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いったいどうしたことでしょう。
米国に寒波が押し寄せているようです。
摂氏0度を下回る気温が連日続くというのはあまり記憶にありません。
そんな日が先週から続いています。
ホテルで暖房をガンガンかけているのですが、
あまり暖かくならず足はひんやりと冷え切ったまま。
ベッドの中でつま先が氷ように冷たくなっていました。
どっかで読んだのですがそんな時の最善の解決策は
古来からの日本の伝統にあります。
冷えた足だけを暖めて省エネ、しかも手軽にできる暖房システムとは………
ズバリ湯たんぽです。
40年以上も前の子供の時に利用した覚えがありますが、あの時の快適さを思い出します。
次回帰国の時にお土産の必需品とします。
8年前のクリスマスにもカリフォルニアからいとこの3娘がやって来た
あの年は雪も多かったようです
今週から子供達の冬休みが終わり学校が始まりました。
登校日初日、息子はいまだ風邪が癒されず休校しです。
息子と同じ時期、家内も同様の風邪でダウン。
先週まで遊びに来ていたいとこの3娘も風邪でダウンとの知らせが
カリフォニアから先ほど届いています。
彼らは皆、長女の風邪を引き継いだのです。
その長女自身はは現在回復期にあります。
お陰で彼女は毎晩10時まで、7時間のリハーサル練習に通っています。
今週の土曜日がその本番の初日。
ここで私だけが風邪をもらっていないのですが、
その秘訣をここでをお伝えしようと思います。
これは決して秘訣だと言う大それたものではなく、
すでに古くから多くの人らによって言い古されて来たものです。
一言にするならば休養と栄養です。
①睡眠を充分に取ることです。
睡眠不足は免疫力を弱めます。
私は最低7時間、出来れば8時間睡眠を心がけています。
②多品目の食材を摂り入れることです。
1日に目安として30品目以上の食材を食べるようにしています。
ビタミンなどに留意しながらフルーツを毎日食べます。
③予防を心がける。
事ある毎に手洗いを励行しています。
寒気がしたり鼻水が出たり、風邪のちょっとした兆候を感じただけですりおろし生姜をさ湯に混ぜて飲んでいます。
すると喉から殺菌作用が全身に広がっているのを感じ、また体中がポカポカと温まります。
長男には②
長女には①
そして家族全員に③のポイントが欠落しています。
私だけが満点。
風邪予防の方法……
これは何ら特別なことではなく、
ごく自然法則に沿ったことにすぎません。
元旦から一夜明けて正月2日目、我が家での新年会です。
振替休日としてほとんどの会社も学校も本日はお休みです。
長女だけはすでに始動しています。
今週土曜日が初日となるステージのリハーサルに、昼過ぎから夜の10時までその練習に行きました。
長男と家内が先週からの風邪がまだ癒されず、ほとんど寝正月の状態。
私が正月だけに関わるあるプロジェクトにゾッコンしてました。
毎年正月になるとなぜか無性に血が騒ぎ出し、
なぜかこれに没頭してしまうのです。
それは、将棋❗️
今やオンラインで即時に対戦相手を見つけることができて
1人であっても、いつでもどこでも本格的な将棋バトルを始められるのです。
まさに将棋や囲碁は知性同士がぶつかり合う激しい格闘。
血を見る事はなくても全能力を傾けて格闘していると時の経つのを忘れてしまいます。
私の将棋の力なんて決して大したことなく
10中8、9は負けてしまうものです。
でも惜しいところで負けてしまうともう一番!、とばかりに次の対戦相手を探してしまいます。
すると、ほんの数秒で対戦相手が見つかり再び開始。
たまーに勝利するとその感動が忘れられず、
もう1番、と言っては再び対戦開始。
そんなことをしていたら気付くと朝の5時を迎えてしまった日もありました。
このまま将棋を続けていたら時間なんていくらあっても足りません。
仕事もできずにきっと廃人のように成り下がる事でしょう。
1年の特別期間としてほんの数日だけ将棋に関わることを自らに許し、
