3週間弱の日本滞在の最終日に
生まれ故郷の横浜東戸塚へ行ってきました。
私が中学生の頃に新設された東戸塚駅から周辺は見渡すかぎり荒野だったのですが
今はモール街で埋め尽くされています。
駅からそのモールを抜けて旧東海道まで歩きました。
この旧東海道こそ、私の小学-中学-高校時代の通学路です。
その通学路を通って実家まで歩くとあちこちに満開の桜が出迎えてくれています。
今でも変わりない果樹園や畑、学校校舎など思い出の詰まった通学路。
そしてたどり着いた実家。
そこには歩くこともままならなくなった年老いた父や母が2人で家を守っていてくれていました。
昨日津幡教会の礼拝後、
皆んなで花見に行きましたが4月中旬にこうして日本中で花見ができるのは珍しい。
今年は寒気が居座ったためか
桜の満開と各地での入学式が重なったようです。
私にとって春の帰国は8年ぶりとなりましたが、
桜を満喫できたのは思わぬプレゼントでした。
写真は京都から金沢へ移る途上、京都御所に寄った時のものです。
ここのしだれ桜が満開でした。
COG津幡キリスト教会で礼拝を守りました。
ここの教会での日曜礼拝は神学生以来で実に30年ぶりとなります。
韓国やベトナムからの学生も含めて新しい方々もお見えになっておられます。
礼拝後の愛餐会で腹ごしらえをした後、桜の花見に出かけました。
冷たい強風が吹いて寒く長居はできなかったのですが、座った位置から手を伸ばしたところに満開の桜の枝枝が伸びていて優雅な一時を過ごせたのは幸いでした。
鳥羽伏見の戦いが勃発したという地点は、簡素な住宅街の小さな交差点に位置していた。
そのすぐ近所に薩摩軍が駐屯したと言う城南宮がある。
花の名所となっているここの庭園は広くよく整備されていて散歩しても飽きることはない。
義母ならきっと喜び、彼女の京都の名所となったはず。
この日は京都の近く伏見にて神学校同期卒の友人宅に宿泊。
久方ぶりの再会に話が弾み、楽しい話は夜が更けても尽きることがない。
伏見と言えば秀吉が一時住居を構えた伏見城があり、そして戊辰戦争勃発の契機となった鳥羽伏見の戦いが有名。
伏見城の本丸後は現在天皇陵となっているがその少し離れたところに石垣も含めて再建された伏見城が建立されている。
あいにくの雨であったが、そのお城と満開の桜とかよくマッチしている。
しかし井伊直弼が信長と大きく異なる点がある。
15年間、14男の故に捨て扶持の微禄に甘んじた不遇時代である。
彦根城内堀沿にある小さな庵に住居を構え、
「埋木舎」(うもれぎのや)と名付けた。
直弼の詠んだ和歌を紹介。
〜世の中をよそに見つつも埋れ木の
埋もれておらむ心なき身は〜
実際は埋もれる暇もなく文武両道に励み、後の大老の大任を果たす見識と覚悟とはこの冬の時代に培われたものだという。
信長が天才的直感に負うところが大きかったのに対して
直弼は長年の蓄積された教養から救国のための一打を打ち出していった。
どちらも官僚制度を突き抜けた独裁だったことには変わりはない。
日本の風土に独裁はどうも似合わないらしい。
井伊直弼
安政の大獄を首謀した赤鬼か、
鎖国から開国への未知の時代を切り開いた先駆者か。
日本史上で彼ほどに評価の割れる人物はいないと思う。
ペリー来航後右往左往の幕閣の中でも明確に開国路線を打ち出して日米通商友好条約を勅諚を得ないまま締結し、さらに反対派を徹底的に弾圧してしまう。
彼もまた信長同様に日本史にあっては特異な独裁者だった。
信長の夢破れたり
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
(人間の一生は所詮五十年に過ぎない。天上世界の時間の流れてくれべたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。)
絢爛豪華な安土城を築き、その琵琶湖に面した交通の要所を抑える戦略眼を持ち、
さらに宣教師を通じて世界情勢にまで視野を広げていた異端児信長。
その急進的な独裁体制は「和をもって貴しとなす」古来の日本体制と馴染まず、
明智光秀の謀反がなかったとしてもいつかは暗殺の憂き目に遭ったと考えられます。
完成からわずか3年ほどで炎上し廃城となった安土城には信長の夢が凝縮されているようです。
「夏草や兵どもが夢のあと」とは松尾芭蕉の有名な句ですが、
これを文字ってこの時の私の心境を一句。
「霧雨や先覚者の夢もかすみ」
ハハ、凡庸すぎますねぇ。
大江町の牧師先生方を惜しむ方々が引っ切り無しに訪れてくれる。
必ずしも教会員の方々ばかりではなく町に住んで先生方との長〜いお付き合いの人たちも来て下さる。
私にとっても30年以上前の神学生時代以来の再会であったり、息子の仲良しの同級生のお嫁さんとの初対面があったりして心温まる時を持つことが出来ました。
大内先生西山先生のお別れ会を途中で引き上げて仙台教会へ行ってきました。
途中作並街道の峠を越えるのですが山肌に残雪が多く残っているのを見て驚きです。やはりここは北国だったのですね。
仙台では変わらずに忠実な方々が熱心に礼拝を守っていらっしゃいます。
ここの教会の方々は大内先生西山先生が転任されてくるのを大変喜んでおられます。
一方で行くなぁと言われ、片方でいらっしゃいと声かけられ
先生方はさぞ複雑な気持ちでいらっしゃることでしょう。
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