2012年のレースでのくまごろう
今日はマーサーアイランド10kmランの日、薄曇りだが朝8時の気温は3℃でこの時期としては寒い。コースはここ数年変わらず、マーサーアイランドの北部、I-90沿いに走るが、アップダウンが激しく簡単なコースではない。しかしくまごろうはこのコースを走りなれており、ペースの配分も頭に入っている。
8時30分に号砲一発元気良くスタート、今年の10kmラン参加者はフィニッシュした人数が563人で、昨年の620人よりやや少ないが、先週のSt. Patrick’s Day Dashほど混みあわず、丁度良い規模だ。
2マイルポストを過ぎると最初の上りにさしかかるが、いつも走っているところなので難なく通過し、ピークを過ぎた下り坂では一気にスピードを上げる。3マイルポストはMercer Island Park & Rideの入口付近だが、疲れもなく快調だ。3.5マイル付近から公園の中の上り坂となるが、いつも走っている場所ながら上りはきつい。ランナーの中にはきつくて歩いている人もいるが、日頃の練習の成果、くまごろうはややペースは落ちるものの走り続ける。
4マイルポストを過ぎるとマーサーアイランドハイスクールのスチールバンドが演奏をおこなっており、ランナーを鼓舞する。ここからしばらくは急な下り坂なのでコースの中で最もスピードが出る。坂を下りきった所をしばらく走ってから最大の難所である、I-90沿いのフローティングブリッジそばの上り坂となる。これは毎年きつく、数年前には歩いてしまったこともあるが、今年は昨年同様ややスローペースながらも走り続けることが出来た。5マイルポストを過ぎるといつも走っているなじみのコースとなるのでペースの配分も楽だ。最大の難所ではあんなに苦しかったのに5マイルポストの先の下り坂ではスピードが乗ってくる。
6マイルポストを過ぎるとゴール手前の最後の上り坂になるが、観衆が多いので疲れた体に鞭打って、さも元気いっぱいのふりをして登りきり、ゴールに飛び込む。気になるタイムは58分30秒。目標の60分以内を達成するとともに、昨年の58分51秒よりも短い。
結果は男子70歳以上のグループでは2位、ちなみに1位は54分22秒で4分以上も差をつけられたが、3位は1時間10分8秒だったので余裕の2位。60歳以上でみるとトップは54分22秒でくまごろうは12人中7位、参加者全体では563人中224位だった。
今年のレースはまず満足出来るものだったと言える。
写真は主催者のホームページより借用
今日、シアトルでのSt. Patrick’s Day Dashに参加し、約6キロのコースを走ってきた。娘はこのレースによく参加していたが、今年は息子の会社がスポンサーになるため一家で参加すると聞き、くまごろうも参加することとした。
このレースはアイリッシュの春のお祭りの一環であり、シンボルカラーのグリーンが目立つ。昨年はランとウォーク合わせて17,000人も参加した大規模なイベントで、今年も参加者は確かに多い。気温が5℃程度と低く、スタートするまではくまごろうは寒くて震えていた。
午前8時40分のスタート時には日差しがあって少し暖かくなったが空気は冷たい。コースは市内のハイウェイ99を閉鎖して行われるが、前半はずっと登りで参加する前はきついのではないかと思ったが、走ってみると登りは連続しているものの勾配はそれほど急ではなく、毎週走っているマーサーアイランドのコースの方がむしろきついと思った。景色がとても良い高級レストランCanlisの付近が最高地点に近く、その先にAurora Bridgeがあるがブリッジの手前でU-ターンして復路となる。復路は下り坂なのでスピードも上がり、心臓も楽だ。ゴールしてみるとタイムは33分11秒、娘は昨年32分8秒でフィニッシュしているから、くまごろうとしてはこんなものだろう。
