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紆余曲折ありましたが、新聞が出来上がりました。
それは嬉しいことなんだけど、次の難関が。
私はちゃんとしたプリンターを持っていない。
かろうじてA4をジーコジーコと時間をかけて印刷するような簡易なプリンターがあるだけ。
出来上がった新聞はA3サイズ両面だ( ̄∇ ̄;)
ちゃんと考えて作れよって言われちゃえばそれまでだ(笑)
もちろん「どうやって印刷しよっかな〜」と頭のどこかで考えてはいたけれど、
どこかにお願いするようなお金がない。
しゃーないやということで、A4サイズでプリントしてつなぎ合わせて、
近所のセブンイレブンでコピーしてみた。
あぁ、なんて原始的な・・・。
「両面コピー」をジーコジーコとしていたら、変な音がしてコピー機が壊れた。
セブンイレブンのお姉さんに
「あのぉ・・すいません、ちょっと調子が・・( ̄∇ ̄;) 」
と言うと、お姉さんは嫌な顔ひとつせずにケアしてくれた。
原稿の「ついに創刊!!ゆうこ新聞!!」というデカイ見出しを、お姉さんは「ちらり」と見た。
間違いなく「ちらり」と見た(笑)
新聞の印刷の問題は、これからも付きまといそうだ。
自宅療養をしていても、入院をしていても「テレビ」の存在は大きい。
パソコン持ってないし、インターネットってのが何だか分からないけど、
テレビは大好きでよく見るわという方にも大勢出会った。
「ゆうこ新聞」にも、ちょっとした「テレビ解説欄」を設けた。
とか書くとすごい感じだけど、単に「医療系ドラマ」とか役に立ちそうな健康番組を
ピックアップして特集するだけのこと。
フジテレビ系の「医龍3」の録画をたまたま観ていた所、主役の医師(坂口憲二さん)の
「医者と患者を結び付けるのは“同意書”じゃない。“信頼”だ!」というセリフ。
本当にその通りだと思い、そのことを記事にさせてもらうことにした。
さっそくフジテレビに相談のメール。
さすが大きなテレビ局、なかなか返事が来ない( ̄∇ ̄;) ちょっぴり不安になる。
このまま無視されちゃうんだろか。
そりゃ〜「ゆうこ新聞」なんて超あやしいネーミングだもんなぁ。
数日後、「フジテレビ・デジタルメディア班」の方からメールをいただく。
「ゆうこ新聞」についてのコメントは一切なく、正直「え?ロボットからメールが来た?」とか思っちゃった。
でも、きっとたくさんの問い合わせが来て、ひとつひとつに反応してらんないんだろうね。
返事をもらえただけでも、ありがたいと思うことにしよう。
『目的が公正な慣習に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的
上正当な範囲内で行われるもの』であれば、他人の著作物でも引用して利用する
ことができます。
どのような場合、引用が許されるかは個別のケースにより判断されることになり
ます。このあたりはご自身で条文をお読みいただき、ご判断いただくほかはございません・・(以下略)』
表現が難しくて、何回も一生懸命読んだ( ̄∇ ̄;)
ま、「悪いことに使わなければ、どうぞ使って下さい」ってことだね。
・・・ってなわけでフジテレビさんどうもありがとう!
