私はITオンチで、先日買ったApple製品をどうにも使いこなせません。
メールの同期設定ができないのです。
宝の持ち腐れとするわけにはいかないので、Bellevue Square にあるAppleストアまで行ってました。そこで使用方法を請うことにしたのです。若いお兄さんやお姉さんたちにこれまでも携帯電話の使用法を何度か教えてもらってきました。
お店にはベニア板が被せられていました。
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「倒産したのかしらん? そんなはずはない。i phone5 が出たばかりでまだリンゴの世界がしばらく続くはず…」
小さな張り紙に、2階に移ったとの知らせ。
行ってみるとこれまでよりも数倍広い店舗に、正面は相変わらず一つのリンゴがぶら下がっていました。
この新しい店は、世界で最も広いリンゴ店舗なのだそうです。
私が講習を受けていたそのテーブルでは、新規のi phone 5 を手にした人達を何人も見受けました。
まだまだリンゴの時代が続きそうです。
「山上の垂訓」 マタイ5章1~16節
~マタイ講義(11)からの抜粋です~
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主は8つの幸いについて教えられました。
このそれぞれ節は、「マカリオス」という原語が冒頭に来ていて、しかも感嘆文となっています。
文語約が実に良くこのあたりのニュアンスを訳出してあり、「幸いなるかな」と余韻を踏んでの書き出しとなっています。
「ハピネス」(幸運、ラッキー)と違い、この語句には「祝福されている、恵まれたものよ」という意味があります。
よく誤解されていますが、これは天国に入るための倫理道徳条件のリストでなく、天の御国で生きる市民の様子を描写したものなのです。
聖書でいうこの「天の御国」という概念もまた誤解されやすいところです。そこにある基本的概念は、「王の支配の及ぶ領域」というものです。
主イエスを信じ受け入れた者の心中には、王なる主の支配があります。そのようなクリスチャン同士の交わりにおいてもまた、主の権威が及んでいます。それゆえ互いに赦しあい、愛しあう場となり、それが神の国と言われる所以です。
やがて将来、主の再臨の時に、この地上に見える形で主の王国の支配が全世界を覆うことでしょう。それもまた神の国のありかたです。
つまり「神の国」(マタイでは「天の国」と呼ばれています)とは、現在成就していて信者が信仰により体験できるものであると同時に、将来、究極の大スケールで実現される希望でもあるのです。
先日あるご婦人が20年以上前の「ハピネス」についてお話ししてくださいました。ハピネスをもう少しで掴みそうだった、と言った方が現実に近いかもしれません。
彼 女は毎週末に$5でLottoという宝くじを買っていたのです。その日も購入予定の番号を書き出していたら、たまたま息子さんがそれを見つけて「ママ、そ の番号は愚かしいよ」と言ったため、買いに行くことをしなかったのだそうです。後日、何とその番号こそが大当たりの3億円となったのを知りました。その瞬 間、彼女は悔しさのあまり髪の毛をかきむしり、側にあったソファーのクッションを部屋中に投げ散らしたのでした。
今となって彼女は「あの時クジに当たらないで良かったです。」と言っています。「もし3億円を手にしていたら、私はクリスチャンになれなかったですもん」と話してくれました。
さて皆様は、主イエス様と3億円のどちらか一つを選べるとしたら、どちらを選びますか?
「もちろん主です」と即答できる人は、「マカリオス」(何と幸いな人でしょう!)と言われるにふさわしい人です。
3億円という途方もない価値に勝る宝を見出して、そこに生きている方だからです。
この日の午前に、長男のサッカーの試合がありました。
この日の午後はタコマでの家庭集会があるため、早朝から説教の準備をしていました。
もっと早くから準備を始めれば余裕を持って週末を過ごすことができたはずです。追い詰めらなければエンジンがかかってこないのは、直前でないと試験勉強に取り組まない学生時代の名残でしょうか。
後10分…後5分……ついに試合開始時刻となってしまいました。
それでもまだ私は机にかじりついています。
切羽詰まるといよいよインスピレーションが湧き上がってきて、ペンもスラスラ走り出します。
「ごめんね、かい君」
心のどこかでそうつぶやきながら、降りてきたインスピレーション(?)を残らず受け取ろうとする格闘がいつまでも続きます。
これ以上遅れたら試合が終わってしまう段階になってようやく立ち上がりました。高速道路を走行中、妻からの試合実況情報がテキストメッセージで届きました。
「3-0です。残念ねえ、かいがその3得点入れたというのに、あなたは見逃してしまったわねえ」
60マイルで走っている周囲の車が、歩いているほどのスローモーションにしか見えません。
ようやくイサクアにある試合会場に到着して後、彼がドリブルでゴールしたもう1得点は見ることができました。
しかし、初めて成功したヘディングシュートでの2ゴールを見逃がしたのが悔やまれてなりません。
この痛みと悔しさとをバネにして、次回から早目の準備を心掛けたいです。
先日は、日本婦人クリスチャンランチョンが開かれました。
大シアトル圏にある日本語教会の関係者が一同に集まるものとして年一度だけ開かれるもので、ことしで30周年となりました。
この機会でなければ お会い出来ない友人方もいて、私は毎年楽しみにしているのです。
ゲストスピーカーは、宮城県塩釜市で牧師をされながら復興活動に深く関わりを持っておられる「ホープみやぎ」代表の大友先生でした。
仮設住宅にお住まいの被災者方への支援活動の実際のお話の中から、無限に拡がるニーズごに対してもめげずに対応していらっしゃる姿勢に頭も下がる思いです。
ソロをしてくださったYumi姉のご奉仕にも聖名を崇めました。
魂の込められた声量に、ガンを克服しての、復活を想起させる霊感あふれるものでした。
ハレルヤ!
