《 里地で初めて出会った”樹花・水鳥”!!❖ 23-20❖》
《 里地に植栽された”樹々”!!❖ 23-19❖》
今年は、雜用が舞い込み思うように散策できていない。
少々鬱憤が溜まり始めている。昨日は午前中に雑用処理。
午後に少し散歩する時間が持てた。里山的里地の泉の森へ。
この森、最近、立ち入り禁止区域を広げ一般散策者を規制し始めた。
他方、公園整備ボランティアが増えた様にも感じる。良いのか否か??
管理・整備のおかげで、自然(野生)植物が減少した気がする。
ミスミソウが顔を出さない??落ち葉が少なくなっているからか?
そんなことをおもいながら、森にある民家園を訪れた。
河津桜が可憐な姿で迎えてくれる。植栽されたものだが。
見事、満開。日向と日陰で開花時期がずれる。
ほんの数メートルで、、、こうも違うか??と恐れ入った。
そんな差異を画像に収めていない??ボケてきたかなぁ~??
超広角の玉で撮影してきたが、限界・・2022年度で〆。
機材に頼ったらましになるんか?4月から2023年度がはじまる。
「令和伍年(皇紀2683年)2月27日、記」
《 “FEN”!!❖ 23-18❖》
《 “里地”にも春の気配が!!❖ 23-17❖》
アケボノアセビ(曙馬酔木);
ベニバナアセビとも呼ばれるように、 アセビ の紅色種。
紅花馬酔木と云うより薄紅馬酔木(ウスベニアセビ)の方が的確。
花は淡紅色で清楚だが、鈴なりに連なってる姿は遠目にも目立つ。
アセビの仲間の蕾はいずれも赤色、蕾が膨らむと違いが分る!!
ヒイラギナンテン(柊南天);
ヒイラギナンテンは常緑だが、陽があたり気温が低くなる場所では紅葉する由。
陽影に植栽されたものしか見たことが無いので紅葉した葉を観てみたい。
小さめの黄色い花、結構に見応えある。花にはぶどうのような匂いを持つ。
「令和伍年(皇紀2683年)2月15日、記」
《 “里地にひっそりと食材が”!!❖ 23-16❖》
《 “蕗の薹・款冬・菜蕗”野菜!?!泉の森端》
ふきのとう(蕗の薹・蕗の花を指す)は、蕾みの状態を意味している。
それを摘み取り、天ぷらや煮物・味噌汁・ふきのとう味噌等に調理する。
一般的には、花が開いた状態になったふきのとうは食べない。
細かく刻み油味噌に絡める「ふきのとう味噌」などには利用されている。
蕗の薹の茎部分を軽く灰汁抜きし肉や刻んだ油揚げ、糸蒟蒻等で煮付けで頂く。
葉柄は、重曹や木灰等を入れた熱湯で灰汁(アク)抜き煮物や炒め物に。
生のまま塩や塩糠に漬け込み保存、調理前に煮て流水で塩抜き、
煮物や炒め物にする。このように処置しておくと冬の間にも利用できる。
醤油と砂糖で濃い味の佃煮にしたものを「きゃらぶき」と言い保存食・常備菜となる。
繊維質やミネラルが豊富で、昔は冬の野菜不足を補う一般的な山菜であった。
蕗の薹は、植物としては フキ(蕗)だが、早春の山菜としておなじみ。
花が開くほど苦味が強くなるので、生で食べるには花の開く前が良い。
がしかし、高温の油で苦味が少なくなる。天麩羅には咲き始めの花が美味。
* * * * *
観ることはできるが近づけない場所にあるフキノトウ。
* * *
まぼろしに現(うつつ)まじはり蕗の薹(たう)萌ゆべくなりぬ狭き庭のうへ
枯れ伏しし蕗にまぢかき虎耳草(ゆきのした)ひかりを浴みて冬越えむとす
(1937「庭前」,齋藤茂吉『寒雲』)
当時の暦では1月1日で、明治に入って新暦に換算されて2月11日となった。
現在主流となっている西暦は、イエス・キリストの生誕年を元年とする紀年法。
一方、神武天皇即位の年を元年とする紀年法は、1872年に制定された。
「皇紀(こうき)」「皇暦(こうれき)」「神武暦」と呼ばれていた。
日本独自の紀年法に基ずく呼称に戻すのも一考と思う。
「令和伍年(皇紀2683年)2月11日、記」
《襍・/・画 “今年初見の樹花” ❖’23-15》
ソシンロウバイ(素心蝋梅) ロウバイ科(Calycanthaceae)
学名:Chimonanthus praecox (L.) Link form. luteus (Makino) Okuyama
これが素心蝋梅と名付いた由来とされている。
ロウバイの園芸品種。内側の花被片が赤色を帯びない。
花もやや大きく、ロウバイより多く栽培されている。
ロウバイは、花がやや小さく内側の花被片が赤色を帯びる。
「令和伍年(皇紀2683年)2月9日、記」
《襍・/・画 “CP+2023” ❖’23-14》
《二月の楽しみ・・❝CAMERA&PHOTO IMAGING SHOW❞》
’豆まき’が終わり春分の日も過ぎると私的楽しみが脳裏にせまってくる。
カメラ好きにとっては、年に一度のカメラ大展示会は貴重な催しだ。
今では、ネットを通せばあらゆることを容易に検索できる。
だが、カメラ関係機材を実際に触れて見れる機会は、CP+くらいだ。
会場で配布される出展機材写真一覧パンフレットは重宝でもある。
古くは、東京日本橋高島屋で開催されていて、見学後カメラ屋巡りもした。
今や日本のお家芸的に世界を席巻してるデジカメ産業、恐れ入る!!
