<グーグルロゴ>(90)「ド・レペ生誕306周年」
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彼は、ヴェルサイユで、裕福な家庭に生まれ、父親はルイ14世の建物を担っていた建築家でした。若い頃から神学と法律を学び、司祭になることを選択します。
ところが、当時、カトリックでは異端とされていた「ジャンセニスム(ヤンセン主義)」を非難することを拒否したことで、司祭になれず、下位の聖職者となりました。
聖職者として貧しい人たちのために活動を行う中、パリのスラム街で、子供の姉妹に出会いました。その姉妹は耳が聞こえない聴覚障害者(ろう者)でした。
地域の司祭が、この姉妹を育てる予定でしたが、その司祭が亡くなってしまい、引き継ぐことを決意しました。
彼女たちと接するうちに、聴覚障害者でも言語能力があると判断し、ジェスチャーで会話を行うことを始めます。
そして、1760年、自費で世界初の聾唖学校である「パリ聾唖学校」を設立しました。
それまでの聴覚障害者は、身内にしか解らないジェスチャーやサインを通じて意思疎通を行なっていました。ですが、学校という集団になることから、誰もが同じジェスチャー(サイン)で意思疎通が行うことができるように彼は共通のジェスチャー(サイン)を生み出しました。これが現在に至る「手話」の始まりだと言われています。
その後、この動きはヨーロッパ各国へと広がり、各国で独自の手話が生み出されていくこととなります。1789年12月23日、彼は逝去しますが、同年フランスでは「フランス革命」が起こっていました。
「フランス革命」のスローガンは「自由・平等・博愛」であり、彼の活動は革命政府によって高く評価され、死後、彼の活動は革命政府によって引き継がれていくこととなります。