《襍観・/・凡声“忘備録・二月央の東伊豆”❖’22-27》

シェフが目の前で焼き上げるパンケーキが、最高のおやつ!!
季節の旬を加味した風味豊かな爽やかなパンケーキ2種とソフトがいい!!
おやつを頂き、部屋からの遠望、伊豆大島。
手前に見える漁船は、ワンポイント??(漁ではなくお飾り)
温泉(露天)に浸りながらでもこんな光景が望める。
湯上がりにのんびりとお茶もできる。
夕暮れの月明かり・・・!!
夕食の序章、普段いただけない食材、、旅先って実感できる。
幸運・・・ムーンロードも見れた。
《癒し&静かな温泉郷“北川”点描❖’22/02/16》
最近、お気に入りの東伊豆・北川の宿。チェックイン後のティ‐ブレイクがいい。
その後、夕暮れの海を眺めながら(屋内・露天共)の温泉浴は、癒しの極み。
温泉浴でさっぱり、夕食の創作フレンチ懐石料理に舌鼓をうつ。
今回、泊まった日の夜には部屋でムーンロードも運良く(晴天)観られた。
地形・位置的に伊豆大島の姿・景観が良く映る場所が、北川の宿。
深夜の温泉浴は、日頃の疲れを洗い流してくれる。心地よい・至福の時。
*      *      *      *      *
この1ヶ月間に、異国では悲惨な争いが勃発、如何ともし難い。
又、先日、大地震が東北を襲った。こちらは、予期できない事象だ。
だが国家間の争いは、人智があって然るべきなのに???
今の時代に平然と殺戮を繰り広げている。愚かというしか無い。
だが、こんなことを言っている僕自身、平和ぼけしているようだ。
北朝鮮に拉致された日本国民を救出できていない。
国家間戦争に疑義を持つが、日本国民の救出は、国の責務だ。
もどかしい、、、。日本国憲法は、誰のためにあるのか??
「令和肆年(皇紀2682年)3月13日、記」




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《襍観・/・凡声“南伊豆で思ったこと”❖’22-26》

綺麗な海岸線に右下図のようなものがあって欲しくないって!?!
《忘備録・癒し&静かな温泉郷での問題!?!》
下賀茂温泉・青野川沿いの“みなみの桜並木”想像以上の美的空間感”、大であった。
その一方、南伊豆全体に設置されてる大型の風力発電装置の増加に不安がよぎる。
単に美観的問題ではなく環境破壊に至らなければよいが、而して地元に貢献してるか??
今、南伊豆の沖合に大規模(高さ数百メートル)な風力発電計画が国レベルで審査されている。
仔細を承知していないので軽々に申し上げられないが、大いに疑問を持ち危惧感で一杯だ。
地元に還元されない開発???走雲峡周辺の風車設置ですら??だ。
南伊豆の自然、今以上に人工的開発整備は、止めて欲しい。
失望感を持ちながら走雲峡を走って行くと微妙な変化・悪化を見た。
そんな中で小さな花園に出会った。これ以上の桜鑑賞を望めない程!!
16号線に出て石廊崎に向かったが、山間に見る大風車は異様に見える。
石廊崎灯台前に立ってみて、目の前の大海原景観は保持すべきと思った。
経済力で己のためにのみ開発計画をしてる様に映る。
地元に還元しない開発でよろしいのだろうか。
開発計画者は、外資系企業に由。身勝手だが、この自然環境は保全されるべき。
半世紀も前の鎌倉・自然環境保全運動を思い出した。
伊豆半島南部分そして西側の西伊豆は、交通の不便さで今があるのだが。。!
如何に科学が進歩したとしても、自然界を人間が支配しているわけではない。
この自然環境は、急激に変化させてはいけないって痛感する。
「令和肆年(皇紀2682年)3月10日、記」
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《襍・/・囈“植物(8)南伊豆の桜(2)”❖’22-25》

みなみの桜。
川のあちこちに造られた堰??水鳥が休憩している??
のどかな光景。
下流を見ると、瀟洒な桜並木。
上流側にも桜並木、ホント素晴らしい。
未だ散策者もおらず静かだった。
下流側の日野の「元気な百姓の花畑」一面の菜の花畑。
フォトウエディングがあちこちで観られた。
まちおこしの一環で開催されていたか??
桜並木でも撮影場面に出会った。この花嫁さん、土肥に嫁がれたとか。
御家族が、話してくださった。
走雲峡で見かけた桜、脇の樹は、シュロか??

