やっと届きました。 お約束どおり、着色料パウダーの袋はいいかげんにできており、容器の中は既に着色料まみれ。 さすがMade in USA! 誰もがアメリカ人に憧れるのが良くわかります。 しかし、なんてバカな品物なんでしょうか。正しい使用方法は、以下の通りです。 ?知り合いの女性の誕生日の贈り物にする。 男性にしか思いつかないセンスに、彼女はもうメロメロです。 ?学校の理科室の薬品棚に、そっとしのばせる。 数日後には学校中が大騒ぎになり、教育委員会や、インチキUFO研究者がわんさか押し寄せる。 なんと、期末試験が中止に・・・!? ?「いやー、今朝こんなのが歩いていたもんだから、捕まえてきちゃったよ。」「宇宙人ってやっぱり実在するんだよなぁ〜。」 ・・・と、言いながら遅刻をごまかす。
2003年7月9日 炎天下の南の海を47km漕いで、この徳之島に到着した。 翌日はこの徳之島の北端を目指し、さらにその翌日にカケロマ周辺を目指す大航海を予定していた。 しかし、潮の引きが予想より早く、荷物を満載したK2はリーフを超えることができなかった。 多くのK2の底に穴が開き、修理のための停滞を余儀なくされた。 そのため、この旅を成功させるためには、1日で60km近くを漕ぎ進む必要が生じた。 島から島へ渡るたびに、パドルを1万回以上も振り下ろす。体力は限界に達していた。しかも、最後に設定されたタスクはその1.5倍。 そのとき、ホーボー・ジュン氏と伊東画伯が考えたシステムがこれだ。 タープとパドルを利用して、スピンネーカーを作ってしまったのだ。「カヤックは漕ぐものだ」という考えは正しい。僕もそう思う。 ただ、時に知恵を働かすのはどうだろうか? 人間は、知恵を持ち、進化することができる動物だ。 「風使いになる」そんな動機付けは、このとき生まれたのかもしれない。
2003年、僕たちはフェザークラフトのK2を漕いで、沖縄から奄美大島の旅を成功させた。 2004年、僕たちは小さな沖縄サバニ「ニヌハ」で、サバニ帆漕レースを完漕した。 僕たちは、漕ぐ力にプラスして風の力を手に入れたのだ。 そして、2007年。 サバニとカヤックの融和が始まった。 写真上のサバニの帆は、単純な構造でマイルドに風をつかみ、新たな冒険の予感をさせてくれる。 写真下のフェザークラフト製の帆走キットは、ヨットの帆の構造をフルに採用し、シャープに風をつかむ。 どちらも未完成の状態ではあるものの、すぐに実用域に入ることが可能だ。 可動式のセンターボードにより、予想を遥かに超える上り性能を発揮する。 僕たちは風を利用して270度の範囲で、自由を手にした。 残りの90度? 奄美大島まで漕いだこの腕を使うのさ。 「遠くに行きたい」そんな気持ちと自然の力で、K2を利用したカヤック旅の距離感が変わる。
忠ぶらりん邸でのバーベキューパーティーで、グランストリームの大瀬氏と再会。 大瀬氏とはタイのパンガー湾を旅したことがある。 僕も現在進行中の、フェザークラフトの帆走キットの開発実験に参加しにきたのだ。 風は自然界のどこにでも存在するエネルギー。 それを利用する。 成功すれば、カヤックの冒険での距離感が変わる。 翌日朝から実験開始!
名古屋出発前のひとコマ。 僕のアウトドアの旅は、バックパックではなく、おんぼろのRIMOWAのスーツケースで始まる。 現地で活動中は、この中に収納されているダイビング用のメッシュバッグに、荷物を小分けしたドライバッグを詰め込む。 RIMOWAはどこかに預けるか、車の中に放置。 そして、帰りにはまた、このRIMOWAにドライバッグとメッシュバッグを詰め込む。 バックパックでは、ここまで乱暴にはパッキングできない。 帰りの飛行機の時間が気になる時などは、最高の相棒なのだ。ところで、空港で荷物を預けるときに貼られるセキュリティーシールは、何十枚も重なっている。 剥がそうとするとバラバラにちぎれ、その破片が洋服にこびりつく。 このシールに、何の意味があるのだろう? 今日貼ったシールがどれかなんて、見つけるのは至難の業だ。
名古屋の空港「セントレア」って、面白いよ。 骸骨の模型は売っているし、銭湯まである。 今日は、大阪→名古屋→沖縄^^ 久々のジャンボ機は、にーぶい村の近くを飛んでくれた。 浜比嘉島や浮原島が、よく見えるコース。 着陸態勢なので、「すべての電子機器は・・・」で、デジカメ使用できず(T・T)