しかし井伊直弼が信長と大きく異なる点がある。
15年間、14男の故に捨て扶持の微禄に甘んじた不遇時代である。
彦根城内堀沿にある小さな庵に住居を構え、
「埋木舎」(うもれぎのや)と名付けた。
直弼の詠んだ和歌を紹介。
〜世の中をよそに見つつも埋れ木の
埋もれておらむ心なき身は〜
実際は埋もれる暇もなく文武両道に励み、後の大老の大任を果たす見識と覚悟とはこの冬の時代に培われたものだという。
信長が天才的直感に負うところが大きかったのに対して
直弼は長年の蓄積された教養から救国のための一打を打ち出していった。
どちらも官僚制度を突き抜けた独裁だったことには変わりはない。
日本の風土に独裁はどうも似合わないらしい。
井伊直弼
安政の大獄を首謀した赤鬼か、
鎖国から開国への未知の時代を切り開いた先駆者か。
日本史上で彼ほどに評価の割れる人物はいないと思う。
ペリー来航後右往左往の幕閣の中でも明確に開国路線を打ち出して日米通商友好条約を勅諚を得ないまま締結し、さらに反対派を徹底的に弾圧してしまう。
彼もまた信長同様に日本史にあっては特異な独裁者だった。
信長の夢破れたり
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
(人間の一生は所詮五十年に過ぎない。天上世界の時間の流れてくれべたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。)
絢爛豪華な安土城を築き、その琵琶湖に面した交通の要所を抑える戦略眼を持ち、
さらに宣教師を通じて世界情勢にまで視野を広げていた異端児信長。
その急進的な独裁体制は「和をもって貴しとなす」古来の日本体制と馴染まず、
明智光秀の謀反がなかったとしてもいつかは暗殺の憂き目に遭ったと考えられます。
完成からわずか3年ほどで炎上し廃城となった安土城には信長の夢が凝縮されているようです。
「夏草や兵どもが夢のあと」とは松尾芭蕉の有名な句ですが、
これを文字ってこの時の私の心境を一句。
「霧雨や先覚者の夢もかすみ」
ハハ、凡庸すぎますねぇ。
大江町の牧師先生方を惜しむ方々が引っ切り無しに訪れてくれる。
必ずしも教会員の方々ばかりではなく町に住んで先生方との長〜いお付き合いの人たちも来て下さる。
私にとっても30年以上前の神学生時代以来の再会であったり、息子の仲良しの同級生のお嫁さんとの初対面があったりして心温まる時を持つことが出来ました。
大内先生西山先生のお別れ会を途中で引き上げて仙台教会へ行ってきました。
途中作並街道の峠を越えるのですが山肌に残雪が多く残っているのを見て驚きです。やはりここは北国だったのですね。
仙台では変わらずに忠実な方々が熱心に礼拝を守っていらっしゃいます。
ここの教会の方々は大内先生西山先生が転任されてくるのを大変喜んでおられます。
一方で行くなぁと言われ、片方でいらっしゃいと声かけられ
先生方はさぞ複雑な気持ちでいらっしゃることでしょう。
38年間もの間、大江町の皆様と一緒に歩まれた大内先生と西山先生。
信じがたいほどにあっけなく先生方と共に最後の日曜礼拝を迎えました。
しばらくお休みされていた方も奮ってご参会下さって先生方とのお別れを惜しみました。
名残は尽きず先生方を惜しむ皆様方からのメッセージ、賛美、涙の数々。
「この希望は失望に終わる終わらない」(ローマ5章1から11)
この大内先生による告別説教が主にある再開の希望を想起させ、
また試練を乗り越える励ましとなり、耐え難きを耐え得るものとなりました。
大内先生、西山先生。
38年間、ありがとうございます。
新年度から仙台教会へ転任となり、明日の日曜礼拝が最後のご奉仕となりました。
教会員にも町の皆様にも愛され、支えられ続けた日々。
この日は御近所のご夫妻に招かれての慰労会に私も陪餐。
火災後に別棟に新築された牧師館とゲストルームに今回は初宿泊です。
これから大江町の名湯、テルメ温泉に♨️行ってきます。
川崎は私が渡米前の丸2年間暮らしたところで故郷と言える場所。
当時勤務先の川崎キリスト教会と宿泊していたミッションホームの間2キロほどの距離を朝-昼-夕と3回ほど往復していました。
朝の6:30からの早天祈祷会のためには自転車で
それ以外は多くの場合走って。
川崎駅東口にある銀柳街を良く駆け抜けたなぁ。
その経路は旧東海道であったのが記念碑から分かります。
毛利も島津も井伊も、「シタニ〜、シタニ〜」と声掛けながら大名行列を組んで進んでいった街道であった。
その街道筋に立つホテルに滞在出来てかつ、
徒歩20分ほどで会場の川崎教会に辿り着けたのは絶好のロケーションであった。
総会と年会・聖会の4日間、スケジュール通りに会議が進行したのは裏方役のスタッフの活躍に負うところが大きい。
特に朝-昼-晩と食事を世話いただいた姉妹たちには頭が下がります。
美味しい手料理の日本料理は外国住まいの私には貴重でありがたいもの。
帰国した実感をもたらしてくれるもの。
午前と午後のパウロに関するセミナーは充実し、
幾つものウロコが目から剥がされる時となりました。
夜の聖会第二夜ではロマ書からパウロが常に書簡に書き表しているという信仰・希望・愛について掘り下げられたメッセージ。
特に神の義について
「神の義理」
「演歌の世界」であると表現したところはユニークで斬新。
岩上神学の真骨頂であろうか。
日本の文化脈宣教のヒントさえ感じました。
それにしても講師の岩上先生には朝の9時から夜の10時まで川崎教会に拘束し、
めちゃくちゃに働いてくださいました。
感謝です
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