今晩は長女のカリキュラムナイトに参加しました。
中学生の彼女の学校では科目ごとに教師が変わります。
ここまでは日本と変わりないでしょうが、この学校では教室は科目ごとに設定されていて教師はそこにとどまります。生徒が各教室を渡り歩くことになっています。
そこで私たち父兄も各教室を訪問して、各教師からそれぞれ15分間の教育施政演説を伺うことになりました。
科学、フランス語、社会、英語、数学、コンピューター、オーケストラの各教室を巡り終えたらすでに2時間が経過していました。
どの先生も情熱を持ってクラス運営されておられるのが良くわかり、私も明日からこの学校で中学生となって学びたくなりました。
真っ先に大反対するのは長女自身でしょうけれど。。
シアトルのベル・タウンを歩いていたら、懐かしいお名前を発見しました(写真)。
Dorothy先生は40歳を過ぎてから単身、米国から日本に渡った女性宣教師。
今は三重県の錦と言う場所にある墓地に葬られています。
私が神学校を卒業して遣わされた最初の任地がその錦と言う漁師町でした。
70歳を超えた女性米国人と20歳そこそこの私との共同生活が始まりました。
今思い返しても夢のような日々でした。
ドロシー先生が来日した際、横浜港のタラップを歩きながら今後大好きなアイスクリームを食べることもできないと悲壮な覚悟を決めたそうです。
ところが日本にもアイスクリームはある。
錦の近隣にある大内山村には牧場があり、そこで作られているアイスクリームは天下一品です。
7年間、毎日3食をドロシー先生とともにさせていただきましたが、夕食後には決まってそのアイスクリームとチョコレートやパイを組み合わせたサンデーをいただくのが楽しみでした。
この日の夜、妻と長男の通う小学校へ行ってきました。
年に一度の「カリキュラム・ナイト」と言われるもので、担任教師と父兄たちとのクラス懇談会に出席のためです。
教師の教育に対する姿勢や、何を重視しているのかという価値観、成績のつけ方やクラス運営の実際方法など、あらゆる点をそれぞれの教師がその教室で父兄たちに説明する40分ほどの集いでした。
いわば年度初頭の教育指針演説、といったところでしょうか。
真剣に子供と向き合うその教師の情熱を感じることができたし、理解してもらうための工夫や共同生活するうえでの互いを尊重する価値観などには共感できました。
その教師は学力を伸ばすことに熱心な点でも学校で高い評価を得ている方です。
長男にはふさわしい教師であると、うなずいた夜となりました。
人は楽をしようとすればどこまでも怠惰になれます。
子供が訓練なしにセルフコントロールを取得することなんてあり得ません。
訓練なしに育ってきた私がたどり着いた結論でもあります。
写真は、その教師がクラスに張ってある「能動的参加チェックリスト」です。
クラスで挙手や発言など積極的な参加ができた生徒をチェックするもので、生徒の答えの正誤は問題にされません。ある程度たまるとピザなどのご褒美が与えられるようです。
「若者を(子どもを)その行く道に ふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いてもそれから離れない。」(箴言22:6)
本日は私にとってセラ(休日)の日。
もう一つ特別なのは、長女が朝食を作ってくれたのです!
食パンに目玉焼きを落とす単純なものだけれど。これがとてもうまい!