そんな中でも全世界の写真家に愛用されてるドイツ製カメラ❛Leica❜。
高性能・・・高価格、とても、とても・・・高嶺の花、それ以上のカメラだ。
フィルム(銀塩)カメラ時代、❛LeicaM3❜を使っているご婦人が身近にみえた。
写真仲間、兄上がプロ写真家でおさがりだといっていたが・・どうしてどうして!!
撮影センスは、すごいものを持っておられた。今はどうしておれるか??
へそ曲がりの僕は、あえて一眼ではないレンジファインダーの国産中古カメラを探した。
それがNIKON SP。これとて分不相応なカメラだったが安く入手できた。
40年も昔のこと。ドイツと往復してた事もあって日本製カメラを誇りに思ってた。
性能的にライカに遜色なかった。ある時、友達とカメラ交換をしたことがあった。
欲しかった中判カメラとNIKON SPと交換、それほど評価されたカメラとおもっている。
今は、使わなくなったがフォルムが好きだ(一眼ではない。レンジファインダーだ)。
中身は、デジタルでいい、外観だけでも往年の形状でかつ日本製カメラの登場を待たい。
ある機種のデジカメを卒業したく思っている今、花撮影に特化したシステムもさがしたい。
知人のを借用して目星はついているが、高価。目の保養にでかけてみるか!?!
「令和伍年(皇紀2683年)2月6日、記」
《襍・/・画 “豆まき!!” ❖’23-13》
節分祭という行事を見に行ったことがない。
各地でいろいろな催しがあるようだが出かけたことなかった。
若い・・青春時代頃は、期末テストでそれどころではなかった。
今でも覚えているのは、小学生時代に自宅でやった’豆まき’。
鬼は、そとぉ~! 福はうちぃ~! なんて言っていた気がする。
歳の数だけ豆を食べたのは覚えているが、夕食は何を頂いたか??
印象にない。ただ、母が小豆を煮込み羊羹を作り食べさせてくれた。
粒あんの羊羹は、我が家では定番お菓子でよく頂いたものだ。
節分とは、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日を意味する。
生まれ育った神奈川県の郷土的催しがあるや否や知り得ていない。
2月頃は、父や自分も多忙で節分を意識したことがなかった様なきがしている。
孫たちには、日本の伝統文化を知ってほしい。意識して教え示していきたいものだ。
「令和伍年(皇紀2683年)2月3日、記」
《襍・/・画 “テレヴィジョン!!” ❖’23-12》
今年は、寒気が強いと言われているが、それは今的感覚。
家中の暖房が、囲炉裏・炬燵・火鉢が主流だった我が子供時代。
風呂用の薪は、買っていた。石油ストーブ、電気炬燵に驚いた幼少期。
寝床に”湯たんぽ”今や知る人も少ないか(団塊世代なら???)。
暖房用には、豆炭が中心で炭も多用していた。居間の暖炉は暖かい。
今では諸問題があって使うのをひかえている。
そんな幼少期にNHK等のテレビ放送がはじまった。
今日は、テレビ放送記念日。1953(昭和28)年、NHK東京放送局がTV本放送を開始した。
受信料は月200円。53年8月に日本テレビ、翌54(昭和29)年3月にNHK大阪と名古屋。
55(昭和30)年4月にラジオ東京《現在の東京放送(TBS)》もテレビ放送が開始している。
我が家には、米国GE製の14吋のテレビがあった(いただきものだった由)。
白黒で、、、懐かしく思い出す。カラーテレビが普及したのは前東京オリンピック頃。
1959年の皇太子殿下(現上皇)のご成婚パレードがきっかけでカラーテレビ化が進んだ。
更には、この年にロケ取材番組が始まっていた。驚きの紀行取材だった。
『兼高かおる世界飛び歩き』(『兼高かおる 世界の旅』の前身番組。)
世界の旅は1990年までつづいた長寿番組。刺激を受けた旅番組だった。
そしていまひとつ今でも見れてる旅・紀行番組『遠くへ行きたい』も、感慨深い。
兼高さんの世界紹介に感化され異国を旅してみると、国内を知らない自分が???
古都保存・町並み保存により感心がふかまった。成果は見たが、更なる課題もある。
TV放送も転換期だろう。今を生きる、未来を模索すべく、テレビ放送記念日におもう。
「令和伍年(皇紀2683年)2月1日、記」
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