慶長十年(1610)に藩主は弟に分知〔領地を分ける事〕
12000石の小大名が誕生した
溝口善勝公
寛文十年(1670)に六十三歳で逝去
今から338年前のことである
その歴史を支えてきた重厚な墳墓
一時嵌っていた、一円入札
この所遠ざかっていたが、Headphoneの線が邪魔と
考えていたら、丁度Wireless Headphoneが入札に出品されていた
いたずら半分で、¥1100で応札
落札通知が来た
安値は¥600ほど
この¥1100に消費税と運賃、着払い手数料を入れると
倍以上の価格となる
早速、テレビの音声ジャックに差込み聞いてみた
確かに配線が無い為に寝転がろうが、歩いて行動しようが
自由である
配線ジャックから外していると、FMラジオを
聞く事が出来る
曹洞宗の禅寺
雲水が修行に励む道場があります
雪の降る季節にも、足袋にワラジを履いて喜捨を受けに
近在を歩きます
古刹として歴史を感じさせる山門と本堂
サブプライムローンやインターネットを感じさせない風景です
「福地山 種月寺」
※インターネットからの引用
西蒲区石瀬の種月寺は,南英謙宗が文安3(1446)年に創建した寺院で,かつては越後における曹洞宗の四大道場(耕雲寺・雲洞庵・慈光寺・種月寺)の一つに数えられました。
現在の本堂は,出雲崎の大工・小黒甚七が棟梁となって,元禄12年(1699)に建立された大規模なものです。屋根は寄棟造りとなっています。
内部は,前面(東側)に露地と大縁をとり,その奥を前後2列,各列4室の8室(前列は南から優婆塞・大間・優婆夷・茶の間,後列は南から位牌堂・内陣・室中2室)で構成しています。内陣と位牌堂は板敷きで,その他の室は畳敷きです。柱は,特別な柱を除いて面取角柱となっています。また,内陣の背面(西側)には開山堂が増築されています。
県内を代表する曹洞宗の本堂建築として評価され,平成元年に国の重要文化財に指定されています。
「あけび」は子供の頃、口にして種を飛ばした記憶はありますが
「ムベ」は食べた事がありません
色合いは綺麗ですが、実は口が開かず中がどのようになっているか
皆目見当がつきません
菊展には「二見が浦」の光景を表現していた
未だにこの地へは行った事は無い
昨年は支えの紙に乗った菊が沢山出展されていたが
今年は僅かな点数が並んでいるだけであった
明治時代に財を成し、敷地面積8800坪、建坪1200坪の
威容を誇る大地主の庭園に秋を見た
千町歩地主として数軒ある内の一軒で、現在は財団として保存
一般公開されている
某県の教育委員のように縁故での評価や
某防衛省幹部の懸賞論文の賞金と称した「WAIRO ロンダリング」の
評価はしていないと信じたいものだ
※穿った見方をすると、某石川県のマンション・ホテル
業者は余り評判が良くない
防衛省小松基地の関連で便宜を図って貰った見返りに
懸賞論文募集にかこつけて一等入選の賞金が贈られたと
思うのは考えすぎか
余りにもシナリオに沿った出来事と考えるのは下司の勘繰り
であろうか
本殿の前の広場には毎年、多くの手間隙を掛けて栽培された
花が展示される
栽培される「菊」も流行廃りあるようだ
本殿に通じる参道は石畳が敷いてある
両側には屋根を掛けたスペースに近郊・近在で好事家が
栽培し持ち寄った様々な「菊」が展示されている
金色、銀色の札に審査結果が貼られている
天気に誘われて多くの拝観者で賑わう
10日、11日とアップした「旧庄屋」宅の庭を拝見した
縁の下に古い、鼻緒の切れた女物の下駄が放置してあった
この家の「女あるじ」の履いたものであろうか
何年前に使っていたのかは分からない
しかし、歯の減り具合や緒の感じから、殆んど使用した跡が
感じられない
この屋敷の生活を垣間見た気がした
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