのかなぁ、などとその関連性に思いを寄せました。
太陽が上がるにつれ晴間が広がり、夕刻にはきれいな夕焼け空を眺めることができました。
「アメリカは今大変でしょう。大丈夫?そちらは平和ですか」
先ほど日本に住むある牧師から電話でこんなことを聞かれました。
明日1月20日がバイデン新大統領の就任式であることを日本の報道機関がかなり取り上げているようです。
「少しも大変さなんて感じてません。大騒ぎしてるのはテレビだけではないんですか。いつもと変わらない平和な日常ですよ」なんて事を答えておきました。
何を騒いだり不安に思ったりすることがあるでしょうか?
特に日本人のみなさん、私たちはこんなことよりももっと不確かで急激な変化にも対応してきた歴史があることを思い出そうではありませんか。
唐突な事例を持ち出すようですが、1582年、本能寺の変による織田信長の横死です。あの段階で一体誰が信長のいない世を考えられたでしょうか。その直後、豊臣秀吉による中国大返しの離れ業があって、光秀の天下は13日間しか続かなかったわけです。
一寸先は闇。
翌日にはどのような世界となってるかも、自らの命そのものさえもわからないあの不確かな戦国時代を駆け抜けてきた歴史を抱いているのが私たち日本人です。
大河ドラマ「麒麟が来る」は、その最終回まであと数回を残すまでとなりました。最終回があの本能寺の変の場面なのだそうです。
それに向けて信長と光秀の関係が徐々に亀裂が入り、断絶していく物語の展開に見ごたえがあります。直近のドラマでは松永久秀が残した茶器の平蜘蛛をめぐる両者の価値観の違いを描くとは、これまでにはない画期的な脚本でした。
時代考証を担当している静岡大学教授の小和田さんが良い。
彼によれば日本史最大の謎とされる本能寺の変を、光秀による「信長暴走阻止説」にあるとしていて、脚本家は今のところ忠実にそのストーリーを紡ぎ出しています。
大河ドラマから米国の現実に話を戻せば、
明日には今や予定された就任式があり、その後の政権移行があり、どんな暴動が起こったとしてもこれを抑える警察力があり、たとい外国が攻めてきたとしてもはね返すだけの強力な軍事力のある国にいて何を恐れることがありましょう。
聖書には、「恐れるな」と言う言葉が356回出てくるそうです。
聞いた話でして、自ら数えた事はありません。
それによるとまるで1年365日、毎日神が私たちに「恐れるな」と語っておられるようだと言うことです。
恐れなくて良い確かな理由と、恐れるなというのが神の命令であることだけは確かなことです。
十字架にかけられる前夜の最後の晩餐の席上で、主イエスが弟子たちにに言われた言葉があります。
"わたしはあなたがたに平安を残します。
わたしの平安を与えます。
わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。
ひるんではなりません。"
ヨハネの福音書 14章27節
当時の弟子たちには、警察力などの物理的な力があって安全が確保されていたのではありません。
主イエスがやがて与えてくださるスピリットが、恐れを乗り越えさせて下さるのです。
It was even colder in the Seattle area this morning, and a thick haze enveloped us outside.
I wondered if it was related to the cold wave that covered the Japanese archipelago half a day ago.
As the sun rose, the sky became clearer, and in the evening we could see a beautiful sunset.
“Are you okay? Is there peace there?”
A pastor who lives in Japan just called me and asked me this question.
The Japanese press seems to be covering the inauguration of the new President Biden tomorrow, January 20th.
“I don't feel it's a big deal at all. Isn't it just the TV that is making a big deal out of it? “ I answered, "I don't feel any difficulty at all.”
What is there to fuss about or worry about?
Let's remember, especially Japanese people, that we have a history of coping with more uncertain and sudden changes than this.
At the risk of bringing up an abrupt example, in 1582, Oda Nobunaga was killed in the Honnoji Incident. At that stage, who could have imagined a world without Nobunaga? Immediately after that, Toyotomi Hideyoshi carried out the Great Return of Chuugoku and Mitsuhide's reign lasted only 13 days.
The future was dark then.
We Japanese have a history of running through the uncertain Warring States Period, not knowing what the world would be like or your life would be the next day.
