よく見えない はっきりしない写真ですが、私が好きな写真です。ハレーションが赤と緑が出てプロが見れば 写真じゃないと言われそうですが、 夕日をバックに、漁船とヨットが重なったので、写してみましたが、ただのよく見えない写真でしょうか。写した本人だけが満足する写真もあるのでしょう。
この写真 太陽の中に逆光で、鳥入れようとしたのですが、はづれてかえっていい写真撮れました。ピンはカキット決まっていませんが、羽の質感と、足のそろっているところ、全体 これなら飛べるという感じが写っているのがすきです。自画自賛
リンはますます元気、しろぽこ バロンますますしらけていますが、少しづつ慣れてきて来ていますから何とかなるのでしょうか、この写真 普通の捨て猫ならば、逃げるのですが、リンの場合、私がキーボード打ち始めると、膝の上 キーボードへあがってきます。最初私怒っていましたが、あきらめました。犬の訓練は良くありますが、猫の訓練なんてないんでしょうね。
これぐらいマイペースの子猫見たことありません、先輩 しろ ぽこ まったく恐れませんフーと怒られても かえって よっていくぐらいです。良かったことは、しろ ぽこ時々ケンカしていましたが、今は共同戦線か仲良くなりました。バロンは、誰とも仲良しと言うか、相手にしないと言うか、やはり猫より一枚上手なのでしょうか、猫年なくて戌年しかないでいいのかも知れません。
この写真 空の青さ かもめも好きだったのですが、気になったのは、この松の折れ具合、曲がり具合、写した場所の冬の風雪の強さ感じさせます、それでも立っているこの松に強さ、頑固さ、何とかなるさの捨て身の形を感じたのです。この松でも生きている、そうです、何とかなるさを、教えてくれると思いました。
私(shiro)としましては、いぬどしがあってねこどしがないのが不満であります、今回リンが入ってきて我が家は猫は shiro poko リンと3匹 犬はバロン1匹 であります。今回リンのような、猫族としては、はなはだ気品には欠けますが、それでも存在感は持っているのであります。世間は戌年 バロンの年になっておりますが、我が家は、今年は猫年であります。 ねんねんころりよねころりよ という歌あるじゃないですか、これは 本当は ねこの歌なのです。
そういうことばあるなとは思っていましたが漢字書けますか「翌檜」と、女房知ってましたチクショウ。 広辞苑 (明日はヒノキになろう)の意 ヒノキ科の常緑高木 あすなろは、努力してヒノキになろうと言う意味で使われているようですが、いくら大きくなってもヒノキにはなれないと言う裏がありますし、ヒノキと同じような品質では使えないようです。努力の代名詞みたいに使われていますが、正しいのかなと思いました。木の名前としては、かわいそうに感じるのは私だけでしょうか。 久しぶりバロンの顔です、いい顔してます
こんなてんこ盛りするものじゃないのですが 懐かしくて買って来ました。一匹づつ はらわた出して 骨抜いて 並べました。女房ひえくさいと1匹だけ 残り全部焼酎で 私が食べました。酢味噌で懐かしいふるさとの味でした、このほか我がふるさとには ブタミソ とんこつなどがあります。我がふるさとには「我が胸のも揺る思い」云々の山があります。私の好きな山です。
漢字書けますか 忝い 辱い と書きます 私 かけません 知りませんでした 広辞苑 (元来は、容貌の醜い意を表す語であったらしい) ?恥しい 面目ない ?(過分の恩恵や好意を受けて)身にしみてありがたい?(尊貴さが損なわれるようで)もったいない。恐れ多い。 どちらかと言うと 日本らしい 変にへつらった言葉に 改めて考えると思われます。けれど 現代では 自分をそれ相応の地位と自覚するための言葉になっているのでは、と思いますが・・・・・ 私は いつも 女房に 「かたじけない」