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今回はオークランド空港で「走れメロス」を演じてしまった。
保安検査場を通りぬけて電子掲示板を見るとシアトル行きのフライトが遅延。14番搭乗口とある。
余裕で夕食を済ませて搭乗を待っていると、やはりいつもと様子が違う。
そもそもこれまで14番搭乗口と言う低番号へは行ったことがない。
しかもサウスウェストの特徴である30番ごとに列を作る搭乗用モニターがない。そこにはアラスカエアラインのサインがドーンとある。
きっと共同運行なのだろう、なんて考えていた。
遅延ゆえに乗り場もフライトも特別か?
念の為近くを通りかかったパイロットに聞いてみると
「ここはアラスカの乗り場」だと言い張る。
この時からパニックとなり、電子掲示板を覗き込んでみると、同じ7時台に二つのシアトル行きフライトがあったのだった!
サウスウエストは30番搭乗口。
搭乗開始が7時0分、離陸が7時30分。時に7時18分となっていた。
そこから猛ダッシュ。
「もしかすると間に合うかもしれない」
“間に合わなければ近所のホテルに一泊し、朝イチのフライトで帰ったとして午前中の礼拝時間に間に合うのか?”
“明日はシアトルのある日本人教会に呼ばれている。
もしフライトが間に合わないなら、ウーバーでこれからシアトルまで帰るか?料金は千ドルを超えるか?”
“レンタカーで帰れば安上がりだけど、13時間の走行時間以外に睡眠時間は数時間しか採れず、体調管理に自信が持てない。
こんなことで説教をキャンセルするわけには行かないしー”
こんなことが頭に通いながらとにかく走り続けた。
14番から30番への搭乗口は、ターミナルの最奥地から反対側の最奥地まで。ゆうに1キロはあったと思う。途中、息が切れてきた。
それでも走り続けた。数秒差で搭乗口ゲートが閉まってしまうこともある。
日頃ののジョギングやウォーキングはこの時のための準備だったんだ!
30番ゲートに着いてみると、まだ先頭の行列が待機していて搭乗が始まっていない。ここでも遅延となっていた。
助かった!
先回のヴァション行きフェリーには最後の1台として乗船出来てギリギリセーフ。
今回もそんな感じだったのですが、料金所を通り待機しているフェリーまで近ずいたところ、私の目の前でバーを降ろしているのです
ギリギリでアウトとなり、車列の先頭で次のフェリーを待つ羽目になりました。
私はスケジュール表からのフェリーの発着時間をあらかじめ知らないことにしています。
もし知っていたのなら家を出る前にもまた走行中も間に合わせるためにそわそわしてしまい慌ててしまうからです。
次のフェリーを待つのは30分ほどです。
その30分間、車内でゆっくりと他の仕事をすることができるんですからこれも感謝でした。
他の仕事とは、このブログの執筆作業でしたけどね。
通常40分ほどのサンフランシスコダウンタウンからオークランド空港までのドライブ時間が今回は55分。
レンタカーを返却してバス停に急いだところ、シャトルバスは丁度発車しようとドアを閉めている。
手を振りかざして走り出し「待って〜」と合図を送る。
だが無情にもバスはそのまま過ぎ去ってしまった。
「10分も待てばすぐに次のシャトルバスが来るよ」と、傍に立つエージェント。
「その10分が私には必要だったんですよ。ボーディング時間まであと20分しかないのだから」と返答。
なんてついてないんだ、と我が身を呪う気持ちになりましたが、
「すべてのことについて感謝しなさい」
と聖書にあるの思い出しました。
とてもそんな気持ちにはなれそうになかったですが、とにかくこれを実践しようと思い朝からのことを振り返りました。
すると順調に進んだプロジェクトが思い当たり、その一つ一つについて感謝の言葉を紡いでいったのです。
空港に到着した後にも試練は続き、
保安検査はこれまではお咎めなかった最小サイズの
のサバイバルキットが見つけ出されて没収されてしまう。
その時はすでにボーディング時間を割り込んでいた。
ようやくコンコースに到着し掲示板を見ると、フライトが遅延するとの告知。
これで夕食時間を見出した幸いのボーイ。
宿場町、草津。
中山道と東海道の分岐点となる道標に立ち寄りました。
いわば江戸時代の東西を結ぶ幹線道路の最大の交差点と言ってしまっても良いよね?
当然往時、宿場町として賑わった。
宿場町には歴史に名を留めている有名人が宿泊したり休息した本陣と呼ばれた旅籠があった。
その本陣にある大名や公家の貴賓室と言うべき奥の間にお邪魔しちゃいましたよー。
隣接して風呂場やトイレもある。
トイレには床の間にいけ花が飾られ
臭い消しにお香を焚く台もあった(^ ^)
トイレの下には箱が据えられていて使用後は毎回、引き出され処理されたという。
あーあ、何とも不衛生で薄暗い生活。
トイレだけを取り上げても今日の日本人なら誰でも当時のお殿様より優雅な生活をしていると言えるのではないか?