We are now only a few episodes away from the final episode of the historical drama "Kirin ga Kuru". The final episode is said to be the scene of the Honnoji Incident.
Toward that point, the relationship between Nobunaga and Mitsuhide is gradually cracking and breaking down, and it is a story worth watching.
The most recent drama depicted the difference in values between the two over a tea instrument the Hiragumo, left by Hisahide Matsunaga, which was a groundbreaking script never told before.
Mr. Owada, a professor at Shizuoka University who is in charge of historical research, is good.
According to him, the Honnoji Incident, which is regarded as the greatest mystery in Japanese history, lies in the "theory of stopping Nobunaga from running amok" by Mitsuhide, and the scriptwriter has so far faithfully spun out the story.
Let’s Moving from the historical drama back to reality in the United States.
What is there to fear in a country that now has a scheduled inauguration tomorrow, a transition of power after that, a police force capable of containing any riots, and a military strong enough to repel any foreign invasion?
The Bible says, "Do not be afraid" is mentioned 356 times.
I've never counted it myself, but I've heard it.
It seems as if God is saying to us, "Don't be afraid" every day, 365 days a year.
The only thing we know for sure is that there is a good reason not to be afraid and that it is God's command not to be afraid.
At the Last Supper, the night before His crucifixion, the Lord Jesus said to His disciples.
"I leave you peace.
I give you my peace.
I do not give in the same way that the world gives.
Do not let your hearts be troubled.
Do not be dismayed."
John 14:27
The disciples at that time did not have a police force or any other physical force to keep them safe.
The Spirit that the Lord Jesus would eventually give them would help them overcome their fears.
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「私はなおも神をほめたたえる」
詩篇42:1-11
(1)たましいの絶望
①自問「なぜあなたは私をお忘れになったのですか」(9)
②他問「お前の神はどこにいるのか」(3,10)
(2)「なおも」食い下がって(42:5,11,43:5)
①過去の神体験を思い出して(4)
②想像を絶し忍耐を超える試練に翻弄(7)
⑶いのちであられる神ご自身
①自己の内にはいのちがない(1)
コロサイ3:3-4
②私のできる事はただ1つ〜神を待ち望む
(結論)
誰もいない、誰も分かってもらえないと言う孤独の中で、
八方塞がりの時に唯一、空だけは開いている。
神を待ち望もう。
"あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。"
コリント人への手紙 第一 10章13節
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「見よ。わたしは新しいことをする」
"あなたがたを贖う、イスラエルの聖なる方、主はこう言われる。「あなたがたのために、わたしはバビロンに使いを送り、彼らをことごとく逃亡者として下らせる。カルデア人を彼らの喜びの船で。
わたしは主、あなたがたの聖なる者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である。」
海の中に道を、激しく流れる水の中に通り道を設け、
戦車と馬、強力な軍勢を引き出した主はこう言われる。「彼らはみな倒れて起き上がれず、灯芯のように消え失せる。
先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。
見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。
野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
わたしのためにわたしが形造ったこの民は、わたしの栄誉を宣べ伝える。"
イザヤ書 43章14~21節
(1)新しいこととは何か
①「先の事ども」「昔の事ども」(18)
民族誕生の出来事であり、誇りとするもの〜出エジプト
②「新しいこと」〜バビロンからの解放
クロスによるバビロン攻略(16)
メシア王国による自然界の回復とその贖い(20)
(2)新しいことをするのは誰か(15)
①聖なるもの
絶対者、卓越した超越者、イザヤ書のキーワード
②創造者
イスラエルの誕生といのち、その歴史、族長たちの生涯
③王
世界の真の統治者
歴史の表舞台に登場する覇権国家、アッシリアバビロンペルシャギリシャローマの背後にいる統治者
⑶新しいことが起きるのはいつか
①「今、もうそれが起ころうとしている」(19)
私たちが所有・管理できる時はたった今だけである
預言のスパン〜3段階
②「あなた方は、それを知らないのか(19)
