今日は、学校も新学期が始まり、教会でも、進級式を行い、去年一年、みんなご褒美シールを集めたので、それぞれの長所にしたがって表彰し、ご褒美を渡しました。表彰しているときに、つい、感動して私も声が詰まってしまいました。神の恵みなしに、子供たちは育たないなー神様ありがとうございます。。という気持ちです。。今年も、みんな、頑張ろうね!
2018年9月9日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、
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詩篇 1篇
1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。
3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は正しい者のつどいに立てない。6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者は滅びうせる。
★幸いであること
「幸い」は、原語へプル語では、"esher," エシャー>
語源は、"to be straight" or "to be right." まっすぐ、正しいという意味。この言葉は、複数形で使われており、最上級の幸せの表現であり、完全な満たしを表現している。
そして、この幸せの質というものは、魂、霊的レベルのものであり、自分の手で何かを成し遂げた、達成したレベルのものではない。例えば、医者になることでも、地位の高い人になることでもなく、権力をもったり、お金を持つことでもない。本当の魂の充足なのだ。
ですから、この「幸せ」というものは、全世界共通、ユニバーサルなものであります。人は全世界を手に入れても、いのちを失ったら何になりましょう。と聖書が言っているとおりです。
この幸せは、お金持ちで、外見上何も問題なく生きている人にも幸せであり、また、落ちぶれて、悪いことばかりをして、その結果、ホームレスになってしまった中毒患者にとっても幸せなのです。
そして、聖書は、あなたが、どんな過去を持っていようが、今までどんなチョイスをしようが、または、どんなに立派な肩書があろうが、神様が差し出してくださる幸いがあるのだと、皆さんを今日招いているのです。
★人には二つの歩み方がある
その道は、歩みであり、生き方である、両方進行形である。Both progressive. すぐさま、目には見えにくいかもしれない。もしかしたら、正しい者の方が、苦労しているかのように人には映るかもしれない。また、悪い者の方がいかにも、美しく見えるかもしれない。しかし、みなさん、霊的なものは肉の目、世の目には見えないのです。進行形であること、がこれは霊の世界のことであることを指し示しています。私たちは、見えない神を、信じていて、心に否むことのできない確信をもって生きています。見えない世界は、リアルなのです。
① 悪者の道
V1 悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着く
始めは点であっても、最後には道になり、その後は、住み家となる。
thinking, behaving, and belonging
みなさん、私たちのクリエイティビティは、私たちの頭の中にあります。これは、神様のデザインであり、神様と協同作業をするためにそう造られているのです。ですからこそ、神は、信仰を強調されるのです。目に見えないものを信じることが信仰ですから。。。そこから、創造が始まるのです。
悪者のはかりごとも正に私たちの考えから生まれてきます。気をつけていただきたいのは、それが、私たちの願いに基づいていることが多いのです。
前にも話しましたが、願いは聖なる場所です。聖なる能力です。それをどう行動に移すのかが問題となって来ます。
また、ある人は、それを行動に移し、罪人の道に立ちます。そして、行動に移した後には、そこを住み家とし、そこに属するようになります。あざけるものとは、自分が一番偉い人になっている状態です。自分がまさに神になったように、王座に座り、そして、全てを自分の清くない考えで裁いていきます。。。自分が義だと思っている人のことです。
これが、聖書で悪者のと言われる人の生き方です。
② 幸いな人の道
v2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。v3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
- 自分の義ではなく、神のことばによって生きるという人。
- 神から受け取るという謙遜さ。
- 神の言葉を黙想し、思いを巡らすことの祝福。
- 私たちは、教会に行っているだけ、または、メッセージを聞いているだけ、み言葉を読んでいるだけでは、私たちの心は変わらない。神様に出会わなければ。。。
- 神様に出会った人は、自分の義を手放す。そして、神の義に従う。
- また、水路のそばに…表面上では、厳しい環境に見えたりするかも知れない。しかし、根っこで、水源に繋がっているならば、葉が枯れることがないばかりか、たくさんの身を結ぶ。
- 水路は、まさにイエス様です。また、キリストの身体である教会です。個人的に、イエス様に繋がっているか。今日、あなたの心の思いをイエス様と分かち合って、目と目とが合ったか。声をかけてもらったか。個人的にみ言葉が響いたか。。。
- Planted 植えられる---- 神様の摂理を受け入れること。この世は、自分中心。イエス様の弟子さえ、イエス様に選ばれたのであって、自分で選んだのではない。また、場所を示している。毎日、神様と出会う場所、スペースあるでしょうか。神様のことを話す仲間の場の中に植えられているでしょうか?