ゴールしてからウォークで参加している息子たちを待つ間寒くてたまらないので、近くにあるFood Courtに入ってホットコーヒーを飲んで体を温めた。
いよいよ来週はMercer Island 10 Kmレース、今日は良い足慣らしとなった。
US Navyより拝借
アメリカ海兵隊の輸送機オスプレイが岩国基地に移動し、九州や四国などの上空で訓練飛行を行っていることが報道されている。NHKのニュースでは、不安げな飛行地域の住民がオスプレイの飛行は迷惑だ、というコメントを報道している。くまごろうは日本でのオスプレイの報道を詳しく知らないが、少なくともNHKの報道は国民に無用な不安をあおっているように思われる。
オスプレイの開発に際しては1989年の初飛行以来、ティルトローター方式という高度な技術が必要なために試作機段階で2回の重大事故を起こしているが、原因究明の上改良が加えられ、2005年末に運用が開始された。その後も何回か事故が発生しているが、その都度原因が究明され対策が施されている。防衛省発表の2003年10月より2012年4月までのデータによれば、オスプレイの事故率は103,520時間の飛行に対し2件で100,000時間あたり1.93であり、1960年代から配備されている輸送用ヘリコプターCH-46の事故率1.11には劣るものの、アメリカ海兵隊所属の全航空機の事故率2.45よりはるかに低い。
オスプレイは従来の輸送用ヘリコプターCH-46の約4倍である600Kmの行動半径を持ち、最大速力は約2倍の520Km/hr、輸送人員数や搭載可能貨物重量も2倍以上であり、緊急時の輸送や救助には大きな力を発揮する。既にイラク戦争やアフガニスタンでも実戦に配備され、実績は少なくない。
日本は離島が多く、また自然災害も少なくない。そのような時にオスプレイは従来の大型ヘリコプター以上の実力を発揮することが出来る。日本政府は2013年度予算にオスプレイの自衛隊への配備に関する調査費を計上し、運用を研究することにしている。オスプレイは危険だ、と国民をあおるような報道をするより、NHKがオスプレイがどのような飛行機であるのかを伝える特別番組を企画することを望む。
北海道では吹雪のニュースが話題になっているが、北緯47度34分にあるマーサーアイランドは45度54分の樺太の南端よりも北に位置しているにもかかわらず、桃の節句の頃になれば春が感じられる。昨日、今日と二日続けて晴天で、昨夜は放射冷却のために最低気温が-2℃になり、今朝は隣家の屋根が真っ白だったが、日中は最高気温が12℃に達した。庭のクロッカスも咲き乱れ、そめいよしのの蕾も大分膨らんで春の訪れを感じさせる。
最近では朝は6時過ぎには明るくなり、天気が良ければ夕方も6時頃まで明るい。今度の日曜日からDaylight Saving Timeが始まり、くまごろうにとってはいよいよ本格的なゴルフシーズンの到来となる。寒さをこらえて励んだ練習の成果が現れることを大いに期待している。
今年も東京マラソンが終わり、3月24日のMercer Island 10 Km Runまで4週間たらずとなった。くまごろうは今年に入ってから既に15回7.5 Km以上走り、練習量としては昨年の16回と較べて遜色ない。通常の7.5 Kmの他に、9.5 Kmを4回走り、また10 Kmのレースコースも1回走っている。
今年の目標は昨年と同じ60分以内でのフィニッシュだが、1週間前にレースコースを走った時のタイムは60分28秒で目標には届かなかった。しかし去年もレース前のコースの試走では最も早いタイムでも61分49秒、その他は62分以上だったが、レースでは58分51秒でフィニッシュすることが出来た。例年レースのタイムが練習より短いが、きっと一緒に走る人たちがいるためだと思う。自分と同じ位のペースで走っている人のうしろについていると、生来の負けず嫌いの性格が現れて、多少きつくても頑張ってしまうせいだろう。
