日本にあるホンダの会社に掲げてある看板だそうです。
なるほどと思わされる言葉ですが
誰が発しているかによって受け取り方も大きく異なります。
「 寝る時間、食う時間を惜しんで何度でもやる。
さあ、昨日までの自分を超えろ」
もし経営陣が従業員に対してこのような言葉でその働き方を統制しようとしているのだったら
ブラック企業と言われても仕方ないでしょうね。
経営者が自らに語るものであれば良い奨励ともなりますが。。。
本日からオレゴン州ポートランドにしばらく滞在です。
シアトルから高速5号線を南下すること3時間弱で到着出来る至近距離が嬉しい。
今回の忘れ物はiPhoneのチャージャーコード。
これがないと電話がもちろんGPS機能も計算機もカード決済もできず
ビジネスそのものが成り立たないほどに頼っているものです。
Portlandのダウンタウンにもアップショップであって助かりました。
初日の最初にしたことがケーブルを買うこととなりました。
Facebookに投稿されていた名言です。
「ほんの少しの違い」とあるけれども
そのベクトルの方向は180度違います。
生まれや性格、才能など天来の素質には違いが少ないかもしれないけど
その意識の差においては結果が全く違ってしまう。
どれもなるほどなぁと思わされますが
特にうなずかされたのは次の1文でした。
「できない人は過去にこだわり
できる人は未来にこだわる」
過去の方が記憶に鮮明だし経験して来た確かさがある。
その一方で未来には不確かな要素が多くあるものです。
今までの失敗を悔いたり
選択を後悔したり
不幸な境遇を嘆いたりと
うだうだとしやすいもの。
そんな現実からどうやって脱却し
明るい未来を描くことができるのか。
理屈上ではわかっていたとしても
そのベネフィットを受け取る方法論が見えてこないのが
私たち人間の現実でもある。
「わたしはあなた方のために立てている計画をよく知っているからだ。
ー主の御告げー
それは禍ではなくて平安を与える計画であり、
あなた方に将来と希望を与えるためのものだ」
(エレミヤ29章11節)
バビロン捕囚と言う最大の痛手を被ったイスラエル人に対し
神は捕囚からの解放と帰還、国の再建を告げられ明るい将来と希望を約束された。
この言葉が歴史的にかの国において成就したのを私たちは確かめることができる。
それならば尚更、私個人の人生に「将来と希望」を約束して下さっていると信じることが出来る。
なんといったって私たち一人一人は
神が最も大切にしておられるその一子を犠牲にするほどに愛し、
価値あるものとして生かされているお互いなのだから。
明美ちゃんの高校ミュージカル。
今年はShrekと言う物語で主役のFionaで出演。
歌あり踊りあり演技に没頭する2時間半のステージ。
先週からのリハーサル週は毎夜10時ごろの帰宅になるまでの猛練習を続けていた。
つい先ほど3日連続公演の最終ステージのために家を出て行きました。
自ら私のトヨタ車を運転して。
今夜も観衆を沸かし星を掴み取ってくださいな。
本日のシアトル・ユニオンレイク
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
その栄光は全地に満つ」(イザヤ6章3節)
天にある神殿のビジョンを見せられたイザヤは、
そこでセラフィムがこのように神を賛美してるのを見聞しています。
聖書でセラフィムの名が出てくるのはこの箇所だけですが黙示録4章の「4つの生き物」と同じであることがその翼の様子からわかります。そこでの賛美もまた同様のものです(黙示録4章8節)。
天でのセラフィムによる礼拝と賛美とは、常時繰り返されているものです。
神の側においては常に存在している事実でありこの時のイザヤのために神が一時的に演出しているドラマではないのです。
BC740年、有能なウジヤ王の死がイスラエルやイザヤを危機に立たしめました。
この危機にあって神の特別な具象に接することができたのはただただ神の憐れみによります。
今も天において奏でられている賛美を受け取る私どものレシーバーはいかがなものでしょうか?
これを受け取るためのチューニングをさせていただきたいです。
主イエスにあり神と調和している時、そのような霊魂の状態において見せられまた聞かされるものです。
このところ良い天気となったのは1日だけ。
今日もまた雨のシアトルです。
マキルテオと言うシアトル北部のフェリー発着所まで行ってきました。
そこにあった雨に濡れた桃がきれいでした。
桜は花びらをだいぶちらしているのですが
桃はまだ健在ですです。
そういえば先週、日本の伏見で見た桃も雨に濡れてきれいでした。
この写真は数ヶ月前のものです
春の我が家の写真は画像が大きすぎて載せられないとのことです
先週からの雨もようやく終わり晴れ上がった。
明日からまた下り坂になると言う。
そこで風邪気味の体を押して今季初の芝刈りに挑んだ。
数ヶ月間使用しないでいた芝刈り機のエンジンが発動するかどうかよりも
納屋のドアを開けることの方が心配だった。
先週そのドアを開けた家内が悲鳴をあげた事がある。
アライグマとにらめっこしてしまったからだった。
そこで私は納屋のドアを何度もノックし先住民がいたら隙間から退散してもらおうと図る。
なこともあって芝刈りはなかなか億劫に感じていたののだけれど、、、
結果としては「案ずるよりも産むがやすし」
〜行動一旦起こしてみれば大した障害もなくやり遂げてしまうもの〜
アライグマに会うこともなく、
エンジンはすぐに発動し、
キッパーのフンは家内が拾い上げてくれていて
楽に芝刈りを仕上げることができたのでした。
ペニンシュラホープ教会の日曜礼拝へ行ってきました。
毎月一度ほどしかお会いしていないのに
旧知の親友のように再会を多くの方々と喜び会いました。
この教会でいつも感心させられることがいくつかあります。
礼拝開始前から教会に集って準備を重ねている賛美チーム。
子供のためのミニストリー。
ランチを用意してくださる糸井さん。
その他見えないところであっても、誰かがご奉仕を担っておられます。
それぞれがそれぞれの賜物を遺憾なく発揮しながら
牧師不在の教会をもり立て支え合っていらっしゃる。
.................................................
私は時間となり、フェローシップを中座してオークランド空港へ急行。
これからシアトルへ帰還してホサナ教会の礼拝です。
主はいつも素晴らしい!
- If you are a bloguru member, please login.
Login
- If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account