<小泉首相を泣かせた女>
Sep
9
1972年・・福岡市生まれ・・朝日新聞編集委員。
前橋・高崎支局時代に <国立療養所・ 栗生楽泉園>に通いハンセン病だった人たちへの取材を、重ねた。
2001年5月23日の夕刻・・<西 トキエ さん (80歳)は、首相官邸の門をくぐった。
待ち受けるのは、首相になったばかりの小泉純一郎(69歳)だ。
私は昭和5年の生まれです。
病気と診断されたのは、昭和24年、19歳でした。
診療所に行くと決心した晩に、お父さんは <残念だ>と言ったきり、泣きました。
昭和62年、お父さんが死にました。
電話で、お母さんは<帰ってくるな>と言いました。
今回の <勝訴判決>で、やっと救われました。
私はお母さんに会いたい。
でも死んでいるのか生きているのかもわかりません。
手記を読み終わると、目の前の小泉首相が、ハンカチで目をおさえていたことに気がついた。
小泉首相は<みなさまの声を聴かせていただき、隔離が続いたことを反省しなければならな>いと謝罪した。
1時間ほど過ぎたころ、待ち受ける記者団に・・小泉首相はこう切り出した。
<今回の判決を重く、受け止めまして・・
きわめて異例な判断ですが、控訴を行わないことに決定いたしました>
小生が10歳の時・・近所の地主さんの・・素敵なお姉さん(高校生?)が、当然姿を
消した。
父親がかわいそうに・・あの子は<らい病>に罹った。
しばらくは<うつると困る>ので・・あの家の近くに行ってはいけない・・
<らい病は恐ろしい伝染病>と、教えられた。
<素敵なお姉さん> その後の消息は不明ですが・・
一生を奪われた多くの <患者様やご家族>の無念を知ると・・
<鬼軍曹>と、言われている <小生>も感激してうるっときた。
Posted at 2015-09-09 10:01
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Posted at 2015-09-09 16:23
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Posted at 2015-09-15 00:03
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Posted at 2015-09-15 03:57
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