今年のクリスマスは日曜日。
家族で共にクリスマスを過ごすご家庭が多く日曜礼拝への参加者は限られる。
この日、カークランドにある栄光キリスト教会でご奉仕。
David先生が私の日本語メッセージを英語に通訳してくださいました。
礼拝前に二人だけでお会いして説教の内容をあらかじめお伝えしていました。
ところがいざ話し始めてみると準備したものとは異なるものを話し出すこともあります。
その日の会衆の顔ぶれや説教の反応を見ながら
同時に話す内容やその話し方も調整していきます。
いつもより半数ほどの出席者だったこともあって
この日は事前に準備したものから大きく離れました。
大まかな構成は変えられませんが、
例話や聖句引用箇所を大胆に変更しました。
それが可能だったのはDavid 先生が完璧な同時通訳をして下さったから。
神戸に宣教師の師弟として生まれて以来、学業を終えてからも
東京や北海道で宣教師として40年以上を奉仕してこられました。
現在はノースウエスト大学の旧約学の教授をされていらっしゃいます。
見た感じが完全な西洋人であるのに、
ネイティヴの完璧な日本語を使いこなす方には不思議な感覚を覚えてしまいます。
まとまりの欠ける私の表現がブラッシュアップした英語に即座に変換されて行くのを隣で聞きながら、なんだか大説教者になった錯覚を感じましたよ〜。
錯覚ですよ、あくまでも。
クリスマス・イブの今宵、
イブのパーティに家族で行って来ました。
毎年の恒例となっている家族・親類でのパーティ。
年に一度しかお会いしない方々がほとんど。
子供らは背丈が伸びて成長ぶりに驚き、
変わらない壮年世代の元気さ、その成熟ぶりにお互い安堵する。
私よりも1世代上の叔父叔母の中には今年から老人ホームに入居したり、
ガン手術後のキモセラピーのため来られなかったりした方々が3名ほどいらっしゃた。
恒例の聖書朗読では最高齢のノームおじさんから
同世代の壮年にバトンタッチがなされていた。
月日と共に肉体は衰え
今まで出来たことが剥ぎ取られていく。
生きるというのは時に残酷である。
その現実社会に人となって来られたのが主イエスであられた。
神ご自身が肉体をともなって、しかも無力な赤子の姿をとりこの世に降誕された。
この事実は、病、死、罪という人の克服できない現実を凌駕するものがある。
それゆえ私たちは御子イエスのご生誕を喜び、
子供らにはプレゼントが贈られた。
ケント中心街のバスターミナル
メリークリスマス!
日本ではクリスチャンで無い人でも誰もがそのように言うことができる。
いわばこの時期の挨拶ことばとなっている。
ところが米国ではもっとシリアスにこの言葉が吟味されている。
キリスト教国といってもクリスチャンばかりの人ではない。
中には仏教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒もおられて、彼らがクリスマスを祝うことはない。
それで万人が受け入れられる挨拶ことばが広く使われている。
それが、
Happy Holidays!
というもの。
顧客のお店を去る際に私はたいていの場合、メリークリスマスを使う。
だが相手がクリスチャンで無いと思えたりする場合、Happy Holidayと言って別れをする。
どちらかわからず、どちらが相応しいのだろう??
