新幹線の開通等で、在来線を第三セクタ’-(地域の市町村域広域団体)が、運営するケースが増えている。 <第三セクター>を、検索すると 国や地方公共団体(第一セクター)と民間企業(第二セクター)の共同出資によって設立される事業体。地域開発など本来は国や地方公共団体が行うべき事業を、民間の資金・能力の導入によって官民共同で行おうとするもの。 昭和47年)牛久町(牛久市)では、奥野地区の山林3地区(30万坪X3か所)工業団地開発計画が、検討されていた。 財政難の町では、資金のメドがたたないので・・民間業者との共同で事業を希望していた。 知人から開発公社の事務局長を紹介されて・数日町役場を訪問して<宮本町長・開発公社・山越局長>を説得して<土木会社との共同方式>を提案した。 同時期に隣接の伊奈村(現・常総市)で、住宅団地開発計画(70万坪)で 買収業務を始めていた企業(日本機械土木・奈良社長)を、町役場に案内して町長と直接トップ会談・・即チームがスタートしてとんとん拍子・・ 早々に信託銀行の融資の了解も得られて・ 資金は日本機械土木で提供・名義は牛久町公社の協定が成立した。 町では係長・主任クラス10人程度のメンバーで買収担当係が編成された。 2週間くらい<法務局や税務署>で、公図のコピーや土地台帳の閲覧等の基礎資料作りをした。 並行して栃木県内の既存の工業団地や造成中現場の見学して市役所の担当者から多くのアドバイスをもらった。 買収業務が始まるとメンバ達より若い小生が仕切るのを煙たがる雰囲気が露骨に出てきたので・町長と相談して交渉から降りることにした。 素人の職員たちは、交渉手段のミス?で各人が容易に承諾書を集められる親族たちからの交渉方法・・結果は<天道虫>状態で苦労していた。 交渉方法の王道は、有力者や大規模所有者を、固めてから・・ブロックごとに埋めていく・・ 田中首相提唱の<日本列島改造論>中の事業が、予期しなかった<オイルショック>で、日本中で融資がストップして・事業が中断・・ 50年代に買収計画を大幅に縮小して取得した土地を茨城県開発公社に売却して<奥野工業団地>に生まれ変わった。 当時は、<第三セクター>として業界でも注目されたが・・苦労はしたが無念な結末に終わった。 40年以上前の30代前半・・今では想像もつかない<買収業務!>をしていた・・<鬼軍曹>と揶揄されたのは正解だった?・・