- 黙想をするには、私たちが鈍いからというのも一つの理由です。しかし、同じみ言葉を何度も何度も読んで、思いを巡らすうちに、神様の語りかけが、気づきが後から後から来るのです。ぱっとみ言葉を読むだけではなく、羊や牛のように反芻するのです。
- また、キリストの身体に植えられて、周りの人の証しや、みなさんが体験した神様のみ言葉を分かち合っていただき、それを聞くことも私たちには、霊の肥やしなのです。決して軽くみることができない。
- そういう人は、時が来ると実がなる。。。これも、霊的なことです。実は、いつ、なり、いつ育つか人には分からないのです。。。夜、皆が寝静まっている時に、いつの間にか育つのです。肉の目で見定めることのできない、霊の出来事です。
★ 今日子供たちの進級式でしたが、子供たちは、毎週きちんとみ言葉を暗唱してきました。大変な霊の賜物をいただきました。若いうちに、心に入れたみ言葉が、物事を考えるときに、きっと、出て来て、彼らの人生を助けることでしょう。大人も、見習って、9月から、み言葉を黙想することを大切にしていきましょう。そして、毎日必ず、今日、イエス様と目があったかな。イエス様に私を見ていただけたかな。イエス様の義で、毎日、まっすぐに、そして、正しいものとされ、私たちの心の王座にいつもイエス様に座っていただきましょう。
礼拝後に、ボーイズは、大好きなお兄ちゃんと、七ならべを楽しんでいます。。。
今週は、新しいおばあちゃんも礼拝に来てくれました。
子供たちにとっも、おばあちゃんにとってもいろいろな世代と交流できて、ランチタイムや、礼拝後のおやつタイムは、貴重な時間となっています。
2018年9月2日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、
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ルカの15章は、聖書の中の福音の中の福音と言われている箇所です。神様の良いニュース。神様の救済のエッセンスが込められています。三つの失ったものがでてきます。今日は、はじめの二つから。
ルカ15:1-10
1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、6 帰って来て、友達や近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。8 また、女の人が銀貨を十枚持っていても、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。9 見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」
★ 罪人と食事をするイエス様
先週は、取税人ザアカイの話しでしたが、今週のルカ15章は、イエス様がそんな取税人や罪人と食事を一緒にしているということで、パリサイ人、律法学者たちがイエス様を責めて詰め寄っているシーンからです。
◎ 当時、ユダヤ人たちは罪人と言われる人たちと付き合いをしないようにしていました。ですから、イエス様が罪人たちとハングアウトしていることが大きな信仰の躓きとなりました。イエス様のような行動をするということは、神の心が分からない人たちをますます神から話す、分裂をもたらすことがあります。このシーンでクリアに私たちには理解できます。日常の中で、注意してください。分裂、人が信仰を持てなくさせたイエスが悪いのだろうか。それとも、躓いてしまうパリサイ人たちに問題があるのだろうか。真理が必ずしも、人に歓迎されるとは限らない。。。
◎ パリサイ人たちは、罪人と取引、ものの売買をすることを禁じていた。そういう人たちと交われば、自分が汚れると考えた。また、ラビたちは、そういう人たちに神の言葉を教えなかった。しかし、イエス様は、ラビであるが、彼らと親しくしていた。これは、衝撃的なことであった。
