では、あなたの本当の感情、責任とは何でしょうか。アダムとエバの場合を見てみましょう。
「神様が、食べてはならない実をたべたのか」と聞かれました。すると、アダムは、「はい、食べてしまいました。ごめんなさい」とは言わず、「あなたがくれたあの女が私に食べるようにさせた」と言ったのです。アダムは、恥がものすごく強いようですね。第一、エバがそうさせたといい、しかも、そのエバは神様が送ったというのです、最終的には神が悪い。と言って、自分の恥にさいなまれている居心地の悪さを神のせいだと言っているのです。神を責めることで、自分が責められないようにしているのです。人を裁くことによって自分が裁かれないようにしているのです。これは、面白い構図です。
マタイの福音書7:1〜2には、. 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ」“Do not judge, or you too will be judged. 2 For in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you. とあります。裁きを自分からのぞくように、自分の力ですることが、どうも人間の罪の副産物のようです。
ここで何がおこっているでしょうか。自分の感情、居心地の悪さ、を自分のものとして認めないということです。また、裁きは必ず自分に帰ってくるという霊的な法則でする
実際、しようと思えば、アダムもエバも、神様の前に、自分の恥をさらけ出して、ごめんなさい。と、言えば言えたはずですよね。自分の内側を潔く認めること、その責任を自分にあると認めることが、勝利の第一ステップです。
There is no condemnation in Christ. Rom 8 キリストにあって、もう二度と罪に責められることはありません。
イエス様は、私たちの罪を赦すために来てくださいました。
今、心にかかっているひと、自分の行動、自分を守る行動、自分がいらいらしていることの原因と自分が思っていること、自分自身、またアダムのように、神様がそうしたんだという神様を責める気持ち、全てを神様に持って行って、自分のありのままの感情を神様に知っていただきましょう。
必ず、私たちの心が一新され、あなたは自由になります。
彼を知り己を知れば百戦殆うからず 、if you know your enemy and know yourself、in a hundred battles you will never be defeated; know your enemyということわざの通り、私たちが敵を把握し、自分を知るならば戦いに勝てるというのです。この言葉は、クリスチャンならばまさに当てはまる言葉であると思います。
ヨブ38: 4
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。“Where were you when I laid the earth’s foundation? Tell me, if you understand.
聖書は、この世の自然界のあらゆる災害などは、究極的に人間の堕落と関係あるというようにロマ書にあります。自然界の本当の回復は、神の子供たちの回復によるのだと。また、聖書は、自然界のすべてのことは、あらかじめ、神が法則を定め、その定め通りに動いている。その歯車の通りに動いているのであって、それが、嵐になったり、地震になったりする。全世界の歯車の一部でものごとが起きている。ですから、神の裁きであるということも完全には当てはまらないケースるもある。ここで、大切なのは、神は神を愛するものには、全て働かせてを益としてくださる神を選んで行くという、戦いになります。we know that in all things God works for the good of those who love him.
③ 神の敵 God’s enemy
血肉によらない。真に霊的な戦い。この戦いができるチームが必要。如何せん、私たちの多くは、一番、二番の戦いで精一杯になってしまうのです。また、一番、二番のように表面的に見える霊の戦いもあります。私たちに霊の戦いの勇士たちが必要です。一番、二番を通らないと、三番を洞察できない。
◎あなたの戦いはどのカテゴリーでしょうか。What is your current battle?
何に対して今、戦いを感じていますか
人は、苦しみに会う時、戦いを感じる時に、全てを神のせいにしたり、全てを悪魔のせいにしたりします。私は、苦しむために生まれてきたんだ。とか、こんな不幸なことが起きたのは、神の御心なのだとか。あるいは、全部サタンのせいだ、だから、悪霊追い出しを毎日する。とか。両方、間違っています。
「悪魔の手紙」というシー・エス・ルイスの本を読んだことがあるでしょうか。日本語でも読めます。サタンがその弟子にどのように人間をだましたらいいかということを指導する手紙です。しかし、読むと身につまされ、いろいろと教えられます。
The Screwtape Letters by C.S. Lewis
Enemy makes us busy/performance/ be religious, spiritual … 忙しくさせ、何かを上手くやることに集中させろ、宗教にこらせ、霊的にさせろ
Make disappointed. がっかりさせろ
Two persons fight each other. Let them say bad things each other. 二人の人がいたら、喧嘩させて、互いに悪口を言わせろ。
Let them Self-talk negatively 自分自身に対して否定的に呟かせろ
Compare themselves to others even in the church. 人と比べさせろ、教会でも
Let them focus on their sins and others’ sins. 自分の罪と他人の罪にこだわらせろ
Let them avoid sincere/vulnerable prayers 心からの弱さからくる祈りを避けさせろ
◎人間関係の法則Law of Relationship
サタンは、ここで何をさせたいのだと思いますか。そうです、神様と顔と顔を合わせて持つ関係から私たちを離したいのです。「関係」から話せば、サタンは私たちを楽勝で破滅に向かわせられるからです。これが、敵の策略であり、罠です。
★ 真理はあなたを自由にする The truth set you free
ヨハネJohn 8:31-32
31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」To the Jews who had believed him, Jesus said, “If you hold to my teaching, you are really my disciples. 32 Then you will know the truth, and the truth will set you free.”
