《“引地川源泉付近❖2021/2/7❖》 ソシンロウバイ(素心蝋梅); 蝋梅の名前はこの半透明で蝋細工のような花びらから。 茎にはスポンジ状の白い芯があり、これが「素心」の名前の由来 ロウバイの園芸品種。内側の花被片が赤色を帯びない。 ロウバイは花がやや小さく、内側の花被片は赤色を帯びる。 花は強い芳香がある、ロウバイと違い、花の内側も黄色。
《“背高泡立草・芒”引地川源泉付近❖2021/2/8❖》 活字とPCと、にらめっこしていると目の疲れを痛感する。 歳ゆえか!?! でも散歩は有益って思い歩るくのだ。 歩いていると心に響く光景と出会い、息を呑む。 植物は、終焉を迎え枯れ落ちる時でも存在感がある。 国内外の事象を思うと、人間の行動はよくわからない。 人権って・・・日本にいると人種・宗教・政治に無自覚?? 余りにも日本は、安全且つ自由な国なのか。。。わからん。
《“可愛い草(2)”❖2021/2/6❖》 オランダミミナグサ(阿蘭陀耳菜草); 在来種の ミミナグサ と違い、ヨーロッパ原産の帰化植物。 どこでも見れるおなじみの野草。 ハコベやウシハコベ の花と良く似る。 日当たりの良い場所で良く見られる。全体に毛が多く、茎の上部に腺毛が多い。 葉は、対生し葉の両面に毛が密生する。花弁は、白色5個で、先が2裂する。 萼片は、花弁とほぼ同長、腺毛が密生して粘る。 小梗(花につく柄)は、萼より短く花が密集する。 在来種のミミナグサは、小梗が萼より長く花が垂れ下がり、萼片は花弁と殆ど同長。 園芸品種のセイヨウミミナグサは、葉幅が細く花も大きく花弁が萼片の1.5~2.5倍。
《“可愛い草(1)”❖2021/2/6❖》 キランソウ(金瘡小草); 別名「ジゴクノカマノフタ」とは、地面を這うように葉と花をびっしり広げることによる。 欄のような紫色の花に映る事で「紫蘭草」が訛って「キランソウ」となったとされている。 全体に毛が多く、根生葉が地面に張り付くように這って広がる。 葉は、倒披針形で縁に粗い鋸歯があり、紫色を帯びることがある。 花は、青紫色~紫色で1㎝位の唇形花。上唇は約1㎜、雄蕊より短い。 雄蕊は4個で、うち下側の2個は短い。雌蕊は1個、花柱先は2裂し上下に開く。 子房は上から1/2まで4裂。キランソウは交配しやすく雑種も多いと聞く。 古くより民間薬であり、鎮咳、去痰、抗菌などの作用があると知られている。
《“林床にひっそりと芋片喰”❖2021/2/6❖》 イモカタバミ(芋片喰); 地下の塊茎によって増え、塊茎が節の様に別れるので節根花片喰とも言われる。 葉に短毛がまばらに生え、葉の裏には橙黄色の小点がある。 花は直径1.5㎝位で濃いピンク色、花弁の基部が濃紅紫色をしている。 雄蕊の葯は黄色。萼片の先端に橙黄色の小点が2個ある。 紫片喰は、雄蕊の葯が白色。花色も薄いピンク色。花弁の基部は、やや黄色を帯びる。 近似種のレッド・オキサリスは、毛が短く萼が楕円形で花弁が軟毛で覆われている。 ハナカタバミは、大型で茎に微毛が密生し花の基部は白く、葯は黄色。 江戸時代に渡来した紫片喰に対して芋片喰は、昭和の大戦後に渡来した植物。 カタバミ種は、其々がとてもよく似た花を咲かせる。 芋状の塊茎で増えるために、芋片喰と言う名前が付き、群落を作る様は鑑賞に耐える。 未だ2月初め、まさか咲いているとは!! 見つけた時は一瞬、驚いた。
《“不安・不安の春 ”》 先月末、思い出したことがあってでかけた(1月30日)。 昨年もタイミング悪く見れなかった桜の花(夢待桜)。 オオシマザクラとカンザクラを掛けあわせた種である由。 桜鑑賞もさることながら、植栽場所も気になっていた。 今年は、高台に通じる斜面が補修中で上に上がれなかった。 来年に期待しようと思うが、開花時期を特定できない。 管理事務所に聞けば良いのだが、自分の感を大事にしたい。 帰り道、白旗神社に詣でた。毎年大きな絵馬が置かれている。 今年は、月末ということもあって、鬼が隣にいた。 コロナ・ウイルス、もさることながら中国の人権問題が気になる。
