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今日も暑いですね。雲ひとつなく青空です。洗濯日和。先ほど、妻が今日の一回目の洗濯物を取り込みました。昨日、次男が林間学校から帰ってきて洗濯物がいっぱい。
話は変わって、昨晩、トゥラン・ブーラン*エフの凱旋公演を見に、ラゾーナ川崎プラザソルへ行ってきました。ここは、ガムランにとっては良い音響のホールでした。で、内容は、
すごかった!!
演奏も踊りもみなすばらしかったです。3月から飛躍的に進歩しています。バリで演奏して、みな成長しましたね。帰り、インド料理屋さんへ一緒に入ったバリ人も驚いていました。 映像とコラボレーションの新曲「水の王国」も良かったです。ますますの活躍に期待したいと思います。
写真はタルナジャヤというバリ舞踊で、踊り手が太鼓の演奏者と絡むシーンです。みないい顔してますね。この踊りも目を見張るものがありました。さすが、本場ブレレン仕込。踊りの女性は今回日本最後で海外へ行ってしまうそうです。残念ですが、向こうでの活躍をお祈りいたします。
コメント欄にいくつか写真をアップしておきます。
先月の21日の日曜日に西洋アンティーク陶磁器勉強会があった。内容はいずれもイギリスの18世紀の陶磁器に関するものだったので、わたしは皆さんの熱心なお話を感心しながら聞いていた。その中で、イギリスにおける18世紀のブルー&ホワイトに関する発表があった。そこでとても興味深いことを教わった。
硬質磁器の場合は素焼きした素地に直にコバルトで絵付けをして透明釉を掛けて焼成する。しかし、軟質磁器の場合は締め焼きした素地に直接絵付けをせず、一回透明釉を掛けて焼成をし、その上にコバルトで絵付けをして、さらにまた透明釉をかけて焼成するというのである。
この行為は何を意味するのか。
わたしの考えは、おそらく軟質磁器の場合は素地に一回釉薬を掛けないとちゃんとした絵が描けないからではないかと思う。軟質磁器は締め焼きを行うと磁器化して固まるが、おそらく、そのときに素地に隙間が出来るのである。そのため、そのまま直に絵付けをしてしまうと、素地の隙間に絵の具が染み込んでしまい、何の絵か判らなくなるくらい滲み、おそらく裏まで色が出てしまうのである。サブリナウェアの釉下彩が良い例である。
硬質磁器の場合、粘土成分がきめ細かく、素地に絵の具が染み込まないのである。ただ、絵の具を水溶液に溶かした場合、やはり硬質磁器でも素地に染み込むようである。もちろん、軟質磁器にもいろいろあるので、すべてがそうだとは言い切れないが、おそらく、これが、締め焼きの後、釉薬をかけて絵付けをする理由であると思う。すなわち、軟質磁器の場合、必然的に上絵付けの技術が発展したのであろう。
これで、18世紀のセーブルのブルーがなぜ釉下彩のブルーではなく、上絵付けを用いているのかという謎も解けた。ようするに、18世紀のセーブルは軟質磁器だったので、釉下彩には不向きだったのである。
昨日、仕事の帰りの電車の中で、染付に関する疑問というかひとつの謎を解決することができました。こういうヒラメキというのは、机に向かっているときではなく、電車の中とかトイレとかで考え事をしているときに出てくるものですね。
アップはもう少し考えたいので、今日は染付について簡単に解説します。陶磁器の辞典では、「染付とは陶磁器における釉下彩のひとつで、酸化コバルトを主成分とする絵具を使って素焼きした素地の上に図様を表して、透明釉を施して焼成する技法およびその製品をいう。中国、朝鮮では青花、英語ではブルー&ホワイトという。」と書いてあります。
ただ、染付=青花=ブルー&ホワイトというわけではないと思われます。染付には磁胎染付と陶胎染付があるからです。陶胎染付は、京焼の藍絵のようなものを指しますので、素地は白くなくても良いのです。これに対してブルー&ホワイトは青と白ですから、素地は白でなければなりません。錫釉陶器であるデルフトの藍絵もブルー&ホワイトと言ってもよさそうですが、デルフト・ブルー(日本では白地藍彩と言う)と言い区別しているようなので、西洋ではブルー&ホワイトは、やはり釉下彩の磁胎染付のことを指すのでしょう。青花も本来は明時代に景徳鎮の磁胎染付に対してつけられたものです。