病気の人も健康な人も、男も女も、大人も子供も、みんな「食べる」。
少なくとも私の直接の知り合いで「物を食べたことがない」という人に出会ったことがないし、
「俺、食べるのが嫌いなんだよね〜」という人にも出会ったことがない。
「ゆうこ新聞」にも「食」の記事を毎号ひとつずつ載せていくことにした。
ただし、食事制限のあるような病気を持つひとが、逆にせつない気持ちになることがないような記事にしようと思う。
創刊号は、ここ数年ちょっとしたブームになっている「タジン鍋」について触れた。
とんがり帽子みたいな変わった形の鍋に、好きな素材(野菜でも肉でも)をポイポイと入れて、
じっくり蒸し焼きするというもの。
その変わった形は、鍋の中に野菜の水分がいい感じに循環するためのものだ。
蒸しあがった野菜などをどう食べるかは、自由。
塩分や糖質・脂質の制限のある方は、そのまま食べても十分に美味しい。
もちろんマヨネーズやらポン酢やら美味しい塩やら、お好みの調味料でも。
タジン鍋は、親戚のリョーコちゃんにプレゼントしてもらったやつがあるので、
それを使って自宅で撮影した。
ま、悲しくなる程の出来栄え、しかも「ゆうこ新聞」はモノクロなのでさっぱりその「全貌」が伝わらない感じだが、
ま、そこは御愛嬌だわ。
また、せっかくだから「モロッコ」の場所も載せようと、ネットで地図を探した。
地図の制作元であるジオカタログ社のタケイさんと、配信元のYahoo!の担当の方に
許可をいただき、無事に地図を使用させていただくことが出来た。
今後も、持病のある人も美味しく食べれるようなメニュー・レシピなどを調べて掲載していきたいと思う。
「ゆうこ新聞」に載せたい内容は、星の数ほどあるけれどその中に「外国の病院のはなし」というものがある。
こうして日本という恵まれた国で生まれ育った私達が「あたりまえ」と感じていることが
実は本当に幸せなんだなということを考えてみたいということと、
逆に、日本の医療システムや医師と患者の関係とか文句をつけたいこともある(笑)
そういう面では、アメリカ合衆国という「外国」で医療に携わりながら暮らしている実姉に
助けてもらい、向こうの病院の医師の話なども聞くことが出来そうだ。
創刊号では、その話にも触れている。
身内自慢で申し訳ないけれど、私の姉は素晴らしい人だ。
頑張り屋さんで常に新しいことにチャレンジしていて、常に弱い者の味方だ。
もう長いこと、日本とアメリカで離れて暮らしているけれど、私の最大の理解者と言える。
入院生活で、外国人の友達もふたり出来た。
同じSLE患者のアメリカ人のJくん。そして中国人のMちゃん。
治療の合間、消灯時間までの数分間などを利用して、たくさんの話を聞かせてくれた。
それぞれの国の医療問題や、自分の病気への考え方、家族の話・・
彼らとの出会いまた、私の宝物のひとつとなっている。
Jくんは、治療が落ち着いたらアメリカに帰ってしまった。
でも一年に一度は、日本にチェックに訪れる為、会うことが出来る。
Mちゃんは優しい御主人と、横須賀のベースの中で幸せに暮らしているはずだ。
いつになるか分からないけれど、「ゆうこ新聞」を翻訳し、
どの国にも必ずいるであろう「病気に苦しみ、孤独に泣くひと」に届けてあげたいと思っている。
私が元気でいられればの話だけどね。へへへ。
試行錯誤の上、創刊号の記事を絞った。
・新聞創刊のごあいさつ
・ハート・プラスの会の紹介
・ツボの話(不安や、薬の副作用で眠れないひとの為に)
・食事制限のある人も、楽しめる「食」のページ
・医療系テレビ番組の話「今回は医龍3」
・日本とアメリカの医療についてと、医師とのコミュニケーションについて
・編集後記
こうやって書くと非常に、真面目な内容だ。
私を実際に知っている人はきっと、驚くし笑うかもしれない。
「ハート・プラスの会」とは、名古屋で活動するNPO法人で、
内臓疾患者など「目には見えない障害」を持つ人を支援するグループだ。
実際、肺の難病を抱えていて、呼吸をすること自体が本当に苦しいという人がいる。
役所に用事があり、やっとこさの思いで車を運転し辿り着く。
玄関近くにある「障害者用駐車場」に停めたい。
でも、「見た目は元気そう」ということで、
「なにあいつ、楽をしようとしてズルイ」「このマーク(障害者マーク)が見えませんか」と言われたりする。
病気のことを言えばいいって?