そう考えてモジモジしながら言葉に窮することもある。
思い切ってメリークリスマスと言ってみると、
相手からHappy Holidaysと返されることも度々ある。
そんな事どうでもいい、と思われる輩もいらっしゃるかもわからない。
しかしこれは言葉に対するセンスの現れと言えないか。
無思慮に言葉を使っているのではなく、
一つの定型挨拶ことばであっても大切にしよう、その意味するところに責任を負おうとする営みではないか。
本日は遠くオリンピアまで行ってきた。
ほとんどの顧客には「メリークリスマス」とお互いこの言葉の意味する喜びを分かち合うことが出来て嬉しかった。
この夜は息子と妻とのチャンネル争奪戦に勝利してリモコンを手中に収めた。
我が家には1台しかTVはなく、日本語放送を皆の居並ぶところで見るのには一苦労する。
クローズアップ・プラスとか言う番組で最近話題となっている長時間労働を取り上げていた。
中小企業であるその建設業の会社には残業がないという。
さらに必ず有給休暇を取得するよう社長からの執拗な催促があるという変わった会社。
残業が当たり前で、しかも3kと見なされる建設業界ゆえに当初は従業員確保に苦労したと社長。
ところが今では若者の志願は増え続け、入社競争率はなんと100倍❗️
残業を無くすためにはそれを強いられる仕事の受注を受け付けてはならない。
番組取材中に翌日の仕事を依頼してきた電話相手にスケジュール変更は出来ないとして断っていた。
そのためには受注先を数社のお得意さんから数多くの顧客に広げ、
小さな受注規模で数をこなしていく戦略へと変更したのだという。
それなら顧客のわがままを受け入れる必要なく
当社の業務時間内に計画的に仕事を割り振りできる。
「お客様は神様です」という神話を崩壊させ
売上・利益優先主義から日本はメタノイア(悔い改め・方向転換)する時期に来ている。
Federal way にある「コハル」レストラン
ランチスペシャル、これにミニうどんが付いて$9.95は破格。
「thank you! 今年一年間もありがとう。
良いクリスマスを過ごして下さいよ」
10年以上のお得意さんからそのお店を出るときに握手を求められた。
彼はその地域で業界では最も成功しているビジネスのオーナー。
今回もビジネスだけに関わらず家族の動向や年末休暇の予定などを話し合った。
すでに友人である。
「日本社会だったら、こうは行かないよ」
ベンダーを低く扱うその日本社会にある傾向性を簡潔に紹介する。
すると、「へェ〜 変なの〜、俺たちはどのベンダーにも自分たちの客にもこうして同様に接しているけれど」と驚きの表情。
私よりも10ほど年上なのに米国の単一社会しかご存知なさそうだった。
お金を払う客が神様で、お金をもらう側はヘイコラする奴隷でなきゃいけない、
そんな不文律が日本社会にはかまり通ってますよね。
するっていうとサンタクロースはこの時期日本流に考えたら最も偉そうにしていられるはずなのに、いつもニコニコで幸せなのはどうしてなのでしょう?
レンタカーセンターから空港ターミナルビルまでトレインを使う
ペニンスラホープ教会でのクリスマス愛餐会を終えて
サンフランシスコ空港まで慌てながら車を走らせる。
レンタカーを返却し、保安検査ではpriorityラインに選ばれて
ことごとく順調に搭乗口まで進む。
すでに搭乗は始まっていてそのまま機内の人となった。
2:30発のフライトで予定通りに4:30にシアトルに到着すれば6時からのホサナ教会の礼拝に充分に間に合う手はず。
ところが、飛行機は駐機したまま一向に滑走路に向かおうとはしない。
気を揉んでもどうにもならないことなのでそのまま眠りについた。
エンジンの音で目覚めてみるとすでに飛行機は離陸体勢に入っていて高速で滑走路を走っている。
時計を見たら3:20.
霧のためかシーズンの混雑ゆえか、とにかく毎回サンフランシスコ空港では時間通りに離陸してくれない。
次回からは対岸のオークランド空港を利用しようと思う。
姉家族一家
Golden Creek Pond へ行きました
カリフォルニアのサンフランシスコから姉ご一家がクリスマス休暇で来ています。
クリスマスにシアトルに里帰りするのは5年ぶりほどになる様です。
三人の娘さん達の大きく成長した様には驚きです。
長女のサマンサは高校4年生。
すっかり大人びていて、
家内が毎朝1人を選んで朝食に連れて行きます。
彼らが小学校低学年からのお決まりの朝食会。
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