著 者~高木 智子 (たか ともこ)さん 1972年・・福岡市生まれ・・朝日新聞編集委員。 前橋・高崎支局時代に <国立療養所・ 栗生楽泉園>に通いハンセン病だった人たちへの取材を、重ねた。 2001年5月23日の夕刻・・<西 トキエ さん (80歳)は、首相官邸の門をくぐった。 待ち受けるのは、首相になったばかりの小泉純一郎(69歳)だ。 私は昭和5年の生まれです。 病気と診断されたのは、昭和24年、19歳でした。 診療所に行くと決心した晩に、お父さんは <残念だ>と言ったきり、泣きました。 昭和62年、お父さんが死にました。 電話で、お母さんは<帰ってくるな>と言いました。 今回の <勝訴判決>で、やっと救われました。 私はお母さんに会いたい。 でも死んでいるのか生きているのかもわかりません。 手記を読み終わると、目の前の小泉首相が、ハンカチで目をおさえていたことに気がついた。 小泉首相は<みなさまの声を聴かせていただき、隔離が続いたことを反省しなければならな>いと謝罪した。 1時間ほど過ぎたころ、待ち受ける記者団に・・小泉首相はこう切り出した。 <今回の判決を重く、受け止めまして・・ きわめて異例な判断ですが、控訴を行わないことに決定いたしました> 小生が10歳の時・・近所の地主さんの・・素敵なお姉さん(高校生?)が、当然姿を 消した。 父親がかわいそうに・・あの子は<らい病>に罹った。 しばらくは<うつると困る>ので・・あの家の近くに行ってはいけない・・ <らい病は恐ろしい伝染病>と、教えられた。 <素敵なお姉さん> その後の消息は不明ですが・・ 一生を奪われた多くの <患者様やご家族>の無念を知ると・・ <鬼軍曹>と、言われている <小生>も感激してうるっときた。
Posted at 2015-09-09 10:01
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Posted at 2015-09-09 16:23
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Posted at 2015-09-15 00:03
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Posted at 2015-09-15 03:57
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