広大な砂浜で愛犬キッパーと追いかけっこをしました。
1分もたたないうちに足がもつれて転倒。
キッパーに追いつかれしまいました。
20代だったら何10分走ったところで疲れもしなかったのに。
50代になった今、さすがに体力の衰えを実感しました。
私の青春って過ぎ去ってもう戻ってこないのか
と悲観にくれた時
改めて『サミエル・ウルマン』の青春の詩を思い出しました。
青 春
サミエル・ウルマン
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く
人は自信と共に若く
希望ある限り若く
疑惑と共に老ゆる
恐怖と共に老ゆる
失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。
YOUTH
Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.
No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.
you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.
So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.
When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.
Given to Mc carthur some years ago by John
W. Lewist is based on a poem written by the late
Samuel Ullmann of Birmingham, Ala.
JFKからは予定時間通りのフライト。
夜の8時半に離陸して飛行所用時間は6時間あまり。
それでもシアトル到着は本日中の午前0時前に可能。
そのわけは東海岸から西海岸までは3時間の時差があるため。
3時間も得するけれど長い1日となる。
NY滞在中5-6回ほどイエローカブ・タクシーを利用しました。
「最近のビジネスはどうですか?」
そんなことを大抵私はドライバーに聞いて見ます。
おもわしくない方向に住んでいるとの答えが圧倒しています。
中には20数年のドライバー歴の中でも最悪のシーズンであるとまで言った人がいました。
ほとんどの理由がUber(ウーヴァ)にあるとしたことも共通しています。
Uberは自分たちと違って保険やさまざまな経費を払わなくて済むので有利であるとか、
停車時間を料金加算しないので雪の日にはみんながそこに流れていくとか、
コリアタウンに行けばそれを使う中国人や韓国人ばかりだとか、
とにかくUberは俺たちを殺しているんだ、、、
そんな不満の声の数々を聞かされました。
「それではあなたもUVERドライバーに鞍替えしたらどうでしょうか」
そんなことを提案してみました。
いやー、もうUberも苛烈競争になっていてそんなに儲かりはしない、とのこと。
八方塞がりでどうにも先の見通しの効かない厳しい環境に置かれてるようです。
最終日にもホテルからペンステイションまでイエローキャブを利用しました。
最近のビジネスはどうですか、と毎回のように聞いてみました。
70代前後と見えるそのおじさんは、
「いやいやそんなに悪くはないよ。
上がったり下がったりはあるけれど、年間通して見るといつも大抵同じ位になるね」
これまでのタクシードライバーにはないリスポンスに興味覚えた私はいろいろ聞いてみました。
彼曰く、
1980年代から10数年間ドライバーをしていたが途中で長い中断。
それはある時乗客から頭に銃口を突きつけられたことがきっかけだった。
有り金を全部渡したら発砲する事はなかったが、
それ以来ドライバーを続けることができなくなった。
そこでギリシャ料理やイタリア料理のコックとして10年ほど働いたが
これも足に負担がかかりできなくなりやむなくドライバーに復帰して5-6年との事でした。
屈託を見せず快活に話してくれる彼の肩越しにはダッシュボードの上に置かれた革張りの大きな本が置いてあるのが見える。
聞いてみると、やはりそれは聖書だと言う。
エジプト人の彼がアラビア語で書かれた聖書をページを開いて見せてくれた。
私も毎日聖書を読むクリスチャンであることを告げると
彼の勢いはさらにヒートアップ。
「俺も毎日聖書を読むんだ。これが神の言葉だ!(聖書を指差しながら)
神の言葉の一つひとつが私を生かしているんだ。神の言葉は力あるよ。
神は生きて働いているからね」
目的地に到着し荷物を受け取りながらそんなことを矢継早に話してくれました。
1人の人の内に生きて働く信仰を見せていただいて大きな励ましとなりました。
朝 利用したメトロバス
夕刻に利用したもの。そこには日曜日の礼拝に誘う教会のまねきのカードがあったのにびっくり。
本日初めてメトロバスを利用しました。
マンハッタンに来るようになって10数年が経つのですが
これまではタクシーか地下鉄を利用しただけ。
バスは待ち時間が長く思えたことやたくさんの停車場があって
時間ロスが多いとの印象が強かったからです。
本日の朝と夕刻に利用したのですが、
さにあらんや‼️
5分から10分ほどの待ち時間でやってくるし目的地のそばまで行ってくれる。
支払いは地下鉄で使っているメトロカードか現金のお札だけが使用可能。
いくらかは確認できませんでした。
多分1ドルから2ドル位。
iPhoneを使えば現在地から最寄りのバス停と路線番号や路線図を瞬時に示してくれて便利。
そうiPhoneのGoogle マップがこのようなサービスをしてくれているのでバス利用が可能となったと思います。
バス停に張り付いて路線図を探しだし、行き先を見つけ出そうだなんて根気は私にはない。
地下鉄駅までさっさと歩いてその流れに乗るのがこれまでのやり方でした。
バスと言う移動手段が開かれた今、重たい荷物を担ぎながらの移動からの腰の負担が和らぐかもしれない。
これからもよろしくですGoogleさん。
これで確か22ドルほど
そばとアイスクリームがついていました
マンハッタンには日本と引けを取らないほどの高品質な日本食レストランがある。
ここに20年間もデフレ社会の日本のレストラン料金からすると多分倍ぐらいはしていると思う。
流行のニューヨーク-ラーメンが普通に15ドルぐらいかかりチップも入れると20ドル。
これは日本の相場の3倍ぐらいではないかと思う。
この日はアストリア近くにある蕎麦レストランに行ってみた。
1日25食限定と言う特別ランチはユニークな食材とディスプレイ。
もちろん味も言うことなし。
このようなクオリティーは残念ながらシアトルには見かけない。
長くご無沙汰となっていたいたデボーションガイド「クレイ」を朝食時に取り出す。
あーれ〜 今年1月以降は創世記6章でノアの箱船からではないか!