こう考えると、この前のロムドシンの講演において、唐時代の中国で、すでに染付はあったと説明を受けて、ちょっと「えっ?」と思いましたが、納得できました。
写真は18世紀のロイヤルコペンハーゲンのブルーフルーテッドの深皿です。
上の写真は、清朝、康熙(1662−1722)時代に作られた中国の青花である。そして下の写真はマイセンの1765−1774年に作られた花麦藁菊文様のブルー&ホワイトである。この文様が、後にロイヤルコペンハーゲンのブルーフルーテッドとして世界的に有名になる元のデザインで、マイセンでは1740年前後に作られたとされている。
ここで問題なのは、この花麦藁菊文様はマイセンのオリジナルかそれとも、中国の青花がオリジナルかということである。ロイヤルコペンハーゲンのブルーフルーテッドの専門書には上の写真の中国の青花がオリジナルだろうとしている。私もそう思う。ただし、マイセンのブルー&ホワイトに関する専門書には載っていない。載っているのは、ブルーオニオン文様の元と考えられる中国の青花の写真だけであり、花麦藁菊やロック&バードの文様の元は掲載されていないのである。
5月にロムドシンという西洋骨董店が主催するマイセンの「藍色の世界」という講演会を聞いてきた。某美術館の学芸員が講師であった。内容は染付の歴史が主でマイセンの専門書に掲載されているブルーオニオンの元としている青花の写真も出てきた。
講演が終わり、質問タイムでロムドシンのオーナーから指名されたので質問をした。
ブルーオニオン文様の元は中国だが、花麦藁菊やロック&バード文様のオリジナルも中国かと。答えは、ロック&バードの元は中国である。理由は太古岩や飛んでいる鳥の柄はいっぱい中国にあるからだという。でも、同じような柄は見たことがないというとマイセンの専門書に載っているブルーオニオン文様もまったく同じではないという答え。では、なぜマイセンの専門書にはブルーオニオンだけしかオリジナルが載っていないのか。と突っ込みたかったが、やめた。
さらに、花麦藁菊文様のオリジナルはマイセンかもしれないという。理由は、花麦藁菊のような幾何学的なパターン化された文様は中国にはないという。そんなことはないだろう。中国オリジナルの芙蓉手文様だって幾何学的なパターン化された文様である。ばかばかしくなって、質問を続ける気がしなくなり、やめた。
まあ、この講演会での収穫は、オリジナルとはそれほど似てなくても良いということだ。陶磁器を専門にしている美術館の学芸員の先生が言うのであるから、そうなのであろう。
ということで、マイセンの花麦藁菊文様もオリジナルは中国である。理由は、上の写真の皿の文様は、じゅうぶん下の写真の皿に似ているからである。
実は、先週ヴォーリズ展に行ってきました。NHKの日曜美術館でも取り上げていましたね。
私は15年前に近江八幡でヴォーリズの建築をいくつか見ています。そして、4年前にも見れなかったヴォーリズの建築を見に再び近江八幡を訪ねました。ただ、個人宅が多いので内部まで入れたのは、ひとつだけだったと思います。軽井沢のユニオンチャーチは内部に入れますし、以前にも書きましたように、タリアセンに移築された朝吹山荘も今は中に入れます。ということで、特に汐留へ行こうとは思っていなかったのですが、新橋の近くへ行く機会がありましたので寄ってみました。
図録「ヴォーリズ建築の百年」の中で、評論家海野弘さんが「ヴォーリズのデザインの起源を、アーツ・アンド・クラフツ運動の中においてみると、フランクロイドライトの建築から、日本の民芸運動にいたる広いパースペクティブが見えてくるのではないだろうか。」と、書いています。
これって、前回同じ汐留ミュージアムと東京都美術館で行われたアーツ&クラフツ展のテーマと同じですね。いままで、建築史では折衷様式として片付けられて忘れられていたものが、最近になって、ルーツ探しの研究として注目を浴びてきたということでしょうか。フランクロイドライトも近代建築の巨匠と呼ばれていますが、他の二人と異なり、異端児扱いされていましたからね。評価されていなかったアールヌーヴォーにいち早く注目した海野さんですから、もしかしたら、前回2つのアーツ&クラフツ展の仕掛け人は海野さんでしょうか。ちょっと、深読みすぎかな?
