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エルサレム旧市街のダマスコ門。ヘブライ語ではシケム門と呼ばれる。聖書時代から、この門から始まる道がシケムを通り、ダマスコまで続いていた。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージノートと聖書本文はこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/43411688
「千年王国①」
マタイ24章34節
~マタイ福音書連続講解説教88~
「まことに、あなたがたに告げます。
これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。」
(マタイ 24:34 )
この主のお言葉に千年王国の啓示がある。
「これらのこと」とは、それまで話されて来られた大艱難時代のこと、
「この時代」とは、メシアが来られていない現時代の事である。
ユダヤ人はメシア到来を境にした、二つの別れた時代認識を抱いていた。
「千年」とは、黙示録20章に至って初めて啓示されたものであるので、
それまではメシア的王国という名が示す概念を抱いていた。
そのメシア的王国、つまりメシアが地上に到来したなら、
どのような世になると聖書が教えているだろうか。
オリーブ山の教説ではこの一行のみであった。
黙示録にはその期間が千年とあるだけで、
それ以上の詳細な啓示はない。
これには理由がある。
旧約聖書の随所には、そのメシア的王国の預言で満ちている。
それで重複する必要はなく、黙示録ではそのメシア的王国の到来プログラムを
時間順に追うことを主眼としているゆえである。
数あまたある預言から、その一般的特徴を学んでみよう。
イザヤ51章1~6節
1 義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。 わたしに聞け。
あなたがたの切り出された岩、 掘り出された穴を見よ。
2 あなたがたの父アブラハムと、 あなたがたを産んだサラのことを考えてみよ。
わたしが彼ひとりを呼び出し、 わたしが彼を祝福し、 彼の子孫をふやしたことを。
3 まことに主はシオンを慰め、 そのすべての廃墟を慰めて、 その荒野をエデンのようにし、
その砂漠を主の園のようにする。 そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。
4 わたしの民よ。わたしに心を留めよ。 わたしの国民よ。わたしに耳を傾けよ。
おしえはわたしから出、 わたしはわたしの公義を定め、 国々の民の光とする。
5 わたしの義は近い。 わたしの救いはすでに出ている。 わたしの腕は国々の民をさばく。
島々はわたしを待ち望み、 わたしの腕に拠り頼む。
6 目を天に上げよ。また下の地を見よ。 天は煙のように散りうせ、 地も衣のように古びて、
その上に住む者は、ぶよのように死ぬ。 しかし、わたしの救いはとこしえに続き、
わたしの義はくじけないからだ。
1.千年王国はエデンの園の回復である
•エデンの園に人を創られた状態は「非常に良かった」
•人はそこから堕罪して、エデンの園から追放された
•それを回復して、もとの良い状態に戻そうとする神の働きかけが聖書の物語
2.アブラハムとの契約がその回復プログラム進展の機軸となる
•アブラハムの選びと契約の締結(2)
•子孫から民族を起こす約束は、ユダヤ民族の成立で成就した
•一人の子孫が祝福成就に関わっている(5)
•その一人の子孫とは、神の「腕」と呼ばれているメシアである
3.メシア世界の統治者となるときがエデンの園の回復のときである
•やがてメシアが世界の統治者、立法者としての即位する時がくる
•天と地の大きな変動(6)〜これはメシア来臨の直前の艱難時代に起こる
天変地異の黙示録預言と一致するものである
•艱難からの多くの人々の死も預言されている
•その艱難時代を通って神の「救」いと「義」とが完成する
4.メシアによる救いと義とは今日体験できる(5A)
•世界の終末的な出来事であると同時に、今日経験できる個人的な祝福でもある
•それは、私たちの意志に訴えられているものである
イスラエルでは本日から夏時間が終わりましたので、1時間時計が逆進します。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
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「再臨から千年王国までのインターバル②」
マタイ24章34~35節 ダニエル12章11~13節
~マタイ福音書連続講解説教88~
大艱難時代とメシア的王国との間には75日間の移行期間があることを学んでいますが、
今回はその2回目です。
9つの事がこの間に行われることになりますが、
それらの起こる順序までは聖書に教えられていません。
テーマ別にどんなことが起こるかを探っていきましょう。
今回はその9つから、復活をキーワードに学んで見ます。