2日前、ホサナ教会でお話ししたところがそのまま解説されている。
あの時ある方から質問をいただいた。
答えに窮して私は、
「1000年王国でノアさんにお会いしたときに聞いてみてください」と答えた。
我ながらすご〜い無責任な答え方(o^^o)
だけど今朝読んだクレイにその答えがあった。
あの時は別の方が「〜〜ではないでしょうか」と答えてくださり、
それで一同腑に落ちた。
クレイの解説もそれと同じ。
これで予習しておいたらすんなりとと受け答えができたのになぁ( ◠‿◠ )
来週の礼拝説教の為にも怠けずにお勉強しよ〜っと。
本日からニューヨーク行きである。
数年前まではシアトルからレッド・アイ飛行を強行していた。
こちらを真夜中前後に飛び立ちニューヨーク着が午前6時ごろ。
ホテルに荷物だけを預けてその足で仕事に向かう。
これだとさすがに日中眠くなるしカスタマーサービスにおいて十分なパフォーマンスを発揮できないことにも気づく。
ただ人数や量こなすだけでなくお会いする一人ひとりに対して
私のできる 120パーセントの誠意尽くしたい。
それには体調面も100パーセント以上の管理が必要である。
そこで最近はシアトルを午後早い時間に飛び立ち
夜のうちにニューヨークに着いてその日はぐっすりと休むことにしている。
創世記6章1-8節 ⑵
聖書は悪霊とその存在を教えています。
悪霊がこの地上にあって暗躍しているし、
また地下のハデスと言う所にあっては幽閉されています。
そのハデスの一画に悪霊専用の住処が2つあります。
その1つはアブソスといいます。
悪霊が時に出たり入ったりする所です。
主イエスと出会った悪霊が自分たちを底しれないところに葬り去らないでくれ、
と懇願していますがその場所がアブソスです。ルカ8:31。
もう一つの悪霊の住処はタータラスと言うところです。
ここは創世記6章において人間の女性と婚姻関係を結んだ特殊な悪霊だけが幽閉されているところです。
一度入ったらもう出ることができず、
次に出てくるときには白い御座の前で永遠の裁きを受けるときだけです。
その後は火の池に投げ込まれることになります。
新約聖書にある2つの聖書箇所がこれらの教えを支持している聖句です。
「神は罪を犯したみ使いを容赦せず、地獄に引き渡し、裁きの時まで暗闇の穴の中に閉じ込めてしまわれました。また昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち8人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました」Ⅱペテロ2:4-5
ここの聖句にある「地獄」がタータラスという固有名詞であり、
聖書においてここだけに用いられている語句です。
5節から悪霊らが幽閉されたときの地上での背景が分かります。
「罪を犯した」のは人間の不信者ではなくみ使いだったのです。
さらに、
「主は自分の領域を守らず、自分のあるべきところを捨てたみ使いたちを、大いなる日の裁きのために、永遠の束縛を持って暗闇の下に閉じ込められました」ユダ6節
タータラスが「暗闇の下」という形容句に言い換えられています。
そこは出入りができない「永遠の束縛」の場所です。
このように、悪霊たちには2種類の住処があることを聖書は教えています。
メッセージノートは。創世記6章⑴と同じです。
こちらから
http://wdx.hosannamin.org/uploads/2016/12/10/創世記6章1~8節%20「人と悪霊の雑婚22」%20(Autosaved).pdf
セイフコ・フィールド
ようやく晴れ間の見えた日となった。
この日はシアトルまで遠出。
といっても高速90号線でワシントン湖を越えると15分ほどで着いてしまう。
高速90号線は太平洋岸のシアトルと大西洋岸のボストンを結ぶ大陸横断高速道路。
始点がシアトル・マリナーズの本拠地、セイフコ・フィールドとなっている。
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