Mercer Island 10 Km Runのコースは起伏が多く、急な登りが3ヶ所ある。特に最後の登りは短いがきつく、体調が万全でなかった2011年のレースでは、その一部を歩いてしまった。今年のレースコースの試走ではこの登りの最後の部分は厳しかったものの、走り続けることが出来、昨年と較べてまだ体力は衰えていないと実感した。
今からレースまでの期間、気温も1月のように寒くなることはないと予想されるので、今年も自分のエージグループでの1位を目指して、膝、足首、腰を痛めないよう注意しながらトレーニングに励もう。
地球に向う小惑星(Shutterstockより)
昨日ロシアに隕石が落下して多数の負傷者が出た。人が負傷したのは、秒速 10kmを超える高速で落下する隕石により発生する衝撃波がガラスや建物を破壊したためであり、隕石に直撃された人はいない。隕石は宇宙にある小惑星が地球の重力に引き寄せられて落ちてくるが、直径10m以下の小惑星は大気圏で燃え尽きるため、隕石とはならない。直径10cm程度の隕石は3,4日に1回、1m程度の隕石は1年に1回程度、地球に落下する。
今からおよそ6、550万年前に直径約10kmの小惑星が中央アメリカに衝突し、それが原因でそれまで繁栄していた恐竜が絶滅したと言われている。この小惑星は水深の浅い海に衝突し、その衝撃で海水は吹き飛び、海底に直径180km、深さ30kmのクレーターが作られ、超巨大地震が発生し、周辺の陸地では大火災が発生したと考えられている。成層圏にまで舞い上がった土砂などのちりが太陽からのエネルギーをさえぎり、数年にわたって地球が寒冷化したため、植物の生育が衰え、その結果食物連鎖が異常をきたしたために多くの生物種が絶滅した。
アメリカのアリゾナ州にある直径約1.2km、深さ約170メートルのバリンジャー・クレーターは約5万年前に起きた小惑星の衝突跡であるが、この隕石の大きさは直径約30mだったと推定されている。この衝突で半径3-4km以内の生物は一瞬にして消滅し、衝突によって発生した巨大な火の玉により半径10km以内のあらゆる物質を燃焼し、また衝撃波により半径22kmまでは何もない荒野となった。しかしこの隕石は気候変動をもたらすには至らなかった。
2008年10月、スーダンで空中爆発した小惑星2008 TC3は史上初の地球と衝突する前に予知された小惑星となった。前日にアリゾナの天文台で発見されたこの小惑星はアメリカにある小惑星センターおよびNASAが大気圏に突入する場所と時刻を予測したが、予測どおり秒速12.4kmで大気圏に突入し、スーダン上空で砕け散った。その後の現地調査で280個、約4kgの破片が回収されている。しかしこの小惑星は大気圏突入前に予知されたとは言え、発見されたのは大気圏突入のわずか20時間前だった。
地球の近くを公転する小惑星は地球近傍天体と呼ばれ、これまでに9,000個以上発見されているが、地球の公転軌道と離れていれば衝突の恐れはない。これらの中で地球の750万キロメートル以内に接近する恐れのある直径150m以上の小惑星をPHA (Potentailly Hazardous Asteroid)と呼ぶが、これまで1,300個あまりが発見されている。これらの中でもっとも危険と思われているのが1950 DAと呼ばれる直径1.1kmの小惑星だ。NASAによれば、これまでの観測により2880年3月16日に最大0.33%の確率で地球と衝突の恐れがあるとのことだ。もしも衝突が起これば、大気圏での爆発や分裂にもよるが、恐竜絶滅の時ほどではないにしても、バリンジャー・クレーターを起こした衝突よりはるかに大きな災害となる恐れがある。2013年1月号の科学雑誌ニュートンによれば、もしも直径1kmの小惑星が東京市ヶ谷付近に衝突すると、直径10km、深さ約2kmのクレーターがつくられて、山手線の内側が消滅すると予測している。その際衝突による閃光と衝撃波は半径20kmに達し、甚大な被害は東京全域はもちろん、周辺の横浜、川崎、柏、さいたま、所沢などにも及ぶ。