教会時代の聖徒は主が空中再臨されるときに携挙されます。
死者はそのときに蘇ってから携挙されます。
その彼らは主イエスとともに地上再臨の際に、
地上に戻ってくることになります。
その後で、旧約聖書時代の聖徒と大艱難時代の聖徒らとが
復活すると聖書は啓示しています。
大艱難時代聖徒らの復活については、黙示録20:4で教えられています。
「4 また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。
そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。(A)
また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、(B)
獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。(C)
彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
5 そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。
これが第一の復活である。
6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。
この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。
彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。」
黙示録20:4~6
4A:教会時代聖徒、Judgment was givenと訳せる。
つまりメシアの裁きの座をすでに通過した人たちのことです。
彼らはすでに携挙の後、天においてメシアによる裁きを通った人々です。
4B:大艱難時代前半に殉教した聖徒たち
4C:大艱難時代後半に殉教した聖徒たち
彼らは皆、復活して千年王国を相続します。
そして千年王国の始まるこの時点までの復活については
「第1の復活」と呼ばれています。
それにあずかるのは「幸いなもの、聖なるもの」(黙示20:6)です。
つまり信者を意味しています。
彼らにとって「第2の死は、なんの力も持っていない」とありますが、
それは千年王国後に開かれる白い御座の裁きを受けた者たちが
火の池(ゲヘナ)へ投獄されることを意味しています。
それではここで、第1の復活についてまとめてみましょう。
Ⅰコリント15:20~23では、
復活には「おのおのにその順番がある」と教えています。
ここでのギリシア語の「順番」とは軍隊用語であり、
行進や進撃する際に部隊が波状前進する連続性を示している用語です。
次々と次の5段階の連続性を持って第1の復活と呼ばれるものが起こります。
①主イエスの復活:初穂と呼ばれています。
②教会聖徒の復活:携挙のとき。Ⅰテサ4:16、大艱難時代の前に。
③二人の証人の復活:大艱難時代中間期に。黙示11:11
④旧約時代聖徒の復活:大艱難時代後のインターバル期に
⑤大艱難時代聖徒の復活:大艱難時代後のインターバル期に
これで信者の復活は完了します。
以後には義人の死はなく、したがって復活自体は起こりません。
何という完璧な終末プログラムでしょうか。
誰一人もれることなく、どこかのカテゴリーに属し、
復活して裁判、その後の永遠の住まいが決定されるのです。
そしてその決定には大まかに言うと二つの結果があるだけだと聖書は教えます。
千年王国か、ゲヘナという火の燃えている池かのどちらかです。
その二つの行き先を決定させる要因は一つしかありません。
主イエスにどのように向かい合ったかという、1点です。
「11 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、
私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。
私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。
その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
12 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。
麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」
(マタイ 3:11-12)
*ここでバプテスマのヨハネが主イエスを民衆に紹介しています。
*「その方」は信者に「聖霊のバプテスマ」(これは信仰を持ったときに受ける神の霊のこと)を授けるか、
「火のバプテスマ」(これはやがて不信者が火の池で受ける裁きのこと)を授けるお方です。
*「麦」とは信者のことで、「倉」とは千年王国です。
*「殻」とは不信者のことで、「消えない火」とは火の池(ゲヘナ)のことです。
さて、貴方は主イエスを誰だと告白しますか。
イスラエルは雨期に突入。