今日以降は手をつけないことに決めました。
きっとギャンブルや麻薬で中毒になる方々の心理も
これと似たものがあるのかな、と考えました。
3時間以上も真剣勝負をしていると
すでに考えるエネルギーはなくなり疲れ果ててしまいます。
早くベットに入り休みたい気持ちもある一方で
それが止められなくなってしまうのです。
それでもあと1番だけ、後1番だけ
と言いながら止められないのです。
この中毒の恐ろしさ。。。
はまってしまったら自力で抜け出すことがほとんど不可能なことを体験しました。
今回の非日常的な正月の過ごし方は、
中毒にかかり依存症となっている方々の気持ちを理解する上で多少とも良い経験となったように思います。
と言いながら、節制のない正月の過ごし方をしてしまった罪悪感に対する自らへの言い訳としています。
クリスマス・イブの今宵、
イブのパーティに家族で行って来ました。
毎年の恒例となっている家族・親類でのパーティ。
年に一度しかお会いしない方々がほとんど。
子供らは背丈が伸びて成長ぶりに驚き、
変わらない壮年世代の元気さ、その成熟ぶりにお互い安堵する。
私よりも1世代上の叔父叔母の中には今年から老人ホームに入居したり、
ガン手術後のキモセラピーのため来られなかったりした方々が3名ほどいらっしゃた。
恒例の聖書朗読では最高齢のノームおじさんから
同世代の壮年にバトンタッチがなされていた。
月日と共に肉体は衰え
今まで出来たことが剥ぎ取られていく。
生きるというのは時に残酷である。
その現実社会に人となって来られたのが主イエスであられた。
神ご自身が肉体をともなって、しかも無力な赤子の姿をとりこの世に降誕された。
この事実は、病、死、罪という人の克服できない現実を凌駕するものがある。
それゆえ私たちは御子イエスのご生誕を喜び、
子供らにはプレゼントが贈られた。
姉家族一家
Golden Creek Pond へ行きました
カリフォルニアのサンフランシスコから姉ご一家がクリスマス休暇で来ています。
クリスマスにシアトルに里帰りするのは5年ぶりほどになる様です。
三人の娘さん達の大きく成長した様には驚きです。
長女のサマンサは高校4年生。
すっかり大人びていて、
家内が毎朝1人を選んで朝食に連れて行きます。
彼らが小学校低学年からのお決まりの朝食会。
完成したクリスマス・ツリー。
はやりプラスチックツリーよりも臨場感があります。
緑の枝枝から放出される新鮮な芳香がいい。
オーナメントは最盛期の半分ほどしか飾られていないけれど
シンプルでいい感じ。
と、一人で納得。
感謝祭、おめでとうございます。
米国ではクリスマスに次いで2番目の大型休暇であり
家族で集まってはご馳走をいただく時です。
そのご馳走になくてならないものがターキー。
私にはおいしいものとは到底思えず、特製ソースが無ければ喉を通って行かないのです。
ある年から息子はターキーを食べるのを拒むようになりました。
それは味についての問題でなく倫理的なもののようです。
皆がターキーを捕まえて食べ、ターキーをいじめていると考えたようです。
そこで「ターキーかわいそうだから僕は食べない」
保育園の頃にそう宣言してからいまだに食べようとしていません。
私にはそのような立派な理由はなく、
ただあのモゴモゴして味なく、退屈な食感に耐えられないため、
この日は寿司を楽しみました。
長男のサッカーの試合がありました。
センターミッドフィルダーの役割をキッチリと果たしているようです。
しばらく前は試合を見ながら彼のふがいない動きにやきもきしたものですが、
今はだいぶ安心して見ていられるようになりました。
彼自身が成長したと言うよりも、
親として自分も変えられてきたように思います。
チームで飛び抜けて1番になるよりも、
チームの中で与えられている役割を果たす。
彼自身の特性を生かしたプレーのスタイルを貫いて
チームに貢献する。
そんなところが理解できるようになって来たように思えます。
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