★ あなたにとっての真理とは何か? What is your truth?
◎ 勝利の鍵は自分自身・あなたに関する真理を知ること Key is to know yourself
① キリストにある自分 In Christ
人は信じている通りになる。箴言Proverb 23:77 彼は、心のうちでは勘定ずくだから。For as he thinks in his heart, so is he.
あなたは何を信じて生きいますか?
私たちは、心で信じている通りに行動する。あなたの行動は、神様を表していますか?
もし、そうでないと思うのであれば、神様の言葉を信じ切れていないのです。
★ 信念の構造の詩
Belief System 信念の構造
If you accept a Belief, you reap a Thought.
もしあなたがある信念を受け入れたら、それはあなたの考えになる
If you sow a Thought, you reap an Attitude. その考えがやがてあなたの態度となり、
If you sow an Attitude, you reap an Action. その態度が、やがてあなたの行動となって現れ、
If you sow an Action, you reap a Habit. そのあなたの行動が、習慣を生み、
If you reap a Habit, you reap a Character. その習慣が、あなたの人となりとなる
If you sow a Character, you reap a Destiny.
あなたの人となりが、あなたの運命の行き着く先となるのだ。 Anonymous 作者不明
◎ 苦しみと喜びは紙一重 Suffering and joy at only a fine line
9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore, I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.
人の弱さは、聖なる力なのです。すなわち、あまり神の力が働くのに、あなたの有能無能、持てる持ってない、あるいは、あなた自身の栄光は全く関係ないのです。弘法筆を選ばす。ということわざがありますが、神が働かれるには、弱さのあるあなたが必要なのです。弱いからいいのです。私たちは、弱いところにこそ、神の力を招き入れるからです。
◎財産を乱費している Wasting master’s possessions
◎やめさせられたくないので策をとった---- 仲間に貸しを作った Start using it for making friends
主人の財産を仲間を助けるために使って、自分が困ったときに助けてもらうことにした。
◎不正の富で、友を作る Start using it for making friends
8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくなったのをほめた。9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。“The master commended the dishonest manager because he had acted shrewdly. For the people of this world are more shrewd in dealing with their own kind than are the people of the light. 9 I tell you, use worldly wealth to gain friends for yourselves, so that when it is gone, you will be welcomed into eternal dwellings.