植栽されたと思しき桜(落ちていたもの)は、ホソカワベニ(シナミザクラ系??)か。
石廊崎灯台(当日は、風が強くて灯台には入れなかった)。
伊豆の海は、広いが、人工的整備はして欲しくない。
《桜鑑賞二日目、桜・菜の花+環境❖’22/02/16》
下賀茂温泉・青野川の桜並木全体を愛でるとなると時間を要する。
下賀茂温泉周辺の自生種も探したいが、資料不足で今回はパスした。
今年は、開花も遅れているので花まつり会場の部分をまわることに。
青野川上流部分(前原橋~銀の湯橋両岸を、イ・・・みなみの桜)、
青野川下流部分(来の宮橋~宮前橋を、ロ・・・みなみの桜)、
今回は、道の駅「下賀茂温泉 湯の花」駐車場に車を駐めたので、
概ね(ロ)の部分の桜並木を眺めながら歩いた。
下流に向かって左側土手並木は開花し始めていたが、
対岸側は、日照の加減でか未だ硬い蕾状態、右岸側だけを散策。
のんびりと歩いたので結構時間を取ってしまった。三分~五分咲き。
河津桜は、下賀茂地域の野生樹と深い関係があると聞いてもいる。
今の河津周辺の桜、元々は下賀茂域にあった木の接合樹とも聞く。
昨今のDNA資料を見ると、河津桜の歴史に思う所がある。
登録認定で河津桜と称しているが、ルーツを検証し解明して欲しい。
青野川の河津桜と河津町の河津桜、微妙に異なっていまいか!!
素人が、勝手に想像しているだけだが、史実を検証して欲しい。
青野川の下流、弓ヶ浜海岸に至る地域も面白い所だ。
オオシマザクラ、マメザクラ、カンヒザクラやシナミザクラが自生とある。
桜の遺伝資源、多様な変異系統を南伊豆地域で見ることが出来る由。
中に‘ミナトザクラ(湊桜)’があるが、南伊豆地域の固有品種と聞く。
南伊豆・下賀茂地域のサクラ個体の調査研究で個体成立系図を待ち望む。
而してみなみの桜祭りの下流部分、日野(ひんの)にある休耕田を使って、
「元気な百姓達の菜の花畑」3万平方メートルにも及ぶ黄色の絨毯が!!
みなみの桜祭りと共演していた。壮大で想像以上の迫力があった。
みなみの桜並木・菜の花畑を背景にフォトウエディングをされてる人々も観た。
平日、満開前の状態ということもあってか、大した人出もなくゆっくりと散策。
開花予測・情報発信が充実してきたこともあって近間の散策者が少ないか。
伊豆半島は、標高の異なる場所が複雑に入り組んでいる。気温の影響は大きい。
花芽形成後の花蕾の発達、視覚的に鱗片葉が割れて緑色が見え始める状態。
至福の良き眺めであった。満開の景観より僕には気に入った眺めであった。
桜見物の旅だが、自生紫陽花の生育状態も観察する目的もある。
昨年チョット気になった場所、野生紫陽花の宝庫、走雲峡に入り加納側は良かった。
だが先に進むにつれて辺りが以前と環境・眺めが異なっているように思った。
事前にその周辺の航空写真を観ておけばよかったのだが驚き唖然とする!?!
走雲峡の西側は大きな風車が増え、ある部分は禿山のように整地されている。
何の目的での開発かは知らないが、只々唖然とする。植生環境は悪くなるばかりだ。
昨年、紫陽花観察に訪れた時も工事の真っ最中だった。生態系が心配だった。
その時すでに野生紫陽花が、伐採されている場所を確認している。
このまま、開発が進めば紫陽花の生きる道は、かなり狭まっていくだろう。
一方、16号線大瀬側出口手前に桜園が現れたのは驚きだった!!
近くに建物もあり以前に植栽されたのだろうか、が素晴らしかった。
時間的に先を急ぐ為、仔細に観察しなかったが来年の楽しみ(種名特定できず)。
16号線に出て、最近訪ねていない、石廊崎灯台を目指す。
新しく灯台近く迄、道路が整備されたのを確認しに行った。
便利に、年寄りには好都合だが環境開発の負をも考えないといかん。
不安を抱きながら、癒やしの温泉に向かった。
「令和肆年(皇紀2682年)3月7日、記」
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《襍・/・囈“植物(7)南伊豆の桜(1)”❖’22-24》

