Search Bloguru posts

 <MR職人・生涯現役の鬼軍曹>

https://en.bloguru.com/syokunin

freespace

お母さんは命懸けであなたを産みました・・ この世に産んでくれてありがとう・・ 命はたった一つのもの~数えてはいけない・・   親を愛し尊敬する者は人を憎むことはない・・ 親を慕う者は、人を毛嫌いすることはない・・                    

<折り紙の鶏>

thread
<折り紙の鶏>
館ヶ丘団地に主に高齢者が集う施設があります。

毎週<木曜日・日曜日の2日間>開かれています。

今日は、集まった人全員で<おむすび + 天ぷら・漬け物・酢の物他数々>を食しました。

折り紙をしたり・・新聞を読んだり・・今日は<カラオケ>が、休みだったので参加人数は少なかった。

小生はいつでも周りの方とは、話をしますが・・何もしないで、眺めているだけです。

右耳が聴こえずらい~喉も不調で声が出にくいので<カラオケ>も参加せず・もっぱら聞き役です。

代表の方が、<騒々しくて大丈夫!>と声をかけてくれたましたが・・

時間がゆったり過ぎていくような・・昭和の雰囲気が残る井戸端の世間話・・混じわっていると命の選択になるので時々通っています。

先輩の女性に新年のあいさつをすると手作りの<年賀状>を、いただきました。

折り紙の<鶏>が、羽を広げています。

ピンクの折り紙を裏返しで折って・・トサカの部分が表に・・どのように折ったのか不思議・・巧みなものですね・・感心しています。



#団地情報 #館ヶ丘団地

People Who Wowed This Post

<弟の誕生日>

thread
小生は、昭和15年12月27日生まれ・戦前は<数え年>でしたので5日で2歳になりました。

弟が、昭和17年1月7日に生まれ・・小柄な私は3歳(1年12日)で、お兄ちゃんになりました。

元気でいたら本日・弟は75歳になるはずでした。

母親の実家で夏休みを過ごした兄弟は、昭和23年8月下旬・帰京の準備を始めた時に最初に小生が<腸炎から疫痢>に罹患し、次弟に感染しました。

医師の懸命の手当の効なくあっけなく一晩で次弟が亡くなりました。

次弟を犠牲にして、幸いに一命をとりとめた小生は、幼少時から今日まで次弟を背負って生きてきています。

魔訶不思議なことだが・・当時小学校2年生だった小生は・<弟>の記憶が全くない。

教会での葬儀の写真を眺めていても思い出せない.

病弱の父親が、昭和31年5月に52歳で5なくなり・墓参に行った時に母親が、

あなたは、洋二(弟)が、死んでから1年くらいの間は<夢遊病者>みたいになって・・

屋外では、元気に遊び歩いているのに何を聞いても<上の空・・喜怒哀楽がはげしく>すごく心配した。

<医者や牧師>たちから、3人兄弟の長男で<責任感>が、強かったのでショックが大きかったんだろう・・

時間が解決するから・構わずほっとけ・と、助言されたそうだ・・

4年生に進級する頃には、元通りになったようだが・幼児の頃の記憶がすべてなくなっていた。

小生の手帳には・特別に何もしないが忘れないように記載している

10月21日~父・泰通114歳  5月11日~61年

3月24日~ 母・和子107歳  7月7日~26年

1月7日~  弟・洋二75歳   8月26日~69年





#家族親族

People Who Wowed This Post

  • If you are a bloguru member, please login.
    Login
  • If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
    Request Account
Happy
Sad
Surprise