今日は、昭和31年52歳で亡くなった父親の命日です。 黄泉の世界で62年・父親の記憶もなくなってきています。 久しぶりに古い卒業アルバムを取だして虫干ししています。 小学校6年生の時に父親が46歳で急死・・女子高等師範学校(御茶の水女子大)出身の母親には生活力がなく・一家が離散・ 父親が懇意だった・青山斎藤病院・院長の書生になり工手學校(工学院>の中学校を卒業したときの写真集です。 大正8年7月(2019年)100年前のアルバムで・第60会卒業? 第60回江戸時代に設立?HPで調べてみると 1888年(明治21年)工手学校設立認可。 2月、開校式を挙げ授業を開始する。 特選管理長 渡辺洪基、校長中村貞吉、土木、機械、電工、造家、造船、採鉱、冶金、製造舎密の8学科。 修業年限を本科1年、予科半年とする。 工学院大学は、工業化が急ピッチで進む1887(明治20)年の開学以来、「工業の発展に伴う社会・産業界のニーズ」と「最先端の技術研究という学問分野の発展」をつなぐ専門技術者育成の場として、10万人を超えるものづくりのプロを世の中に送り出してきました。 謎が解けました。 父親が在校時の修行年限は不明ですが・1年に数回卒業式が開催されていたようです。 村上 泰通 鹿児島県薩摩郡宮城村屋地1466 (南さつま市)東京で育っていますので本籍地の住所です。 15歳8か月の写真を見ると少年ですが・50歳くらいの写真と瓜二つです。 皮肉なことですが小生は15歳5か月で戸主になり60数年経過しました。 小生は、優等生と称された父親とはまるで似つかず正反対な生意気な悪童・・ <三つ子の魂百まで>が続いています。