① 自分の手の中にあるリソースを自分のものだと思っている。Misunderstanding of resource at your hands
わがものと思って使っているなら、それを任せている主人にとっては、乱費なのです。
② 仲間が見つけられない。You don’t see your kind of people
という問題。自分のような人を助けるために使う、とありますが、dealing with their own kindここで言うのは、主人に借金のある人たちのことです。
主人に負債を負っている人とはどんな人ですか。
そうです。罪人です。私も、あなたも、神を知らない罪人でした。神から離れて生きていたのです。
先週の話しを思い出してみましょう。ルカ7章元売春婦の女性がシモンの家に入るなり、イエス様の足を涙で洗い髪でふき出してというお話しでした。
みなさん、この女性は、イエス様に救われて、大変感謝に思っていたからそれをしているわけですが、他にもう一つ理由があるんです。この女性は、イエス様の仲間、イエス様のown kind だったのです。
イエス様の話しを聞きたくて、シモンの家に入ってきたら、なんと、イエス様の足が汚れたままになっているではないですか。また頭にも油をつけてもらってなくて乱れていた。その愛するイエス様の姿を見て、彼女の心は刃物で突き刺された思いがしたでしょう。イエス様が、自分のような人であるのが見えたからです。
イエス様は、歓迎されず、普通ならば受けるべき最低限のもてなしも受けなかった。そんな恥をかかされながらも、そこの家におられた、その汚れた足を見て、どんなに心が傷ついたことでしょうか。この女性は、イエス様を愛しているがゆえに、感謝の涙、また悲しみの涙を同時な流したのです。
他の客には見えなかったことが、この女には見えたのです。自分も、その経験があるから。
★ 共感は愛の始め Empathy is gateway of love
この管理人も、自分のように主人から借りがあって立場が危ない人たちに共感できたから、このようなことをやり始めたのです。
みなさんに質問します。あなたの目に映っていることは、どんなことでしょうか。どんな人でしょうか。あなたは、自分の手に任されているもので、そのような人に仕えているでしょうか。
自分の周りの人たちの顔を思い浮かべてみましょう。自分の家族もそうです。兄弟も。みな、同じように育ったのです。同じ傷ももっているでしょう。あなたが一番の家族の理解者でもあります。。。。
★ 小さなことに忠実な人は、大きいことにも忠実ですWhoever can be trusted with very little can also be trusted with much
10 小さい事に忠実な人は、大きいことにも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。12 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
10 “Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much, and whoever is dishonest with very little will also be dishonest with much. 11 So if you have not been trustworthy in handling worldly wealth, who will trust you with true riches? 12 And if you have not been trustworthy with someone else’s property, who will give you property of your own?
13 “No one can serve two masters. Either you will hate the one and love the other, or you will be devoted to the one and despise the other. You cannot serve both God and money.”
I want to share some stories that happened to me this week and explain how the holy spirit spoke to me through them.
The Lady with the Seahawks hat
My first treasure story involves the lady in the Seahawks hat who came in to the bank. I was dreading talking to her. When she finally came over I could tell she was agitated and she told me why. Someone had written her a bad check. She was mostly mad at the woman who wrote her the bad check.
When I started to hear her story I was moved with compassion. What I expected and the reality were two different things.
This lady mentioned since she was a Christian she knew she shouldn’t get too mad at the lady who wrote her the bad check.
The Homeless Man
Then another person came in. I really didn’t want to talk to him. Immediately he came off as somewhat combative, and he smelled too. It was almost time for me to go home so I just wanted to get the appointment done and send him away. He told me he was tired of getting fees and didn’t know very well how banks worked.
“Yeah, yeah, yeah” I said. Thinking I was demonstrating I was listening.
“You keep saying ‘yeah, yeah, yeah’. That sounds like slang.” He went on at some length with that theme.
I tried to connect with him, but my normal techniques were falling flat. I found myself speaking in tongues under my breath because things weren’t going well.
We began to connect a little, but not much.
I annoyed him more. We went round and round for a bit then he just wanted to get the account open.
Somewhere in the middle of my interaction with him something switched in my brain. I realized rather than an annoyance this gentleman brought me something of great value. I was humbled to realize he said some things that pointed out my weaknesses as a banker. No one else brought these things to my attention, but he did. The Holy Spirit worked through him in this regard.
“It was a real pleasure to meet you, Earl (not his name).” I told him.
I meant it quite sincerely.
Jesus’ approach to those of lowly estate
It goes without saying Jesus wouldn’t have had the attitude I did toward either of these people. Jesus met people where they were. He truly connected with people. We can see through the following passage he recognized the boldness and the strong emotion of the woman who entered where Jesus dined with the Pharisees.