◎ 私たちも少し、立ち止まって考えてみたい。つばは、口の中にある時には、雑菌を殺すいいものである。唾液は、たくさん出ている方が虫歯になりにくいともいわれている。しかし、一旦、口の外に出ると、侮辱の意味があり、人は、汚いと感じ、そのつばに触れたくないと思うものであります。
罪人も、そのようなものかも知れません。。。。続いて、イエス様は次のような有名なたとえ話をされます。
★ 羊飼いの話し
羊飼いは、一匹の迷子の羊を、99匹を置いても探しに行くというお話し。
◎羊とは
羊は、聖書で人間に例えられる。よく似ている。視力が極端に弱く、先が見えにくい。人間も、将来のことが見えない。自分の身の周りのことだけで精いっぱいです。野生の羊はいない。必ず、羊飼いに飼われないと生きていけない。人も、誰かに世話されないと人間として育たない。これは、赤ちゃんとしてもそうだし、霊的にもそうです。霊的な育ててくれる、一緒に歩いて教えてくれる先輩がいないと、霊的な成長はありません。一匹オオカミはいても、一匹羊はいないんです。一匹羊でやっていきますと言っても、牙や、強い角があるわけでもない、目の見えない羊が、猛獣に勝てるはずがないのです。
当時、イスラエルは、青々と茂る牧場で羊を飼っていたわけではない。ちょろちょろと生える岩間の草を食べるのです。けれども、羊飼いが食べ物のある所に連れて行き、水を飲ませるのです。私たちの詩編23篇で想像するような、ハイジのような世界ではないのです。すぐ先は、がけ、すぐ砂漠がある。など、結構危険なところで生きていたのです。ですからこそ、羊飼いなしでは、羊は命の危険にさらされるわけです。
よく考えてみたら、私たちの人生のようです。一難去ってまた一難。楽な人生を送っている人が果たしているのでしょうか。試練の無い人はいないのです。
◎羊は、群れでいる時安全であり、守られる。右向け右で、団体行動をすることもあって、守られる。また、臆病で、目の見えない羊は団体行動に向いている。逆に言えば、極端に孤独に弱い。一匹群れから離れると、パニクッて余計に逆の方向に行ってしまったりと、一人よがりにどんどんあてずっばの場所に行ってしまい、ますます迷ってしまうそうだ。なんだか。。。自分のことを言われているみたいですね。ですから、失った羊という、失うというのは、迷子の羊というより、滅びの、という意味があるそうです。ですから、まさに、群れから外れるということは、滅びの道に向かうということでした。
◎羊は、村全体の財産で、二、三人の羊飼いたちが羊を連れて行っていたそうです。羊一匹一匹に名前を付けて、大切にしていました。もしも、一匹死なせようものなら、相当な責任を問われたそうです。その羊の毛を刈ってなぜ死んだかしっかりと説明する義務がありました。
◎羊飼いは、羊を肩に担いで帰る。はぐれた羊は、パニックになっているので、羊飼いが肩に担いで、全面的に運んであげる必要があります。私や、みなさんにも、そのような経験があってこそ、今ここに存在ているのではないのでしょうか。
人生のどん底、自分の力でどうしようもない時、奇跡が起こって、神様がまるで、持ち運んでくださって、安全なところに自分を運んでくださった。というような。私も、思えば、そんなことがたくさんあって、今日生きています。救われた時は、もちろん、バーンアウトして鬱になったときも、自分が死んだような時、迷い切ったときに、自分を担いでもとに戻してくれたのが、神様でした。
救い、軌道修正はいつも、イエス様の一方的な恵みです。
◎羊飼いが羊を担いで帰って来ると、村全体が大喜びして迎えたそうです。そうです。失ったもの、滅びようとしていたものが帰ってきたのですから。。。。
イエス様の恵みによる救い、帰村は大変な喜びをもたらします。
どうして羊飼いなるイエス様は、一方的な熱心な愛で、迷い出て滅びに向かう私たちをそんなにも必死に探してくださるのでしょうか?