宿に着き、美味しいみかんワインを頂き、散歩に出た。
あちこちに湯けむりが上がっている。其々が源泉!!
當に“春が待ち遠しい”対岸の桜は蕾、薄紅~紅色で遠目に綺麗に映る。
少し開き加減の樹花。
古樹は、健気に映る。
小雨も養分とばかりに魅せる花輪。
花路を盛り上げる草花。風情があった。
道の駅「下賀茂温泉 湯の花」での歓迎オブジェ^^)。





夕飯のお品書き。
この宿の夕飯、伊豆の金目鯛は脇役で、笠子の揚げ物(一尾)が主役。
土佐酢で頂く。実に美味。
《下賀茂・青野川土手周辺❖’22/02/15》
紫陽花行脚をしていて南伊豆地区の植生に関心を持ち続けている。
青野川の桜並木、景観的にも見応えあると以前より想像していた。
天気予報では、夕方は小雨がふる、と予報が出ていたのだが、
夕食前に散歩がてら下調べに歩いてみた。予想道理、3分咲程度!!
おかげで散策者もおらず、犬散歩の地元人数人と会うだけだった。
春まち橋から桜並木を下流に向かい道の駅「下賀茂温泉 湯の花」まで。
桜の開花状態を観察しながら歩いた。小雨が降りだして道の駅で引き返す。
本音を云えば、桜観察よりもお腹を空かせるのが目的。宿の夕飯が豪盛!!
最近の天気予報は、的確に予報を出してくれる。それもピンポイントで。
南伊豆は、夕飯を楽しみに出掛ける。食前の散歩、小雨も楽しかった!!
慣れって恐ろしい、豪盛、あのフルコースもしっかり頂けた!!
「令和肆年(皇紀2682年)3月5日、記」
#ブログ #植物

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《襍・_・囈“桃の節供・雛祭り”❖’22-22》

古い木目込み人形!!
《忘備録“上巳(じょうし)の節供”!?!》
上巳(じょうし)の節供,上巳の節供は五節供の一つで桃の節供・雛祭りを指す言葉。
 旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、桃の節句とも呼ばれてきた。
女の子の成長を祝う桃の節供「上巳の節供」を古くより「雛祭り」と称されてきた。
また「上巳」とは、旧暦3月の上旬の「巳(み)の日」を指す言葉。
日本の「桃の節供」は、平安時代以前から始まったといわれている。
貴族子女の間で行われていたが、江戸時代に庶民の人形遊びと節供が結びついた。
人形(ひとがた)に穢れを移して、邪を祓う。それが、各地に残る「流し雛」だろうか。
紙で人の形(形代)を作り、それに穢れを移し川や海に流して災厄を祓う祭礼の形。
「流し雛」として各地に残る風習。雛人形は、江戸時代に美しい人形に発展もした!!
「桃の節句」は、楽しい。雛あられ、金平糖、手作り羊羹(我が家の習わし)も食べれた。
*       *       *
我が子 、孫に女子がいないのでひな祭りの祝宴をしたことがない。
昔、我が妹の雛人形を飾るのを手伝った事、懐かしく思い出す。
今は納戸で陽の目をみない雛人形だが、確か“有職雛”と聴いた。
たまには、飾らないといけないのかもしれないが、少々大変だ。
知人の孫娘の雛飾りを観ていて気づいた。言葉使いや歴史。
お内裏様とお雛様??気に止めず聞いていたのだが??
ひな祭りの歌、童謡の「うれしいひなまつり」は、広く知られている。
この曲中の雛人形を歌った内容として不正確な描写が含まれ、
而してこの曲が広まった事で、表現が誤って広まってしまったか??
内裏(だいり)とは、天皇の私的区域のことを差し、御所(ごしょ)、
禁裏(きんり)、大内(おおうち)などとも呼ばれている。
天皇が住む宮殿を指す表現で、天皇陛下をお内裏様と呼ぶのは誤り。
歌詞の意図は、お内裏様を天皇、お雛様が皇后を表したのだろうが、
「男雛・女雛」または「お殿様・お雛様」と呼ぶのが正しい。
親王飾り、天皇皇后を模したお飾り自体を内裏雛と呼ぶ。
お内裏さまとは、天皇皇后、お二人を言う表現であった。
この内裏(場所)の中に、紫宸殿(ししんでん)と呼ばれる所があり、
天皇元服や立大使、節会などの儀式が行われる正殿を指す。
雛人形は紫宸殿で行われる、天皇と皇后の結婚式を模したお飾り。
飾り方にしても大正天皇の頃を境に二通りの飾り方が出来た。
古来からの日本伝統の立ち並び方。京都では、親王飾りと呼ぶ由。
京都が都(御所)であった故、京雛の男雛と女雛の立ち位置は伝統的。
男雛を向かって右、女雛を向かって左に飾るのが伝統的飾り方。
日本古来の風習では、陽が昇る方向が上座とされてきた。
京都御所を北に見て殿が向かって右(東側)にお座りになられていた。
全国的に男雛が向かって左という現在の形になったのは!?!
大正天皇が即位の礼で天皇が向かって左、皇后が向かって右に立たれた。
この立位地(西欧の所作)が、定着した事による。どちらが正しい、では無い。
歴史的変遷そのものだ。こうしたことは、広く庶民も知っていて然るべきと思う。
以前、ブログルでひな祭りについて記した事があった。