現在の科学技術では小惑星の衝突はほとんど避けることが出来ないのが実情である。
はやぶさから見た地球(JAXAアーカイブより借用)
われわれの住む地球は宇宙の中で特異な天体である。惑星に生命が存在するためには液体の水が表面に存在することが必要だが、そのためには惑星の中心にある熱源である恒星から適度に離れていなければならない。太陽系では水星や金星は太陽に近すぎて水が蒸発し、火星より外にある惑星では太陽から遠すぎて水が凍ってしまう。太陽系では地球と火星だけがこの領域に存在している。現在、NASAの無人探査機キュリオシティが火星の調査を行っているが、その目的のひとつはこれまでに液体の水や生命が存在したかを確認することである。またケプラー天体観測衛星が地球と同じような環境にある太陽系以外の惑星の探査を行っているが、得られたデータによれば、地球から600光年離れたケプラー22bが水の存在しうる唯一の惑星である。
地球は約46億年前に誕生したと考えられているが、その成因はまだ良くわかっていない。太陽の誕生後、ガスや宇宙塵が太陽の周囲の軌道を回り始め、それらが衝突して小惑星より小さい微惑星を形成し、それらが更に衝突を繰り返して惑星を形成したという説が有力である。太陽に近い軌道の水星、金星、地球、火星では水やメタンなどの揮発性物質には温度が高すぎるため凝縮せず金属や珪酸塩などを中心とした岩石型惑星となり、太陽から離れているために温度の低い木星以遠の惑星ではこれらのガスが凝縮した巨大ガス惑星となった。
地球の直径は約12,800kmであり、その表面は地殻と呼ばれる珪酸塩鉱物で覆われている。地殻の厚さは場所により異なるが海洋性地殻では5-10km、大陸性地殻では30-50kmである。地殻の内側には岩石質の粘弾性体であるマントルがあり、その厚さは地表から約2,900kmまで達する。地殻と上部マントルが厚さ100kmほどの10数枚のプレートを形成して地球表面を覆っており、このプレートはその下のマントルの対流によりゆっくりと動く。マントルの内側には主に鉄とニッケルで構成されている核がある。地球中心部は5,000-8,000℃、約400万気圧の高温高圧で、そのため地球中心から約1,220kmの内核は固相、その外側の外核は圧力の減少により液相となっている。。金属の液相である外核が対流や地球の自転によって流動することにより電流が生じ、これが地球磁場の一因となる。
地球は太陽のまわりを円に近い楕円軌道で公転しているが、太陽に最も近い近日点における太陽までの距離は14,700万km、最も遠い遠日点における距離は15,200万kmである。興味深いことに近日点は冬至の約2週間後であり、遠日点も夏至の約2週間後である。すなわち北半球の真夏には地球は太陽から最も遠い位置にある。それでも夏が暑いのは、太陽からの距離の問題ではなく、地球の自転軸が約23度傾いており、そのため北半球では夏季により多くの太陽からの輻射熱を受けるためである。地球は太陽のまわりを約1年かけて公転しているが、その速度は一定ではない。近日点付近では早く、遠日点付近では遅くなるが、平均秒速30kmという超高速で動いている。