《“園芸種?!藪椿”❖2021/2/3+1❖》 ヤブツバキ(藪椿); 野生種をヤブツバキと呼び、これから改良された園芸種をツバキと呼び区別するが、 種類としては同じ。海岸近くに多いが内陸でも見かける。日本のツバキ原種の一つ。 ツバキ名は葉が厚い、艶がある事から「厚葉木」や「艶葉木」が訛ったとの説がある。 花は11月末頃から見られるが、開花が盛んになるのは1月末頃からである。 幹は灰褐色~黄褐色で、滑らか。葉は互生、無毛でやや厚く、表面に光沢がある。 葉は、長卵形で縁に低鋸歯があり先が尖る。葉柄は長さ約1㎝。 花は、直径5~7㎝の5弁花。雄蕊は、多数で花糸が中間部で合着して筒状になる。 雄蕊の基部は、花弁と合着し花も筒状。離弁花だが合弁花の様に咲いた形状で落ちる。 花の蜜が多く、花筒の底に蜜がたまる。子供の遊び時に花を取って蜜を吸ったものだ。 サザンカの花は花弁が平開し雄蕊基部だけが合着、筒状にならない。 花後に花弁がバラバラに落ち、雄蕊があとから落ちる。
"緊急事態宣言”で行事などどこかに吹っ飛んでしまった感じだ。 今年の節分は、“2月2日”だった。季節の分かれ目、立春の前日。 立春の日がずれるのは、閏年(うるうどし)に関係してるらしい。 1年間を二十四節気に当てはめ運用、すると、1年に少し誤差が出て、 ずれた結果、2021年は2月3日が立春に当り、翌日が節分の日になる。 前回、節分が2月2日だったのは明治30年(1897)以来で124年ぶりに由。 又、約37年前の1984年(昭和59年)は、逆に2月4日は節分だった(忘^^)。 本来、節分とは季節の節目である「立春、立夏、立秋、立冬の前日」の事を言う。 年に4回あり、旧暦では春が新年の始まり、立春の前日は、大晦日であった。 それ故に、立春の前日の節分が重要視され節分と云えばこの日を指す様になった。 又、季節の分かれ目(特に年の分かれ目)には邪気が入りやすいと考えていた。 それ故に邪気祓い行事が行われる。豆まきも、新年を迎えるための邪気祓い行事。 古代中国では、大晦日に「追儺(ついな)」という邪気祓いの行事があった。 桃の木で作った弓矢を射って、鬼を追い払う行事であった由。 これが奈良時代に日本に伝わり、平安時代に宮中行事として取り入れられた。 その行事のひとつ「豆打ち」の名残が「豆まき」で、江戸時代に庶民間にも広がった。 豆を「打つ」から「まく」に変わったのは、農民の五穀豊穣を願う気持ちを反映、 畑に豆をまくしぐさを表していると言われていた。それが節分の邪気祓い行事となった。 豆まきにおいて、鬼は邪気や厄の象徴であって無形の災害、病、飢饉など、 人間の想像力を越えた恐ろしい出来事は総て鬼の仕業と考えられてきた。 鬼を追い払う豆は、五穀の中でも穀霊が宿るといわれる大豆にした。 豆が「魔滅」、豆を煎るが「魔の目を射る」を指し、煎った大豆を「福豆」といった。 豆をまくのは、家長の役目、その年の干支の年男、年女も吉とされていた。 家中の戸を開け放し「鬼は外!福は内!」と唱えながら家の外と内に豆をまく。 豆をまいたら、鬼が入ってこないようすぐに戸を閉める。 そのあと1年間の無病息災を希し、年の数だけ福豆を食べる風習があった。 食べる豆の数は、新年の厄祓いなので満年齢よりも1つ多く食べたが、 地方によって数がまちまちだと資料にある。 全部食べきれない時は、梅干し、塩昆布、豆3粒を入れた「福茶」を飲む事もあった由。 風習・行事として日本各地で色々なやり方があり郷土食がはっきりと表れている。 