「令和肆年(皇紀2682年)3月3日、記」



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《襍・/・囈“植物(6)伊豆半島の桜!!”❖’22-23》

植栽された、青野川沿いの“河津桜”
《伊豆半島の特異性・・・桜!?!》
早咲き桜として広く知られる “河津桜”。だが伊豆半島には、色々な早咲き桜がある。
前回も記したように、半島南部の年間平均気温は16°Cを超える温暖な気象条件。
そんな伊豆半島に関心を持ったのは、紫陽花の野生種を知り調べ始めたのがきっかけ。
そこで得た知識、伊豆半島の自然環境や植物群の変異株が如何に多いか、驚きだ!!
伊豆高原のお気に入りの宿近くの“桜の里”は、四季折々に桜の花を見ることが出来る。
伊豆半島に自生する有用植物のひとつである桜。紫陽花同様に桜の存在に関心を持った。
オオシマザクラ(Prunus lannesianavar.speciosa(Koidz.)Makino)、
ヤマザクラ(P. jamasakura Sieb. ex Koidz.),マメザクラ(P. incisa Thunb.)、
エドヒガン(P. pendula f.ascendens (Makino)Ohwi)等の野生種が確認されている。
そして1945年以降には、伊豆半島の外部からカンヒザクラ(P.campanulata Maxim.)
やシナミザクラ(P. pseudocerasusLindl.伊豆環境緑化推進協議会)等が導入されている。
更には、各地に自生する桜の野生種との間で自然交雑したと推察される桜も確認された。
伊豆半島は、桜の遺伝資源の宝庫。多様な変異系統を保有する、と紹介されている。
特に桜の変異系統は静岡県賀茂郡を中心とした南伊豆地域に多くみられるのも特徴的だ。
それらの中で‘ソメイヨシノ’(P.× yedoensis Matsum.‘Somei-yoshino’)より開花の早い桜は、
地元では古くから「早咲きザクラ」と呼び語り継ぎ立派に今日へと至り魅せている。
伊豆農業研究センターでは1972年以降、地元市町村と共に自生する桜を以って研究していた。
*南伊豆地域における早咲きザクラの探索と母樹園の設置。*
静岡県伊豆農業研究センターの前身である有用植物園では,
1972年に下田市,河津町,南伊豆町,東伊豆町,松崎町,西伊豆町、
賀茂村(現西伊豆町)に加え伊東市,土肥町(現伊豆市)、
これら2市6町1村に呼びかけ,伊豆環境緑化推進協議会を発足させた。
地域振興に寄与する目的で各地域内で特色のあるサクラを選定し、
植栽を推進する目的で、これらの市町村の自生種の中から
‘ソメイヨシノ’より開花期が早い而して観賞価値の高いサクラを探索、
生態調査を行い、その結果‘カワヅザクラ’‘ミナトザクラ’、
‘オキチザクラ’、‘オオシマ早生’、‘ベニカンザクラ’、‘カンザクラ’‘オオカンザクラ’