子供用の料理ブックをあちこち開きながら、これならできそう、と自ら選んで台所に立ち、家族4人分を作ってくれました。
実益になる趣味を持ってもらえると私としてもうれしいです。
聖書広場からの抜粋
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主イエスは、働きの場として主にガリラヤ地方を選ばれた。
ユダヤ国家の宗教、伝統、学問の中心地としての南部にあるユダヤ地方に対して、北の中心地・ガリラヤ。そこは農業を始め商工業が発達した場所でもあった。
ガリラヤ湖の北西にあるカペナウムはその地方第一の町で、主の働きの根拠地となったところである。そこにペテロの実家があり、マタイは通行税を徴収する役人として働いていた。主ご自身も「自分の町」(マタイ9:1)と呼ぶほどに親しまれた。
ところで主の本来のホームタウン、あるいは出身地は同じガリラヤに位置するナザレである。
洗礼を受けられ、悪魔の誘惑にも勝利された後、いまや本格的な宣教生涯をスタートさせる準備期間を終えた主は、ガリラヤヘ帰られた。そして時を移さずにナザレを訪れる。
そこでは人々が「この人は、ヨセフの子ではないか」(ルカ4:22)と言って、イエスをメシアとして拒絶し、町の立っている丘のがけまで連れ出してはそこから突き落として殺害しようとする。イエスはホームタウンでは受け入れられなかった。
それがそもそもの預言者のたどる道である(ルカ4:24)と説明されるが、もうひとつの理由を付け加えたい。
それは、その町が持っている地政学的力学である。
ナザレは山間の盆地に位置する小さな寒村である。わざわざそこを通るものはなく、外の空気に接することもない人々は自然とこれまでの伝統やしきたりを墨守する傾向が強まる。
エルサレムから派遣されてくる律法学者こそ、サンヘドリン(ユダヤ最高議会)お墨付きの権威としてその教えをありがたくも頂戴することの他、選択肢がない。
一方、カペナウムは商工業で栄えている。ダマスカスとエジプトを結ぶ国際幹線道路がそこを貫いている交通の要衝地である。 多くの外国人、商人、旅人がそこを通い、異なる価値観も共存共栄している町であった。ローマ軍の百人隊長がユダヤ人のために会堂を寄進したのがその良い例(ルカ7:1~10)となる。自然、人々の気質は進取性に富むようになり、開放感あるものとなった。
コチコチに固まったユダヤ教保守派のパリサイ人の教えを主イエスが論破したとき、そこの民衆はどちらに軍配を上げればよいかの判断力や洞察力を培養していた。
商業という、物事の価値を数値で測ることに慣れている乾いた思考方法に負うところが大きかったと言える。
カペナウムを震源として、主イエスの新しい神の国運動は全国的な広がりを見せるようになる。そこには主の戦略的な狙いがあったことは確かである。
ここで日本史と比較すれば、織田信長が建設した安土にセミナリオ(司祭養成のための初等教育機関)が置かれたのも戦略として頷ける。イエズス会の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父は、信長に願い出てその建設を安土城のすぐそばの一等地に許可される。当時、楽市楽座政策により安土には全国から商人や職人が集まり活況を呈していた。
琵琶湖を渡れば京にも近く、交通の要衝地として見込んでの、天下統一を睨んだ信長の新しい城下町建設直後のことであった。
さて、私たちの内なるものとは、どちらのタイプに属しているのだろうか。
私たちの心、感情、考え、意思などはどのような傾向性を持っているのか。ナザレ的であろうか、カペナウム的であろうか。
ここはサンフランシスコの中心部、Market st. とPowelが交差している、ケーブルカー乗り場から1ブロック入ったところ。
私の知人がこの写真のビルでビジネスをしているのだが、彼の顧客が何とかさん(覚えにくい英語名でした)で、このビルのコンドに住んでいるのだそうだ。
私がSquareを使用していたとき、その知人が「それとTwitterの発明者が私の顧客でね、この下の部屋に住んでいるんだ」と話してくれたことから判明。
「へぇ~」とひたすら感心する私。
サインを求めるような追っかけでないが、どういう仕組みでそれらの道具を作り出したのか、そのアイデアなりを聞いてみたいものだ。
かつてTwitterのアカウントを作ったことがあるが、使い切ることなくたった二日ほどでお蔵行き。私にはその価値がわからない。人様の呟きを聞いて何になる?
だが、Squareには重宝している。
これはクレジットカード決済のための指先ほどの道具で、iphoneに接続すれば電話アクセスができるところならどこでもコードレスにて決済ができる。その決済の費用も2.9%だから、たいていのマーチャント会社よりも良いレイト。
これだけでもお礼の言葉を伝える理由になる。
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