でも、クレームをつけてきた人に病気のことを一から説明することは、本当に大変、
エネルギーを消費することなんだ。私みたく毒々しい女は、
「コイツも病気になっちまえばいいのに」とか思うかもしれないけど(笑)
病気を持ってる人に限ってとても心が優しく、控えめな人が多かったりするんだよね。
同様に、自分のような「自己免疫疾患」と呼ばれる病気を持つ人は、見た目にはホントに元気に見える人が多い。
ステロイドの副作用で顔が丸く浮腫んでいるのも、初対面の人には「元々ぽっちゃりしている」ように見える。
心臓のペースメーカーだって、外からは見えない。
糖尿病の人で、いろんな合併症があり辛い人だって、一見すごく元気そうに見えたりする。
でも中身は、腎臓や肝臓が壊れていることにより、疲労感が常にあり電車で立っているのはぶっちゃけ辛い。
でもシルバーシートに座ると「若いのに・・」「非常識・・」の視線が痛い。
実際に、大声で言われたこともあり、くやしくて泣きながら帰ったこともある。
こんな人が、実は世の中にたくさんいるわけなんだけど、理解を得ていくのが非常に難しい。
だって「見た目は元気」だし、「内臓疾患者です」と表示出来る公のものがないから。
そこで「では、このマークを」と頑張ってくれているのが「ハート・プラスの会」なんだ。
さて、新聞を作ることは決まったけど何からやって良いのかが分からない。
でもモタモタしていたらいかん、体調が安定している今こそ、一気にやるんだ。
これは今年の夏のお話。
あの暑さだったし、太陽にあたっちゃいけないし・・よし、と横浜市立の図書館へ。
受験を控えて猛勉強中風の学生さんや、夏休みの自由研究かな風の子供に混じって
「著作権法」の勉強を始める。
こう書くとまるですごい人みたいだけど、実際は「ちょっとだけかじっておかねば」程度のもの。
だって、本の内容があまりに難しく、表現が抽象的過ぎて馬鹿な私には「???」なことばかりだったから。
あとは、一般の新聞(朝日新聞とか)をひたすら読んだ。
「レイアウト」とかそういうのを見る為だったんだけど、新聞の内容そのものが面白くて読みふける。
当たり前だけど、やっぱりプロはすごいなと思った。
小さな枠の短い文章に、伝えたいことがきちんとまとまっていて、読みやすくて、しかも面白い。
新聞の紙面には「法則」のようなものがあって、なんとなく読んでいるだけでは分からないんだけど
ちゃんと読み手の事を考えたいろいろな工夫がしてある。
そして、それを真似しようと思ってもなかなか出来ないということを、後々思い知ることになるんだよね。
試行錯誤しながら、新聞のタイトル欄に「ユウコ新聞(仮名)」と、書く(笑)
夏の間は、ひたすら地味に、
著作権勉強⇒新聞を読む⇒ネタ探し⇒どうやって費用を準備するかを考える この4つを頭の中でループさせていた。
体調はほぼ安定。身体の痛みはあるけれど、これは慣れた。
ステロイドと免疫抑制剤を毎日服用、これは変わらぬ日々。
「創刊までの歩み」シリーズは、ホントに暗〜いネタばかり書いてしまいました。
なるべく軽〜いタッチで書こうと努力したけれど、実際の所、悲惨だったのであれが限界。
読んで気分が落ちた方、申し訳ないです。
ここからは、夢に向かって爆走シリーズ(笑)
「ゆうこ新聞」はネットではなく紙で配布している手作り新聞だけど、
そのコンセプトというか、少しでも多くの患者さんの手に届けるための
「橋」が欲しくて、このブログを始めました。
どうぞよろしくお願いします。
しばらく長いこと、闘病してたもんだから話すことがどうしても
「そっち系」になってしまう。
華やかな遊びが好きな友達は、離れていってしまった。
免疫を極端に抑制している身なので、都会の人混みは厳禁。
大好きだったお酒も飲めない。
ちょっとさびしかった。「友達ってなんだべ?」と思った(笑)
でもこの病気になって、いい友達が出来たのも事実。
そして「本当に大切なものが何か」ってこともちょっぴり分かっちまった。
「病気もひと段落したしさ、シャバの生活にも馴染んできたしさ、
“今まさに”苦しんでる人の支えになるような何かをしたいんだけど。
一回、逃げちゃおうとした人生だしさ〜。なんかないかな〜」
それが口癖になっていた。
でもね、それも最初は「口だけ」だったんだ。
その口癖を聞いた、同じ病気の友達が、
「う〜ん・・なんだろ。新聞とか?」
って言った。
「新聞?( ̄∇ ̄;) 」
・・・いいかもしんない!!
たしかに、情報の溢れている世の中だけど、それを手に入れることが出来るのは
実はほんの一部。
パソコン使えない、手がしびれたり震えたりして携帯がうまく使えない、
肺の病気で本屋まで歩くのも辛い、心の病気で外出するのが怖い、
そんな人たちは・・・今、いったいどうしてるの?