これらの7品種を地域内で活用すべき有用早咲き桜と選定した。
これらの開花期は,南伊豆地域では‘ソメイヨシノ’よりも1ヶ月以上も早い。
南伊豆地域における地域振興に貢献する重要な観光資源と位置付けている。
又、開花特性調査で‘カワヅザクラ’,‘ミナトザクラ’,‘オキチザクラ’‘オオシマ、
早生’の4品種は南伊豆地域の固有品種とも認定された。
その後、紆余曲折あり色々と研究され環境緑化・景観修景・緑化種苗生産供給、
そして緑化啓蒙などの環境緑化事業を発足させている。
‘カワヅザクラ’は、蕾は濃い紅色で満開時には花弁は淡紅色となる。
また、花径は平均3cm程度で一般の桜に比して大きく観賞価値が高い。
そこで育苗配布事業において重点的に苗木の増殖を行った。
中でも河津町には1,230本も植樹し「河津桜まつり」開催のきっかけとなる。
その後も河津町内では‘河津桜’を増殖栽され2011年までには約1万本も植栽。
2005年には‘カワヅザクラ’原木(??)を町指定の天然記念物とした。
環境緑化事業で南伊豆町に502本の‘河津桜’を植栽、観光名所にしている。
その後,1986年に南伊豆町から青野川沿いへの‘カワヅザクラ’の植栽に取り組んだ。
苗木不足から,青野川堤防のオオシマザクラを植栽し,これに接ぎ木を行った。
これ等の植栽樹は1999年から南伊豆町の「みなみの桜と菜の花まつり」になった。
※ ‘カワヅザクラ’からの実生個体および早咲きザクラの品種登録の支援 ※
伊豆振興センター南伊豆農場は,1987年4月には南伊豆町上賀茂に移転、
農業試験場南伊豆分場に改組され研究作業にとりかかっていた。
南伊豆地域内に植栽された‘カワヅザクラ’の実生個体内で多様な変異の存在に着目し,
それらの探索と花の形質調査を行っている。
‘カワヅザクラ’の実生個体間には開花期,花色・花の特性などに変異が多く見られた。
その多くはオオシマザクラとカンヒザクラに共通する形質を兼ね備えている事が分かる。
‘カワヅザクラ’はオオシマザクラとカンヒザクラの交雑種である可能性が示唆している。
この点については、核・葉緑体DNA多型に基づいた研究によっても明らかにされている。
また,河津町内では‘カワヅザクラ’より早咲きで花色の濃い変異個体が見いだされた。
品種登録を出願すべく形質調査支援を行い‘河津正月’と命名した(登録番号11556)。
更には、‘カワヅザクラ’の変異系統とは別に早咲き桜の自生個体が見つかっている。
土肥町内(現伊豆市土肥)における早咲き桜で形質調査を行っている。
この個体は、‘河津桜’よりも早咲きで花色が濃く‘伊豆土肥’と命名された(登録番号15225)。
現在、‘河津正月’と‘伊豆土肥’を地域の新たな観光資源とし植栽が進められている。
「令和肆年(皇紀2682年)3月1日、記」
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《襍・/・囈 “桜探訪の前に!!” ❖’22-21》