預言の言葉に応答できるのは今だけである
携挙はimminent
(結論)
現在の米国政界の混乱は歴史的ターニングポイントである
新しい何かが始まろうとしている
人間がどのような変革を成し遂げたとしても、神なさる新しいことには及ばない
主は私の人生に、そして私の関わっている世界に新たな創造をなされるお方だ
今日はいつもとは異なるところで夕日を観察に出かけました。
近所にある中学校校庭です。
今年最後の日曜の午後、
皆様はどのようにお過ごしでしょうか。
今年は例年とは異なる画期的な年でした。
世界史に大きく刻まれるであろう、パンデミックによる世界同時鎖国化です。
パンデミックの収束はまだおぼつかなく、ここ最近、感染者の急激な広がりが報道されています。
昨日と今日で全ての外国人の入国が、イスラエルでも日本でも一時禁止されました。
また来年早々、混乱を極めた米国大統領選挙の結果が判明しそうです。
カリフォルニアのロックダウンが解除されるかどうかも注視しています。
例年なら、こんなきれいな夕日を見ながら地元の中学生たちはクラブ活動を楽しんでいたことでしょう。野球、サッカー、陸上競技、、、校庭で暗くなるまで時間を忘れて没頭できるだなんて、一生のうちに経験出来る瞬時の特権なはず。
その貴重な青春のひとこまも奪われてしまいました。
我が息子も、楽しみにしているサッカーの試合がいよいよ高校卒業まで全てが取り上げられてしまったのです。
そんな人間界の異変に全く関与せずと言わんばかりに、自然界の営みは続けられています。
神の目から見て私たち人間は自然界より偉大なものです。
パンデミックも、戦争も、また病も、超越したかのように悠久の時を刻みながらびくともしない自然界。
その自然界よりも私たち1人の価値は偉大であると教えています。
年の瀬になると永遠の時に思いが至ります。
広大な自然を前にすると無限の空間に思いを寄せます。
そして、自然と空間と時間の創造者なる方に。
その創造者なる方が人間との関係を築くために遣わされたひとり子なる方に。
"空の鳥を見なさい。
種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。
あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、
少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。"
マタイの福音書 6章26~27節
Today I went out to observe the sunset at a different place than usual.
It was in the schoolyard of a nearby junior high school.
It's the last Sunday afternoon of the year.
How are you doing?
This year has been a groundbreaking year, different from other years.
This year was a different kind of epoch-making year, one that will go down in world history as a pandemic that shut down the world simultaneously.
The pandemic is still far from over, and there have been reports of the rapid spread of infected people in recent days.
Yesterday and today, all foreigners have been temporarily banned from entering Israel and Japan.
Also, early next year, we are going to find out the results of the confusing US presidential election.
I'm also watching to see if the California lockdown will be lifted.
In past years, the local junior high school students would have enjoyed their club activities while watching such a beautiful sunset. Baseball, soccer, track and field... it must be an instant privilege to be able to lose yourself in the schoolyard until dark.
That precious moment of youth has been taken away from them.
My son's soccer games, which he looks forward to so much, have been taken away from him until he finally graduates from high school.
The workings of the natural world continue on, seemingly unconcerned with such anomalies in the human world.
In the eyes of God, we humans are greater than the natural world.
Pandemics, wars, and diseases have not faltered in the natural world, which has been ticking away for a long time as if it has transcended.
It teaches us that the value of each of us is greater than that of the natural world.
At the end of the year, I am reminded of eternal time.
When I am faced with the vastness of nature, I think of infinite space.
And to the Creator of nature, space, and time.
And also to His only begotten Son, whom He sent to establish a relationship with humanity.
“Look at the birds of the air;
they do not sow or reap or store away in barns,
and yet your heavenly Father feeds them.
Are you not much more valuable than they?
Can any one of you by worrying add a single hour to your life?”