この時期にしかお目にかかれない傘を差して、
子供たちは何だか嬉しそうですね。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:
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「再臨から千年王国までのインターバル」
マタイ24章34~35節 ダニエル12章11~13節
~マタイ福音書連続講解説教87~
主の再臨をもって大艱難時代が終了するのを先週学びました。
反キリストが組織する世界連合軍がイスラエルへ侵攻して
ユダヤ人抹殺を遂げようとするとき、
彼らが悔い改め主イエスを求めるようになるのです。
それがハルマゲドンという戦いの最終段階であり、
「鉢のさばき」の第7番目のものでした。
その後メシア的王国が樹立されるのですが、
それは千年間続くことから千年王国とも呼ばれます。
その新たな時代に移行するまでに
しばらくのインターバルのあることも分かっています。
これは、ダニエル書から分かることですが、
そのインターバルは75日間です。
「 11 常供のささげ物が取り除かれ、
荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。
12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。
13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。
あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」
(ダニエル 12:11-13)
•神殿が清められるまで30日間(11)~1290日(1260日プラス30日)
•千年王国が開幕するまで75日間(12)~1335日(1260日プラス75日)
1260日とは、3年半の大艱難時代後半期のことで、
主の再臨をもってこれが終了します。
その後30日で「荒らす憎むべきもの」という
反キリストが設置した偶像がエルサレム神殿から除去されます。
おそらくその30日間で隆起したエルサレムの土地に
新しい千年王国の神殿が建立されると考えてよいでしょう。
さらに再臨後75日間で
8つのことが行われることが他の書の預言からわかっています。
これらは時系列順番としては啓示されていませんので、
テーマ別に学ぶものです。
詳しくはメッセージノートをご覧ください。
ここでは反キリストと偽預言者の二人がどのような処罰を受けるかを見ましょう。
先ず反キリストですが、
「火の池に生きたまま投げ込まれた」(黙示19:20)とあります。
彼は主の再臨時、真っ先に殺害されていたはずです。
ということは、ここでは2回目の復活を遂げているいることになります。
「2回目」というのは、
すでに大艱難時代の中間期に彼は殺害されその上で復活しているのです(13:3)
ここでは、「生きたまま」(復活を示唆)、
「火の池」へ投げ込まれています。
そこは不信者やサタン、悪霊の最終的な住処です。
彼らは千年王国が終わり、
白い御座の裁きを受けてから火の池へ投げ込まれることになります。
つまり、反キリストと偽預言者の二人だけは
千年間をたった二人だけで「火の池」で過ごすことになるのです。
ここで反キリストとメシアとを比較して見ましょう。
①反キリストの死骸は埋葬されることはなかった~イザヤ14:20預言成就
(イエス様は埋葬されました)
②反キリストの復活は「第二の復活」<それは不信者のもの>の初穂である
(イエス様の復活は「第一の復活」<それは信者のもの>の初穂です)
③復活の結果は火の池への投獄である
(イエス様は復活されて天の右の座に着かれました)
政府軍と反体制組織による過激な内戦が繰り広げられているシリア。戦局は日々激しさを増しており、2011年から今までで19万人以上の死者を出している。
そんな混乱の渦中にあるシリアで、紛争で負傷した3歳の男の子が病院に運び込まれた。瀕死状態であった彼は間もなくして息を引き取るのだが、絶えゆく意識の中、冷たくて硬い診察台の上で衝撃的な言葉を口にしたという。
「全部神様に言ってくるから」
シリアで何が行なわれているのか、人々がどのような困難を強いられているのか。紛争で起きた悲惨な出来事を全て神様に話してくるというのだ。彼がどのような景色を見てきたのか定かではないが、子供が拷問により亡くなることもある現地で体験したであろう恐怖は想像に容易い。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
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「大艱難時代後半の3年半③」
マタイ24章29~35節 黙示録19章全節
~マタイ福音書連続講解説教86~
大艱難時代の最終段階は、「ハルバゲドンの戦い」といわれている
イスラエルを抹殺するための反キリストの全世界連合軍との最終戦争です。
唐突ですが、世界平和はどのようにして達成されるのでしょうか?
