昨日の反トランプデモに続いて今日もまた巨大なデモ隊に遭遇しました。
封鎖されているマーケットストリートに警察の白バイが何台も並んでいます。
しばらく待っているとデモ隊の先頭集団がパトカーに先導されてやって来ました。
どうも様子が違います。
昨日のような殺伐とした雰囲気ではないのです。
行進する多くの方は女性で中にはベビーカーを押していらっしゃる方も見受けられます。
そして皆が賛美歌のような歌を歌っているのです。
後から知ったのですがWomen's Marchと言われているものでサンフランシスコだけでなく
全米各地で未曾有の大人数を動員して行われていたものでした。
その人数は半端でなく30分も行進が続いた後にもまだ人の波は断ち切れません。
次々に押し寄せてくる人の波、波、波、、、
妊娠中絶に反対するプラカードを多く見受けました。
それによると今や生まれてくる世代の3分の一は中絶によって殺されているとのこと。
胎児が人間の意思によって作り出したものであり、
親がその死を選ぶこともできると考えるのは人間の恐ろしい傲慢です。
殺人です‼️
胎児は神によって創造された尊い生命です。
今日はトランプさんの第45代米国大統領就任の日。
トランプさんご苦労様です。
米国全土でトランプさんに対する逆風の嵐が吹き荒れています。
サンフランシスコでも抗議するデモ行進で賑やかです。
ダウンタウンにある目ぬき通りのマーケットストリートが封鎖され
私自身が一時、身動きのできない状態となりました。
正当な選挙により民主主義により選出された人です。
その結果に対して反対の声を上げるのも許容されるのが民主主義。
中東のアラブ世界、中国やロシアで国の指導者をあからさまに中傷や反対運動をしたら
逮捕されときには処刑されてしまうでしょうね。
「自らの考えを恐れることなく発信出来る」
ここに米国社会の底力なるものを感じます。
『人生』
人生はひとつのチャンス
人生からなにかをつかみなさい
人生はひとつの美
人生を大事にしなさい
人生はひとつの喜び
人生をうんと味わいなさい
人生はひとつの挑戦
人生を受けてたちなさい
人生はひとつの責任
人生をまっとうしなさい
人生はひとつのゲーム
人生を楽しみなさい
人生は「 富 」
簡単に失わないように
人生は「 神秘 」
そのことを知りなさい
人生は「 悲しみ 」
それを乗り越えなさい
人生は「 冒険 」
大胆に挑みなさい
人生は「 幸運 」
その幸運を本物にしなさい
人生はかけがえのないもの
こわしてしまわないように
人生は「人生」
立ち向かいなさい
(by マザー・テレサ)
*-----------------*
たった一度の人生。
あなたにとって、
素敵な人生だったと言えますように。
サンフランシスコには日本街が健在します。
全米で今や日本街が残ってるのはサンフランシスコ以外では
ロサンゼルスとニューヨークぐらいなものでしょう。
サンフランシスコにある日本街は明治初期日本人が明確に渡った当初からの歴史を刻んで来ました。
ここに来れば日本の食品スーパーやお土産屋さん、ブティックやレストランなどのお店が3ブロックにも並んでいてまるで日本に戻ってきたかのようです。
お城もあったりして嬉しい限り。
シータックを離陸直後
タコマ港
3連休明けのシータック空港は思いのほかの混雑していました。
搭乗ゲートに行ったときにはすでにすべての乗客が機内で着席していて今回もギリギリ。
最後に機内に搭乗した私でしたが運良く後列の座席窓側が空いているのを見つけてそこをゲット。
肩と前頭部を窓側の壁にもたれさせると
ほぼ離陸と同時に夢の中に落ちて行きました。
約2時間後飛行機は無事にオークランド空港に着陸。
その瞬間まで熟睡できてしまったのは、何か大きな得をした気分となりました。
イスラエルは生存せねばならないし生存する権利がある。
また世界で民主主義が最もうまく機能している国の1つである。
暗闇は暗闇を追いやることができない。
光のみがそれを可能とする。
憎しみは憎しみを追いやることができない。
愛のみがそれを可能とする。
マルチングキングJr. 記念日として
本日の米国は休日。
成人式のある日本で毎年この時期に3連休となるのと同様に
米国でもこの週末は3連休となります。
小正月がやって来たような気分です。
我が家ではそれぞれが思いのままに休日の一日を過ごしました。
昨夜から友人宅で一泊した長女は一旦帰宅した後、
その友人と家内とともに雪深い山へ散歩へ出かけて行きました。
スノーブーツが潜らないように幅広い板を靴底に装着して歩きます。
これをSnow shoeing と言います。
長男は午前サッカーゲームをし、午後に友人と公園でサッカーをし、
夕食後8時過ぎにサッカー練習へ出掛けて行きました。
私はデスクワークにほとんどの時間を使いました。
特にワシントン州の売上税申告と納税の締切日が月末で
これに掛り切りとなりました。
毎年している計算と集計なのに一年を経てしまうと忘れている事ばかりで
英語表記を理解することからして時間が吸い取られてしまいます。
連邦所得税と異なる点は、売上税であることから