Mathew 6:26-27
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「ベツレヘム・ストーリーの3大特徴」
ルカの福音書 2章8~20節
"さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
御使いたちが彼らから離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」
そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。
それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。
聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。"
(1)素朴
①御子誕生の知らせを最初に知らされた人々〜羊飼い-あ・社会の最下層の人々
②御使いが告げたメッセージ〜直接的で単純な言葉
「きょう、ベツレヘムで、生まれた、主キリスト、飼い葉おけに寝ている」
(2)栄光
①シャカイナ・グローリー(9)
一人のみ使いに対して複数の羊飼いらの反応〜「恐れた」
②天の軍勢による賛美(14)
常時、天において繰り広げられている天軍賛美が、地上で展開されている
⑶歓喜
①「この民全体のための素晴らしい喜び」(10)
この民〜ユダヤ民族
すばらしい喜び〜霊的な意味での釈放と地上的・政治的圧迫からの解放の意味を併せ持つ
②羊飼いたちの歓喜(20)
御使いの告げた通りにありえないことが展開されたのを見て、神の言葉の正しさと確かさとに感動している
(結論)
神の側において既に成就した偉大な営みを、私たち人が体験するために、
素朴であれ〜砕かれた心があるか
栄光が照らしている〜洞察できる目はあるか
喜びに溢れて〜語り得る口はあるか
8年前のIsrael旅行でした
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「耐え忍びなさい」
ヤコブの手紙 5章7~11節
"ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。
兄弟たち。さばかれることがないように、互いに文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます。
兄弟たち。苦難と忍耐については、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。"
(1)その必要性ゆえに
①本書はユダヤ人クリスチャン宛に書かれた書簡である。ヤコブ1:1
ディアスポラとは?
12部族の存在
②当時ユダヤ人クリスチャンの置かれていた状況
ローマからの政治的摩擦と同族ユダヤ人からの宗教的偏見と迫害
(2)その法則性ゆえに
①天地にある法則
地: 農夫の忍耐〜雨季を待ってから収穫を迎える
天: 主の再臨の前に人類は前代未聞の大艱難時代に入る。その前に世界統一政府ができる。
②携挙には緊急性と継続性がある=IMMINENT
「戸口のところに立っておられます」(9) : 完了形
⑶その報酬性ゆえに
①主がそれぞれに公平な報いを与えられる
他者に不平不満を口にすることの無効性と無意味性
課題を分離して考えるべき事
②預言者ヨブの結末
主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられた方であった
(結論)
暗い曇り空に閉ざされる時に、私たちの気分は滅入る。
気分と信仰とを混線してはならない。
天地の法則を知り、先人の結末から学び、主を見上げて前進しよう。
本日は実に青空を見ることがました。
嬉しくなって日の明るいうちに散歩。
今までの世界とは違い、どこもかしこも輝いて見えます!
ところで聖書時代のユダヤ人は目に映るものに対して真逆の発想を持っていました。
明るく見えるのは、体の中に明かりがあり、その明かりを目から放って物事を照射して明るく見えると言うのです。
つまりウルトラマンやマジンガーZが放つ、目からのビームのようなものが人間の目から出ていると考えたのです。
当時は生物学や解剖学がまだ未発達の段階で古代人の制限制約された科学的知見からのものでした。
主イエスはそのような一般理解のある中で、次のように話されています。
"からだの明かりは目です。
ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、
目が悪ければ全身が暗くなります。
ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、
その闇はどれほどでしょうか。"
マタイの福音書 6章22~23節
長い間この聖書箇所が謎でした。
ユダヤ的視座を知って、ようやく謎が氷解されて行きます。
物事を正しく見る(認識する)には、
あなた自身のうちに確かな真理(光)がなくてはならない。
正確な物差しがなければ、対象物がどのような長さかを測ることができません。
古代ユダヤでは目について現代の解剖学や生物学の教えるところと真似逆の考えを抱いていたのです。
目は、はフラッシュライトのようなもので、あなたの目が光を放ち、その光で物事を判断すると言うものです。
最近始めたオンラインでのユダヤ的洞察での聖書クラスで学んだことです。
このクラスで、次のような英語の格言も紹介されてました。
It is your attitude(態度)、not your aptitude(才能)、that determines your altitude(高度).
Today I saw a really blue sky.
I went for a walk in the light of day, happy.
Unlike the world in my state so far, everywhere looks brilliant!
The Jews of biblical times, by the way, had the exact opposite idea of what they saw.
They said that what appears to be brighter is that there is a light inside the body, and that the light is emitted from the eyes to illuminate things.
In other words, they thought it was like the beams from the eyes that Ultraman and Mazinger Z , they are my hero in Japanese animation, coming from the human eye.
This was from the limited scientific knowledge of the ancients at a time when and anatomy and biology were still in their infancy.
In the midst of such a general understanding, the Lord Jesus spoke as follows.
"The light of the body is the eye.
Therefore, if your eyes are healthy, your whole body will be brightened, but
If your eyes are bad, your whole body will be dark.