具体的な構想もないまま、
「今、泣いてるだれかの為に」という想いだけで「ゆうこ新聞」制作が始まった。
突破口を探していた。
「薬」のような人工的なものでなく、もっと自然なパワーを探していた。
「同じような辛い思いをしている患者さんたちを、励ますことが出来る。」
この言葉が常に頭の片隅にあった。
でも自分の病気が完治したわけでもなく、記憶障害が治ったわけでもなく、
漠然とその言葉を想うだけで、実行への糸口なんて見つからなかった。
ただ、「誰かが喜ぶことをすれば(この闇から)抜け出せるかも」みたいなことを
ふと思いつき、毎朝6時過ぎから、町のゴミ拾いを始めた。
ゴミ袋とトングを持って、ふらふらしているといろんな人から話かけられた。
「リハビリがわりに、ゴミ拾いしてるんだよ〜」と言う私を
皆、珍しがった。
放置自転車を見張るおっちゃん、散歩中のおばぁちゃん、
通勤中の方々、ゴミ収集車の運転手さん、たくさんの友達が出来た。
SLEは、紫外線を浴びてはいけない病気なので、太陽が町を照らす頃にダッシュで逃げかえる姿を見て、
皆ますます珍しがったけど。
ゴミ拾いを始めて一年が経ったころ、すごい事に気付いてしまった。
脳や心の状態が「ほぼ治った」のだ。
SLEが治ることはないので、それなりに具合は悪かったけれど「精神面」の闇は
突破したのを明らかに感じた。
飲んでいた(精神科の)薬は全て捨てた。ドクターにも「私、治りました」と伝えた(笑)
やっと「同じ病気に苦しむ誰かを、助けることが出来る日」が来た。
「ゆうこ新聞」誕生前夜。
院したものの、社会復帰までは遠い道のりだった。
会社で働くとかそんな次元の問題ではなくて、まっすぐ文字を書くとか、
料理で卵焼きの作り方を思い出すとか、スーパーで買い物した時のお釣りの計算のやり方を思い出すとか、
そのへんからのスタート。
今まで当たり前に出来ていたことが出来ないことのショックと、
大量に投与されたステロイドの副作用がだんだんと私の精神面を壊して行った。
やがてそれはひどくなり、何もしゃべらなくなった。
幻聴が聞こえて、「(死ぬしか)道がない」と、ブツブツつぶやくようになった。
いろいろな意味で危険を感じていた周囲の人の薦めで、母の家に身を寄せていた私は、
たびたび迷子になって、家族を心配させた。
目と鼻の先のコンビニから、家までの道が分からなくなった。
小さなノートに、道順を書いてもらい、いつもそれを持っていた。
免疫抑制剤の副作用で、髪の毛が抜けた。
大好きだったメイクもしなくなり、おしゃれにも興味がなくなり、
副作用で浮腫んだ(ムーンフェイスという)ぶくぶくの顔で、死んだ魚みたいな目をして公園のベンチに座っていた。
明らかに「ちょっと普通ではないひと」になっていた。
でも、家族や周囲の人は変わらず優しかった。それだけが救いだった。
心の中の奥底に、一握りの光のような「自分らしさ」が小さく光っていたけれど、
それを掘り起こすエネルギーがなかった。
長い闘病と、あまりに苦しい副作用の数々に負けてしまった。疲れちゃったんだ。
今、思うと恥ずかしいというか情けないけど、「逃げちゃおう」と思った。
みんなに悪いけど、「逃げちゃおう」って思った。
いろいろ調べてチャレンジした。
スカーフをドアノブにくくり付けて、首にかけてみたり、
真冬の夜中に外に出て、包丁を握りしめてずっと迷ったり、
アルコール度の高い日本酒の小瓶・精神科から処方された睡眠薬を集めたものを
リュックに入れて、オートロックでなく屋上に出れそうな高い建物を探してウロウロ歩いたりしていた。
銀行口座に残ったわずかなお金を全部おろして、「ママへ」と書いた封筒に入れた。
お世話になった人たちに今までのお礼の電話をしたりした。
でもね、人間は簡単に死ねないし、死んじゃいけない。
「その瞬間」って、ものすごく怖い。
お別れのメールを受け取った姉から、ものすごい勢いで国際電話がかかってきた。
「ゆうこ!死んだら駄目だ!絶対に駄目だ!頑張るんだ!
今の辛さを乗り越えることが出来たら、ゆうこはきっとすごい人になる!
同じような辛い思いをしている人たちに、すごい勇気をあげられるようになるんだよ!」
この言葉が、「ゆうこ新聞」の種にものすごい栄養と水をぶっかけることになる。
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