人間が歩み寄り知恵を結集して、
国際間の協調・協和によってという理想が国際連合の理念にあるようです。
ニューヨークにある国連ビルの石碑には次の聖書の言葉が刻まれています。
「彼らはその剣を鋤に、 その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、 二度と戦いのことを習わない。」(イザヤ 2:4 )
まるで自分たちの努力で平和が達成されるといわんばかりです。
もちろん平和のための努力は必要不可欠で、
その努力自体にはこれまで日本もPKO参加を通じて貢献してきました。
それは評価され、尊重されるべきものです。
ただ、恒久的な世界平和は、
それではやってこないと聖書は告げています。
これまでがそうでした。
今後もその通りです。
先ほどのイザヤ書の言葉には重要なところが抜け落ちています。
「主は国々の間をさばき、 多くの国々の民に、判決を下す。」という文書の後に
「 彼らはその剣を鋤に、 ~」の言葉が続いているのです。
主イエスが王として世界に君臨し、世界の人々に正義と公正とをもたらすまでは
剣を必要としない時代は来ないと聖書は教えます。
イザヤ書の2章のこのところは、
主が地上に再び来られて、
大艱難時代に絶滅の危機にふんしているイスラエルの民を助け、
その後エルサレムから世界中を統治されるという
メシア的王国を預言している箇所です。
このメシア的王国を信じていない人たちは、
キリスト者と言われる人々の中にもおられます。
彼らが聖書の預言するイエスによる世界平和の実現(メシア的王国)を
どのようにして解釈しているかといえば、
キリスト教会の伸展による世界のキリスト教化によるものだというのです。
だいぶ苦し紛れの解釈のようです。
確かに19世紀以降、キリスト教勢力は宣教師の活躍により世界に広まりました。
でもそれが世界に平和を構築することにはつながり得ませんでした。
2度の世界大戦はキリスト教国と言われる欧州から始まったのです。
現在のイスラム原理主義の台頭とその盛んなテロ活動を見ただけで、
キリスト教化による世界平和は絵に描いた餅であるのが誰の目にも明らかではないでしょうか。
いったい彼らがキリスト教に改心するとでもいうのでしょうか?
ではどのようにして、、、?
それは激しい世界大戦の真っ只中で
主イエスが天から再臨され、
反キリスト勢力を殺害されることによってです。
「愛と赦しのイエスが、殺戮ですって??!!!」
多くの人にとり、これは驚くべき預言でしょう。
でも黙示録は明瞭にこれを告げています。
「この方(再臨されたイエスのことです)の口からは諸国の民を打つために、
鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。
この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」
(黙示録 19:15-16)
2000年前の初臨のとき、イエスは苦難のメシアとして十字架で死なれました。
将来の再臨のときには、
悪に報復される勝利のメシアとして君臨するために来られます。
その世界最終戦争は、
イスラエルを抹殺するために世界中の軍隊がイズレエル平原に結集することから
「ハルマゲドンの戦い」と呼ばれます。
先週学んだ大艱難期後半に起こる「鉢のさばき」の
第6のさばきが、ハルマゲドンの戦いの第1段階に相当します。
第7のさばきが、ハルマゲドンの戦いの最終段階である第8段階です。
興味のある方は、メッセージノートを参照ください。
その全8段階の各ステップを旧約聖書からの引用により順次解説しています。
ところで、日本では先日安部内閣が集団的自衛権を容認する憲法解釈をしました。
護憲派からは憲法改悪だとする反対議論が盛んに沸きあがっています。
「憲法9条があるから戦後70年間、日本は戦争と関わらずに済んできたのであり、
今後も9条は永久不滅の大典であらねばならない」とするのが
中心的な論点のようです。
その論点には「われわれ日本だけが平和で繁栄すれば良い」
とする前提があるのではないでしょうか?
世界は終わりの時代に入り、今後もいよいよ混沌を深め、紛争が続きます。
7年間の大艱難時代の最中には、幾度も世界を巻き込んだ大戦が勃発するのです。
そんな中で9条をどのように死守できると言うのでしょう?
70年前と現在とでは世界情勢は大きく異なります。
憲法の前文には次のような崇高な文書があります。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
日本がどれほどに「崇高な理想」を掲げようとも、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できない時代が来ようとしているのを、
日本のキリスト者として警笛を鳴らすべきではないでしょうか。
自らのイデオロギーに賛同しないものは
容赦なく血祭りにあげるとする現在のイスラム国の凶暴性がその一例でしょう。
そんな他国に「信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
との姿勢のままで今後も良いというのでしょうか?
70年前は日本が他国侵略の加害者だった故の、
その暴走を警戒するゆえに連合国側から立案されて憲法が完成しました。
この先もずっと、その成立段階のままで、
現実の国際情勢に対処できると言えるのでしょうか?