So if the light in you is darkness
How much more so will that darkness be?"
Matthew 6:22-23
For a long time this Bible verse was a mystery to me.
With the discovery of the Jewish perspective, the mystery is finally cleared away.
To see (or perceive) things correctly,
There must be a certain truth (light) within yourself.
Without an accurate measure, you cannot measure what length an object is.
The ancient Jews thought about the eye in a way opposite to what modern anatomy and biology teaches.
The eyes are like a flashing light; they say your eyes give off light and you judge things by that light.
This is something I learned in a Bible class I recently started online at Jewish Insights.
In this class, the following English proverb was also introduced:
“It is your attitude, not your aptitude, that determines your altitude.”
ヨルダンの世界遺産ペトラ
8年前の今日はイスラエル旅行の初日。
最初の訪問地ネボ山にて。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたは知らないのか」
イザヤ書 40章27~31節
"ヤコブよ、なぜ言うのか。イスラエルよ、なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の訴えは私の神に見過ごされている」と。
あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。
若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。"
(1)なぜ言い張るのか
①当時の時代状況
バビロンの脅威が迫り、その侵攻によるエルサレム崩壊(BC587)を前にしている
飢餓、殺戮と言う無慈悲な攻撃にさらされるユダの人々。
②イザヤ書の文脈の中で
1ー39章〜バビロンによるユダと近隣諸国への審判
40ー66章〜バビロン捕囚からの解放とメシア王国の樹立と栄光
(2)あなたは知らないのか
①「知らないのか」〜神にこそ最終的な解決と救いがあることを
② 「聞いていないのか」〜神の言葉を委ねられた民であるはず
⑶主は永遠の神
①全てを治めたもう方に恨みを抱く事はナンセンス
あなたの期待通りの方法や時にことがならないことがある。
主の叡智は計り知れないのだから
②すべてを見極め探り出そうとする営みは徒労に終わる。
「疲れる」「たゆむ」が3度繰り返されている(28、29、30)
(結論)
主を待ち望むものには、新しく力が与えられる。
私たちが最終的にできる事は信頼することのみである。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「油のツボ一つ」
列王記 第二 4章1~7節
"預言者の仲間の妻の一人がエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは主を恐れていました。ところが、債権者が来て、私の二人の子どもを自分の奴隷にしようとしています。」
エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。私に話しなさい。あなたには、家の中に何があるのか。」彼女は答えた。「はしためには、家の中に何もありません。ただ、油の壺一つしかありません。」
すると、彼は言った。「外に行って、近所の皆から、器を借りて来なさい。空の器を。それも、一つや二つではいけません。
家に入ったら、あなたと子どもたちの背後の戸を閉めなさい。そしてすべての器に油を注ぎ入れなさい。いっぱいになったものは、わきに置きなさい。」
そこで、彼女は彼のもとから去って行き、彼女と子どもたちが入った背後の戸を閉めた。そして、子どもたちが次々と自分のところに持って来る器に油を注ぎ入れた。
器がどれもいっぱいになったので、彼女は子どもの一人に言った。「もっと器を持って来なさい。」その子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。
彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行ってその油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」"
(1)人生の試練
①女やもめの悲惨さ
社会保障制度のない当時の女寡婦は最も貧しい身分。
身売りする他なかった
②信者未信者を区別なく襲い掛かる試練
天災、人災、経済的、どんな人間関係における試練にあっても
(2)現実の認識
①主のもとに来た〜「エリシャに叫んで言った」(1)
窮状に陥ったときの人の一般的な応答とは?
② あなたには何があるか?あなたはどういう人なのか?
「家にどんなものがある、言いなさい」(2)
「告白」=ホモ(同じ)+ロゲオー(言う)
⑶無尽蔵の供給
①信仰への挑戦〜「外に行って隣の人皆から器をを借りてきなさい。空の器を」(3)
信仰の行為は、非常識ではないが超常識である。
②こんなもの!と思える素材を通じての十分な供給
自分はつまらないものであっても主の恵みは永久まで。
(結論)
ここの聖書記事は「繁栄の神学」を教えるものではない。
主に信頼することを教えている〜供給に制限があるとしたらそれは人の側の信仰キャパシティー。私たちの主は、尽きない恵みを与えられる方であることを体験しよう。
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