達磨山展望台から見る駿河湾。雲がなければ左寄りに富士山が(頭だけ見える)。
展望台前のレストハウス。2日前に降った雪が!!
西伊豆スカイライン途中、ここはまだ良い方で車道凍結してるところもあった。
《伊豆半島の環境・_・植物群”》
早咲き桜として全国に轟いている“河津桜”だが、伊豆半島は実に興味深い。
新年早々、開花する桜に“熱海桜”“土肥桜”がある(熱海桜は、今年観れた)。
伊豆土肥桜、 伊豆市小下田で1月中旬~2月中旬に 紫紅色で散房で咲く。
(早咲き性のオオシマザクラ × カンヒザクラとの交雑種と言われている。)
旧土肥町八木沢山中に以前からあり、昭和30年代頃から同地で接ぎ木増殖。
現在は、種苗法下で登録(2007年、15225号)されている(土肥桜は未見)。
河津桜よりも開花が早い栽培種のカワヅショウガツ(河津正月)もある。
桜に関しては、次回に記すとして、伊豆半島は、當にジオパークだ。
伊豆半島に関心を持ったのは、紫陽花の野生種を知ったことからだが興味深い。
静岡県伊豆半島は海岸線から亜高山地帯まで0m~1,405 mの海抜標高差があり興味津々。
自生する植物相は照葉樹林帯から暖帯林に及び、アマギツツジやアマギアマチャが知られている。
半島低地の年間平均気温は16°Cを超える温暖な気象条件で、海岸地域では無霜地帯が多い由。
かつて静岡県では伊豆半島内における自生植物の保全や利活用を目的に研究施設を設けていた。
1950年に賀茂郡南崎村長津呂字本瀬(現賀茂郡南伊豆町石廊崎)に静岡県有用植物園を設置。
有用植物園は、伊豆半島に自生する植物を見いだし保全することを主目的として設けられた。
研究は伊豆振興センター南伊豆農場,農業試験場南伊豆分場・伊豆農業研究センターと引き継がれる。
色々な史実を頭に入れて、目的の南伊豆(下賀茂)に向かったが、、、!!
伊豆修善寺から県道18号線の達磨山高原展望台辺りでは残雪が!?!
戸田峠から西伊豆スカイラインに入ると、路面にも残雪がしっかりと残っていた。
対向車と出会わない、後続車もいない、なんとか海辺の松崎に着いた。
伊豆の県道は、道幅が狭い。その上地元の人は結構飛ばして走る。
いつものことだが、慎重に・・・!!昼飯も取らずに南伊豆へ。
遅昼をとったら、夕飯が、食べきれない??
「令和肆年(皇紀2682年)2月26日、記」




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《襍・_・囈“富士山の日”❖’22-20》

今年も身近で積雪があったが!!
2022年1月半ばでも、地肌が望める??
同じ1月半ば、20年も前では真っ白になっていた!!




《“生物季節観測”!?!》
二月二十三日は、富士山の日と呼ばれ、山屋の中ではしられている。
パソコン通信で「NiftyServe」という有名なサイトがあって、
「山の展望と地図のフォーラム・FYAMAP」が1996年(平成8年)元日に制定。
「ふ(2)じ(2)さん(3)」の語呂合わせと富士山がよく望める季節で日付指定した由。
かつて富士山頂には、気象庁の観測所が設置されており有人施設だった。
交代で職員が常駐していた。真冬であっても自力で山頂施設まで登った。
僕ら山屋は、冬場の登山訓練のおり大変お世話になった。
かつて僕達は、天気図と観天望気・経験則で天候を予測してきた!?!
雲の流れ・・形、動きによって、而して定点観測で凡の予測は出来たものだ。
昨今の科学的な予測はほぼ当たり目を見張るが、経験則も有用。
今年は、寒さの平均値が低めに続いていた(温度自体は昔より少し高い)。
それ故、植物の開花が遅れ気味だ。気象庁の観測発表の中に、
“生物季節観測指針”があって幾種類かの樹々の開花予想日を発表している。
気温と植物の開花の関連は、理解できるのだが、
日本海側の大雪(豪雪)が報道され、雪国の人々が厳下に置かれている。
対して太平洋側、事・富士山に限っていうと、ここ数年、徐々に積雪が??
以前の様に真っ白な富士山が拝めない。富士山内で何かが??
地下のマグマが、、、活発化しているのだろうか??不気味だ。
山の噴火が起こらない事を切に願うのだ。。。

二月二十三日は、今上天皇の誕生日で祝日だ。
1960年(昭和35年)、今上天皇が誕生なされた。
即位の2019(令和元)年5月1日は、記憶に新しい。
日本の象徴、切に穏やかにあって欲しい。
コロナも同様、収まって欲しく思う。
「令和肆年(皇紀2682年)2月23日、記」