今回、ヴォーリズが音楽ホールを造っていたという事を初めて知りました。もう現存していませんが、南葵(なんき)楽堂と呼ばれる音楽ホールで、開設者は紀州徳川家16 代、徳川頼貞侯爵(1892〜1954)、1918年に東京の港区に建てられたようです。どんなホールだったのでしょう。ヴォーリズが設計した美しい響きを聴いてみたかったですね。関東大震災のために閉鎖されて、中にあったパイプオルガンは1928年に東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)に寄贈され、現在も旧奏楽堂にあります。
写真は、私が撮った軽井沢タリアセンにある朝吹山荘の居間です。ユニオンチャーチの内部もコメント欄にアップしておきます。
もうひとつ土曜日に購入した「彩磁蜻蛉蜘蛛文小皿」です。横幅が17cmあります。こちらは1910年から1922年までの間に作られたもので、オリジナルは1895年に制作されたようです。作家は良くわかっていません。ミッドサマーも蜻蛉が取手として用いられているので、作家はアーノルドクローかもしれませんが、定かではありません。
蜻蛉と蜘蛛は良くロイヤルコペンハーゲンで使われるモチーフです。ただ、両方描かれているものは珍しく、だいたい蜻蛉と蜘蛛の巣だけが描かれているものが多いです。
いくつか見たことはありますが、やはり数は少ないものです。結構日本にもレア物がありますね。
ロイヤルコペンハーゲンの彩磁金魚文小皿です。作家はA.Pedersonで、製作された時期は、おそらく1902年から1905年の間と思われます。この作品は1980年過ぎまでロイヤルコペンハーゲンで作られています。
若い物は結構出てきますが、古い1922年以前のものは、見たことがありませんでした。今のものとまったく色合いが違い、初期のロイヤルコペンハーゲン独特の淡い感じがとても良く出ています。色も良く見かけるグレイではなく、赤ですね。めずらしいと思います。
昨日、泉屋博古館で開催されている「板谷波山をめぐる近代陶磁」展を見てきました。ちょうど、2時から学芸員の説明があったので、途中からですが参加して、説明を聞ながらじっくりと見ることができました。
写真の左側が今回の図録です。そして、右側が平成12年度春季展の図録です。この間に、いずれの表紙を飾っている「葆光彩磁珍果文花瓶」が重要文化財に指定されました。実は、近代陶磁器で重要文化財に指定されているのは、この泉屋博古館が所蔵している板谷波山の「葆光彩磁珍果文花瓶」と国立博物館が所蔵している宮川香山の「色絵蟹高浮彫水鉢」のふたつだけです。
今回の図録は作品ひとつひとつの写真が大きくきれいで、裏銘や箱書きなどの記録も掲載されておりますが、各作家の経歴等は記載されておりません。その代わりとして、写真は簡易ですが右側の前回の図録には作家についての解説が詳しく述べられております。ようするに2冊で、完成された図録といっても良いと思います。
私は、前回の平成12年度春季展は見に行きませんでしたが、平成13年に横浜美術館で行われた「宮川香山」展で、この右側の図録を見つけて購入しました。ですから、今回、この図録に掲載されていた作品をほとんど見ることができて、とても幸せでした。もちろん、板谷波山の作品は出光美術館や日本橋高島屋で行われたときに見ていますので、また、会えたなという感じでしたが、他の作家の作品については、ほとんど初めてでした。
私としては、今回、七代目錦光山宗兵衛の作品「窯変菊浮模様花瓶」がとてもよかったです。こんなに大きい(63cm)錦光山の作品は、いままで見たことがありませんでした。
6月14日(日)までですので、陶磁器に興味のある方には、是非お勧めします。
美大を卒業した仲間で友人が毎年行っている絵画の展覧会「五歩展」を見に銀座にある「あかね画廊」へいってきました。今年は女性3人が参加していました。働きながら、20年以上続けており、頭が下がります。写真は、友人の作品3点です。
明日銀座へ行く用事がある方は是非寄って見て下さい。午前11時から午後5時までです。地下鉄B4出口を出て、すぐに並木通りを入るとすぐ(20mくらい)右側2Fにあります。開催中は並木通りに「あかね画廊」という看板が立っています。
コメント欄に友人の作品の写真を一枚ずつアップしていますので、ご覧ください。
お客さんも沢山来てくれました。気持ち良く、そして楽しく演奏できました。ありがとうございました。
子供たちのために始まった羽根木プレーパークも今年で30年だそうです。7月には30周年記念イベントがいろいろあるようです。
18時から30年ぶりの高校の同窓会が横浜で行われ、片付けの後、すぐに、梅が丘から渋谷に出て、東横線で横浜へ。東横線の特急は速いですね。あっという間に着きました。
なつかしかったな。みんないいおじさんになっていて。ひさしぶりに酔っ払いました。でも、午前様にはぎりぎりなりませんでしたよ。
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