そこで、イエス様は続いて、二つ目のお話をされます。
★ 二番目のストーリー、銀貨の話し
自分の銀貨がなくなったら、えらいことです。私たちも例えば、家に10万円あって、一万円足りなかったら、血眼になってその一枚を探すのではないでしょうか。
価値のあるものであることが一つ、また、自分のものであることが一つ。人のものだったら、そんなに必死にはならないでしょう。でも、あなたの大切な宝物がなくなったら必死になるのです。
また、それがどうしても必要だったから。目的があって、10枚あったのでしょう。目的のない銀貨はありません。当時のパレスチナ、10枚の銀貨で髪飾りを作り、それを今でいう結婚指輪の代わりにし既婚のしるしとして身に着けたそう。せっかく結婚の用意ができたのに、せっかく苦労してためた10枚の銀貨がなくなっては困ります。
God says, “you are mine.” You hold God’s purpose.
★ 今日、覚えていただきたいことは、あなたは、神の大切な存在。神に属する存在です。次のたとえ話ににもあるように。あなたは、大切な神の子供です。また、あなたには、価値があります。そして、あなたの人生には、目的がはっきりあります。
ですから、イエス様は、探さずにおれない。
どこまでも、見つけに行く、危険を冒して、険しい崖も、くらい夜道も、くまなく探すのです。神の、熱い熱心。愛。が、あなたを探したのです。
私たちは、群れから離れては、生きて行けません。一人ではどんどん違う方向に行ってしまうのです。野獣がいつでも襲って、食べられても仕方がないほど弱いそんざいなのです。ですからこそ、互いに集まることをやめてはいけないのです。
イエス様は、だから、熱心に罪人を探し、訪問し、友達になり、食事を一緒にしていたのでした。滅びないために。
イエス様は、今日もあなたを探しておられます。
イエス様は、今日もあなたを担いでくださいます。自分で解決できない、力がないと思うなら。
★ 私は、もとホームレスの人で今は、ホームレスから立ち直り中毒症から立ち直ろうとしている人たちを助けている人に会いました。この人にイエス様を見ました。その、熱心さ。決してあきらめない姿に。自分も、見つけられたから。彼女も見つけるんだ。。。。と思いました。イエス様のその熱心に私たちを求めてくださる、その愛に今日立ちかえりましょう。あなたは、一匹の羊です/でした。
今月、八月のお誕生日を礼拝後にお祝いしましたー。
チーズケーキと、チョコタルト。
今回は、手作りではありませんーーー
おめでとうございます。なつこさんとエリック。
2018年8月26日日曜日礼拝音声は、
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先週は、イエス様に出会った姦淫の女のお話しでした。今週は、また、イエス様に出会って劇的に人生が変わった人、ザアカイのお話しから学んでいきたいと思います。
キリスト教は、あっという間に、ローマをキリスト教国家にするくらいに力がありました。その力は、どこにあったかというと、証しの力でした。一人ひとりの体験、トランスフォーメーションにありました。ザアカイもそのような変革を体験した人です。
ルカ19:1-10
それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群集のために見ることができなかった。4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
★ザアカイという名前
名前というのは、不思議なものです。その人を表しています。どの国、どの文化であっても。。聖書の中でも、神様に出会って名前が変わった人もいます。私の例。
ザアカイという名前は、へブル後で、清い、純粋なClean; pureという意味です。彼は、このようになるべく生まれてきた人間だったのです。
あなたの名前には、どんな意味があるでしょうか。
★劣等感というモチベーション
それで、金持ちになった。しかし、友達がいなかった。お金だけが頼り。