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと
努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
これまでの国際社会はそのようなものであったかもしれないが、
今後の国際社会はいよいよ
「専制と隷従、圧迫と偏狭」へのベクトルが強まっていくのです。
憲法前文は
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであって、」と続きます。
これは一国平和主義、絶対武装反対に対する反論のように聞こえてきます。
もちろん70年まえに執筆されたときの論旨とは異なるでしょうが。
シリアの内戦、アフガンやイラクでのタリバン勢力の台頭、イスラム国の拡大、、、
その中で数十万人の一般市民が不条理にも虐殺されました。
先日、全身血だらけで病院に搬送された3歳くらいのシリアの男の子が
最期に言い放った言葉を知って衝撃を受けました。
「神様に言ってくるから」
子供でさえも残虐な拷問ののちに殺していく蛮行をどの程度見聞しての事かは
定かでないようです。
ただ、その幼い二つの目はおぞましくも正義が蹂躙されている様子を見たのです。
そして数分後に天国へ行くのを悟り、
そのときに神に告げると、泣きながら言い放ったのでした。
このような不条理が横行しているのが現在の中近東であり、
聖書預言によれば、
その状態が世界中に広まるのが大艱難時代と言われる時なのです。
正義と公正とはどのように樹立されようとしているのですか?
繰り返します。
国連の働きによるものでも、理想的な憲法と平和主義によるものでもありません。
主イエスが再臨され、
全ての悪に報復し、
悪者を自らの手で葬り去ることによります。
「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。
この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。
この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」
(黙示録19:15-16)
主イエスよ、来て下さい!!
死海の夜明け
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/4222785
「大艱難時代後半の3年半②」
マタイ24章22~27節 黙示録15~16章
~マタイ福音書連続講解説教85~
黙示録の文学書としての特徴や性格を理解することは、
正確な解釈のために役立つ。
3種類のシリーズで大災害が地上を襲うとある。
その各シリーズには7つの災害が含まれている。
a)7つの封印
b)7つのラッパ(7番目の封印の裁き)
c)7つの鉢(7番目のラッパの裁き)
各セットの裁きの直前には天の光景が開かれているのも見逃せない特徴である。
a)直後のイベントのための前奏曲であり
b)シャカイナ・グローリーに包まれた神の顕現があり
c)神を称える賛美
d)信者に約束された報酬などが啓示されている
黙示録はどうしてこうも難しいのか。
それが書かれた法則を知ると案外変わりやすいものとなる。
その法則のひとつは、「再記述の法則」と言われるものである。
すでに前章で語られた内容を別の表現を用いたり、
別の視点で述べたり、
更なる詳細な情報を与えることが「再記述」というもの。
①中間期の再記述
a)10章の小さな巻物は、7つの鉢の裁きを秘めたもの
b)11章の二人の証人は前半の3年半に活躍する者たち
c)12章の二つの翼によってイスラエルはぺトラに逃れる
d)13章の「偽の三位一体」により後半3年半に厳しいユダヤ迫害が起こる
e)14章の14万4千人の賛美は千年王国での様子
②17~18章の再記述
a)17章、統一宗教バビロンの崩壊~前半3年半の出来事でバビロンに焦点
b)18章、世界帝国首都バビロンの崩壊~後半3年半の出来事で
バビロンに焦点が当てられている
このように、中間期に記されている事象はそれ以前の3年半に起こることや
以後の3年半の事々を違った角度から再記述したものであるといえる。
17~18章に書かれていることは、7年間の反キリスト勢力の中心であるバビロンが
どのように崩壊していくかをまとめて記したものである。
結論 人間の最終的運命が二分される聖書の教えについて
ポスト・モダンのヒューマニズムの時代の風潮として、
絶対的価値観を否定して万事が相対であるとするものがある。
人の死後のあり方についても宗教の数だけ異なる教えがあり、
結局何を信じるかで「勝手にそれぞれが決めるもの」という理解が広がっている。
ところが黙示録は、大艱難時代が進み苦難の度合いが増すに従い、
人は二分されて行くことを教えている。
万の生き方から、たった二つきりの生き方に収斂されていくというのである。
•ダニエル書から:
「多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。
悪者どもは悪を行い、ひとりも悟るものがいない。
しかし、思慮深い人々は悟る」
(12:10)
•黙示録から:
「不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。
正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」 (Rev 22:11 )
そして、人の運命を二分されるお方が、主イエスである。
•「手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。
麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」
(マタイ 3:12)
•「倉」とは、信者の入る千年王国である。マタイ13:30
•「消えない火」とは、不信者がゲヘナに投げ込まれることである。
私たちはここで、主イエスからいただいた信仰の遺産を確認したい。
「4 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産
を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために
天にたくわえられているのです。
5 あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、
終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです。」
Ⅰペテロ1:4~5
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