地球に生命が存在するためには水があることだけでは十分でない。地球を包む大気圏が重要な役割を担っている。大気は主に窒素78%、酸素21%で構成されているが、酸素があるから動物は生きることが出来る。赤道付近では地表から高度約17km、極付近では約9kmまでの大気層は対流圏と呼ばれ、高度と共に気温が低下して地表から最も遠い所では-60℃に達する。対流圏では地殻に貯留している水が蒸発して移動することにより色々な気象現象を起こすが、対流圏外側では気温が低いため水蒸気が凝縮し、対流圏の外側にある成層圏(高度約50kmまで)には水蒸気が拡散しない。この現象により水は地球から失われないのだ。成層圏では高度と共に気温が上昇し、また水蒸気がない環境のもと、太陽からの紫外線により酸素からオゾンが作られるが、このオゾン層が有害な太陽紫外線から地球を守ってくれる。また太陽からは磁気が発生しているが、その磁気が宇宙のどこでも飛交っている銀河系宇宙線(陽子や電子など)が地球に降り注ぐのを防いでいる。これらの条件がひとつでも欠けると、地球上で生命を維持することは出来なくなる。宇宙規模で見ると、この世に人類が存在していることはほとんど奇跡に近いと思える。
天気予報では今日は雨、ゴルフには最適ではないがとりあえず9時半過ぎにクラブに到着。クラブまで来る間は小雨だったが、駐車場ではほとんど降っていない。10時20分にスタートしたが気温は5℃程度でそれほど寒くない。南の空はすこし明るくなっており、天気は回復してきそうな様子だ。
南からの雲は早く動いているが、いつものようにクラブの南で東側に流れ、こちらには直進してこない。他方、東の空はまっ黒だ。きっとBellevueやRedmondなどLake Washingtonの東側にあるゴルフ場は雨だろうね、と話しながらラウンドする。
結局17番ホールで少しだけぱらついただけで、18番ホールでは日も差し気温は10℃位まで上がっており、この時期としては最高のコンディションだった。スコアもこの時期としては悪くない46/45、春が待ち遠しくなるスコアだ。
クラブハウスでテレビを見るとSan DiegoでやっているPGAのトーナメントは雨の中、まるで冬のシアトルでのゴルフのように見える。反対に今日のクラブでの天候は南カリフォルニアのようだ。
帰宅してから、今日の定例ゴルフを欠席して東のWoodinvilleにあるBear Creek Country Clubでプレイするはずだったメンバーは雨のためゴルフが出来なかった、と聞いた。浮気したから罰が当たったのだろう。それにしてもわがクラブは同じシアトル近郊でも雨に降られる確率が低いようだ。
313年に、時の東方正帝リキニウスと西方正帝コンスタンティヌス帝によりミラノ勅令が公布される。これは信教の自由を認めると共に、キリスト教徒に対してはこれまでに没収した教会や資産を返還するというものである。しかしこの勅令は、ローマの多神教を信じないものは毎年正月のローマの神々への犠牲式とそれに引き続き行われる皇帝への忠誠を宣誓する儀式への参加義務をなくすことにより、国家としての一体性を弱体化することとなる。更にコンスタンティヌス帝は聖職者へのローマ帝国に対する公務や納税免除などによりキリスト教を振興するが、これら聖職者に対する特典は意外な影響を及ぼすことになる。国家行政官や軍務につけない有能な中間層が公務・納税免除のキリスト教聖職者となることを結果的に奨励したのである。これに加え、コンスタンティヌス帝は皇帝財産からキリスト教会に寄贈を行っているが、これまでの皇帝とは違いなぜこれほどまでにキリスト教に好意的だったかについては、生母がキリスト教徒だったという説が有力である。