彼は、当時統治されていたローマ帝国の取税人となり、関所でお金を同胞から大目に集めては自分のものにして財を増やしていた。すべて手に入れたように見えるが、一つ変わっていなかった。それは、
劣等感、「自分に何かが足りない」という感覚だった。清い生き方をする子になるようにと、親に育てられたが、劣等感が取税人にし、金持ちにした。
しかし、彼は孤独であった。
そこで、最近とみに噂のイエス様に興味を持った。
「自分に何かが足りない」が、世の誘惑、成功を引き寄せる原動力だと前に話しましたが、また、これも神様を求めるきっかけにもなります。あなたは、どちらを求めていますか。
注) 劣等感というモチベーションをかなぐりすてて、行動に移さなければ、イエス様に出会えなかった。
★いちぢく桑の木
◎登った…
宗教とは聖なる神様に出会おうとして必死で上へ上へ自分の力で登ることと、いつも説明しています。
ザアカイも、イエス様を一目見ようと木に登りました。宗教者の中でも人のお金をくすめていたので、鼻つまみ者であったが、高いところに向かった。
私たちも、みんな何かしらの努力をして上に行って、神様を味わいたい、イエス様に出会いたいと思って教会に来、聖書を読もうとしたり、聖書の教えに従おうとしたのではないでしょうか。それがあっての、今、ではないでしょうか。
◎降りた…
ザアカイは、イエス様に声を個人的にかけられました。どんなにか嬉しかったことでしょうか。「君の家に泊まることにしてあるよ」と言われたのです。みなさん、イエス魔は、すでにあなたを選んでおいでになるのです!
ザアカイは、イエス様に会うために木を降りました。
私たちは、本当にイエス様に出会うためには、木の上にいては、高いところにいては会えないのです。
① 自分の力で上り詰めた、その場所から降りなければならない。
ザアカイの場合は、富であったろう。自分のプライド、努力、頑張り。また、他にも、宗教。自分のやり方、伝統、しきたり。仕事。
② イエス様の低さまで降りなければ、決してイエス様が分からない。
---- イエス様の七下りピリピ書2:6-12
6キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。12 そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。
低いところに下らなければ、イエス様が分からない。謙り、しっかり神に従ってみなければ、喜びは得られない。イエス様も、その喜びのために働いたのです。
ですから、ここに、「自分の救いの達成のために努めなさい。」と、あります。これは、行いによって救われるというのとは、違います。救われたのですから、イエス様さえも低いところに自分から、私たちの救いの達成のために下ったのですから、高いところにいることばかりを考えずに、地道に神の道を従って行きなさいというのです。
神に従うことは、決して容易なことではありません。もちろん、助け主聖霊様が助けてくださいますが、私たちは、日々自分を捨てなければ、神に従うことはできないのです。従わなければ、従った人にしか、分からない喜びが味わえないのです。
さて、木を下って行ったザアカイは、どうなったでしょうか。
★悔い改めの実
キリスト教は、何によって信者とするかといえば、キリストに出会った喜びによって人生が変わる、そして、行動が変わることです。
キリスト教が力をもって増え広がったのは、この「変えられた人たちの行動」によってでした。
v8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」But Zacchaeus stood up and said to the Lord, “Look, Lord! Here and now I give half of my possessions to the poor, and if I have cheated anybody out of anything, I will pay back four times the amount.”