北海道~東北・信越地方では、雪の中でも見つけ易い様に、豆ではなく殻付き落花生をまく。 九州では「鬼は外」ではなく「鬼はほか」という所もある。 岡山、佐渡などでは、豆占いをする。 豆を炉の灰の上に12粒並べ、右から1月2月・・・12月として、 白くなった月は晴れ、黒く焦げたら雨、豆が転がって落ちたら風が強く吹くといわれる。 東京・入谷の鬼子母神では、「鬼は外」の代わりに「悪魔外」という。 その他にも、鬼が悪者を退治するなどの言い伝えがある地域、 社寺では「鬼は外」とはいわず、「鬼は内」などというところもある。 「九鬼」「鬼頭」など、苗字に鬼がつく家でも「鬼は内」といって、鬼を中に呼びこむ由。 最近全国区!!になった恵方巻き、関東ではあまり食さなかった(我が幼少期)。 恵方巻は、その年の恵方を向いて丸かじりすると願い事が叶う。 無病息災や商売繁盛をもたらすとされる縁起のよい太巻きで関西地方の風習。 恵方巻には、縁起よく七福神にちなんで7種類の具を入れる。 巻き込んだ福を逃さぬよう丸ごと1本、恵方を向いて無言で食べきるとよい由。 太巻きを逃げた鬼が忘れていった金棒に見立てて、鬼退治とする説もある。 又、鬼は鰯(いわし)の生臭い臭い、柊(ひいらぎ)の痛いトゲが大の苦手とされる。 而して鰯の頭を焼いて臭いを強くしたものを柊の枝に刺し、それを玄関先に飾った。 鬼が入ってこないようにする風習で、「焼嗅(やいかがし)」「鰯柊」「柊鰯」「柊刺し」等と呼ぶ。 地方によっては、豆がらやトベラを添える所もある。 古来、臭いの強い、トゲのあるもの、音のでるものは魔除け・厄除け効果があるとされた。 関東地方には、節分にけんちん汁を食べる地域がある(豆を入れるところもある)。 我が家(三浦半島周辺)では、節分に「いわしのつみれ汁_」を食す地域がある。 以上に記したことは、地方地方の風習だが日本独特の伝統文化だ。 今年は、コロナ禍にあって特段、こうした魔除けを思った。
《“春一番・・梅の花 ”❖2021/2/2❖》 ウメ(梅); 梅は、古くから親しまれてきた木。奈良時代以降、栽培が盛んになった由。 薬用、食用、観賞用にと各地で栽培されてきた。果実の梅干しは日本的だ。 梅品種は、果実収穫の実梅(みうめ)と、花観賞の花梅(はなうめ)に分けている。 身近な里山で見れる梅花は、おそらく400種程度ある園芸品種のひとつだろう。 開花が早い品種、冬至(とうじ)、寒紅梅(かんこうばい)、大盃(おおさかずき)。 花がピンク色の鴬宿(おうしゅく)、林州(りんしゅう)などを思い浮かべる。
《“大塔宮 ”》 久しぶりに立派な神社を訪れた。コロナ禍にあっても訪れる人々がいた。 伝統的な事とは言え「お宮参り」の慣習は、しっかりと受け継がれている。 我が身・身近な人・もの総てに注意を払い「お宮参り」を済ませた。 「鎮守樣」・・・つまりは神社周辺の森自体が神聖な場所と教えられて育った。 我が子供の頃は、鎌倉市域の70%位が緑地、今は40%あるか否か!?! コロナ禍にあって、神社境内も色々と行動規制が引かれていた。 手水舎(てみずや)も使用禁止になっていた。参拝前に手を清め、口を濯ぐ。 手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)、 水盤舎(すいばんしゃ)、御水屋(おみずや)とも呼ばれている場所。 この手水舎に龍(青銅製・石像)を用いているのをよく見かけよう。 龍の水口(みなくち/水が出る場所)は、奥の本殿に入る前のお清め場所。 往古より日本では、龍神が水を司る神さまとして崇められてきた。 水は、総てのいきものにとって命の源。そして命を繋ぐ水は尊いとされ、 神道(自然信仰)では穢れや邪気を祓う。つまりは「神聖な水」である。