324年、リキニウスを滅ぼし唯一の皇帝となったコンスタンティヌス帝はキリスト教会の建設も含む新都コンスタンティノポリスの建設を開始するとともに、これまで帝国西方のキリスト教コミュニティにもたらされていたキリスト教振興政策を帝国東方でも実施していく。ミラノ勅令以来ローマ帝国内にキリスト教徒が増加するにつれ、キリスト教の教義の解釈をめぐる論争が重要性を持つようになり、ローマ帝国の最高神祇官でもあるコンスタンティヌス帝は325年、ニケア公会議を召集し、神とイエスと精霊が一体とする三位一体説をキリスト教の正当な教義として採択した。ところで当時のローマ帝国でのキリスト教徒数は、ある研究によれば5%程度とのことだが、これは帝国東方の都市での数字で、イタリア半島やガリアなどの都市ではこれよりはるかに少なかったと思われる。帝国全体ではわずかな信徒しかいないキリスト教をコンスタンティヌス帝がこれほどまで優遇してきたのは、帝国支配の道具にするためだった、と考えられている。330年、コンスタンティノポリスが完成したが、ローマには神々を祀る神殿があるのに、コンスタンティノポリスにはキリスト教の教会しかなく、これはまさしくキリスト教を中心としてローマ帝国の再生を狙ったコンスタンティヌス帝のキリスト教ローマの首都であった。337年、ペルシャ戦役に向う途中、コンスタンティヌス帝は病で死を迎えるが、死の直前にキリスト教の洗礼を受け、キリスト教徒として死に、ローマ式の火葬ではなくキリスト教式に遺体は埋葬された。コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認しただけでなく優遇したが、その子コンスタンティウス帝は父の政策を継続し、自身も361年死の直前にキリスト教の洗礼を受けた。
コンスタンティウス帝より帝位を引き継いだユリアヌス帝は361年、キリスト教への優遇策を廃止してあらゆる宗教を同列に扱うこととしたが、これは若き日にギリシャ哲学を学んだユリアヌス帝がギリシャ・ローマ文化と宗教の再興を図るためであった。この勅令は313年のコンスタンティヌス帝によるミラノ勅令への回帰であったが、国費を使ってのキリスト教会や教会資産の寄進や寄付は禁止され、教会や聖職者への免税措置も廃止される。しかし363年、ペルシャ戦役でユリアヌス帝が戦死すると皇帝護衛隊長だったヨヴィアヌスが帝位を継承し、キリスト教徒のヨヴィアヌス帝はユリアヌス帝の勅令をすべて無効として、コンスタンティウス帝時代のキリスト教優遇策を復活させた。
374年、ゲルマン民族出身のヴァレンティニアウス帝の統治下で州長官であったキリスト教徒ではないアンブロシウスは、三位一体を唱えるアタナシウス派キリスト教指導者の要請によりミラノ司教に就任する。アンブロシウスは高い教養と優れた頭脳を駆使して司教の中でも頭角を現してくる。
幼少よりキリスト教を学び好意的だった西方皇帝のグラティアヌス帝に加え、379年、東方皇帝にテオドシウスが就任するものの就任後に重病にかかり、それをきっかけにキリスト教徒となった。両皇帝はキリスト教の司祭というだけでなく、有能なアンブロシウスに事あるごとに相談することにより密接な関係となり、徐々にアンブロシウスの影響を受けるようになってゆく。ローマ帝国東方は元来三位一体派ではないアリウス派キリスト教の信者が多かったが、テオドシウス帝はアンブロシウスの影響により異端のキリスト教を勅令によって排斥した。一方帝国西方ではキリスト教の普及が東方ほどではなく、そのため異端のキリスト教徒は多くなかったので、グラティアヌス帝はキリスト教以外の異教を排斥する。ローマ帝国では皇帝が最高神ユピテルを初めとするローマの神々を祭る役職である最高神祇官に就任するのが慣しであったが、グラティアヌス帝は最高神祇官就任を拒否し、かつローマの神々を祭る神殿への国庫負担を廃止した。そのため、数百年も続いたローマの神々への信仰が急速に衰えることになる。383年にグラティアヌス帝はブリタニアでの反乱鎮圧の途中、ガリアで殺害されるが、その後帝国西方は実質的にテオドシウス帝により統治される。388年、キリスト教徒のテオドシウス帝はアンブロシウスの意向に従って三位一体派以外のすべての宗教を邪教とする勅令を発したことにより、ギリシャやローマの神々を信仰する多神教は違法となり、これらの神々を祀る神殿は破壊されるかキリスト教会へと改修された。このようにしてキリスト教がローマの国教となったことにより、歴史的な文化財であり芸術作品であったギリシャやローマの神々の像は破壊され、廃棄された。