ザアカイは、イエス様に出会って、今までの生き方を捨てる決心をしました。その証しとして、財産の半分を貧しい人に施し、そして、今まで人からだまし取ってきたものは、四倍にして返すというのです。ちょっと話を聞いてみたら、これは、赤字になるのでは? と思いませんか。今まで、お金が友達。悪いことをしてまでも、人に嫌われてまでも、人からお金だまし取っていた。それで、自分の劣等感を少しでも、感じなくさせるように。。
彼の、後の人生は、真逆の人生になりました。償いの人生とでもいえましょうか。赤字でも、人にずっと返していく人生を選んだのです。決して楽なことではありません。しかし、それが、イエス様に出会って、変えられた人生なのです。遠回りでも、損でも、赤字でも、イエス様に従って、真っ当な生き方を毎日選んで行くという生き方に変えられました。
●ここにまだキリストに出会っていない人がいるならば、必ずあなたは主に見つけられますから、木に登ってください。聖書を読む、祈ってみる、教会に行ってみるでもいいではないですか。必ず、あなたは、イエス様に見つけられます。
そして、低いところに降りることをいとわないで。
イエス様に出会った喜びをもって、今までと違う行動をしましょう。
礼拝後、るりこさんと安藤さんのコンサートに行ってきました。
ライトハウスというコーヒーロースターのカフェにて。。。たくさんの方々が来てくれて良かったですね。
演奏も素晴らしかったです。
2018年8月19日日曜日礼拝メッセージ音声は、
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ヨハネ8:2-12
そして、朝早く、イエスはもう一度宮に入られた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。
3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、
4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。
9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。
10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今から決して罪を犯してはなりません。」
12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
先日、久しぶりに散歩に行くことができました、8th Ave のホールフーズに行くと、店の前に、見るからにホームレスの日に焼けて髪の毛をとかしてない女性が、二人の男性に囲まれていました。一人は、店の店員さん、一人はセキュリティの人。女性は上目づかいでセキュリティの顔を見上げて突っ立っていました。セキュリティの人の手には彼女が盗んだデリの箱が。何やら怒られてる様子。私は、それを見て、胸を締め付けられるような思いがしました。お腹が空いててやっちゃったのかな。。と。みんな、憐れみのあの字もなく、軽蔑と無関心の様子で人々は通り過ぎていきます。彼女にとっては、人の軽蔑と恥をかくことは慣れっこのように見えました。どうしても、帰り道その姿が忘れられなくて、思いめぐらしている時に、姦淫の現場でつかまり、イエス様に連れてこられた女の話しを思い出しました。この話は、律法学者とパリサイ人がイエス様を貶めようと図ったできごとですが、イエス様のされたことからたくさんのことを私たちは学ぶことができます。
●この話の中で、女性は引き連れられてきて、人前に出されます。本来なら、男性もいたはずですが、男性は連れてこられませんでした。いかにも、この女性は、尊厳なしにこんな風に扱われるほどさげすまれていたのでした。
彼女はみんなが知っている売春婦だったのでしょう。みんなに、ぞんざいに扱われてもいいと思われていた。。。。私たちも、明らかに罪を犯している人をそのように見るのではないでしょうか。イエス様を試しはしなくても。。。
v5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
とイエス様は聞かれ、何をされたかというと。。。
★ V6しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
どうしてイエス様は、身をかがめたんだろう、字を地面に書いたのか。。。などと、いつも疑問に思っていた箇所でありました。
先日見た事件で、セキュリティの人が身をかがめたらどうだったろうと想像してみると分かりやすくなりました。セキュリティの方は、彼女を叱ってるようでしたから、上からで、彼女は見上げている格好でした。
① 身をかがめた。----- 罪を犯して責められている人と同じ高さになられた。