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《襍観・/・凡声“温故知新”❖’22-18》

以上の画像は借り物。
《感慨・昭和・/・可愛いカメラ!!》
昭和時代・戦後の高度成長の頃、写真と山登りに夢中だった。
父親の趣味と仕事でも使っていたカメラ、初心者には余りに高みの存在!!
其れとは別に憧れの山登りの偉人が使っていた二眼レフに惹かれた。
そんな身近にあったカメラ、中でも憧れ続けた“NIKON”というブランド。
そんな銘機ブランドが、最近ちょっと沈んでいた。こだわった性能が故か??
かつてのミノルタになってしまうか??と案じていたのだが・・・!!
初心者に優しく、而してクラシカルなカメラに目を見張る。
また、対局的なプロ仕様なカメラの出現。遅まきながら魅せるデジカメ。
携帯付属のカメラではなく、かつてのカメラ愛好家をも魅了する。
単に好みの問題だが、こだわったカメラを触らせて頂けた。
NIKON Zfc(本体)、COSINA NOKTON D35mm F1.2 Zマウント付き。
単に撮るではなく、写真・撮影を楽しむ・・・これが本質ではないか。
「令和肆年(皇紀2682年)2月17日、記」
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《襍観・/・凡声“02/13・14を思う”❖’22-17》

「貫一・お宮の像」
「お宮の松」
整備された現在の海岸遊歩道
熱海・親水公園で、蜃気楼と思える光景に出会った。
親水公園にあった、「釜鳴屋平七夫婦像」
「釜鳴屋平七夫婦像」を覆うように綺麗に咲いていた熱海桜。
糸川にかかった橋にあった、橋柱。なんとも可愛い。
老舗洋食屋の入り口。
粋な鮨屋。
お気に入りのカフェレストラン。パンに店名が焼き印されている。
”Nagisa” このお店、ランチとディナーが同じセットメニュー。
《感慨・昭和・/・熱海点描(2)!!22/1/30》
昭和時代・戦後の高度成長の頃、熱海といえば箱根と並ぶ保養・温泉地だった。
特に東海道新幹線が開通した事で熱海は、より人気が高くなったと思われる。
だが、明治時代から多くの文豪たちが居を構え、名作を執筆した場の熱海。
中でも有名なのが、 明治30年より6年間「読売新聞」「新小説」に、
掲載された 尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(こんじきやしゃ)。
この小説にある「お宮の松」「貫一・お宮」像は、実在人物の様にみえる。
「貫一・お宮の像」「お宮の松」は海岸の国道沿いにあり、観光スポット。
銅像をよくよく見ると、明治時代の服装がよく分かる。
海岸線、子供自分に来た時は、広い砂浜って感じだったような???
今は整備され、親水公園などがあって。その一角にも、銅像が建っている。
江戸時代の熱海の偉人銅像であるが、説明文を見ていて思ったことがあった。
昨日、二月十三日は、苗字布告記念日であることを思い出した。
1875年(明治8年)の2月13日、明治政府が「平民苗字必称義務令」を発布した。
太政官布告により国民はすべて姓を名乗ることが義務づけられた。
説明文にあるように、「釜鳴屋平七」の釜鳴屋は屋号、店の名である。
又、熱海は和洋の食文化もしっかりと根付いている。美味な店も多い。
路地裏グルメなどと呼ばれている。地味だが美味しい洋食屋さんもある。
何故か、いっとき斜陽だった熱海、行政の懸命な努力で訪問者も増えた。
2月13日は、旧きを思えた日、続く14日は、和的洋食材を思えた日。
僕の中でチョコレートといえば、米国製のHershey(ハーシー) 。
友達(米軍属の子供)が遊びに来るときは、必ず持参してくれた。
我が高校生の頃、2月14日のバレンタインデーは一般的に知られていた。

日本的聖バレンタインデーは、女性から男性に向かって恋を打ち明けてもよい日。
女性が愛の印にチョコレートを贈る。この習慣は、宗教的なものではない。
1958年(昭和33年)にメリーチョコレートが、販売促進を目指して宣伝を展開した。
更には、それに便乗して日本チョコレート・ココア協会もキャンペーン展開している。
高校生(我々時代)の間でも結構、行われていた。義理チョコではなく。
初めて頂いたのは、手作りのクッキーだった。チョコではないことが嬉しかった。
懐かしい。クリスマスケーキ、チョコ等の材料を売っていた店が鎌倉にあった。
鎌倉周辺の若者たちは、手作りが思いの深さ、と認識していたか!!
昨今の風潮は、ちょっと度がすぎているような・・・。
「令和肆年(皇紀2682年)2月14日、記」



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