誰かの力がなければ生きていけなくて。 誰かの助けがなければ失敗ばかりする。 そんな自分が悔しくて情けなくて。 嫌で嫌でたまらなかった。 昔から、負けず嫌いで神経質な私は、真面目で向上心がある反面、 失敗した時の落ち込み方がかなり激しい(((^^;) 失敗したらしたで、次に何をすれば良いか。 それを考えて動かなきゃいけないのはわかってるのに、 どうしても失敗を引きずってしまう。 そしてそんな自分が嫌になる、という悪循環。 だけど、きっとこれも。 お金と時間と人手をかけたお勉強。 手を貸してくれた人に対して、「申し訳ない」って気持ちは必要だけど。 そればっかりが大きくてもダメなんだ。 抱えきれないほどの謝罪と後悔よりも。 両手に溢れる感謝の気持ちを伝えよう。
救いの声さえ聞こえなかったの 誰かの唇が動く度 この肌は色を変えていく― (鬼束ちひろ『We can go』) 高校時代、そして大学時代。いろんな人の助けがあったから。 いろんな人に支えてもらったから。 今、割と気楽に生きているけれど。 もし、それらが無かったのならば。 私も。 差し伸ばされた手が、救いの手だとは気づかずに、全て払いのけて、 肩肘張って生きてたのかな。
年齢じゃないんだなってこと。 大事なのはその仕事(あるいは分野)にどれだけ従事していて、 どれだけ精通しており、どれだけ動けるのかってこと。 「仕事」は体で覚えるもの。「社会性」は「身につける」もの。 頭だけで考えてちゃダメなんだよね。とにかく動き、わからなければ聞く。 失敗もあるし、「もう嫌っ」って思うことだってたくさんある。 でもそこを乗り越えたら、ほんの少し良い景色が見える 前よりも動けるようになる 何がどう見えて、自分はどう動くのか。そこが大事な気がするから。 年齢なんて関係ない。そんな気がする。
このどこが、児童文学なんだ…。 アニメ化よりむしろ、実写で映画化してほしい。 かなり見応えのある作品になると思う。 …アニメでは、エリンの母ソヨンが死ぬシーンで物議を醸したらしいけど。 私には、完結編のラストの方が衝撃的。 どんでん返し、意外な結末、というのとは程遠く、逆に何があってもまっすぐズシンとぶつかってくるような、そんな終わり方でした。 …ジェシの教壇姿に、「博士の愛した数式」のルートの教壇シーンを思い出した。
部屋整理してたら「ベンチャー通信」を発見☆ その中にあった、こんな言葉に感動。 ―「もうダメだ」、そう思ったとき、本当の勝負が始まる― (ドリームインキュベータ代表取締役会長 堀紘一さん) ―必死に知恵をしぼって動き回って活路を見出すんです。9回失敗しても10回目で成功すればいい― (エイチ・アイ・エス創業者 澤田秀雄さん)
>タカマガハラの颯太と那智が大好きです。小説も非常に楽しんで読ませてもらっています。これからどうなっていくのか、わくわくしています。それでは、お疲れのありませんように。 わわわっ・・・。 せっかく拍手&メッセージをいただいたのに、レスが大変遅くなってしまって申し訳ありません・・・m(_ _)m 長期に渡り実家に帰省しており、おまけに大学生活最後の夏休みを満喫しようと、あちこち出かけていたため、拍手のチェックが全くできていませんでした。ごめんなさい・・・゜゜(´□`。)°゜。。 小説、楽しんでいただけて、とってもうれしいです♪ 当初思い描いていたものよりはるかにスケールが大きくなってしまい、 うまく収集がつけられるか不安ですが、大学在学中には最後まで書き上げたいと思っているので、今後ともよろしくお願いします(*^-^*) 拍手&メッセージ、ありがとうございましたm(_ _)m
「ザ・コーブ」関連の動画や、「騒音おばさんの真実」と題された動画を見て、思ったこと。 「真実はいつもひとつ!」っていう決めゼリフがあるけれど。 本当にそうだろうか…? いろんな形の真実が、あるんじゃないのかな? 世の中、いろんな見方があるから。 その人それぞれにとっての、真実がある。 そんな気がする。
何気ない仕種や言葉や表情が、深い意味を持っている、 味わい深いドラマ。 無邪気な表情から一転して、 くしゃっと歪む継美の泣き顔。 周りを嘲笑い、自分自身を嘲笑うかのような怜南の母、仁美。 自分は犯罪者だと、 傍観者が犯罪者になっただけなのだと明かす奈緒に、 それなら自分は共犯者だと笑う葉菜。 敵とも味方ともつかない記者、藤吉の言葉にも重みがあります。 もう一度最初から見たら、また別の見方ができるのでしょう。