その動きで、人々の目は、ふしだらな女からイエス様に集中する。
② 地面に文字を書いた。
人々は、手もとのイエス様の言葉に、黙って集中するしかなかった。
口の言葉だったら問答になっただろう。また、上目づかいであたりを見回している女性にも気を取られて、人々の心は集中しなかったろう。
ここで書かれたのは、いろいろな説があるが、一度目は、女へのメッセージだったともいわれ、二回目はパリサイ人たちへの言葉だったとも。また、一人一人の犯した罪に関してのことであったとも、また、赦しの言葉であったとも、また、愛について書かれたとも、諸説ある。。。。
しかし、確かなことは、
罪を人に明るみに出されて、人前に連れてこられた女も、連れてきた者たちも、見物人も、みな、イエス様の「言葉」に直面し、取り組まなければならなかったということです。ここで、私たちに何を教えるでしょうか。
私たちは、罪にまみれた人を見るときに、また、そんな現象を見るときに、それに集中します。そして、自分の心を裁いたり判断したりして、いろいろと考えるのです。でも、もしも、そんな中で、私たちの目がイエス様に集中することができたら。。。この場面のように、事情がかわったのかも知れません。
●イエス様が何を言われるか。また、人を裁く前に、イエス様の言葉に向き合うことを私たちに教えているのではないでしょうか。
●この後、全ての人がイエス様に出会います。
★罪のないものが、石を投げなさい V7
み言葉に取り組んでも、なかなか自我と自分のやりたいことを諦められないパリサイ人たちは、イエス様にさらに詰め寄ります。すると、罪のない者からでは、石を投げなさいと言われました。
しかし、誰も、石を投げれるものはいませんでした。
そこにいた全員が、イエス様の文字と言葉の力に降伏したのです。
◎ 石を投げる権利のあったのは、イエス様だけでした。
女とイエス様だけがそこに残りました。
①イエス様のフォーカスは、裁きではなく、赦しと新しい命
Sin no more
②最後まで罪人と寄り添う。
★ 12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
イエス様のフォーカスは、私たちがまず、光の中に出て、そして、光の中を歩む。いのちの光を持つことです。それには、イエス様の出会いと、赦しが必要不可欠。
ですから、イエス様は、赦されたのです。
★私たちも裁きの座に着かずに、人を裁くようなことがあるときには、まず、上の立場、裁きの座から降り、イエス様に注目し、またイエス様の言葉に取り組みましょう。きっといつもと違う判断に導かれることでしょう。
私の愛用している、アプリ、My fitness pal 日本語で言ったら。。。フィットネスの友かな。。携帯にも、タブレットにも入れてます。どこにていも、食べたものを入力できるように。パソコンからもアクセスできます
こんな風に、一日の摂取栄養素が出てきます。マイクロ栄養素も含みます。
それとは別に、マクロ(炭水化物、脂質、たんぱく質)は、グラフになって出てきます。
こんにちはー
健康オタクのbokushi です。
日本に行っている間運動もせず、パン、アイスクリームなどをよく食べたので
さぞ、太ったろうと思い、体重をはかると
やっぱり。
といっても、去年一年間忙しくて、運動は、定期的にするようにはしていても、
食べ物には気を使っていなかった
久々にアプリを起動して、食べたものを入れると
鉄分、カルシゥム、ビタミンAなどが不足がちであることに気が付きました。
このアプリは、ダイエットのためにもすごいいいですが、
健康のためにバランスよく何を食べたらいいのかわかるし、軌道修正してくれるので、助かっています。
にぎりずしや、刺身、お好み焼きまで、出てきます。
かなりのメニューがカバーされていて、入力に困ることがありません。
バーコードでピットすると、その製品の栄養素も簡単に入力してくれます。
便利ですーー
水分の摂取量もトラックできます
で、三日間、砂糖、炭水化物に気を付け、ちゃんとたんぱく質を取って、水をたくさん飲むようにしたら。。。
なんと、四パウンドも痩せましたーー
いやーー
健康は、気を付けてないといけないもんだなーなんてつくづく思います。
なんとなく、とか、ざっくり生きてちゃだめだなー。。。と。
また、これをしばらく続けていると、自然に身につくので、付けなくても大体何をどれくらい食べたか、体がどんな反応をするかに気がつくので、
だんだん付けなくなるのですけどねーー
それで、また、だらしなくなって、またつけるという。。。
私は繰り返してます。( ´∀` )
でもでも、これ、みなさん、おすすめですよーーー
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