アンブロシウスはミラノ司教でありテオドシウス帝はキリスト教徒であったため、テオドシウス帝はキリスト教の教義を示すミラノ司教に従わねばならない。シリアで起きたキリスト教徒によるユダヤ教会堂焼き討ち事件やギリシャでの乱闘事件などでテオドシウス帝がローマ法に基づく行政処置を行ったが、ミラノ司教はキリスト教の立場からテオドシウス帝を非難し、テオドシウス帝は行政処置の撤回や贖罪をせざるを得なかった。これらのことはキリスト教徒でないローマ人は法の下での平等な権利を失うことと共に、キリスト教の司祭はローマ皇帝よりも上位であることを示したことになる。ローマ皇帝は神の思し召しがあるからこそその地位にあるということだ。かくしてローマ帝国は皇帝が支配する法治国家から宗教国家へ変貌してゆく。
テオドシウス帝はローマ帝国を二つに分け、長男に東ローマ帝国を、次男に西ローマ帝国を統治させてから395年、その生涯を閉じた。その後、二つのローマ帝国は以前のように一つの帝国に戻ることなく滅んでいった。
昨年11月に自民党の安倍総裁が衆議院選挙に向けて日銀の積極的な金融緩和と2-3%のインフレ目標を提案してから円安が続いている。当時1ドルが79円台だったが、現在では89円台まで円安が進行し、それに伴って日本の株価も上昇している。
2012年2月4日のくまごろうのひとりごとに76円台まで円高となった為替相場を嘆き、イエール大学の浜田宏一教授が日銀白川総裁に提言したような金融緩和を進めるべきだと書いたが、インフレを極端に恐れる白川総裁には馬耳東風、2月14日にはFRBのバーナンキ議長が2%のインフレターゲットを提案したのであまりやる気もないのに1%の物価上昇を掲げたが、財政の経験が絶対的に不足している民主党政権は無策のままで、財務省の操り人形となって日本経済、特に製造業に過酷な状況を強い、国際競争力をそいできた。超円高になっても財務大臣は為替の動向を注意深く見守ると言うだけで、全く無策であった。民主党政権で最初に財務大臣となった藤井裕久は大蔵省出身であり、細川内閣などで大蔵大臣に就任しまた党税制調査会長も務め財務大臣としての経験は十分と思われるが、その後の菅直人、野田佳彦、安住淳の財務大臣起用は適材適所とは程遠い。極めつけは野田改造内閣で労働組合委員長から政治家となった城島国会対策委員長を財務大臣に任命したことである。
安倍政権が復活し、経済再生のための3つの緊急施策とともに2%のインフレ目標と無制限な金融緩和を掲げ、白川総裁に政府と協力してデフレ脱却を求めた。白川総裁もようやく重い腰を挙げ、安部政権の方針に従おうとしている。これまでアメリカ経済の回復が遅いとか、雇用統計が期待以下だったというアメリカ経済の些細な動向のたびに円高が進行したが、オバマ大統領が再選され、年末の小売業の売り上げが期待に届かなかったことや、アメリカ連邦政府の財政の崖などの問題が起きても円高に振れることはなかった。今では浜田教授が内閣府参与に任命され、またインフレを恐れすぎる白川総裁の任期があと数ヶ月でその後は安倍政権の財政政策に協調出来る新たな総裁が任命される予定であり、暫くは再び超円高となることを心配しなくて済みそうだ。
安倍政権の緊急経済対策が機能して日本の経済がふたたび活性化し、円安によって日本の製造業に少しでも追い風が吹き、強い日本が再現することを大いに期待する。それにしても民主党政権下の3年余は日本にとっては経済でも外交でも最悪だった。日本国民はこのような政権を再び選ぶことがないことを念願している。
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