経費として控除を計上出来ないことです。
つまりたとい赤字であったとしても
収入に対して一定額が税金として持っていかれてしまうものです。
ワシントン州税として、6.5%
各市町村で税率は異なりますが約3.0-3.5%程。
合計すれば売上の10%ほどが差し引かれる事になります。
これが高額か許容範囲とするかは各人の判断の分かれるところ。
1つ確かな事は、江戸期の農民に課せられた5-6割の年貢米徴収に比べればはるかにマシというもの。
そのような税率では一度飢饉に襲われたら餓死者が続出していたと言うのです。
天草地方のある百姓が決められた年貢米が納められなかった時のこと
奉行所は赤子を身ごもっている妊婦を冷たい川の底に縛り付け水責めをしたと言う。
百姓は納めたくとも米は一粒も残っていない。
川の中で妊婦は流産した。
天草四郎が担がれてのキリシタン蜂起とされている天草の乱は、
過酷な年貢米に耐えられない百姓一揆の側面の方が強い。
かなり遠回りとなった様ですが、
納税額の高さに不満を感じる時にはそんな不憫な江戸期百姓思い起こしてしまうことと、
「あの時代よりマシなのだから」と自らに言い聞かせる事にしているというオチでした。
Clyde Hill に行ってきました。
家内が高校卒業まで過ごした地域です。
この丘の頂上にはClyde Hill小学校、Chinook中学校があり
家内はそこへ通いました。
18年前、私が渡米して直後から半年ほど暮らした地域でもあります。
ここに来ると空が広く多くの原生林に囲まれ開放的な気分に満たされます。
住宅地の道路幅が通常の倍ほどもあります。
その中学校校庭で息子のサッカーの試合がありました。
校庭といっても専用のサッカー場であり
しかも人工芝が敷き詰められています。
遠くにはレーニア山がはるかに見えます。
シアトルダウンタウンのウオーターフロントからレーニア山を見上げる
マリナーズの本拠地、セフコーフィールド
本日初めて長女の運転する車の助手席に乗った。
仮免許を取得している彼女は
すでに家内を隣に乗せここ1ヵ月間ほど運転をしている。
私から見ているとまだまだ危なっかしい。
直線道路の走行や一時停止での左右確認は合格点。
カーブしながらの合流地点で十分な確認をしないまま本線に合流した時があった。
たまたま車が来ていなかったからよかったものの、
「もしも」と考えるとやはり恐ろしい。
すでに彼女はハイウェイも走っていると言う。
家内に言わせると彼女は教習所でも評判の高い安全ドライバーのだとのこと。
つい先程までよちよち歩きだった彼女が
転びながらも歩けるようになったんだ。。
今や、車の運転だ。
これも危なっかしいところがあったとしてもやがてマスターするだろう。
ところで彼女いくつだったっけ?
〜〜おいおいまだ15歳だよ〜〜
東方の博士たちが見た星。
その星に導かれ彼らは
エルサレムからベツレヘムまでのやってきました。
また御子イエスのいらっしゃる家の真上にその星がとどまるのを見て
無常の喜びを得たとあります。
その家に子がいることを確信できたからです。
その家の屋根10メートル程の上空に星がとどまったことが想像できます。
先回はこの星の正体について多くの学者の諸説を紹介しました。
そして宇宙に存在する天体ではありえないことも聖書の記述から説明しました。
今回は私の理解しているこの星の正体についてお伝えします。
これは神の臨在に伴う栄光の輝きであり、
専門的にはシャカイナ・グローリーと言われているものです。
神は目に見えないお方ですが、
人間社会に特別な形でご自身を顕される時があります。
その顕現の際には様々な自然現象とも言えるものが伴われます。
雲、火、松明の炎、雷、稲光、火の柱、雲の柱、舌のような形をした炎などです。
この特異な自然現象によって神がご自身が顕現されていることを
人間には認識できるのです。
西洋神学でエピファニーと呼んでいたこの「顕現」を
ヘブル語で「シャカイナ」と言います。
その際、明るい栄光の輝きを伴って現れることからこの可視的な自然現象を
「シャカイナ・グローリー」とメシヤニック-ジュー(イエスをメシアと信じるユダヤ人)が呼ぶようになったのです。
東方の博士たちが見た星とは、このシャカイナ・グローリーであるとであると私は考えます。
イエス様の生誕とともにそのしるしが輝く星となってバビロニアの空に輝きました。
そしてその星が神の心のままに自由に動き、ときには消え現れしながら
博士たちを幼児イエスのいる場所までピンポイントに導いたのです。
私の卒業した神学校の創始者であり初代院長であられた蔦田先生は
これを「セキナの栄光」として日本語に訳されて紹介されました。
博士らに現れたシャカイナ・グローリーは御子生誕の晩、
ベツレヘムの野山に野宿している羊飼いたちにも現れています。
「主の使いが羊飼いの傍に立ち、
主の栄光が照らすとは神の臨在をわからせる現象であった。
これが『セキナの栄光』である。」
(蔦田二雄著 岩から出る蜜 P.276)
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