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左が森ご夫妻で
右が上野ご夫妻
本日のホサナキリス教会には
特別なゲストがお見えになられてうれしかったです。
シアトルからフェリーを乗り継いで1時間はかかる遠方から
お出でくださった森さんご夫妻です。
昨日私が早天祈祷会に出席したサンロレンゾ日本人教会ご出身のご夫妻。
お住いのポウルスボには日本人教会が無いことから、ここまで足を運んでくださいました。
長い間ビジネスマンとして活躍されて来たことから
すでに当教会内には二人も知り合いのビジネスマンがいらっしゃたのにはうれしい驚きでした。
集会が終わったのは夜の8時半頃でしたが、
帰り道はいかがだったでしょうか?
是非ともまたお越しください。
土曜の朝は、サンロレンゾ日本人キリスト教会の
早天祈祷会に参加しました。
サンロレンゾ日本人教会
https://www.facebook.com/slzjccnichigo
ヨハネ福音書6章を参加者一同で1節ずつ輪読したあと、
最も心に通った1節を紹介しあいます。
そのあと、めいめいで祈りました。
翌日の日曜礼拝のため、
洗礼者のため、
病者や試みの中にいる方々のため、
日本や世界の置かれている現状を訴え、
またホームレスや経済的な苦境の中にある難民の方々のために、、、
その後は、パンとフルーツを中心とした朝食にあずかりました。
食卓は笑い声が絶えず、
実に楽しい主のテーブルでした。
栄光キリスト教会へ
日曜礼拝の説教奉仕へ行って来ました。
創立者の熊井先生ご夫妻を初め、
懐かしい旧友の数々とお会いできて嬉しくなりました。
ランチは教会で振舞っているカレーをご馳走になりました。
熊井仁子牧師夫人がお作りになられたとのこと。
10数年以上前の味と変わらないカレーにも
懐かしさを感じて嬉しくなりました。
栄光教会ではこの6月に牧師が辞任され
無牧の状態が続いています。
新しい牧師を招聘するための祈り会が
来週礼拝後に開かれるとの事です。
どうぞ栄光教会のためにお祈りください。
日本のIGM教団から
発注していた図書が届きました。
「パウロ~ギリシア・ローマ世界に生きた使徒」
(岩上敬人著)
この9月から同教団の運営する
Eラーニングのためのテキスト。
インターネットを通じての聖書通信講座で、
昨年に引き続いて岩上先生の講座を受講させてもらいます。
昨年の8講座を学んでみて
2000年前の当時の聖書世界を掘り起こすことに興味が尽きませんでした。
とかく聖書の勉強というと、字句にとらわれたり、原典ではどうのこうの
といった議論に主眼が置かれやすいと思います(もちろん大切な点ではあります)。
当時の地中海世界を席巻していたギリシア・ローマの中で生まれた新約聖書ですが、
その社会や文学形態といった文化的背景を掘り起こしながら聖書本文を解釈していこうとの手法に
岩上先生独自の斬新的で、大胆なアプローチがありました。
現在すでにそのテキストを半分ほど読み終え、開講を待っているところです。
皆さんも、如何ですか?
「本書の目指すもう一つのことは、1世紀ユダヤ教やギリシア・ローマ世界とその歴史、文化の中でパウロを理解するということです。
このような聖書研究は古くから試みられてきました。最近では考古学発見やユダヤ教文書の研究などが進められ、有益な著作が数多く出版されています。以前に比べて、1世紀ユダヤ教の思想や神学、またその当時のギリシア・ローマ世界の文化がより明らかになっているのです。
こうした背景からパウロの生涯や手紙を学ぶと、これまで私たちが「なぜだろう」と疑問に思ってきたことについて、多くの答えを見つけることができます。」
(本書「はじめに」から抜粋)
ホサナ教会ではこの日、
ポトラック愛餐会と聖餐式とを持たせていただきました。
私の日本滞在の過去2週間、
教会を留守にしていましたが、この日から通常の日曜礼拝の再会。
それに107回続いたマタイ福音書の連続メッセージシリーズが終了し、
次回からゼカリヤ書の連続講解説教が始まります。
その区切りに特別な集いを持たせていただきました。
気づいてみれば、
みことばに集中した1時間弱と
ごちそうに堪能した2時間強。
おしゃべりにも夢中になって気づいてみれば3時間ほど時間が経過していました。
時間が経つのを忘れるほどの楽しい時間でした。
よって写真を撮るのも忘れてしまいました。
4~5年ぶりの日曜礼拝訪問となりますが、
川崎南部教会へ行ってきました。
主任牧師の橋本先生は脳こうそくの入院中。
前日に病院を訪問することができて、
今日の礼拝でご奉仕があることや
私が高校生の時に橋本先生の特別集会で信仰決心に至ったことなどを
お伝えできました。
先生の前で目を合わせたとき、
「京太です」と申し上げたとき
わずかでしたが、首を縦に振ってくださいました。
たとい言語障害がったとしても
他者の声は認識できるようです。
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礼拝では、
長女が2曲賛美しました。
先回来たときは小学生低学年だった彼女の成長ぶりに
皆さん驚いていたようです。
川崎南部教会での日曜礼拝・説教要旨です。
「主の山に備えがある」
聖書拝読 創世記二十二・一~一四
主題聖句 創世記二十二・十四
百七十五年のアブラハムの生涯で最大の、
そして最終的な「試練」(一節)を迎えた。
故郷のウルを離れて以来、経済、道徳、災難、健康、
あらゆる面での試練を通り抜けて来たアブラハムであったが、
この最終的な炉を通ることで「信仰の父」・「神の友」
とのタイトルに相応しい人格が完成されることになる。
❶神の試練
「あなたの愛しているひとり子イサクを
モリヤの山で全焼のいけにえとしてささげよ」と神は言われる。
悍ましい人身供養の蛮習は異邦人世界にはあっても、
聖書の神が命じることがありえるだろうか?
すでに彼は直接的な神の顕現とメッセージを五回も体験している。
神からのものであるかどいうか、勘違いすることはない。
「モリヤの山」とは
後にエルサレムにて神殿の立てられる場所であった(Ⅱ歴代誌三・一)
❷アブラハムの応答
「翌朝早く」行動に移した即従。
しもべらに「私と子どもとは、~あなた方のところに戻ってくる」
と言えたのは復活信仰ゆえ。
「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました」
(へブル一一・一九)。
「考えた」とは
「理性的に計算して至った」の意。
これまでの生涯で、神のことばと約束の確かさを知った上での
論理的な結論であった。
❸神の備え
試練に真っ向から応えようとするものに、
神はいつでも必要な備えをされる。
直近ではイサクの代わりに角をやぶに引っ掛けた一頭の雄羊。
究極的には神のひとり子であられるイエスが
ゴルゴダの丘の上で十字架に磔刑とされた。
このイエスによる「神の備え」は、
私たちをしてアブラハム契約の継承者とし、
世界の相続人とさせるものであった。
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