Luke 7:36-50
“And one of the pharisees desired him that he would eat with him. And he went into the Pharisee’s house, and sat down to meat. And, behold, a woman in the city, which was a sinner, when she knew that Jesus sat at meat in the Pharisee’s house, brought an alabaster box of ointment. And stood at his feet behind him weeping, and began to wash his feet with tears, and did wipe them with the hairs of her head, and kissed his feet, and anointed them with the ointment. Now when the Pharisee which had bidden him saw it, he spake within himself, saying, This man, if he were a prophet, would have known who and what manner of woman this is that toucheth him: for she is a sinner. And Jesus answering said unto him, Simon, I have somewhat to say unto thee. And he saith, Master, say on. There was a certain creditor which had two debtors: the one owed five hundred pence, and the other fifty. And when they had nothing to pay, he frankly forgave them both. Tell me therefore, which one of them will love him most? Simon answered and said, I suppose that he, to whom he forgave most. And he said unto him, Thou hast rightly judged. And he turned unto the woman, and said unto Simon, Seest thou this woman? I entered into thine house, thou gavest me no water for my feet: but she hath washed my feet with tears, and wiped them with the hairs of her head. Thou gavest me no kiss: but this woman since the time I came in hath not ceased to kiss my feet. My head with oil thou didst not anoint: but this woman hath anointed my feet with ointment. Wherefore I say unto thee, Her sins, which are many, are forgiven; for she loved much: but to whom little is forgiven, the same loveth little. And he said unto her, Thy sins are forgiven. And they that sat at meat with him began to say within themselves, Who is this that forgiveth sins also? And he said to the woman, Thy faith hath saved thee; go in peace.”
Application
This is really an amazing story. This woman was overwhelmed with thankfulness toward Jesus. She demonstrated it not only with the costly ointment, but in the fact that she used her hair to wipe his feet. Women in that culture were forbidden to let down their hair. She was grateful for the hope that Jesus gave her. She was, as Jesus said, forgiven much, therefore she loved Jesus very much. At the end Jesus told her to go in peace. This was welcome to her because her sins were forgiven.
Notice also the contrast between the way Simon treated Jesus and how the woman did. The Pharisee didn’t even extend common courtesies to him such as washing his feet, giving him a kiss, and anointing his head with oil. Think about going to a Japanese house. The host will offer you slippers so your feet won’t be cold and generally make sure you are comfortable.
Note also the guests at the party began to realize this wasn’t an ordinary prophet. He could actually forgive an unclean woman.
Remember my stories? If I hadn’t lowered myself I wouldn’t have discovered what was valuable.
It is similar to water. Everyone wants and needs water. It comes from a high place to a low place. It seems when I lower myself I find what I need. That is where the water is.
The Pharisees including Simon didn’t appreciate this principle of lowering themselves. They even had a hard time seeing why Jesus (who was also a Rabbi) let this woman do what she did.
When I was talking to Earl I was like Pharisees we have been talking about. My Pharisee mind was saying he smells because he is homeless. Get him out of here! Then something supernatural happened. The Holy Spirit allowed me to see as I lowered myself that I was able to receive from him.
Finally Jesus saw the treasure in the woman. He saw what a precious person she was. There is such a stark contrast between the way she treated Jesus and how the Pharisees did. The woman also saw the treasure in Jesus. He gave her something priceless. He forgave her sins. Few people in her life treated her with kindness. As a prostitute she was an outcast, but Jesus saw her for what she was, a humble sinner pouring out her love for Jesus. This is another contrast with the Pharisees who just saw her as her past, that of a prostitute.
Conclusion
All of us are created in the image of God. In God’s view every person is precious. We know he loves the whole world. At any Seahawks game you will see a sign that reads: “John 3:16” - “For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlasting life.”
There are people all around us that we either don’t notice, or we don’t want to notice by design. If we do this we may be missing out on something quite important. It is as if we were given a treasure map and we just threw it away thinking it can’t be real. If we discard the people God puts in to our lives it is the same thing.
★弟についておさらい
弟は、自分の罪に気が付き、謙って、自分の悪を全て認めて、父のもとに帰ってきた。
真の悔い改めは、神に向かわせる。自分のプライドや反抗心何て、全てか殴りすてて。自分を助けることができるのは父しかいないと確信しているから。
神、救い主イエス様にわたしたちの心が向かうには、必ず、自分の罪について理解しなければならない。Personal knowledge of our sin and our Savior、Inseparable
★ 聖書は、この救いの体験・心の繋がりの継続を勧めています。
コロサイ2:6
あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。So then, just as you received Christ Jesus as Lord, continue to live your lives in him,
神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。24 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。Search me, God, and know my heart; test me and know my anxious thoughts. 24 See if there is any offensive way in me, and lead me in the way everlasting.
悔い改めない心、赦さない心、裁きの心が、神の喜びを私たちと私たちの教会から取り去ることが無いように。今日、もし、手放さなければならないことがあるなら、祈りましょう。
悔い改めは、神とのコネクションの入り口であり、神の祝福の入り口です。
Repent --- opening the door for God.