この時代に生まれて良かったとつくづく思った。
わずか人口一万人弱に過ぎない地方都市。
そこにこんな本格的な京料理を出してくれるところがあるだなんて!
もちろんここだって少子高齢化の波を受けて10年後に町が存続しているかも危ういという厳しい現実。
それでも長年培われた食の伝統は人知らずに脈々と継承されて来たのですね。
観光立国としての日本。
それなら細々であったとしても息づいている地方の文化、伝統を外国人にも参加してもらえる観光資源として活かせないものか?
雪に閉ざされた中どうやって外出しようかと考えあぐねてた時。
いつも数分以内の場所でうじゃうじゃと運行しているウーバーが今日はどこにもいない。やはりこんな雪の中仕事する人いないよなぁと思って諦めかけていた時、1台が応答!
19分後にピックアップしてくれると言う。
主イエスさま
ウクライナから来たドライバーさん、どうもありがとう。やはりこの国は移民で支えられてるよなー。
大感謝
I was trapped at my home this morning.
Couldn’t find any Uber car. All the Uber cars were not seen around me on such a heavy snow, of course who’s working!
Can you Imagine how I was excited to hear a sound responding to my ride request?
He came over in 19 minutes.
Thanks to Jesus and hard worker come from Ukraine. This country is sustained by immigrants.
サンフランシスコにある日本人街を歩いていてふと露天に並べられているワゴンに目がとまりました。
そこには100冊ほどの古本がセールで並んでいる。
足を止めたのは「1冊1ドル」と言う破格の値札に釣られたため。
司馬遼太郎以外にも龍馬を描いた歴史小説家がいたとは知りませんでした。
全巻揃っていない歯抜けだけど1ドルで1冊分が楽しめるならいいや!と思って衝動買い。
SNSで数時間過ごすよりも単行本読んだほうが楽しめる場合が多いはず。
シアトルから高速90号線を2時間ほど行ったところにある町がモーゼスレイク。
旧約聖書の最大の人物でも言っていいモーセの名からとられた地名であろうかと思える。
この町が今注目されているのは、日本製の中型旅客機MRJが開発•研究されているゆえ。
三菱関連会社が日本製としては久しく製造を見合わせていた航空機を開発するとして注目され、88席と76席のもの2種が既にテスト飛行段階にある。
その飛行場までは行かなかったがダウンタウンを歩いて見た。
荒野のど真ん中に開発された町としてはかなりおしゃれでニートな中心街。
そこに日本食レストランを発見。夕食のため入ってみた。
さすが日本の空の関係者が多いためか、本格的な外装のお店があることに頼もしさを感じる。
しかし中に入ってみると様子がだいぶ違う。
ウェイトレスやカウンター越しに働いていらっしゃるスタッフの方々は東洋系であるが明らかに日本人ではない。
店内の装飾やメニューブックを見ても、かなり日本もどきが充満しているのに気付く。
ウェイトレスの方には丁寧に言葉を尽くしてからお店を後にした。
これは多くのレストランで経験したことを下敷きにした判断であり、その店がどうのこうのと言ってるのではない。
実際食事をしていないのだからどのような評論をする資格さえ私にはない。
その2軒隣に並んでPHOの看板のベトナムレストランへ。
ここは活気もあり暖かさも感じる。
そしてPHOにも満足。
これはPHOの国で育ってないため、本場の味の盲目ゆえに審査が甘くなっている所以なのかもしれない。
ワシントン州のカスケード山脈を超えた東側は、
広大な荒野が広がっています。
ワシントン州の太平洋側を南北に移動することは多いのですが今回初めて1人で東側を旅してみました。
先ず気がついたことが気候区の変遷です。
太平洋側の北はカナダバンクーバー南はポートランドに移動しても気候の違いは感じられません。
この時期では曇りに覆われた空から霧のような雨が1日のうち数時間降り注ぎます。
ところがカスケード山脈を東に超えると常時晴天です。
心も明るく気持ちもグングン上っていくようです。
高速道路を走る交通量も南北と比べて半分以下。
それ故常に制限速度の高速でクルーズ運転が可能です。
さらに民族の構成比が異なります。
太平洋側の町々にはアジア系の方々も多くそれ故に日本食レストランには事欠くことがありません。
ところが東に行くとホワイトタウンと言っていいほど白人系の方々の比率がぐんと高まります。
日本レストランはないことはないのですが、そのクオリティーを言えば期待はできないものとなります。
ただ東洋系がマイノリティーだからといって差別などのネガティブな印象を最後までもちませんでした。
むしろ大都市圏よりもより丁寧で明るく親切な対応がどのサービスにも見られました。
これはどこの街に行っても感じることで小さな町ほど時間がゆったりと流れているようで、人々の慌ただしい応答は影を潜めてゆくのです。
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